第八十話「疾風のシリュウ」
ヤマブキシティのゲート管理官は不在であった。ユキナリは駆け出して雑多な街並みへと自らを放り投げる。ガンテツもその視線の先に天を衝く摩天楼を見据えた。
「あれが、シルフカンパニー本社ビルか」
「来るのは初めて?」
「ああ。やけれど、俺はもう因縁があるからな」
その言葉にユキナリは頷いた。
「僕もだ。共に行こう」
目配せし合い、シルフビルを目指した。入ったところの警備は驚くほどに手薄だった。赤色光のランプが点灯しており、非常時である事を告げていた。
「もしかして、来るのがばれていた?」
「あり得ん話ではないな。あのランとかいう嬢ちゃんが予め伝えていたとしたら」
こちらの心を読む能力があるのならば今の行動でさえランの思惑通りなのかもしれない。
「だとしても、僕は行かなくっちゃ。どんな妨害があろうと」
言った先から黒服が飛び出してきた。ユキナリはGSボールを突き出し、ボタンを押し込んだ。
「いけ、オノンド!」
繰り出されたオノンドが黒服を引きずり倒す。しかし、黒服も新型モンスターボールからポケモンを繰り出していた。巨大な顎を持つ紫色のポケモンだ。翼を広げ、こちらへと食いかかろうとしてくる。その行く手を青い思念の光が遮った。
「オーキド! 俺に任しとけ!」
ヤドンの思念の力が翼手のポケモンを迎撃する。青い思念の光が翼の動きを封じたかと思うと、そこから先は一気だった。纏わりついた光が弾け飛び、翼から揚力を奪い取る。無力化された黒服とポケモンを視界の隅に置き、ガンテツとヤドンは自分達を追ってきた。
「……強いんだ」
「当たり前やろ。一応、ポケモンリーグに挑戦する、って気概なんやから」
ヤドンは普段はとぼけているようで戦闘時には使えるポケモンであった。黒服が飛び出して道を遮ろうとすると、ヤドンが尻尾を揺らし、思念で突き飛ばす。
「何の技?」
「サイコキネシス。どういう風でも応用が利くから便利やな」
その応用を生み出しているのは他ならぬトレーナー自身の力量である。ユキナリは自分が思っていたよりもガンテツを見くびっていた事を発見した。
「出てくんぞ! 右から!」
ガンテツの声に黒服が飛び出してくる。サイコキネシスの網がすかさず包囲し、黒服の動きを封じた。
「どうやらこいつら、上を守っているようやな」
上、とユキナリは天井を仰ぐ。何があるというのか。階段を上っている限りでは、それが何なのかは見えない。
「そうなのかな。だとすれば、上に何が?」
「こいつに聞こうかいな」
今しがたサイコキネシスで両手を封じた相手へとガンテツは歩み寄った。
「お前ら、何を守っとるんや?」
「決まっているだろう。シルフの社長と重役連だ。我々はシルフを守護するために集められた精鋭のSPだぞ」
男の声音に嘘がないか、ユキナリは判断に迫られた。聞いたところによると嘘は言っていないように思えるが、それにしては何かが足りない。意図的にパーツが隠されているような感触だ。
「それだけか?」
ユキナリの意思を汲んでかガンテツが問いに重い声音を含む。ヤドンの思念の力が倍増し、黒服の手を締め上げた。
「う、嘘じゃない! 本当だ!」
「ほんまか? 嘘言うと舌までサイコキネシスで引っこ抜くぞ」
ガンテツの脅迫に恐れを成したのか、「わ、我々も詳しくは知らないのだ!」と男は悲鳴を上げた。
「詳しくは知らん? 精鋭のSPちゃうんかい」
男は、「本当なんだ!」と叫ぶ。ガンテツがユキナリへと、どうするか、という視線を送った。
「多分、嘘はないんだと思う。ただ、知らないんじゃないかな」
「知らんって、でも同じ社内やぞ」
「あなた、ランというトレーナーを知っていますか?」
ユキナリは思い切ってランの名前を出した。黒服は、「精鋭部隊に加えられたトレーナーだ」と応じる。
「なんや、随分とぬるいな、精鋭部隊とやらは。誰でも入れるんとちゃうか?」
「そ、そんな事はない。我々一般団員と精鋭部隊とでは情報の開示度が違うんだ……」
恐らくはそれだ、とユキナリは直感する。
「ガンちゃん。多分、彼らは上を守れとしか命令されていないんだと思う」
「そんなアホな! 曖昧過ぎるやろ!」
「もしかしたら命令系統が違うのかも。黒服達を動かしているのと、精鋭部隊を動かしているのが別人だとしたら?」
それならばこの混乱で社内を駆けずり回っているのは真の目的を明かされていない人々だ。ユキナリの憶測にガンテツは、「そんなんで動くか?」と疑わしげな眼差しを向けた。
「いや、天下のシルフにSPとして迎え入れられるだけでも充分な利益だよ。真の目的を知らされていなくてもね」
黒服達自身はスカウトされたのだと思っているのだろうが、そうではない。恐らくは真意から目を逸らさせるために利用されたに過ぎないのだとしたら。
「彼らとて被害者になる」
「でも……」
ガンテツの声を遮るように上階から黒服が降りてくる。ユキナリはオノンドに命じた。
「オノンド! ドラゴンクロー、拡散型!」
オノンドが一瞬にして短剣の「ドラゴンクロー」を展開させ、黒服達の進行方向を遮った。眼前に迫った青い光の短剣に黒服達が息を呑んだのが気配で伝わる。
「通らせてもらう」
短剣で動きを封じられている黒服達のすぐ脇をユキナリは駆け抜ける。ガンテツは、「ほな、さいなら」と黒服達へと舌を出した。
「何かがあるに違いないんだ」
ユキナリはその予感に自ずと呟いていた。八階まで上ると明らかに内装が下階までと異なっていた。重役の部屋だろうか、と考えていると、「オーキド!」とガンテツが背中から突き飛ばした。
先ほどまで自分がいた空間を空気の刃が切り裂いていた。ガンテツが立ち上がり、「野郎、闇討ちをかけるか」と忌々しげに口にした。部屋の扉の陰に隠れていたのは痩身の男だ。黒服を着込み、青白い病人のような顔つきをしていた。
「私の名はロケット団幹部、疾風のシリュウ。我がクロバットの攻撃を見切った事だけは褒めてやろう」
シリュウと名乗った男が手を掲げる。すると先ほどの翼手型のポケモンと同系統と思しき紫色のポケモンが舞い戻ってきた。二対の翼を羽ばたかせ、思ったよりも小型のポケモンは睨みを利かせてきた。
「下がってろ、オーキド。俺が相手をする」
いつになくむきになったガンテツの背中に、「……どうして」と声をかける。
「因縁だからな」とシリュウは鼻を鳴らした。
「ああ、こいつは因縁や。まさか、一門を裏切った八代目と合間見えるとはな!」
八代目、という言葉にガンテツの話にあったシルフカンパニーに技術を売った人間の事を思い出す。八代目ガンテツを襲名した男だと。
「ガンテツの名はもう古い。これからはロケット団とシルフカンパニーが世を席巻する時代よ」
シリュウの手には新型のモンスターボールがあった。ガンテツは怒りを露にして、「恥ずかしげもなく使いおって……」と声にする。
「恥を知らんかい!」
「貴様のようなガキがガンテツを襲名するとは、地に堕ちたものだな。ボール職人の一門も」
「黙れ! ヤドン、行くで!」
ヤドンが尻尾を振るい上げ、思念の力をシリュウにぶつけようとする。しかし、クロバットと呼ばれたポケモンは旋風を巻き起こすと「サイコキネシス」の風と相殺させた。
「トレーナーとしての実力。まだまだのようだな」
ガンテツは完全にシリュウと対峙する事を決めたようだ。ユキナリへと、「行け」と顎でしゃくる。
「俺の事はいい。上や、上を目指せ」
しかし、さらに上の階層を目指すにはシリュウの脇を通り抜けねばならない。その先にある階段を見やり、「行けるものならば」とシリュウが余裕の笑みを浮かべる。
「俺が活路を作る。オーキド。行くんや」
ガンテツは身構えた。ユキナリは頷き、「お互いに」と拳を突き出す。
「ああ、生きて帰ろうやないか」
拳をコツンと打ちつけて二人はそれぞれ動き出す。シリュウが、「愚かな」とユキナリへと攻撃を向けようとする。ガンテツが、「こっちや!」と青い光の幕を張った。
「サイコキネシスで私を押し潰そうとでも言うのかね。だが、それよりも我がクロバットが君の首を落とすほうが速い!」
クロバットがまさしく疾風の名に恥じぬ素早さでガンテツの首めがけて突っ切る。しかし、その攻撃が命中する事はなかった。ガンテツ足元から立ち上ったのはピンク色の立方体だ。透明な立方体はガンテツとヤドンを包む。その空間に入ったクロバットは急に速度を落とした。それこそ、常人が見切れるほどに。ガンテツは当然の事ながら回避する。ヤドンの張っていた攻撃にシリュウが舌打ちを漏らす。
「私をサイコキネシスで潰すと見せかけてトリックルームを展開する事を第一に掲げていたというのか」
「それも見抜けんようじゃ、お前もさほどトレーナーとしての力は及ばんようやな」
立方体は膨れ上がり、シリュウの足元に至った。ユキナリが振り返ると、シリュウですら「トリックルーム」とやらの支配下にあるらしい。動きが随分と鈍かった。
「行け!」
その声に後押しされ、ユキナリは階段を駆け上がった。