NEMESIS














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胎動の章
第六十一話「強者の頂V」

「オーキド・ユキナリ」

 ゲンジが自分の名を不意に呼ぶ。その声音には待ち望んでいたような響きがあった。

「俺は、自分を成長させてくれる人間が好きだ。だからこそ、このポケモンリーグでこちら側についている。そのほうが強い相手と当たる確率が高いのだと判断した」

 こちら側、というのが黒服集団の事なのだろう。ユキナリはイブキの事も聞くべきか悩んだが、今はゲンジを下すのが先だと判断した。

「俺をさらなる高みへ、強者の頂へと繋げてくれる人間を、待ち望んでいるのだ。お前は、俺を引き上げる存在か? それとも価値のない存在か」

「両極端だな」

 ユキナリの言葉にゲンジは口元を綻ばせる。

「いつだって結論は極端だ。俺があの日、死ぬか生きるかしかなかったように。タツベイがあの日、進化するかしないかしかなかったように。そう、進化とは、人間にせよポケモンにせよ、それは追い詰められた時にこそ発揮される。進化とは今を打ち破る強さ。今よりも先に行きたいという願望の現われだ」

「僕は、先に行く」

 オノンドが牙を構える。ユキナリは変わらぬ双眸をゲンジへと向けた。

「僕とオノンドならそれが出来る」

「ようやくポケモンを得て一端のトレーナーになった、というところか。だが、その状態はいわば精神が昂っている状態。通常の判断が下せなくなっている」

 ゲンジが手を掲げ、「コモルー」と呼んだ。コモルーは四足でオノンドへと突撃する。

「コモルーの攻撃は変幻自在。読めるか?」

 ユキナリはオノンドへと声を発した。

「落ち着けよ、オノンド。敵は四方向に甲殻を張っている。という事は、攻撃の前後にどれかが開くはず」

 その時こそが攻撃の契機だ。オノンドの攻撃がいくら強大でもあの甲殻を破るのは至難の業だろう。ならば相手の攻撃時の隙を狙うしかない。その見極めはトレーナーにしか出来ない。

「来る、来るぞ……」

 コモルーが四足で駆け込んでくる。左側上部の甲殻が開いた。

「そこだ! ドラゴンクロー!」

 オノンドが牙に青い光を纏いつかせ、扇状に展開する。脚が膨れ上がり、オノンドは跳躍して開いた甲殻の合間を攻めようとしたが、その甲殻は攻撃の命中する寸前に閉じた。代わりに反対側、右の下部にある甲殻が開く。

「フェイント?」

「そう簡単に甲殻内部へと攻撃はさせん。コモルー、ドラゴンクロー」

 死角から突き上げられた青い爪がオノンドの腹部へと襲いかかる。しかし、オノンドとユキナリは冷静に対処した。

「ダブルチョップで受け止めろ!」

 オノンドが左手を払いコモルーの「ドラゴンクロー」を相殺させる。すかさず開いたのは真正面の甲殻だった。

「避け切れまい!」

「ならば、受け止める!」

 右手を突き上げ、オノンドは攻撃前の甲殻から飛び出した手を掴んだ。そのまま自分の側へと引き寄せる。

「迂闊だ! 甲殻を開いたままで!」

 開かれた内部へと攻撃を放てる。オノンドは牙に青い光を充填させた。必殺の「ドラゴンクロー」が撃たれるかに思われたが、それを受け止めたのは意外な物体だった。

「……翼?」

 甲殻から飛び出したのは手だけではない。赤い翼が甲殻を破って盾のようにオノンドの視界を奪う。

「もう隠し立てするつもりはない」

 ゲンジの声に呼応してコモルーの身体が砕け散った。甲殻が失せ、内部から水色の身体をした龍が姿を現す。禍々しい赤い翼を広げ、そのポケモンは咆哮した。一声だけでオノンドが攻撃の手を緩める。それほどの重圧を持つポケモンであった。

「何だ? これは」

「……進化、したって言うの?」

 ナツキが信じられないように口にする。ガンテツが、「ありゃ間違いない」と口走った。

「ホウエンのドラゴンタイプ、その最終進化系」

「――ボーマンダ」

 ガンテツがその名を呼ぶと、ボーマンダは乱杭歯の並んだ口を開いて喉の奥を赤く光らせた。酸素が光と共に吸引されていく。

「まずい! オノンド、離脱を――」

「火炎放射」

 放たれたのは先ほどまでとは比較にならないほどの強力な攻撃だった。一瞬にして射線上にあった墓石が炭化し、煉瓦造りの壁を高温が叩き割った。ユキナリは直前で逃れたオノンドを見やる。オノンドも今の威力に身が竦み上がっている様子だった。

「こんな攻撃力、無茶苦茶だ」

「やけど、最終進化なんや。これくらい出来ても不思議やない」

 ガンテツの声にユキナリはボーマンダとゲンジを睨み据える。ゲンジは拳を握り締め、「この力!」と声を大にした。

「超えられなければ意味がない。強者の頂に至るにはこれを超えてくるだけの覚悟と能力が必要だ。オーキド・ユキナリ! お前はまだその真価を出していない。本気で来い!」

 ゲンジはまるでユキナリの全力を知っているかのようだった。しかし、ユキナリとて手を抜いた覚えはない。今まで全力に近いものを見せてきた。これでも足りないという事は――。

「僕に、超えて来いと言っているのか」

 全力のその先。自分さえも分からない領域へと。自己を高めろと言っているのだ。

「いいさ。超えてやる」

 ユキナリは足元に転がった焼け落ちた墓石を蹴り払う。オノンドがユキナリと共に前に進んだ。ボーマンダとオノンドが対峙し、自分とゲンジは至近に近い距離へと歩み寄る。

「ユキナリ! そんなに近づいて」

「迂闊やぞ、オーキド!」

 二人の声が響く中ユキナリはただ考えていた。この戦いに勝つ方法を。強者の頂に登るための力を。

「この距離なら、お互いにもう外さない。お互いにドラゴンタイプ。ドラゴンの技が致命的になる」

「その通り。いい眼光になってきた。俺は、お前を超え、さらなる高みへと!」

「超えるのは僕だ!」

 ボーマンダが雄叫びを上げる。それに負けじとオノンドも吼えた。両者がほぼ同時に動く。ボーマンダの赤い翼に光が宿った。凶暴な赤い光が相乗し、一対の翼が刃物の鋭さを帯びる。

「これが、真のドラゴンクローだ!」

 ボーマンダが羽ばたいた瞬間、拡散された赤い光が軌道上の墓石を叩き割って肉迫する。ユキナリとオノンドは真正面からそれに立ち向かった。

「ユキナリ!」とナツキの悲鳴のような声が響く。しかしユキナリは振り返らなかった。決して背中を見せてはならない。オノンドが牙に扇状の青い光を纏いつかせ、拡散した赤い光弾を叩き落す。光弾は触れれば断ち割られそうなほどに鋭く凶暴であった。光弾そのものは鋭敏ではない。しかし、触れた瞬間に千の刃と化す。オノンドは牙で打ち破ろうと振り翳す。

 牙が触れた瞬間、赤い千刃がオノンドの身体へと襲いかかった。それそのものは「ドラゴンクロー」という技だが威力が桁違いだ。タツベイが発していたものともコモルーが使っていたものとも違う。次元の異なる技の応酬にオノンドが怯み、立ち竦む。ユキナリはしかし後退しなかった。あえて自身を千の刃が通る攻撃の最中へと置いた。

「僕も退かない。だから、お前も退くな」

 主人の声にオノンドは落としかけた膝に力を灯し、立ち上がる。牙を振るい上げ、オノンドは青い光を拡張させた。剣のように立ち上った牙の光が尖り、軌道上の光弾を叩き割っていく。

「ドラゴンクローの間合いを拡張させたか。しかし、こちらのドラゴンクローは至近の距離に至れば必殺の勢いを持つ。果たしていつまでそんな消耗戦が持つかな」

 オノンドが光弾を斬るが、光弾はまだあらゆる角度から襲いかかる。唯一の救いは自分だけを狙ったものである事だ。もしもガンテツやナツキを守りながらでは戦えていないだろう。ユキナリは口元に笑みを浮かべた。

「どうした? まさかいかれたか?」

 ゲンジがこめかみを指差す。ユキナリは頭を振った。

「いかれちゃいないさ。ただ、僕は幸運だと思ってね」

「幸運?」

「僕を成長させてくれる奴が、僕だけを狙ってくれる事さ。これで、心置きなく戦える」

 その言葉にゲンジは笑い声を上げた。心底おかしいというような声音にユキナリは、「違いないだろ?」と尋ねる。

「そうだな。お前と俺は同類だ。強さのために、誰かを踏み台にせねばならない。お前の眼差し、そこには誰かの夢を潰してでも自分の夢を叶えたいという願いの刃の輝きがある。その刃こそが、強者の頂に登るために必要なのだ」

「君だって、持っている」

 ユキナリの言葉にゲンジは口元を緩めた。

「だからこそ、お互いに相容れないと理解しているのさ。ここで相手を倒すしか、進む方法がない事も!」

 光弾が足元で弾ける。刃が発生し、焼くような痛みが腕を襲ったが構ってはいられなかった。今はつわもの同士が戦うこの戦場を、どこまで自分を高められるのか試している。

 ならば命を賭してでもここで試そう。自分がどこまで行けるのか。どこまで高められるのかを。

 ユキナリの雄叫びに呼応してオノンドが拡張した青い剣先をボーマンダに向ける。最早、牙という形状を跳び越え、一つの大剣と化していた。対してボーマンダは赤い翼をはためかせ、刃の羽ばたきで青い剣をいなす。

「俺のボーマンダを、止められると思うな!」

「止める? 冗談」

 ユキナリは旋風が舞う戦いの最中、確かに、微笑んだ。

「――全て断ち斬る」

 青い剣先が一気に弾け飛んだ。

 それぞれが固有の形状を持つ短剣へと、一瞬にして昇華した。「ドラゴンクロー」の性能を持つ短剣は幾何学の軌道を描き、光弾を突き刺していく。光弾は同じ性能で貫かれたせいか、一斉に活動を止めた。まるでシャボン玉のようにそれぞれが弾け、刃の風が巻き起こった。

「ドラゴンクローを昇華させたか。だが、俺のボーマンダは隠し玉を持っている!」

 ボーマンダが大口を開けて吼え、内部骨格が赤く輝いた。表皮が透けてボーマンダを形作る骨格が燐光を放つ。

「逆鱗。ドラゴンタイプの強力な物理技だ。これを止める事が出来るか?」

 ボーマンダが翼を広げオノンドへと突撃する。オノンドは青い大剣を顕現させボーマンダを止めようとしたが前足の一振りでそれは砕け散った。

「これが、逆鱗……!」

 ボーマンダはまさにその身体そのものが攻撃となっている。恐らくどの部位に触れても掻き消されるであろう。

「それでも、僕らは進むしかないんだ」

 砕け散った青い光が集束し、短剣を形作った。全方位から、幾何学に短剣がボーマンダへと迫る。しかし、ボーマンダは首を振っただけの動作で短剣を霧散させた。

「ドラゴンクローじゃ勝てない?」

「さぁ! 俺達を高みへと昇らせて見せろ!」

 ボーマンダが前足を突き出しオノンドの身体を掴んで引き上げる。必死に踏ん張ろうとしたがボーマンダの膂力の前にはオノンドはあまりにも無力だった。赤い燐光を放つボーマンダがオノンドを掴んだまま飛行する。天井を突き破り、オノンドの身体が壁に叩きつけられなぶられた。

「ユキナリ! もうオノンドを仕舞って! こんな一方的じゃ……」

 ナツキの声にユキナリは、「まだだ!」と返す。

「まだ、僕とオノンドは高みへと至っていない」

 オノンドが咆哮し、青い「ドラゴンクロー」の大剣を突き上げる。至近距離の赤い翼を焼き、オノンドはボーマンダの飛行能力を奪ったかに思われたが、ボーマンダはまだ健在だった。攻撃で破られた箇所をボーマンダの内部骨格が支えている。

「この戦いの後、俺達は再起不能になるかもしれない。だが、それでも俺は!」

 その声にユキナリはゲンジの覚悟の深さを感じ取った。この戦いに彼は賭けている。自分との戦いがさらなる高みへと至るものだと信じて疑わない。その姿勢には目を瞠った。

「……だったら、僕らも全力だ!」

 青い大剣をオノンドが翼を貫通させて突き出す。ゲンジが、「無駄だ!」と声を発した。

「既に貫かれている箇所には麻酔が施されている。逆鱗状態のボーマンダは決して止まる事はない。その進撃を阻む事は誰にも許されない!」

 しかしその瞬間、ボーマンダの動きが鈍った。どうしてだか飛行状態を維持出来なくなったのだ。ゲンジはうろたえる。

「何……? ボーマンダの逆鱗状態が……」

 青い大剣の光が貫いたまま、ボーマンダが硬直する。ゲンジは手を振り払う。

「何をしている? そのままオノンドを打ち落としてしまえ!」

 しかしボーマンダは動かない。自分が縫い止められたように硬直した事実に戸惑っている様子だ。

「ボーマンダの逆鱗状態は確かに止められないだろう。だけれど、それは真正面から愚直に立ち向かったら、に過ぎない」

 その言葉にゲンジはハッとして青い大剣の行き着く先を眺めた。剣先が貫いているのはボーマンダではない。真の目標を察し、ゲンジは目を慄かせる。

「ドラゴンクローの剣先で、刺し貫いていたのは……」

「このポケモンタワーの柱だ」

 オノンドの「ドラゴンクロー」はボーマンダへと攻撃を与えるためにあったのではない。真の目的は切っ先でポケモンタワーの柱を探す事にあった。

「切っ先がポケモンタワーの柱に刺されば、これだけの巨大建築物を支える柱だ。ポケモンが暴れた程度でどうこう出来る代物じゃないはず」

「ボーマンダを狙ったかのように見せかけ、柱へと大剣を突き刺す事が狙いだったというわけか」

 ボーマンダは動かない。否、動けない。オノンドがポケモンタワーの柱に大剣を突き刺している間は。

「ならば、力づくでも解除させる!」

 ボーマンダが口から炎を吐き出しかねない気迫で吼え、前足で掴んだオノンドを潰そうとする。オノンドは両腕を上げてボーマンダの前足の指に爪を立てた。

「逃げられないのはボーマンダも同じだ! ここから先は、気合比べになる!」

 オノンドが両腕から青い光を発し前足の機能を潰す。「ダブルチョップ」であった。前足の拘束が解かれ、オノンドは地面に立って大剣を薙ごうとする。ボーマンダは翼を焼く激痛に雄叫びを上げた。

「上等だ!」

 ゲンジがボーマンダと同期したように叫び、ボーマンダの乱杭歯の並んだ口腔がオノンドを噛み切らんと迫る。オノンドは大剣を解除し、空中に短剣として拡散させた。ボーマンダがそれらをさばこうとすれば眼前のオノンドへの攻撃が手薄になる。かといってオノンドを狙えば全身へと襲いかかる短剣の嵐を一身に受ける事になる。

 ボーマンダは後者の道を選んだ。オノンドへと噛み付こうとするがオノンドはステップを踏んで回避し、その顎へと拳を突き上げる。青い光を纏ったアッパーはボーマンダの意識を一瞬だけ混濁させた。その一瞬の合間を突くように短剣が一斉に襲いかかる。ボーマンダは見えないなりに翼を羽ばたかせて相殺させたが全てではなかった。いくつかの短剣が表皮へと突き刺さり、ドラゴンタイプの技としての威力を発揮する。

 表皮で爆発の光を拡散させた短剣にボーマンダが怯んだ隙を突き、オノンドが腹部へと潜り込む。堅牢そうな甲殻の名残がある腹部へとオノンドは牙の一撃を加えた。みしり、と表皮に亀裂が走る。ボーマンダが突き飛ばそうと身をよじるが腹部は死角だ。距離を取るしか道はない。ボーマンダは羽ばたいて攻撃を浴びせつつ遠ざかろうとしたがその時には既にオノンドは背後に回っていた。

「後ろだ! 尻尾で叩きのめせ!」

 ゲンジの指示にボーマンダは尻尾を打ち下ろす。オノンドはその一撃を間一髪でかわした。もう一度大剣を顕現させれば、と考えていたオノンドとユキナリの思考に水を差すように、尻尾の一撃が正確にオノンドを捉える。瞠目していると、「観察しているに決まっているだろう」とゲンジが声を浴びせる。

「右側が見えていない!」

 ゲンジの声にユキナリは慌てて命令の声を上げた。

「オノンド、宙返りして尻尾へとダブルチョップ」

 一旦距離を置くべきだ。そう判断した声に、ボーマンダは一瞬の好機を感じ取ったのか宙返りの途中で尻尾を薙ぎ払った。届くはずがない、と感じた距離を跳び越えた攻撃に赤い光が影響している事をユキナリは察知する。

「逆鱗はまだ有効だ。内部骨格から攻撃判定を伸ばした」

 赤い光は、しかし先ほどまでよりは薄らいでいる。逆鱗状態はもうすぐ解ける。それまでにどれだけ粘れるかが勝負だった。

「オノンド! 相手は消耗している! 畳み掛けるぞ!」

 オノンドは崩れた体勢を持ち直そうとする。しかし、赤い翼から放たれた旋風がその行動を遮った。

「許すと思うのか? 逆鱗が切れるまで残り一分弱。それまでにオノンドを完全に無力化させる」

「させない!」

 放った声が力になり、オノンドがボーマンダへと飛び乗った。ボーマンダは身をよじってオノンドを突き落とそうとするがオノンドは牙を食い込ませてそれを制する。

「ゼロ距離だ。この距離からなら百パーセントのドラゴンクローが放てる」

 しかもオノンドがいるのはボーマンダの背中、つまり背後である。ボーマンダの攻撃が届く場所ではない。

「それは何だ? 降伏しろとでも言うのか?」

「無駄な戦いは好きじゃない」

 詰みだ、と宣言した声にゲンジは笑い声を返した。

「俺もボーマンダも、その程度で屈するような精神の持ち主ではない。それに気づいているのか? オノンドはボーマンダに密着している。この状態からなら百パーセントの威力の逆鱗を放てる」

 ユキナリは唾を飲み下した。つまるところ――。

「お互いに次の攻撃で決まる」

 ゲンジの宣言にユキナリは息を詰めた。「ドラゴンクロー」を放つのが先か「げきりん」が放たれるのが先か。

 ユキナリはゲンジの眼差しを見やる。その眼はやると決めたらやる、男の眼だった。ユキナリも負けじと睨み返す。こちらだって腹は括っている。

「……いい眼だ。お互いに覚悟は決まったようだな」

 ボーマンダの赤い光が薄らいだ。恐らく背後へと放つための布石を打っているのだ。オノンドが牙を密着させている箇所はボーマンダにも分かるはずである。

 その箇所から噴き出すように「げきりん」の光が放たれればオノンドとて無事で済むかどうか。だが、これは相手にとっても賭けである。もし、一拍でも遅ければ。「ドラゴンクロー」が速ければ、ボーマンダは身体を貫かれる。しかも今オノンドが牙を密着させているのは身体の中心、脊髄である。その衝撃は確実にボーマンダの攻撃を阻むだろう。

「……オノンド」

 ユキナリはその名を呼ぶ。赤い瞳には主を信じ切っている光があった。ここで自分の覚悟を揺らがせるわけにはいかない。呼吸を整え、ユキナリはその命令を発しようとした。ゲンジは指を立てる。

「お互いに、一度きりだ。もう次はない。スリーカウント。恨みっこなしだ。その瞬間に技を放つ」

 ゲンジの提案にユキナリは首肯して乗った。目を瞑る。余計な情報はいらない。お互いにここから先はポケモンの反応速度の勝負だ。

 これまでに何度攻撃を受けたか。何度死線を潜り抜けたか。それで決着がつく。

「「3」」

 汗が額を伝う。

「「2」」

 拳をぎゅっと握り締める。掌に汗を掻いていた。まだ瞼は開かない。

「「1」」

 その瞬間、ゲンジとユキナリの声が重なった。

「ドラゴンクロー!」「逆鱗!」

 瞼の向こう側で青い光と赤い光が乱舞する。その拮抗は一瞬だった。勝負に必要だったのはその一瞬だけだったのだ。

 ユキナリはゆっくりを瞼を開く。ボーマンダの背筋から赤い光が炎のように噴き出していた。しかし、それを引き裂く青い光があった。赤い光はオノンドの表皮を焼いたがボーマンダの強固な身体を貫いていたのは青い光のほうだった。ボーマンダが口腔を広げ、叫びを漏らす。オノンドが吹き飛ばされ墓石の上に落下した。

「オノンド!」

「ボーマンダ!」

 両者が同時にお互いのポケモンへと駆け寄る。状態を確認し、先にボールへと戻したのはゲンジだった。オノンドは薄く眼を開けている。僅差に違いなかった。オノンドの刃がボーマンダへと届いたのだ。

「見事」

 ゲンジはコートをはためかせユキナリの前に立つ。すっと手が差し伸べられた。ユキナリはその手を掴み、オノンドをボールへと戻す。

「髪の毛一本の差だが、お前達のほうが強者の頂に近かったらしい。敗者は這い蹲り、強者はさらに高みを目指す。それこそが強者の頂。何人も近づけぬその頂にこそ、真の価値がある。昔はその価値と勝者が同一だった。しかし今の社会では違う。勝者とは、相手をいかに騙し、自分をも欺き、うまく立ち回ったかによるものに過ぎない。それは真の価値ではない。自分を高めるのならば他人の命すら頓着しない。だが、それは裏道から騙し討ちを仕掛けるような狡猾さではないのだ。真正面から立ち向かう愚直さ、ある意味では猪突とも言える無茶こそが道理を蹴破る。それを理解する事こそが」

「己の価値に繋がる」

 言葉尻を引き継ぎ、ユキナリはその手を眺めた。ゲンジがポケギアを操作し、ユキナリへとポイントを送っていた。

「お前は俺を倒し、強者の頂へと登る資格を得た。これは餞別だ」

 ユキナリはポケギアに充填されていくポイントを見やりながら、「君は……」と口にする。ゲンジはフッと微笑んだ。

「俺はいい。敗者にこだわっていては前には進めんぞ。強者は勝者、高まる事にこそ望みを繋げ」

 ボーマンダが咆哮する。ゲンジは身を翻し、その背中に乗った。

「――ようこそ、勝者の頂へ」

 ゲンジはボーマンダにポケモンタワーの壁を突き破らせた。その水色の身体が夜空に消えていく。ユキナリは無茶苦茶になったポケモンタワーの内観を一瞥し、「乗り越える」と誓った。

「もう僕とオノンドは迷わない」

 ゲンジとボーマンダはそれを教えてくれた。ナツキが自分の名を呼んで駆け寄る。ガンテツも同様だった。

「大丈夫? ユキナリ」

 ナツキは激昂せず、ユキナリが無事なのか確かめた。本来ならば張り手の一つでも食らったところでおかしくない暴挙なのだがナツキは意外にも冷静だった。

「ああ、うん。僕は大丈夫」

 変わらぬ様子で返すとナツキは腰に手をやってふんぞり返る。

「それにしたって、ポケモンタワーでこんな騒ぎ起こすなんて前代未聞よ? もう、もし損害賠償取られたって知らないんだから!」

 いつものナツキの調子に戻り、ユキナリは、「そうなったら博士にどうにかしてもらおうかなぁ」と後頭部を掻く。

「博士だって何でも解決してくれるわけじゃないんだから! 頼りにしたって仕方がない事もあるのよ!」

 説教を聞き流しながらユキナリはポケギアを見やる。先ほど、ゲンジは自分にポイントを送ってくれた。それで何ポイント溜まったか確認する。

「……どうやら、博士に頼る必要もないみたいだ」

 ユキナリの声にナツキが疑問符を浮かべるように首を傾げると、ポケギアを翳した。

「40000ポイント。これだけあれば、僕らは問題なく旅を続けられる」

 ポケギアには43000ポイントが充填されていた。それを見てナツキが目を見開く。

「四万三千……」

「あのトレーナー、相当溜め込んどったって事やな。それもこれもオーキドを見込んだって事やろ。なんか、勝者の頂やらなんや言うとったけれどな。俺には半分も理解出来んかったが」

 自分には分かる。己の真の価値。それを見出すには勝者の頂に登るしかない。それこそ孤独を背負う覚悟で。

「あの人、ゲンジさんって言ったか。何で、あんないい人があいつらに」

 そこでハッと気づく。周囲を見渡し、「黒服は?」と声にした。ナツキもガンテツも首を横に振る。

「階段では、出会わなかったけれど……」

 ユキナリは舌打ちする。

「逃げられた……!」

 イブキの事やマサキ誘拐について聞けると思っていたのに。拳を握り締めていると、「オーキドが思い詰めるほどの事なんか?」とガンテツが尋ねる。

「ええ。あいつらに真っ先に聞かなければいけなかったのに」

 ゲンジとの勝負にうつつを抜かして本質を見誤ったのでは世話はない。後悔の念が押し寄せる中ユキナリはある事に気づいた。

「ガンちゃん。そういえば新型のモンスターボールって、もう一般に支給されているの?」

 ナツキがユキナリの言葉にむっとして口を差し挟む。

「ガンちゃんって何よ?」

「ああ、俺の呼び名」

 何でもないようにガンテツが答えるがナツキは、「そういう事を言っているんじゃなくって」とガンテツと睨み合いになった。

「何で親しげなのよ」

 ナツキの声を無視し、ガンテツは首を横に振る。

「まだ一般支給はされとらんはずや。持っているって言っても、そいつらはシルフの息がかかったような人間……」

 そこまで言ってからガンテツも気づいたらしい。ハッとして、「まさか……」と神妙な顔つきになった。ナツキだけが、「何よ?」と二人を交互に見やっている。ユキナリはその言葉の帰結する先を理解した。

「相手はシルフカンパニーだ」



オンドゥル大使 ( 2015/02/27(金) 20:53 )