第七十一話「エスパー少女」
パソコン画面の向こう側にいる博士は渋面を作っていた。ナツキの話を聞き、『そうか……』と沈痛に顔を曇らせている。
『話を聞いていなかったから君達がマサキ誘拐の現場にいた事は知らなかったが』
ナツキは恥を忍んでポケモンセンターの職員に使い方を教えてもらい、博士へと通話を行った。ユキナリは恐らく何も言わずにヤマブキシティへと向かうつもりだろう。博士に余計な心配をかけるわけにはいかないと。しかしナツキは、ユキナリの状態も含めて博士に一旦話しておくべきだと判断した。もちろん、自分の独断であるためにユキナリには相談していないが。
「マサキ誘拐のニュースは届いているんですか」
『地方紙に小さく載っていたよ。だが詳しくは書かれていなかった。君達からの定期通信もなかったから心配していたんだが、そうか、発電所でそんな事が』
ワイルド状態について博士に話を伺ったところ、『そう簡単なものではない』との事だった。
『その状態から、ユキナリ君は彼自身の力で立ち直らせたのか……。やはり、私が見込んだ才覚に間違いはなかったみたいだな』
博士は腕を組んで呻っている。自分の目が間違っていなかった事と、ユキナリが抱えていた問題に博士なりの考えを合わせているのだろう。子供の頼みでも真摯に聞いてくれるいい大人だと感じる。
「それで、博士。あたしはこのままユキナリについていけるのか、不安なんです」
ナツキは包み隠さずに博士に話す事にした。そのほうが好転するものもあるだろう。釣り人の発言に感化されたのもあるのかもしれない。諦めない事が自分に出来る唯一の抵抗だと。
『しかし、君自身はついていきたいんだね?』
ナツキは静かに頷くと博士は、『これは提案であって強制ではないのだが』と前置きした。
『一度、手持ちを変えてみるのも手かもしれないね』
「手持ちを、変える……?」
思ってもみない言葉だった。ストライクを手離せというのか。
「でも、新たなポケモンの捕獲は駄目だって、ルールで」
『だから、手持ちを交換するんだよ。それは確か許されているんじゃなかったっけ?』
つまり博士は誰かと交換して一度ストライクとの関係を見直せと言っているのだ。ナツキは、「考えた事もなかった……」と呟く。
『まぁ、交換は普通あまり考えない事だね。特にこのポケモンリーグとなると。交換しながらいちいち相手にとって有利なポケモンを探すよりかは一体を集中して育てたほうがいいように感じられる』
そうだから今までストライクの育成に心血を注いできたのだ。今さら方針を変えろと言われているようでナツキからしてみればいい気はしなかった。
「でも、誰と……」
『ちょうどいい人材がいるじゃないか』
博士が指差したのはあろう事か同じように画面を眺めていたキクコだった。ナツキはポケモンセンターである事を忘れて大声を出す。
「キクコちゃんとですか?」
『えっ、不満なのかい?』
「いや、不満も何も……」
キクコはハナダシティでポケモンの気持ちが分かると言っていた。だとするならば適任だろうが、ナツキは素直に頷く事が出来ない。
「でも、ゴーストタイプなんてあたし、使った事ないし」
「私も虫タイプは使った事ないよ」
キクコの声にナツキは、「そうかもだけれど……」と濁した。博士が纏めるように手を叩く。
『一回、全く別のポケモンを使う事も覚えておいたほうがいいかもしれないね。そうしたらトレーナーとしての力量も上がるかもしれないし』
今までストライクの接近戦を主眼として考えていただけにゴーストのようなトリッキーなポケモンの扱いは考えた事がない。博士の言う事ももっともだった。
「じゃあ交換しますけど。博士、どうするんです?」
交換方法が分からない。博士に一つずつ聞きながら二人はポケギアをつき合わせた。個体識別番号を呼び出し「交換」ボタンを押すと、キクコと自分の個体識別が入れ替わった。
『これでゴーストはナツキ君のポケモンに。ストライクはキクコ君のポケモンになったはずだよ』
ナツキはキクコからボールを受け取る。キクコは、「よろしくね、ストライク」とボールに頬ずりしていた。ナツキはさすがにゴーストに対してそこまでオープンになれない。
「覚えている技なんかはどうやって知るんです?」
『ポケギアに表示されないかい? ゴーストは既に情報としてあるはずだよ』
ナツキは確認する。ゴーストの所持技は「シャドーボール」、「ナイトヘッド」、「鬼火」の三つだった。
「あれ? 催眠術を覚えているんじゃなかったっけ?」
「イワヤマトンネルを超える前に忘れさせたの。私まで眠っちゃうから」
制御出来ない技は使わせないという事か。ナツキは改めてキクコという少女がどれほどの実力者なのか分からなくなった。
『キクコ君は他のポケモンを使った事はあるのかい?』
「先生の下で何度か。でも虫タイプは初めてです」
キクコの話で頻出する「先生」という言葉にナツキは眉根を寄せる。一体、何者なのか。自分達で言う博士のような存在がいるのか。訓練されたのだとすればキクコの実力は頷けるが、それにしては謎めいた部分が多かった。
「鉄の塊は取っちゃってもいいから」
ナツキが腰につけておいた鉄の塊を指摘すると、「でもストライクはとても気に入っているし」と返した。
「ストライクの元のトレーナーはあたしよ」
ナツキがむきになると、『でも今はキクコ君がトレーナーだよ』と博士が口を挟んだ。
『それは勝手にすればいいんじゃないかな。あまり影響もないみたいだし』
博士に言われればナツキも黙るしかない。キクコは笑顔で、「ゴーストを可愛がってあげてね」と言ってくる。ナツキは苦虫を噛み潰したような表情で、「そっちもストライクを大切にしてね」と感情の篭っていない声で返す。
『他人から交換してもらったポケモンは早く育つって言うし、もしかしたら思いも寄らない事が起こるかもね』
ストライクが無駄に傷つく以外ならばいい、とナツキは考えていた。
「博士。多分、あたし達はこの先ヤマブキへと赴きます。ユキナリの馬鹿を止めないと」
『そうだね。今のところ、ユキナリ君から私へとそういった話をしてくる気配はないのかな』
「一切ないですよ」
ナツキは断言した。博士が不思議そうに、『どうしてそこまで……』と口にする。
言えるはずがない。ユキナリは二度も煮え湯を飲まされたのだ。一度はイブキの裏切り、二度目はゲンジというドラゴン使いとの戦い。ゲンジとの勝負はついたものの、その二人の所属が同じくシルフカンパニーだとすれば出来すぎている。ナツキはわざとユキナリに接触してきているのではないかと考えたが、何のために、という理由で躓く。そこまでしてユキナリに執着する意味が分からない。
「何にせよ、ユキナリ自身、博士に伝える気はないです。今もイワヤマトンネルで修行を積んでいるみたいだし」
『修行?』
「ガンテツって言うトレーナーと出会って。彼と一緒に今朝早くからイワヤマトンネルで戦っているみたいです」
オノンドの変化については言う事を聞くようになったレベルで留めておこうと思った。ナツキにだって理解出来ないのだ。ゲンジとの戦闘局面、大幅に進化したオノンドの技を見て、自分は置いていかれる感覚を味わった。ユキナリがどこか遠くへと行ってしまったようで、早く追いつきたい一心でキクコと戦闘訓練をしていた節もある。
『ガンテツ……。聞いた事があるようなないような』
「ボール職人らしいですけれど、詳しいところまでは分かりません」
ガンテツが渡したボールも謎だ。GSボールというのだと後から聞いたがその性能、どのように発展したのかなど全てが謎に包まれている。
『ボール職人のガンテツ……。ひょっとしてヒワダタウンの職人一門の事かな』
「そんな事を言っていたような気がします」
『まぁ、そのボール職人については置いておいて、ユキナリ君の事頼んだよ』
博士は心の底から心配しているのだ。ナツキは、「はい」と頷いた。通信を切りキクコに言い含める。
「今、あたし達が博士と連絡した事、ユキナリには内緒にしてね」
「分かってる。ユキナリ君、一人で突っ走りかねないもん」
思いの他キクコは物分りがよかった。ひょっとしたら自分以上にユキナリの焦りを見抜いているのかもしれない。
ポケモンセンターを出ると、ナツキは宿に行くと言った。キクコはと言うと南の波止場を目指していた。
「釣りって言うのが気に入っちゃって」
キクコが一番はしゃいでいた気がする。お互いに力を抜けるのならばいいのだろう。ナツキは気にせずに別れた。しかし、その足が向かったのは宿ではなく、二階層部分が破壊されたポケモンタワーだった。
昨夜、戦いがあった場所には既にポケモンリーグ執行委員会の姿がある。ポケモンタワーは重要建築物だ。その破壊となればユキナリは出場停止を受けかねない。だが幸いにも目撃者がいなかったお陰でとある筋の破壊工作として受け取られた。
ナツキはその場に居合わせた身としてもう一度現場を見ておこうと感じていた。一体、ゲンジを始めとする集団は何が目的だったのか。ユキナリはゲンジとの戦いの裏に潜む何かを感じ取っている様子だったが自分には何も伝えてくれない。きっとユキナリはこれも自分だけで解決しようとしているのだろう。ナツキには我慢がならなかった。問い質しても無駄ならば自分で確かめるほかはない。
踏み出そうとしたその時、ポケモンタワーを仰いでいるスーツ姿の男と小柄な少女の姿を捉えた。付き従っているが明らかに自分と同い年か年下だ。青い髪を髷のように結っており、スーツを着るというよりも着られている様相だった。幼い顔立ちからは想像もつかないほどに落ち着いた声音で、「ここが、現場です」と伝えていた。ナツキは覚えず近くの民家の陰に隠れる。何者なのだろうか、と窺っていると、「ゲンジは派手にやってくれたものですね」と少女はポケモンタワーを眺めながら口にした。
――今、何と言ったのか。ゲンジの名はその場に居合わせた人間しか知らないはずである。それを呟いたという事は、この少女は……。
「ラン。あなたは引き続きこのシオンタウンの監視を。オーキド・ユキナリの動向を逐次報告してください」
大人の言葉に動じる事なく少女は、「御意に」と恭しく頭を下げる。大人はその場から去っていったが、少女はその場に留まっていた。
もし、この少女がゲンジに繋がる何かを持っていたとするのなら。ユキナリが考えている事が分かるかもしれない。ナツキは思い切って飛び出した。
「あなた……!」
ナツキが声をかけると少女はゆっくりと目を向けた。その水色の瞳に吸い込まれそうな印象を受ける。
「ああ、君か。さっきから思念を震わせるものがあるなと思っていたら」
どうやら少女にとって自分の存在は感知されていたらしい。それに慄くよりも先に少女は頭を提げる。
「よろしく、私の名前はラン。ホウエン地方のトレーナー」
「ホウエンの……」
ナツキは緊張する。ホウエンのトレーナーが何故カントーのシルフカンパニーに味方しているのか。
「どうしてシルフに味方しているのか、って思ったでしょう?」
見透かした声にナツキは肌を粟立たせた。この類の重圧は何だ? 心の中が丸裸にされた気分だった。
「私の前で隠し立ては無理。だって私にはこういう能力があるもの」
ランの足元にある小石が浮かび上がり、何の力が作用したのかナツキへと真っ直ぐに向かってきた。ナツキは思わず手を翳す。するとナツキの足元にあった小石が浮かび上がって飛んできた小石を弾く。一瞬の事に呆気に取られていると、「こういう能力」とランは種明かしをするように手を開いて見せた。
「いわゆる、超能力って言うのかな。でも珍しくないでしょ? だってポケモンにはエスパーって言うタイプがあるんだし」
ナツキは唖然としていた。目の前の少女は超能力の持ち主でなおかつゲンジに繋がっている。シルフカンパニーの内情も理解しているのかもしれない。
「そうだよ。私はシルフの中を知っている。君達が昨日相手にしたゲンジの事も。どうする? 私を倒すと、もしかしたらいい事が起きるかもね」
挑発されている気分だったがこうなった以上ナツキは後に退くつもりはなかった。そうでなくともユキナリが見張られている状況を黙って見ていられる性分ではない。
「いいわ。あたしだってトレーナーよ」
ナツキはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、マイナスドライバーでひねる。緩めたボタンを押し込みナツキは叫んだ。
「いけ! ストライク!」
しかし繰り出されたのは相棒のストライクではなく、ガス状のポケモン、ゴーストであった。交換した事をすっかり忘れていたナツキは目の前に現れたポケモンに瞠目した。
「あれ? ストライクじゃないじゃん」
ランも不思議そうに小首を傾げている。ナツキが、しまったと考えるより早くランは、「なるほど」と指を鳴らした。
「交換したんだ。だったら扱い方も素人だよね」
ランの持っているモンスターボールは形状が違った。赤と白のフォルムに磨き上げられた鏡面のような丸みを帯びたボールは無骨な今までのボールとは一線を画している。
「いけ、ネンドール」
ボールが割れ、中から飛び出したのは浮遊する独楽のようなポケモンだった。黒い体表に、びっしりと全方位を見渡す目が並んでおり、申し訳程度に腕が付いている。その腕も着脱可能なようで厳密には付随物として浮遊していた。見た事のないポケモンだった。ピンク色の眼がカッと開かれその威容にナツキは気圧されるものを感じる。
「あっ、見た事ないんだ? これはネンドール。そうだね、カントーの人は知らないかもね」
「他人の心を読むなんていい趣味とは言えないけれど」
ナツキの抗弁に、「だって丸見えなんだもん」とランは唇を尖らせた。
「見えているものを隠し立てするほうがよっぽど不親切だと思うけれど。でもいいや。君がどう考えていようが、私には関係ない。ネンドール、攻撃」
ネンドールの体表が青い光に包まれる。来る、という確信にナツキは指示を飛ばそうとしたがゴーストの技が咄嗟に出てこない。するとゴーストを中心として地面が青い光で丸く切り取られたかと思うと、盛り上がった地面がゴーストを包み込むように圧迫した。ゴーストは掌のような地面に押し潰される。
しまった、と感じたナツキは目を閉じたがゴーストは内奥から影を拡大させ押し潰そうとした地面を霧散させた。「ナイトヘッド」を使ったのだと攻撃の後から分かった。
「むっ」とランの顔色が変わる。
「どうしてだか今のは読めなかった。トレーナーである君からしてみても意外な事だったみたいだし、交換したてだからって勝手に行動したとも思えない。ゴーストは最善策を自分で編み出したように見える。どっちにせよ、間接的な攻撃じゃ倒せないってわけか」