第七十五話「禁忌のボール」
岩石と吹き荒ぶ粉塵の嵐。それが視界を埋め尽くす全てだった。
青い光が纏い付き、一つの岩石から数珠繋ぎに岩石を射出する。射程に捉えたそれらを薙ぐように手を払った。
「オノンド、ドラゴンクロー!」
傍に立つオノンドが両牙から扇状の光を放射し、一つに集合させて一直線に放つ。大剣の様相を呈した攻撃が岩石を吹き飛ばす。岩石は粉々に砕け散ったが、それら粉塵が意思を持ったように、今度は微小な針となってオノンドと自分へと襲いかかる。
もう一度、ユキナリは指示を飛ばす。
「ドラゴンクロー、拡散!」
一瞬にして大剣の「ドラゴンクロー」が拡散し、短剣の群れとなった。短剣はそれぞれ幾何学の軌道を描きながら砂嵐を引き裂いていく。カーテンが断ち切られていくように視界が鮮明になった。砂の法衣の向こう側にいたのはヤドンとガンテツである。ヤドンは尻尾を揺らし青い思念の光で岩と砂を操っていたのだ。ガンテツは、「そこまで、やな」と眼前まで迫っていた短剣を見やる。ユキナリも息を荒立たせながら首肯する。
「オノンド、解除だ」
その言葉で跡形もなく短剣は霧散した。ガンテツは後頭部を掻きながら、「とんでもない技を顕現させたもんやで」と苦笑する。
「オノンド。末恐ろしいな」
ガンテツとヤドンがオノンドに歩み寄り、オノンドの顎をさするがオノンドは抵抗しない。敵対対象でないと分かっているからだろう。
今一度、オノンドは自分の制御下に入ってくれた。その事に礼を言わねばならなかった。
「ありがとう、ガンちゃん。ボールだけじゃなくって、オノンドと僕の特訓に付き合ってくれるなんて」
「水臭い事言うなや。職人はボールのアフターケアもせなならん。それが務めや。それに今まで作った事のないボールとなると余計にな」
ガンテツの口調はユキナリがホルスターに留めているボールを認めると沈痛な声音になった。
「……すまんな。試作品みたいなもんしか渡せんで」
ガンテツは職人魂から悔いているのだろう。曰く、これはまだ半分ほどの完成度らしい。ユキナリはそのボールを手に取って眺める。「GS」と刻み込まれた黒色のボールだった。
「これ、完成するとどうなるの?」
「完成はせんよ。それはガンテツ一門に伝わる、時を捕らえるボールやからな」
「時を、捕らえる……?」
粗暴な言葉に胡乱な声を返すと、「一応、説明する」とガンテツは佇まいを正す。
「ガンテツ一門ではずっと言い伝えられている究極のボールがあるねん。それは時を捕らえるモンスターボール。俺の故郷はジョウトのヒワダタウンでな。近くに森林地帯がある。ウバメの森と言ってな。古くからその森の祠には時の神様が住んどるっていう伝承が伝わっとった。昔、ガンテツ一門でも、それはずば抜けた才能を持つ優秀な腕の弟子がいてな。その男が悪い連中にそそのかされて作り上げたんや」
「それが、時を捕らえるボール」
ガンテツはこくりと頷き、「それがGSボール」と続けた。
「時の神様の領域を侵犯するボール。もちろん、ガンテツ一門ではそのボールの技術は鬼門とされた。ヒワダタウンと縁の深いウバメの森を貶めるようなボール、作ってええわけがない。その弟子は破門。ただし、ガンテツ一門ではその弟子の持つ技術を吸い出し、今日に至るボールの基礎技術を作り上げた。その弟子の魂は死んでも死に切れず、永遠にガンテツ一門を呪い続けたという。だから、俺らガンテツの名を冠する人間が作ったボールにはこういうもんがある」
ガンテツがユキナリのGSボールの裏を示す。ボールの底に奇妙な文様があった。
「これは?」
「魔除けの印や。ガンテツの名を許された者のボールには余さずこれがつけられる。その弟子が悪霊になってでも手をつけようとしたボールに手が出せんようにな」
「じゃあ、このボールは今の昔話とは関係ないんだ?」
ユキナリの言葉にガンテツは重々しく返す。
「……本当は作ってはならん技術やったんや。当然、扱う側にも心構えが必要になる。正しい心で使われへんのなら、俺はガンテツの名において、作品を破壊せねばならん」
ユキナリにはガンテツが言っている「時を捕らえる」ボールと今自分が使っているGSボールがそれほどまでに密接な関係だとは思えなかった。
「でも完成はしないんでしょう?」
楽観的なユキナリの言い分にガンテツは、「それは所有者の使い方次第なんや」と口にして近場の岩に腰かける。
「使い方によっては神のボールにも悪魔のボールにもなる。今回、緊急的にオノンドを入れるボールに用いたが、本質は禁忌のボール。決して、気を緩めたらあかん。半分しか完成してないって言ったのはな、それもあるねん」
ユキナリはGSボールを眺めながら自分も岩場に腰かける。オノンドは岩で自分の牙を研いでいた。しかし岩が脆いのかオノンドの牙が鋭いのか、岩は紙切れのように切り裂かれてしまった。
「オーキド、頼む。オノンドを悪魔にしてやるなよ」
ユキナリはボールを見下ろして首肯する。もう二度と、オノンドから離れるつもりはなかった。
「分かっている。僕が、しっかりしなきゃいけないんだ」
オノンドは岩を斬っている。ユキナリはぽつりぽつりと喋り始めた。
「ドラゴンクローがここまで進化したのは、僕がゲンジさんに勝ちたいって気持ちが強くなったせいなのかな。それともオノンドの素質?」
ガンテツは首をひねり、「どっちとも言えんな」と呟いた。
「ただ、トレーナーとポケモンはお互いを高め合う事が出来る。オーキドとオノンドはその域に達したって事なんやろ。俺には、正直なところ、ポケモンに関する知識よりもボールに関する知識のほうが多いからな。はっきりした事は何一つ言えんが、オーキドはオノンドを信じたんやろ?」
ユキナリが頷くと、「なら、信じ抜けばええねん」とガンテツは言った。
「信じ、抜く」
「そう。それが意外に難しくってな。大抵のトレーナーが負けた事をポケモンのせいにしたり、ポケモンも自分を扱うトレーナーを認めん事は儘ある。歩み寄れば、ええんやろうけれど所詮は別の種族。超えられん壁ってもんがあるんやろうな」
「別の種族……」
ユキナリは繰り返しながらオノンドを見やる。オノンドはユキナリを見て鳴き声を上げた。嬉しいのだろう、とオノンドの思考が伝わってくる。だが、これも結局自分が想像しているだけなのだ。オノンドの気持ちは、誰に理解が出来る? 誰もオノンドの本当の気持ちなど分かりはしないのではないか。
ふと、キクコの顔が像を結び、いや、あれは、と遠ざける。だが、記憶の中にあるキクコの瞳はオノンドの赤い眼とよく似ていた。
「超えられん、というよりも超えてはならん壁。それを超えた時、人間は人間のままなのか。ポケモンはポケモンのままなのか」
誰にも出せない答えだ。ユキナリは、「考え過ぎだよ」と努めて明るい声を出す。
「それよりも、ボールありがとう。僕は未熟者だ。だから、ボールがないと困る」
戻れ、とボールを突きつけるとオノンドが赤い粒子になってボールに戻った。今まではボールの開閉機能を用い、少しばかり手間取ってボールに戻していたが一瞬の事で戻せる事にありがたみを感じると共に畏怖もした。これが当たり前の技術になるというのか。
「こんな簡単に出して戻せるのなら、誰もポケモンとの関わり合いなんて今ほど考えなくなるかもね」
「そうやなぁ。それ、一門でも問題になっていたところや。師匠に、もしこのボールが普及したらお前はどうする? どう思う? って聞かれてな」
「どう答えたの?」
「俺は何も言えんかった」
ガンテツは鍾乳洞の天上を眺めつつ悔恨のような口調で漏らす。
「気の利いた言葉の一つでも出ればよかったんやけれど、俺は何も、何一つ言えんかったのが現実や。便利だと思います、やら、それはポケモンと人間の関係に歪が生じます、やら考えついたけれどな。どれも嘘くさく感じられて言えんかった。師匠は、ならば旅に出ろ、って俺をこのポケモンリーグに出した」
ガンテツにとっては知るための旅なのだ。言えなかった答えを探し、いつか辿り着くための。だが、トレーナーである自分でさえその答えは皆目見当がつかない。憂う気持ちも、逸る気持ちもある。だが、どれも言葉にすれば陳腐になるという点では同じだった。
「ガンちゃんは、でも、そんな迷いの中でもGSボールを作ってくれた」
「俺には、オーキドの話を聞いて真っ先に図面が浮かんだのがこれやったんや。もしかしたら一門の呪いを押し付けるような真似やったかもしれん」
「そんな。ガンちゃんは最善を尽くしてくれた」
「それでも俺は――」
ガンテツはそこで言葉を切った。それでも、何なのだろう。続きを聞く前に別の声が響き渡る。
「いつまで修行?」
声の主は逆光に立っており一瞬、目が眩んだ。
「ナツキ?」
どうして、という声が漏れる前に、「動きがあったわ」とナツキがイワヤマトンネルの中へと踏み込んでくる。その後ろからついてくるポケモンには見覚えがなかった。寸胴の体系で、後頭部から背中にかけて剣山のように尖っている。紫色の身体に真紅の眼をしていた。
「このポケモンは?」
「ゲンガーよ。ゴーストが進化したの」
「ゴーストって、キクコの?」
思考が追いつかずきょとんとしていると、「交換したのよ。文句ある?」とナツキが顔を覗き込んできた。
「文句はないけれど……。進化するんだ……」
ユキナリはゲンガーを認めるなり、鞄からスケッチブックを取り出した。鉛筆で目測をつけ、あたりを描いていく。その様子にナツキは呆れ返った声を出す。
「こんな時にまでスケッチ?」
「こんな時だからこそだよ。最近、まともにスケッチも出来ていなかったから」
ゲンガーは短い手足で一見未発達に思えるが、きちんと五指があり、充分な機能を備えているのが分かる。
「ゲンガー、片手で何かを展開しているね。それ、何?」
ユキナリはスケッチブックに向かいながら、鉛筆を休ませずに尋ねる。ナツキは腰に手を当て、「だから動きがあったんだってば」とスケッチブックを取り上げる。
「何するんだよ」
「人の話を聞きなさい」
ナツキがユキナリの頭上でスケッチブックを垂らす。ユキナリは何度か取り戻そうと手を伸ばした。
「動き、言うんは?」
ガンテツが代わりに尋ねる。「それがね」と話に入ったところをユキナリはすかさず取り戻した。ナツキは既にそれどころではないようだ。
「何?」とこちらに視線を注ぐ二人を見返しながらユキナリがスケッチブックを抱えている。ナツキは、「まぁ」と口を開いた。
「見てもらうほうが早いわね」