第七十九話「寄り添うべき二人」
「どういう意味なのかと聞いている」
自分の発した声は思いのほか狼狽していた。シロナとて困惑の只中にいる。それでも足だけは止めなかった。
「同盟を早速ちらつかせてきた辺り、どういう意図なのかはあたしにもはかりかねるわ。ただ、防衛措置だけは取っておかないと、後々面倒になる」
「俺がそこにいたという証明は」
「もちろん、あたし達組織が全力で隠し通す。けれど覚悟しておいて欲しいのは、執行官の耳に届く可能性はゼロじゃない」
ヤナギはそこで足を止めた。シロナが振り返る。
「どうしたの?」
「父上に、心配はかけたくない」
「気持ちは分かるわ」
「分かって堪るか!」
ヤナギが廊下の壁を殴りつける。伝令は無茶苦茶な代物だった。
「シルフカンパニーの防衛任務だと……。これは体よく利用されているだけだろうが!」
自分の実力も加味してシルフはこの伝令を送って来たに違いない。しかも防衛場所が馬鹿げていた。
「確かに、あなた一人に屋上の防衛ってのはどうかと思う。重役連が逃げ切るための時間稼ぎ、という察しは間違っていないと思うわ」
でも、とシロナが自分の肩に触れようとする。ヤナギは後ずさり、「触れるな!」と口走る。
「組織とシルフの密約で決まった事なんだろう。もういい。俺程度がいくらごねたところで、結果は変わらないんだ」
自分にはそれだけの力はない。誰よりも分かっている。シロナは、「あなたの提言通り、チアキさんとカミツレちゃんには別任務につかせてある」と告げた。
「これが通っただけでも御の字なのよ。もっと自信を持って。防衛任務、と言ってもあなたにとっては難しくない仕事だと思うわ」
シロナの手が震えていた。怖いのはシロナのほうなのだろう。優勝候補とおだてられていたが、その実組織に踊らされ、今もまた状況に翻弄されている。ヤナギは自分の怒りを仕舞った。今は、彼女の不安を取り除くべきだ。
「……あんたは、どこの防衛任務だ?」
「教えられないわ。防衛機密だもの」
当然の事だった。シロナは自分に命令をした直属の上司だ。ヤナギは歯噛みする。目の前の人すら、守れない立場なんて。
「ヤナギ君。あなたは人に誇れるだけの実力の持ち主よ。だからこそ、胸を張って欲しいの。力は、振るわれる人間によって違いが出る。あなたにはその価値がある」
「……おだてても、何も出ないぞ」
肩に置かれたシロナの手を振り払おうとすると、逆に抱き寄せられた。伝わる体温に息を詰まらせる。
「……ごめんなさい。卑怯よね。あなたには想い人がいるっていうのに」
シロナのか細い声にヤナギは見透かされていた恥よりも、自分が彼女をないがしろにしてきた事を思い知った。守るべき人を想い続け、結局のところその人を戦場に駆り立ててしまったのは自分が弱いからだ。キクコの手を、無理やりにでも引く勇気があったのならば、結果は違っていたのかもしれない。
「俺は……」
そこから先は言葉にならなかった。自分に今さら何が言えるのだろう。目の前の人すら癒せない自分が。
シロナは自分の眼をしっかりと見据えてくれた。守るべき人はここにもいる。遠くを眺め続けていて、手近なものに気づけなかった。
言葉はいらなかった。寄り添うべき二人は静かに口づけた。