第六十五話「女同士」
「……ええ。全ては順調よ。サンダーも手に入った。駒は揃いつつあるわね。分かっている。計画に遅延は許されない。きちんと監視を厳にするわ」
ポケギアの通話を切ると、「誰に通話?」とカミツレが尋ねてきた。モデルでもある彼女はパジャマ一つを取ってしてみても気を遣っている。シロナは薄着を引っ掛けているだけの自分を少しだけ恥じた。
「何でも。上司との連絡よ」
「上司、って言うと、ハンサム警部?」
カミツレにはまだ組織の全貌を話していない。辛うじてハンサムだけを知っている状態だ。というのも、彼女を組織に推薦するに当たり、直属の上司であるハンサムにだけは報せなくてはならなかったからである。
「まぁね。こういう中間管理職が一番精神を使うのよ」
「同感。私もモデルやっていたけれど、マネージャーが一番大変って感じだったわ。上は社長やオーナー、下は私達モデルって具合にね。管理職って一番重要で大変なのは身に沁みて分かっている」
「いい事じゃない。少なくとも部下がそう思ってくれるだけマシだわ」
「シロナさんは、そういう環境じゃないの?」
カミツレの声に、「そうねぇ」と迷いの胸中を打ち明ける。
「正直、組織のやっている事が全て正しいとも思えない。だけれど、あたしには賭けるものがある。組織に属していれば近道である事は疑いようがないわ」
「それを、彼も了承しているのかしら?」
カミツレの言う彼とはヤナギの事だろう。ヤナギは発電所の一件以来口を閉ざしている。自分が問いかけても有益な情報を得られるとは思えなかった。
「どうにも信用なれていないみたいでね」
「無理もないわ。シロナさんでさえ、彼があんなに激昂したところを見た事ないんでしょう?」
発電所にて、オーキド・ユキナリと接触した際、ヤナギが怒りを露にした事を思い返す。今までの戦闘で少なくとも感情をあそこまで発露させた事はなかった。
「……一体、何がそうさせたのかしら」
「あの子、キクコとかいう女の子を見ていたわよね」
シロナの脳裏に浮かんだのはユキナリに抱えられていた少女だ。後からトレーナーの照合を行おうとしたがヤナギがそれを先んじて制したのである。
「キクコに関しては何も調べるな、か。ヤナギ君にしちゃ珍しい言葉だったわよね。彼は、他人というものにはとても無関心だと思っていたのに」
だから自分にも振り返ってくれないのだと少しばかり考えて諦めもついていたというのに。そう考えてシロナは頭を振る。大人の考える事ではなかったか。これではまるで乙女の思考だ。
「シロナさんの懸念も分かるわ。ヤナギ君、本当に氷みたいに冷たいものね。私、戦った時、ゼブライカの電磁浮遊が突き崩された時の事だけれど、正直ぞっとした。あんな殺気を纏える少年っているのね」
「イッシュにはいなかったの?」
シロナの質問にカミツレは首を振った。
「あそこまで鋭利なものは。イッシュって、他地方と違ってより競技としてのポケモンバトルが色濃いから」
「だって言うのにカントーとは仮想敵国の関係なのよね」
「不思議よね」とカミツレは微笑んだ。
「私達は戦争を吹っかけたつもりは全くないんだけれど、どうしてだか国民感情がそういう風に流れた。まるで大きなうねりに押し流されるみたいに」
「きっかけは何だったんだっけ?」
「確か、カントーの沖でイッシュ地方の難破船が発見された事じゃなかったかしら? 領海侵犯と、明らかに船内で戦闘が行われた形跡があった事から、イッシュ側はカントー側の不手際と攻撃行為だと主張。正反対にカントー側は領海侵犯と侵略行為の予兆だと主張して意見が真っ向対立。いつの間にか、って感じね」
きっかけを洗い出せば些細なものだ。しかしその些細な行き違いが決定的な断絶をもたらした。
「どうしてそのイッシュからジムリーダーを招いたのかしら?」
当然の疑問にカミツレは、「必要な事象だと説明されたわ」と答える。
「必要な、事象……?」
あまりに奇妙な言葉にシロナは眉をひそめる。
「何でも、カントーの古文書にそう載っているらしいの。オレンジバッジのジムリーダーはイッシュから招けって」
「何それ。初耳よ」
その言葉に驚いたのはシロナだけではない。カミツレもまた、「常識じゃないの?」と尋ねていた。
「だって説明の時、カントーならば誰でも知っている、って言われたわよ」
シロナは顎に手を添え推理を巡らせた。カミツレに説明した人物。それはポケモンリーグ理事会の人間ではないのか。
「カミツレさん、一つずつ紐解いていきましょう」
シロナの言葉にカミツレは気後れ気味に頷いた。
「まず一つ、オレンジバッジをあなたは手渡しで受け取った」
「ええ。ポケモンリーグ理事会って言う人から」
「二つ、あなたはそのカントーの古文書に載っているって言われただけでついて来れたの?」
「そうね。イッシュもどうしてだかそれに関しては一切触れてこなかったわ。ただ、私がカントーのジムリーダーになる事は公式では言われていないから。あくまでカントーへの長期滞在って事になっている」
伏せられているわけか。シロナはそれを了承してから、「三つ目は」と口にした。
「どうしてあなただったのか? 最初は確か軍隊のマチス少佐のはずなんだっけ?」
「ええ、そう。それが正しい道だと言われていた。でも今の国際情勢を鑑みてマチス少佐を仮想敵国であるカントーに送る事をイッシュが拒んだ。その代わりの電気タイプの使い手はいないか、という事で見出されたみたいなの」
「電気タイプの使い手」
シロナはそこに着目した。
「どうして電気タイプではならなかったのか?」
その疑問にカミツレは目を白黒させて、「それこそお上が知っているんじゃないの?」と訊いた。
「そういえばタイプ構成に関しては全く情報がないわね。あなた達の組織は掴んでいるの?」
「ええ、ある程度は。でも、分からないのはどうしてこのタイプ構成なのか、という事と、ジムバッジの効力」
シロナは鞄からぐしゃぐしゃになった書類を取り出す。そこにはジムリーダーのタイプ構成とバッジ名、それに効力が書かれていた。
「言う事を聞くレベルを段階的に示したり、ある程度攻撃力が上がったり、ってバッジを持っただけでよ? それって奇妙じゃない?」
カミツレはシロナの探ってくる眼差しに、「オレンジバッジには、細工はなかったと思う」と先んじて答えた。
「そういう、効果が上がるとかいう細工は」
「じゃあバッジそのものが持っている力だって言う事になるけれど……」
シロナは腕を組んで考える。それこそナンセンスだ。ただのバッジが力を持つなど。その思考に至ってシロナは書類を睨み、前髪をかき上げた。
「……ねぇ、バッジって何で出来ていたのか知っている?」
思わぬ質問だったのだろう。カミツレは完全に面食らっていた。
「何でって、どういう意味?」
「鉄だとか金だとか銀だとかあるでしょう? どんな材質だったのか、って言うのも含まれるけれど」
「材質って……」
カミツレは突飛な質問に答えを彷徨わせる。シロナは、「もしかしたら、よ」と推論を述べた。
「材質こそが効力の鍵だったのかもしれない。進化の石、っていうものがあるわよね? それはある特定のポケモンを凝縮したエネルギーで進化させる。それと効果として似たものがバッジだとしたら? つまりバッジって言うのは特定の効力を持つ鉱石が使われていた」
シロナの言葉にカミツレは、「そんな大層なものには見えなかったけれど」と疑問視している。
「私の見立てではあれは宝石ですらない。そう、ただの石よ。それも三級品レベルの石だった。カットも悪かったし、でこぼこしていてとてもではないけれどバッジと呼ぶには相応しくなかった」
「その石ころみたいなバッジに固定シンボルポイントとして与えられているポイントがある」
シロナは顎に手を添え考え込む。どうして固定シンボルポイントが与えられたのかはカンザキ執行官が明らかにした。強いトレーナーを王に据えるため。つまり、目的地だけを見据えた旅では玉座にはつけないと暗に伝えるためだという。だが、本当にそれだけの理由か。
「バッジには何か細工が?」
「何にも。あえて言うとすれば翳すとポイントが表示される固定シンボル機能ぐらい? それだってちょっとしたチップを備え付けただけだし、私も何度か確認させられたけれど、そのチップってのも後付けで取り外そうと思えばいつでも出来そうだった」
「もちろん、取り外しは」
「無理よ。取り外した人間は問答無用で失格」
たとえジムリーダーといえども、とカミツレは付け加える。シロナは、「分からないのはね、そこよ」と教鞭を振るうように指差す。
「そこって?」
「加工もまともにされていないバッジと呼ばれているだけの石ころをどうして集めるのがこのポケモンリーグの主軸にされているのか。あたしにはそれが分からない。宝石レベルの価値があるのならば別だけれど、ジムリーダーであったあなたの眼からしてみても、あれは石ころだったって事でしょう?」
「そうね。正直、こんなものを賭けて戦うのは馬鹿らしいと思えるレベルに」
カミツレの言葉にはモデルとして一流のものを身につけていた自負もあるのだろう。どうしてあのような三流品に自分の価値を決め付けられなければならないのか、という声音だった。
「でも約束されていたのはポイントだけじゃない。ある一定のレベルまでならば言う事を聞かせられる、という特殊能力。あるいは攻撃を上げる、防御を上げる、というもの。これも問答無用に発動する。ポイントは後付けに過ぎない、ってさっき言ったわよね? もしかしたらバッジを集める事そのものに意味があるんじゃないかしら」
シロナの推論にカミツレは、「バッジを集めると何が起こるっていうの?」と首を傾げる。
「それは、あたしにもさっぱり。でも、本来与えられているのはバッジを集めるという条件付けだとしたら? それに説得力を持たせるためのポイント制、人々が躍起になるための制度だとしたら?」
先ほどから自分の言葉は憶測ばかりで信憑性も何もない。だがカミツレは否定する事なく、「そういう制度なのだとしたら」と返す。
「政府丸ごとが関わっている事になるけれど……」
その可能性は薄いと考えているのだろう。しかし、彼らを知っている側のシロナからしてみればありえない話ではない。
政府中枢を裏から動かしている彼ら。その全貌は依然として知れないが、このバッジでさえも彼らの仕組んだものだとすればポケモンリーグというものの裏事情が少しは見えてくる。
――ポケモンリーグは、バッジを集めるための口実?
だが、と新たな疑問が湧き起こる。バッジを集める事こそが目的ならば何故八箇所に散りばめたのか。自分の目の届く範囲で管理しておくのが得策だろう。
その疑問だけが氷解しない。ただ、あと一歩という確信はあった。あと一歩で、この陰謀の核に触れそうなのだ。だがその一歩が何よりも長いという可能性もある。もしかしたら踏み込んではいけない一歩なのかもしれない。
「バッジの管理者に当たってみるしかなさそうね」
当面の目標はそれだった。ポイント制度を割り振った当人に聞くしかあるまい。バッジの機能を分かっていてやったのかは甚だ疑問ではあるが、バッジに触れた人間は尋問の価値があった。
「カミツレさん。バッジにポイントを割り振った人物は分かるかしら?」
「そんなの、分かるわけないでしょう? 私はただバッジを受け取ってジムで待ち構えていただけだもの」
唇を尖らせてカミツレが反論する。彼女からしてみればこの問答そのものの目的が見えていないのだろう。シロナの憶測ばかりの話に飽き飽きしている面もあるのかもしれない。
「可能性としては」とカミツレは不義理であると感じたのか、口を開いた。
「出資者ね。それならバッジに触れる機会があったかもしれない」
「出資者……」
このポケモンリーグに出資している団体は百を超えている。容易に絞れ込めそうにない事は明白だったが、一つだけ取っ掛かりがあった。
「シルフカンパニー……」
発した言葉にカミツレも気づいたらしい。「そういえば、ゲートの管理人がシルフカンパニーは厳戒態勢を敷いているって」と口に出した。
「当たってみる価値は、あるかもしれないわね」
もっとも、シルフカンパニーがそう簡単に口を割る相手だとは思えない。正攻法でまず当たってみて、無理ならば、とシロナは組織の力を期待した。
「でも、今日はもう遅い。寝ましょうよ」
カミツレは目の端に涙を溜めて欠伸をする。モデルでも欠伸をするのだな、という先ほどまでの物々しい議論とはかけ離れた思考があった。
「あなたは眠っていて。あたしはちょっと待っている」
「待つって、ヤナギ君の事? 相当お熱なのね」
カミツレが茶化したが、「悪い?」とシロナはそれを上回る茶目っ気でウインクした。
「ショタコンは鬱陶しがられるわよ」
カミツレの言葉に、「ショタコンじゃない」と返す。
「じゃあ何? まさか恋愛対象として見てるとか?」
潜めた声にシロナは頬杖を突いて、「そうねぇ……」と答えを彷徨わせた。自分はヤナギをどう見ているのだろう。最初は容疑者としてだった。組織から監視対象として命じられ、その通りに振る舞ってきた。だが、今の自分のまなこは当初と同じようにヤナギを見ていると言えるだろうか。クチバシティでのカミツレとの戦い、そしてサンダーを捕獲した谷間の発電所での激情。一単位として見るには惜しいとハンサムに進言したのもある。もしかしたら、最初はなかった感情が芽生えているのかもしれない。
「でも、シロナさん。それは叶わぬ恋よ」
カミツレが窓の外を眺めながら呟いた。シロナは、「どうして?」と尋ねる。
「年齢差がまずあるじゃない」
「歳の差なんて関係ないんじゃない?」
「……まぁ、どこまでシロナさんが本気なのかは分からないけれど、谷間の発電所での取り乱しようを見たでしょう? ヤナギ君、きっとあの子が好きなのよ」
あの子、とほのめかされたのはユキナリが抱えていた少女だろう。キクコ、という名前である事は明らかだったがそれ以外をヤナギは口にしようとしない。まるで憚られるように。
「あの子も当たってみるかしら」
「いい事じゃないわよ。人の恋路を邪魔する奴は、って言うでしょう?」
「あら、カミツレさん。そういうのには慣れているのね」
「仕事柄、ね。ファンというものと接しているとたまに勘違い君が出てくるわ。勘違いちゃん、とも言えるけれど」
シロナはカミツレが意外にドライな性格である事に内心驚いた。だがモデルという万人に触れる機会がある職種ならば当然の帰結なのかもしれない。
「あなた、男でも女でもいけそうなクチね」
シロナの言葉にカミツレは頬を膨らませた。
「そういう下品な言い方って好きじゃないわ。それに私は一応、男の子が好きだし」
お互いに笑い合い、シロナはカミツレへと、「ゴメンゴメン」と表層で謝った。
「ちょっと悪乗りしちゃった」
「悪乗りついでに、どう?」
カミツレが立ち上がり、部屋の隅にある冷蔵庫へと歩み寄る。開いて取り出したのはチューハイだった。
「意外。飲むのね」
「たしなむ程度に」
カミツレはチューハイの缶をシロナへと手渡す。机につきながら、「飲まなきゃやってられない、ってのもあるか」と結論を出す。
「そうそう。お互いに立場を忘れて飲みましょう。シロナさんはどう?」
「まぁ、たしなむ程度には」
本当は酒飲みの大食らいだとは言えずシロナは控えめに微笑んだ。カミツレは早速プルタブを開け、シロナへと乾杯を促す。
「何に乾杯?」
シロナの言葉に、「そうね……」とカミツレは真剣に悩んでいる様子だ。だったら、とシロナは口にした。
「そろそろ敬称はやめない? お互いに上司と部下って間柄でもないし、このポケモンリーグ中はライバルでもある」
それに女同士だ。お互いにしか分からぬ事もある。カミツレは、「じゃあそれで」と缶を掲げた。その井出達は同性からしてみても雅だ。
「どうしたの?」
ぼうっとしていたからだろう。シロナは慌てて取り成した。
「あまりにも様になっていたから」
「一応、本職はモデル」
「そうでした」
乾杯を交わし合い改めて自己紹介をする。
「よろしく、シロナ」
「こちらこそ、カミツレちゃん」
「何でちゃん付けなのよ」
カミツレが唇をすぼめて抗議する。「だって、あなたってちゃん付けが似合うもの」とシロナは缶を傾けた。
「じゃあ、私だけ呼び捨てじゃない。フェアじゃないわ」
「しばらくはちゃん付けでいいじゃない。慣れたら気にならないだろうし」
カミツレはチューハイをぐいっと喉に流し込み、「納得、いかない!」と缶を机に叩きつける。それでも酔ってはいないようでどうやら酒には強いようだ。
「じゃあ飲み比べでもしましょうか? どっちがお酒に強いか」
「酔っちゃったシロナ見たいし、こりゃ頑張らないとね」
カミツレがチューハイに口づけをする。一挙手一投足ですらまるで広告塔のようである。
「ヤナギ君が帰ってきた時にだらしない姿をしているのはどっちか、賭ける?」
「いいわよ。まだまだあるからね」
いつの間に買い溜めていたのか、冷蔵庫からチューハイの箱を持ち出してきた。
「勝負!」とシロナはくいっとチューハイの缶を傾けた。