第六十四話「天才」
「グレンタウン支部へと連絡を取ります」
ヤマキの声にキシベはモニターに映し出された男へと挨拶をした。
「ごきげんよう、フジ博士。そちらの進捗情報はどうか?」
『足りないな。ボクの理論が正しければカントーには149体以上のポケモンのDNA情報はないはずなんだが……』
そうぼやいたのは青年だった。白衣を身に纏い、後頭部を掻いている。神経質そうに首元までボタンを留めていた。
「何分、こちらも情報不足でね。そっちに迷惑をかけていないかとヒヤヒヤしているものだが」
『迷惑なんて、そんな。ボクは自分の研究が出来るだけ満足さ。ただし、情報不足はお互い様だけどね』
フジ博士と呼ばれた青年はパソコンを引き寄せ、『もっと情報を早くに相互通信出来るようになれば、はかどるかもね』と告げた。
「既に手は打ってあるよ。マサキ、を知っているかな?」
『ソネザキ・マサキか。まさかあれの身柄を確保したって言うのか?』
「つい二日前さ。マサキは我々に協力的でね。いずれはDNAデータをポケモン付きで送れるようになるだろう」
『頼むよ。今のままじゃ研究の進みが遅くって仕方がないんだ。人工ポケモンの完成だってもう少し納期を待ってもらわないと』
「プロジェクトPの進行状況は芳しくないか」
『あれを作るのだってPC上で複雑な記号と睨み合いっこさ。見るかい? 今、がわが出来たから見せられるくらいにはなった』
キシベが、「頼む」と言うと、フジ博士はあるデータを添付してきた。「開きます」とヤマキが解凍する。モニターに出されたのは角ばった鳥を思わせる外観の物体であった。それは人工ポケモン計画、通称「プロジェクトP」の成果だ。
「ポリゴン、完成したのか」
『いや、完成したって言ってもこれは筐体内部でオペレーションしてやらなきゃ動かないよ。つまるところ、現実のポケモンじゃないって事』
「未だ机上の空論かね?」
キシベの質問に、『そうでもない』とフジ博士は答える。
『DNAサンプルが充分に集まれば、もう一段階上にある人工生命体の研究に着手する事が出来る。実はもう始めているんだが、彼は暴走気味でね』
「カツラ博士か」
『ジムリーダーとの兼任は厳しいそうだ』
フジ博士が肩を竦める。キシベは、「今は……」と尋ねた。
『いないよ。夜は自分のポケモンの調整に忙しいらしい。そのポケモンとやらも、セキエイ付近の洞窟でようやく手に入れた代物だからね。出来れば誰にも見せたくないらしい』
「だが、我々の力の誇示には必要なのだ」
キシベの声にフジ博士は鼻で笑った。
『君の力の誇示には、だろ? 我々という大義名分を使ってはいるが、結局のところ君の利権欲しさだ。ポリゴンも、DNAを集めて回っているのも、ご自慢のサカキ少年も、全てそのためだろう?』
「フジ博士、それ以上キシベさんを侮辱すると……」
ヤマキの声にフジ博士は、『何だ、また駒が喧しいね』とぼやいた。「駒、だと……」とヤマキが絶句する。
『そうじゃないか。キシベの言う通りに動く駒だ。君達はキシベに死ねと言われたら死ぬんだろう?』
「俺の侮辱はいい。それよりも、その発言はロケット団そのものへの反逆行為と見なすぞ、フジ博士」
『君程度の三下がボクを裁ける? 不可能だね』
売り言葉に買い言葉に応酬にヤマキが歯噛みする。キシベはヤマキの肩に手を置き、「フジ博士、私は部下を信頼しているんだ」と返した。
「あまり言葉が過ぎると、君の研究も立ち行かなくなるぞ」
『ああ、分かっているよ。今のは言い過ぎた』
全く反省していない声音にヤマキが口を挟もうとしたが、その前にキシベは問うた。
「君の中で、ミュウジュニア計画はどこまで進んでいる?」
ミュウジュニア。その言葉は一握りの人間しか知らない。フジ博士は、『その事だが名前を変更した』と煙草に火をつけた。「禁煙じゃないのか?」とキシベが尋ねると、『固い事は言いっこなしだよ』とフジ博士が返す。
『ミュウジュニアってのはボクの計画に相応しくない。一週間前から、計画名を変更している』
「初耳だな」
『言ってなかったっけ? まぁいいだろう。生まれるものは同じだ』
「して、その名は?」
キシベの問いかけにフジ博士は煙い吐息を漏らしてから口にした。
『ミュウツー』
その名前をキシベも咀嚼するように呟く。
「……ミュウツー」
『計画名をミュウジュニア計画からミュウツー計画へと移行する』
「どうしてジュニアという名前を排した?」
『厳密に言えばあれはジュニアではない。ミュウの遺伝子と、他のポケモンの遺伝子を掛け合わせたクローン、いやコピーというのが正しいか』
フジ博士は禁断の研究について語っているのに冷静だ。キシベもまた自分の中が意外にも冷静に保たれている事に気づいた。
「コピーか。新しいな」
『そうでもない。ポケモンって言うのはコピー可能な生物なんだ。データ生命体という側面を取り出せばね』
「だが、それに着手する人間はいなかった」
『当然。神の領域だよ』
何て事のないようにフジ博士は告げる。その段階に自分達は触れているというのに。
「机上の空論ではなさそうだね」
『まぁね。少しだけだが培養には成功しているんだ』
「残り百日前後で完成するか?」
『君の目的は分かっているよ。このミュウツーを使ってサカキというトレーナーに玉座を掴ませるつもりだろう』
キシベは答えない。しかし、それは単に是という意味の沈黙ではなかった。
「どうかな」
『こいつが実用化されれば、確かに最強だろうね。でも、無理だよ。致命的な欠陥がある』
「何だ?」
『操れるトレーナーがいない。こいつは完成したとしても野生、いや、人間の常識を学習させている分、野生より性質が悪い。こいつは第二の人類だよ。人間が人間を操って戦えるか?』
フジ博士の疑問にキシベは難なく答えた。
「それは有史以前から人間が繰り返している。戦争という形でね」
その言葉にフジ博士が哄笑を上げる。
『傑作だね。キシベ、君はまさに鬼の子だよ』
「褒め言葉と受け取っていいのかな」
フジ博士は灰皿に煙草を押し付け、『じゃあこいつは戦争の道具か』と呟いた。
『嫌だなぁ。せっかく造ったのに壊されるために使われるんじゃ』
「フジ博士、君は遺伝子研究やポケモン研究の権威だ」
『うん? 何を今さら』
「だが、君ですら分からない領域というものは存在する。サカキ君が好例だろう」
その例えにフジ博士は黙りこくった。キシベは続ける。
「サカキ君が何なのか、君ですら証明出来ていないじゃないか」
『……止めようよ、その話。イライラしてくるんだ。自分に分からない話をされると』
フジ博士の言葉にキシベは素直にその話を打ち切った。
「ミュウツー計画、期待していいのかな」
『任せてくれれば悪いようにはしない。それよりもカツラの事だ』
「どうかしたかね?」
『どうにもボクの研究をいいようには思っていないらしい』
フジ博士のぼやきにキシベは、「その意味は?」と問い質す。
『あいつは裏切るよ。その可能性が高い。あの伝説の一つを手に入れたんだ。それも視野に入れなくっちゃね』
「ロケット団を裏切ってどこに行く?」
『それはボクよりも君のほうが詳しいだろ? このポケモンリーグ、暗躍しているのは何も我々だけじゃない』
フジ博士の言葉の意図を恐らくこの場ではキシベしか理解出来ないだろう。オペレーションルームの人々はそこまで深い情報を知らされていない。
「フジ博士。後で直通回線にてそれは話そう。伝説の鳥ポケモンの一体、ファイヤーを手にしてカツラ博士は変わってしまったのか?」
『変わっていないよ。元々そうなのさ。正義感、とでも言うのかな。自分の研究に対する負い目を感じてきている。ボクがミュウツーやポリゴンを造り始めてから余計に顕著だ。タマムシ大学の同門で学んだというのに、ボクとしちゃ寂しいね』
「だがファイヤーを持ち出されればロケット団にとっては極めて重大な損失だ」
「あれを捕まえるために色々したもんね。お上に気づかれなかっただけ儲けものか。だけれど、何かが見張っている。そんな気がしてならない」
フジ博士の懸念は恐らく正しいのだろう。この場所では言えないが裏で動いている組織も複数確認されている。フジ博士は本能的にそれを察知しているのだ。
「三鳥の一角であるファイヤー。その力は他の炎タイプから群を抜いていると聞く。実際、どうだった? 伝説を目にした感想は」
『言葉にするのも野暮ってもんだよ』
フジ博士はそう言ってから、『あれは魔性だ』と呟いた。
「魔性……」
『カントーに伝説、神話の類がない事は、君も知っているところだろうが、あれは伝説や神話を必要としない力の象徴だよ。それそのものが絶対的な力の誇示。古代の人々はとても恐れただろうね。でも伝説も神話も作らなかった。何故か』
「答えは出ているのかい?」
『キシベ。ボクは考古学者じゃない。だから専門ではないが、タマムシ大学で少しは齧った事がある』
つまりこれから先に話す事は憶測が入り乱れたものだ、という前置きだろう。科学者としては不確定情報を話したくないものなのかもしれない。
『カントーという土地だよ。その場所がもし、五分前に作られたものではないと誰が言い切れる?』
「世界五分前仮説か」
有名な話だがそれをわざわざ持ち出す辺り、何か特殊な事情が立て込んでいるのだろう。
『ボクはね、このカントーってのは随分と怪しい地域だと思っている。土地の配置を取ってしてみてもまるで人工島だ。自然の厳しさというものをまるで感じさせない。辛うじて、まだ活火山のあるグレンタウンでは実感できるが本土となると平和なものだろう?』
「君が言いたいのは」
『カントーって言う場所そのものが、誰かによって人工的に作られた場所だとしたら。それも配置をうまい具合に散りばめて、一極集中にならないように気を配った結果だとしたら』
「馬鹿な」と声を上げたのはヤマキだ。
「そんな地域があるわけがない」
ヤマキの抗弁にフジ博士は、『頭が固いね』とこめかみを指差した。
『あるわけがない、あるはずがない、その言葉こそ、虚飾に塗れたものはない。誰が、ない、と定義した。ない、という証明は、ある、という証明よりも難しいんだ。もっと柔軟に物事に対処したまえ』
「……だからと言って、カントーが人工的側面を持つ地域など」
信じられるか、という声音にフジ博士は肩を竦めた。
『だから、ボクは考古学者じゃないんだ。専攻でない部分に対して、憶測で物を言っている。ボクの発言を百パーセント受け取る必要性はないし、受け流せよ。君は冗談も利かないのか?』
ヤマキが通信ボタンへと手を伸ばした。『ああ、待って、切るなよ』とフジ博士が制する。
『ちょっと挑発的になり過ぎたな』
「図に乗り過ぎだよ、フジ博士」
『いやぁ、悪い悪い。キシベと話しているとね、意地悪になってしまう』
どこまでが性根だか、とキシベは呆れてから本題に入った。
「ファイヤーは使えそうか?」
『カツラに懐いてしまっている。いや、あれは主君と認めた、と言うべきか。懐くとかいう次元じゃないね。まさしく魅せられたように、カツラはファイヤーの赴くままにするだろう』
「もしもの時には」
『洗脳かい? 悪いがそっちも専攻分野じゃないんだ。保障は出来かねる』
「もしもの時はだ。頼む」
『分かったよ。君も意地が悪いね。ファイヤーの管理を任せたのは君の権限だろう?』
「あくまでロケット団のために、だ。個人の裁量で動かしていい駒ではない」
『なるほどね。君はいつだって組織のためだな。感服するよ』
フジ博士は二本目の煙草を取り出そうとした。大抵、二本目を出す時にはもう話す事がないサインだ。少なくとも彼はそうである。
「そろそろ切ろう。いいニュースを期待しているよ」
『ああ。じゃあね』
フジ博士との通信が切れてからヤマキがぼやいた。
「あの人、気に入りませんよ」
「そう言うな。彼は研究者、我々は凡人だ。見ている世界が違うんだろう」
「キシベさんは凡人じゃないでしょう?」
ヤマキの言葉にキシベは口角を吊り上げ、「どうかな?」と言ってのけた。ヤマキは、「キシベさんは他とは違う」と微笑む。
「求心力って言うのかな。そういうものを感じるんです」
「私に高望みするなよ。君達が求めるリーダーはきっと別にいるはずさ」
キシベはそう言い置いてオペレーションルームを去った。廊下を歩きながらポケギアを起動させる。通話先は、秘匿回線を使っていた。
「私だ」