第六十二話「ガリバーの世界」
ゲンジはボーマンダでシルフカンパニー本社ビル屋上へと降り立つ。
この競技での「そらをとぶ」の使用は禁止だったが、ゲンジの目的は既に玉座にない。もう出会うべき人間と然るべき戦いを終えた。ゲンジに待っているのはホウエンでの確固たる地位。
そのための前段階としてシルフカンパニーに恩を売っておくのは悪い事ではない。失格になったとしても、自分の保有ポイントには余裕がある。これだけの実績をもってすればホウエンほどの田舎ならばまず受け容れられるだろう。どの道、優勝候補のツワブキ・ダイゴほどの期待を背負っているわけでもない。
正直、ゲンジからしてみればこのポケモンリーグは二の次に過ぎなかったのだが、その二の次が面白い方向に転がってくれた。思わず頬を綻ばせる。先ほどの戦いを反芻すると愉悦の笑みが止まらない。
あれほどの激戦に身を浸せたのは何年ぶりか。いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。ユキナリは確実に成長している。それこそ、彼に聞いた時よりもより強く、より高みへと。
自分の伝えた強者の頂にユキナリは登る事だろう。それまでにいくつも捨てなければならないものがある。だがユキナリはそれらを捨てずに進める強靭さを併せ持っている。自分にはないものだ、と素直に賞賛出来る。
シルフカンパニー本社ビルはまだ建築途中だ。赤いビル建築用クレーンがその全長を宵闇へと伸ばしている。昼間のように焚かれた投光機の明かりがサーチライトさながら照らし出し、ゲンジは降り立つべき空間を見定めた。
「あそこだ。あのヘリポートに降り立て」
ボーマンダに命じると赤い翼を羽ばたかせボーマンダはゆっくりと降り立った。先ほどの戦闘の残滓がある。ボーマンダは興奮状態であり、もっと言えば重傷だった。ゲンジはボールに戻す前に命じる。
「その姿は疲れるだろう。もうタツベイに戻るといい」
ボーマンダの表皮が罅割れたかと思うと一気に破裂した。巨躯が弾け飛び、小さな水色の身体が現れる。タツベイは肩で息をしながらゲンジへと寄り添った。
「よくやってくれた」
本来、進化とは不可逆だ。しかしゲンジのボーマンダ、タツベイは進化を操る事が出来る。これは他のトレーナーには見られないとしてシルフカンパニーが目をつけた要因でもある。お陰で研究対象にされているのが目下の悩みだが。
「戻れ、タツベイ」
ボールを突きつけると赤い粒子となってタツベイがボールに戻る。ゲンジには慣れないものだった。新型モンスターボール。これがいずれは世間を席巻するとはいえ、自分には過ぎたるものだ。便利さは時に人を堕落させる。これほど容易にポケモンを出し入れ出来ていいのかと考えさせられる事もしばしばだった。
ため息を漏らすと、もう一つのヘリポートに停められている輸送機が目に入った。シルフカンパニービルのヘリポートは二つ。いずれは取り壊して一つの大型ヘリポートを屋上に設置するのが最終目標だと言うが、建造にどれほどの時間がかかるのだろう。十数年? あるいはもっとか。
気が遠くなりそうな首都の摩天楼からゲンジは視線を投げた。夜とはいえ、首都はやはり少しばかり騒がしい。連日お祭り騒ぎな辺境地とは違い、表立った盛り上がりはないものの、出場選手を迎え入れようとする都市はいつまでも活動を引き延ばしている。
「眠れぬ街、だな」
呟いて、らしくないと首を振った。自分は所詮兵士だ。考えるのは上の役目。自分はただ力を振るえればいい。その点で言えば先ほどの戦闘ほど血沸き肉踊るものはなかった。ボーマンダの敗北という形に終わったが、また手合わせ願いたいものである。しかし、それが実現されない事を最も知っているのはゲンジ自身だ。
「ご苦労だった」
そう言って屋上に姿を現した男は何人かの側近を連れていた。しかし、この男の真骨頂は単体でも充分に動ける事だ。そのフットワークの軽さこそが売りである。
「キシベ。あんたの言う通り、オーキド・ユキナリと接触し、戦闘を行った。これでいいんだろう?」
ゲンジの声にキシベは口角を吊り上げて嗤う。
「ああ。とてもいいデータが取れた」
自分のポケギアには通常機能の他にキシベによる盗撮、盗聴機能もついている。先ほどの戦いは攻撃の一挙一動に至るまでシルフカンパニーによって見張られていたわけだ。
いい気分はしない。だが、これもホウエンでの地位を得るため。そのために必要な儀式だと割り切ればいい。
「オーキド・ユキナリ。あれの強さは何だ? 内側から発せられる強さ、まさしくやると決めたらとことんまでやる意志が見え隠れしたが」
その意志に怯んだのもある。まさかボーマンダを下すとは思ってもみなかった。少なくとも事前に渡されていた情報だけならば大したトレーナーではないと判断出来たのだ。
「それに関してはゆっくり話そう。疲れているのだろう? 先ほどの戦闘データと照らし合わせて分析部が面白い判断を下してくれている。私達はそれを見ながら雑談でもしようではないか」
気安いキシベの言葉にもゲンジは決して気を許さなかった。この男に内に秘めた野心がある。そのために全てを犠牲にする心構えだ。ゲンジには分かる。この男もまた、強者の頂へと、違う形ではあるが登ろうとしているのであると。
「そうだな」
「タツベイを預かろうか?」
「いや、俺はこのままで」
側近達が目に見えて不愉快そうに顔をしかめる。自分達の役目がなくて不服なのだろう。彼らは自分と同じようにキシベによって見初められた存在だ。だが自分のように動きが自由ではない。多くは出場選手としてではなく、シルフカンパニー社員としての地位を選んだ事からも明らかだ。彼らは戦う事を目的としていない。
「別働隊は?」
ゲンジの言う別働隊とはユキナリと戦う任務を帯びていない人々の事だ。彼らは自分とユキナリとの戦闘のどさくさに紛れてあるものを入手する別の任務が課せられていた。
「ああ、彼らは戻ったよ。君よりも十分早いだけだがね。目論見通り、ポケモンのDNAデータを抽出する事が出来た。それに関してはグレンタウンと連絡を取ろう」
キシベに連れられ迷路のような通路を歩み、ゲンジが訪れたのは巨大なモニタールームだった。今もリアルタイムであらゆる戦況が送られてくる。「見るかね?」とキシベに促されてゲンジは一つのモニターへと吸い寄せられた。そこには先ほどまでの自分とユキナリの戦いが記録されていた。
「あまりにも激しい戦闘のため、一部音声や映像にブレがございますが」
そう説明したのはオペレーターの男だった。キシベが、「いい。ヤマキ君。続きを頼む」と首肯した。
「では」とヤマキと呼ばれたオペレーターがキーを叩く。それすらも最新鋭の品々だ。滅多にお目にかかることのない最新鋭設備とシステムの数々に眩暈さえしてくる。
「ボーマンダが逆鱗状態でオノンドを叩き潰そうとしていますが、オノンドはこれをドラゴンクローで撃退。客観的に見れば、これはありえません」
「と、言うと?」
キシベが尋ねるとヤマキは、「威力が違い過ぎる」と断じた。
「逆鱗の威力とドラゴンクローの威力には、現段階の研究では倍ほどの差があります。それを埋め合わせて可能にしたのは、オーキド・ユキナリの才覚と、恐らくはこれかと」
拡大された映像の中に粗いながらもユキナリの握るボールが入る。黒地の上部には「GS」と白い文字が刻み込まれていた。
「我がほうの新型モンスターボールと形状そのものは同じですがシステム系列、ネットワークは全くの別物と考えていいでしょう」
「どうしてそんな事が?」
「今しがたハッキングを試みましたが無理でした。現在地とボールの個体識別情報さえ入ればある程度枝をつける事が可能なんですがね」
ゲンジの疑問に答えて見せたヤマキの手腕に素直に舌を巻いていた。既にそこまで根回ししているとは。ただのオペレーターの一人かと考えていたが意外にも侮れない人材なのかもしれない。
「ヤマキ君でも不可能と来たか。こうなってくると余計に気になるな」
キシベの言葉に、「そう時間はかかりません」とヤマキは応じる。
「ポケモンセンターを使ったのならば履歴から洗えますよ。我が社が援助していますからね。まぁデボンの技術もありますが」
デボンというのはゲンジの故郷、ホウエンで幅を利かせている新興企業だ。その初代社長にして、一代でデボンコーポレーションを興した御曹司、ツワブキ・ダイゴがあれほどの民意と期待を背負っているのもさもありなんと感じる。
「個体識別番号制はデボンのお膝元だ。勘付かれるな」
「誰に言っているんです?」
ヤマキはキーボードを叩いて今もユキナリのボールの情報を特定しようとしている。ゲンジは、「やめろ」と声に出していた。キーを叩くヤマキの手が止まる。
「何ですって?」
胡乱そうな声にゲンジは繰り返した。
「止めろと言っている。お前のやっている事は下衆の勘繰りに等しい。これ以上、彼を侮辱するな」
「侮辱? 俺は、シルフカンパニーに貢献するためにやっているんですよ。あなたこそ、こんな荒れた映像をよくも本社に寄越してくれましたね。こっちは解析だけでも手一杯なんですよ。少しは現場の手間も減らしてもらえませんか、ホウエンのトレーナーさん」
皮肉たっぷりに告げられた言葉にゲンジが返そうとすると、「その辺にしないか」とキシベが制した。
「今は内輪揉めをしている暇ではないだろう」
正しい認識にお互いに言葉を仕舞った。キシベは、「素晴らしいのはこれらを可能にするお互いの技術」と誉めそやした。
「ゲンジ君も、ヤマキ君も、どちらかが欠けていれば実現されなかっただろう。それほどに素晴らしい。これでオーキド・ユキナリに関しては次の段階に進める」
にやり、とキシベが口元を歪める。ヤマキは、「その事なんですがね」と口に出した。
「そろそろ計画概要を我々にも教えてもらえませんか? そうでなくっては下でも動きにくいんですよ」
どうやらヤマキはこのオペレーションルームの責任者に近い地位らしい。まだ歳若いのに、と感じたがお互い様だとゲンジは判じた。
「まだ言えんのだ。私としても心苦しい。ただ計画は第三フェーズに移行する」
「そのフェーズってのも説明されていないと俺達は動けない」
ヤマキの言葉はもっともだ。キシベは、「そのうち理解出来る」と答える。
「そのうちって……、手の打ちどころが遅れたら――」
「その心配はない。安心して欲しい。君達の仕事はきちんと役立っている。私は信頼しているのだよ。だからこそ、この発令所の全権は君に任せている。そうだろう? ヤマキ君」
暗にこれ以上勘繰るなという警告でもあった。ヤマキはそれを感じ取ったのか言葉を飲み込み、「いいですけどね」と口にした。
「下々が知るような計画なら、こんな大人数が動きやしないでしょうし」
大人数、という言葉にこのキシベの下で働いている人間はどれほどいるのだろうと感じた。いや、キシベの下、という認識でいいのだろうか。それがそもそもの間違いではないのか。
「我々にはRの矜持がある。全ては、ロケット団のために」
キシベは襟元につけた赤いRのバッジに手を添えた。ゲンジはあえてつけていないものだ。それはキシベとの契約内容によるものであった。
「はい。全てはロケット団のために」
ヤマキも胸元につけたバッジをなぞってそらんじる。それが合言葉のように発令所に染み渡った。ところどころで「全てはロケット団のために」という言葉が巻き起こる。キシベは手を掲げてそれを制した。
「諸君らは光栄に思って欲しい。これから先の時代を席巻する組織に招き入れられた事を。その資格を有している事を。君達は末代まで栄華が枯れる事なく、栄光のうちに生涯を閉じられる。このキシベが約束しよう」
「まだ死にたくないですがね」というヤマキの皮肉にどっと笑いが起きる。キシベも笑いながら、「もちろんだ」と答えた。
「君達の命、どれ一つを取ってしてもそれは千金に値する。私は慎重を期す事にしよう」
「頼みますよ、キシベさん」
ヤマキの声にキシベは、「了解したよ」と肩に手を置いた。それだけで信頼関係が築けているのが分かった。
「ゲンジ君。先ほどの戦闘から学ぶとしよう。あのオノンド、何故あれほどの力を発揮したのだろうか?」
キシベの問いかけにゲンジは顎に手を添えて逡巡の間を置いてから、「あれは」と口火を切った。
「恐らく制御が不完全」
その言葉にヤマキが一瞬だけ肩越しの一瞥を向けたがすぐに作業に没頭した。
「制御が不完全、とは」
「そうだな。決壊寸前の関係を辛うじて留めているような、その危うさが逆にお互いのパワーを引き出している。あれは理想的とも言えるが同時に綱渡りだ」
「面白い考察だな。座って話を拝聴したい」
キシベの冗談めかした声に、「俺は真剣だ」とゲンジが返すと、「分かっているよ」とキシベは応じた。
「だからこそ、君の生の感想が欲しいんだ。オーキド・ユキナリ。彼は事前の情報よりどれほど成長していたか」
「俺が渡したポイントの数が、その差分だ」
キシベへとポケギアを翳す。残りポイント数をキシベが確認し、「なるほど」と口角を吊り上げた。
「見込みあり、だな。君がそれほどまでに他人を評価するのは珍しい。あのドラゴン使い、イブキ殿にだって、君は低い評価を下していたじゃないか」
「あれは血筋の意地がある。それの虚勢があるだけだ。オーキド・ユキナリとの実力差だって今に縮まる」
むしろ実力は拮抗しているとゲンジは感じていた。イブキが持ち帰ったユキナリとの戦闘データを元に自分との戦力差が分析されたがその時点でイブキとユキナリはどちらが勝ってもおかしくはない。
「……いや、今日のオーキド・ユキナリならば難なく勝つだろう」
呟いたゲンジの声に、「そのこころは?」とキシベが尋ねる。
「勘だよ。おかしいかな、俺がそんな事を言うのも」
「いや。トレーナーにとって勘は重要なファクターだ。第六感でも何でも、心のうちから生じるものは全て、ね」
キシベは興味深そうに目を細める。恐らく、元来は研究者の性が合っているのだろうとゲンジは感じ取る。
「俺には……、いや、ここでこの話はよそう」
飲み込んだ言葉にキシベは、「気になるじゃないか?」と微笑んだ。
「何か懸念事項があるのか?」
「いや。何でもない。とにかくオーキド・ユキナリの強さの秘密にはその綱渡りがあると感じる」
ゲンジの結論にキシベは、「ふむ」と納得してから顎を撫でつつ、「物語は嗜むか?」と訊いてきた。一瞬、その意味が分からなかった。
「何だって? 物語……」
「私は仕事柄色んな地方に旅立つ事が多くってね。ガリバー旅行記、という話をしよう」
「ガリバー……?」
それが今何の関係があるのか。察する前にキシベは話し始めた。
「ガリバーという一人の探検家がいてね。彼はある時、唐突に違う世界に迷い込んだ。その世界では自分以外は皆小さく、小人達が繁栄する国だった」
「キシベさん、それ好きですね」
ヤマキが口にするところを見るとキシベは頻繁にこの話をしているのだろう。「そう言わないでくれよ」とキシベは笑った。
「俺は、そういう文芸には疎くって」
「ああ、いい。そう構えなくっても。雑談だ。ちょっと聞いていくくらいの気分でいい」
「はぁ」と生返事を寄越してゲンジは聞く姿勢に入った。キシベは、「ガリバーはどうして小人達の国に入ったのか」と中空を眺める。
「それは些事だ。問題なのは、小人達がガリバーを制御出来ない力の象徴として縄で拘束するシーンが挿絵つきで描かれているのだが、私はそれが印象深くってね。制御出来ない力。それを意地でも制御の内にしようという小人の賢しさ。しかしガリバーは小人を虐殺しようとしたり、あるいは力を誇示したりする事はない。むしろ消極的だ。積極的なのは彼らの問題をきちんと理解し、その上で外交じみた交渉に出ようとする」
ゲンジの反応を見ながらキシベは口にする。
「意外かな?」
「ああ。俺ならば殺している」
その言葉にキシベが思わずという失笑を漏らした。
「小人達にだって政治はあるし、世界はある。だからガリバーはそれを壊そうとは思わない。とても良心的な存在だ。しかし、小人達からしてみれば既にあるものが壊されている。それは何だと思う?」
謎かけにゲンジは、「何って」と声を漏らす。「考えてみてくれ」とキシベが問いかける。
「君の解答が知りたい」
ゲンジは熟考の末、「良心か」と口にした。キシベが頷き、「それもまた一つの答え」と応ずる。
「だが、私にとってそれは価値観だと考えている。小人達は自分達だけで世界が完結しているという価値観を崩されたのだ。この世界は、泡沫のように浮き上がった数個の世界のうちの一つではないと誰が言い切れる」
「しかし、同時にこの世界だけではないという証明も出来ない」
ヤマキが口を差し挟んだ。
「割と聞き飽きました」
率直な意見にキシベは笑い声を上げる。
「そう言うなよ。私にとってこれはこの世界を考えるに当たって面白い分析なんだ」
「分析……」
ゲンジの声に、「そうだとも」とキシベは目を向けた。
「誰が巨人ガリバーなのか。誰が小人なのか。それは誰にも分からないし、誰にも言い当てられないんじゃないかな」
「ガリバーがオーキド・ユキナリだとでも?」
「そこまで飛躍した理論じゃないよ」
言いつつもキシベの口調にはそれを期待する響きがあった。
「俺達の住む世界が小人の世界じゃないとは言い切れない、という話か」
結んだゲンジに、「まぁ、そういう事さ」とキシベは答えてオペレーションルームを後にしようとする。
「ついてきたまえ」
その声にゲンジは廊下に出た。歩きながら、「先ほど言いかけたのは、オーキド・ユキナリに拘泥している事への危機感かな」と声を漏らす。見透かされていた胸中にゲンジは、「まぁな」と返した。
「あんたはこだわり過ぎた。オーキド・ユキナリという一人のトレーナーにどれほどの価値がある? 少なくとも、これほどの人員を必要とするものだとは思えない」
「君は、私が見当違いの方向に進んでいるように感じられるのかな」
「違うのならばその証拠を見せてくれ」
「証拠、ねぇ」
キシベは立ち止まりゲンジを指差した。うろたえたように、「何だ?」と怪訝そうな目を向ける。
「君達がその証拠だよ、ゲンジ君」
思わぬ言葉に、「俺達、だと……」と狼狽した。
「どういう意味だ」
「君は、今日オーキド・ユキナリと戦った事に価値を見出したのではないかね? それこそ、戦ってよかった、いや生きていたよかったと思えるほどに」
沈黙を是としていると、「私も、彼を一目見た時にそう感じた」とキシベは口にした。
「彼こそが、私に相応しいと。この混迷の時代、玉座につくのは彼のような人間だ。そして、私、キシベ・サトシはその全ての理由にして絶対的価値観となる。先ほどガリバーの話を引き合いに出したが、オーキド・ユキナリにとって私の存在は小人という世界の象徴であり、同時にガリバーになり得るのだ」
キシベの言葉に、「傲慢だぞ」と思わず語気が荒くなった。
「一人の人間の価値観の全てなどと」
「だが、君とて彼に勝者の頂へと登って欲しいと感じている。違うかね? その資格が彼にはあるのだ。戦って理解したはず。オーキド・ユキナリこそが器だと」
器。その言葉にゲンジは保留にしていた一事を引き合いに出す。このままではキシベのペースに呑まれそうだった。
「……俺には誰が玉座につこうと関係がない。それよりもキシベ、あんた契約は――」
「分かっているさ。私は政府筋にもそれなりに顔が利く。君をホウエン地方の国防に充てよう」
それこそが自分とキシベの契約だった。ホウエンの専守防衛を覆し、集団的自衛権の行使を可能にする。それを十年以内に果たし、自分はその矢面たる国防の任に就く。
危険だが決めていた事だ。ホウエンを、故郷を守るには最善の策であると。自分とタツベイを育んだ土地をカントーなどに陵辱されて堪るか。
「しかし、皮肉だな。カントーの支配を望まぬゆえに君はこのポケモンリーグに参加せねばならなかった。経歴を洗えば君の足がつくぞ」
「もちろん、それを消せるだけの手段はあるのだろう?」
心得た声にキシベは、「末恐ろしい若者だよ」と評した。
「どこまでも私を利用するか。いいさ、私も君を利用している。お互い様だ」
話を終わらせようとするキシベへと、「待て」と声をかけた。キシベは立ち止まり、「何かね?」と首を傾げる。
「お前らが擁立しているトレーナーと手合わせ願いたい」
キシベは少し考える仕儀差をした後、「どうして急に?」と当然の疑問を発した。
「お前らがあれほどまでに厳重に守っているトレーナーだ。さぞかし、強いのだろう?」
ゲンジの言葉にキシベはフッと口元に笑みを浮かべる。
「やれやれ、君達トレーナーという人種はみんながそうなのか? イブキ殿も似たような事を言われていたよ。手合わせ願いたいという生易しい言い方ではなかったがね」
「強いのならば戦いたい。当然ではないのか?」
「まぁ、分からない話でもない。私も昔トレーナーだった。その気持ちの節々は感じられるよ」
「お前が、トレーナー?」
にわかには信じられない話だが嘘を言う意味もない。キシベは、「相棒はピカチュウだった」と続けた。
「似合わないな」
「私もそう思うよ。今となってはね。ただ一夏の間だけ、私は様々なトレーナーやポケモンと出会い、旅をした。その結果、私が得たものを全て注ぎ込んだのが、このシルフカンパニーの地位だ。私はあるべくしてここにいる。それは誰に強制されたわけでもない」
「そのシルフの地位とやらも何のためだ。どうして、お前はあのトレーナーを擁立する? 普通ならば、企業が出資するトレーナーなど出場禁止処分を受けてもおかしくはない」
それどころかそのトレーナーには旅の必要性すらないのだという。ますます気に入らなかった。
「確かに、君の言う通り、同じトレーナーならば虫の居所が悪くなるのも頷ける。だが、彼でなくてはならなかったのだ」
「それは、オーキド・ユキナリでなくてはならないのと同じ理屈か?」
キシベは答えない。その沈黙こそが全てを物語っていた。ゲンジは眉根を寄せて、「余計に気になるものだ」と口にする。
「シルフカンパニーの虎の子、サカキとかいうトレーナーは」
優勝候補の一角として上がっていたので誰でも名前くらいは知っているだろうが、メディアへの露出は少なく、他の優勝候補に比べれば主立った活動履歴はない。しかし、シルフカンパニーの全面協力を受け、この大会そのものの脅威と位置づけられればその注目度は高いと思われるがシルフカンパニーの情報操作により徹底して彼の行動は追及されていない。それほどのトレーナーならばその強さを確かめたいと思うのは当然だろう。
「実際、どれほどなんだ?」
ゲンジの質問に、「トレーナーの強さを言い表すのは難しいが」とキシベは前置きしてから足元を指差した。
「このヤマブキシティ、そのバッジ所有者に相当する」
ゲンジが怪訝そうに眉をひそめていると、「君にも分かるさ」とキシベは話を切り上げた。
「確か、このヤマブキシティのジムリーダーは」
「ああ、格闘タイプ使いの女性だ」
ジムリーダーの手持ち、及び素性に関してはかん口令が敷かれており、大会主催者においてもそう簡単に入手する事は出来ない。
「会わせてももらえないのか?」
「そんなにサカキ少年が気になるかね?」
「オーキド・ユキナリと共に、お前の計画とやらの要なのだろう? 知っておいてもバチは当たらないと思うが」
「確かな事を一つだけ言っておこう」
キシベは指を立てて言い放つ。
「君では彼に勝てない。恐らく、彼に勝てるのはこの世でも限られた存在だけだろう」
キシベの言い分では相当強いようだがそれほどまでに言わせる実力ならばもっと注目度があって然るべきはずである。だというのに、優勝候補のシロナやアデク、それにツワブキ・ダイゴに比べ、あまりにも印象が薄い。これは意図的なものに違いなかった。
「何のために、シルフカンパニー、いやロケット団はサカキを守っている? そのサカキとやらも顔写真は見たが、本当にこのポケモンリーグに出場しているのか?」
「存在すら疑わしいかね?」
キシベの言葉にゲンジは、「一応、王を決める戦いだ」と答える。
「もし、玉座につくのならば顔も見せない王など誰が信用出来る? いくらシルフのお膳立てがあったとしても彼自身にそのような実力がなければ意味がないはずだ」
キシベは少し思案するように顎に手を添えた後、「君の言う事はもっともだが」と抗弁を発した。
「既存の価値観では彼を推し量る事など出来ない。ちょうどガリバーが価値観を破壊したように、彼の存在もまた価値観の破壊に繋がる」
「それほどまでの実力者ならば手合わせの一つくらい何てことはないだろう、という話だ」
引き下がらないと見たのか、キシベは、「いいだろう」と首肯した。
「サカキ少年と君との戦いの場を用意する」
キシベはポケギアに声を吹き込み、「サカキ君」と呼びかけた。
「これからゲンジ君と勝負してもらう。出来るか?」
『いつでも』という声が返された。キシベは通信を切り、「どうやら彼はやってもいいと考えているらしい」とゲンジへと視線をやった。
「幸運だよ。オーキド・ユキナリと戦ったその日のうちに、もう一人の計画の要とまみえるのだから」