第五十八話「男道」
「ユキナリ。入るわよ」
中から返事が聞こえなかったのでナツキは部屋の扉を開いた。すると、目に飛び込んできたのは道具箱を広げ何やら作業に集中しているガンテツの背中であった。
「何やっているんです?」
ナツキの声にようやくガンテツは気づいたようだ。「おお、嬢ちゃんか」とガンテツは応じる。ナツキは目に見えて嫌悪感を出した。
「嬢ちゃんっていうの、やめてください」
「オーキドならおらんぞ」
ガンテツは木の実らしきものをくりぬいて、細かい機械を内部に組み込んでいるらしい。基盤らしきものが見え隠れした。
「何作っているんです?」
思わず潜めた声になる。ガンテツは振り向かずに、「オーキドのボールや」と答えた。
「ユキナリの、ボール……?」
「オノンドを使いこなせるようにするのはあいつ自身の役目だが、俺はその手伝いをする事が出来る。これから先、未来永劫、あいつが困らんようなボールを作ってやりたい。それが俺の望みや」
ガンテツは全く視線を向ける事なく、ボール作りに専念している。ナツキは座り込んで、「そんなに集中するものなんですか?」と尋ねた。
「当たり前やろ。ボール作りは精密作業。邪念が入るといかん。嬢ちゃんにはご退場願おうか」
暗に出て行けと言っている声音に、「言われなくっても」とナツキは立ち上がりかけて一つ忠告した。
「そのオーキドって言うの、やめたほうがいいですよ」
「何でや?」
「ユキナリ、自分の家系嫌っていますから」
その言葉にガンテツの手が止まった。まずい事を言ったか、とナツキはとどまりかけたがガンテツが促した。
「話してみい」
ナツキは再び座り込んで、「ユキナリの家系は、一応名家なんです」と口火を切った。
「マサラタウンっていう町の最も誇れるトレーナー。オーキド・マサラ。この名前は、ご老人から子供まで、あの町の人ならみんな知っています。それほどまでに偉大なトレーナーだったみたいです」
「それと何の関係がある?」
ナツキは少しむっとして、「分かりませんか?」と苛立ちを露にした。
「祖先の栄光のせいで、ユキナリは無駄な期待を背負ってしまっていたんです。だから絵の道を選んでいたのに。あたしも出来る事ならば応援してあげたかったですけれど、あまりにウジウジしていたからカッとなって啖呵を切って……。今でも少し悔やんでいるんです。もし、あたしが言わなかったら、ユキナリはポケモンリーグに参加せずに済んだのかなって」
苦しみを背負う事もなかったのではないかと。ガンテツは、「しかし、オーキドは戦う男や」と応じた。
「運命と戦う、そういう眼をしとる。あの眼にさせたのは、嬢ちゃんちゃうんか?」
「あたしは、何も……」
二ヶ月ほど特訓を手伝っただけだ。何がユキナリに決心させたのか、それはまだ聞けていない。否、聞くのが怖いのだ。もし自分だった時、自分は他人の運命を捩じ曲げた事になる。
「しかし、あれは誰かに何かを言われた。だから決心した、そういう眼差しをしとる。真っ直ぐで、他の事は見えとらん。だからこそ、目先の問題に苦しんどるんやろうが」
ナツキはガンテツの物言いが癇に障った。どうして平静でいられるのだろう。
「だからオーキドって呼ぶのはやめてもらえますか。ユキナリも、言い出せないだけで嫌がっています」
「男が他人にどう呼ばれるかどうかぐらいで悩むかい」
ガンテツは窓の外に視線をやりながら、「それとは違う、きっと別の事や」と呟いた。
「別の事って。あたしとユキナリは幼馴染なんですよ?」
「だからって何でも言い合える仲ではあるまい? 違うか?」
その言葉に二の句を継げなくなる。アデクから告白された事をユキナリには伝えていない。自分の胸の中に仕舞っておこうとしている。
「……そりゃ、プライベートはありますけど」
「なら嬢ちゃんがいちいち気にしてやる事でもあるまいて。あいつも赤ん坊やないんやから」
ガンテツは再び作業へと戻ろうとしている。ナツキはその態度に苛立ちを募らせた。ただでさえユキナリは今デリケートなのだ。その状態を適当に済ませようとしている他人に言わずにはいられなかった。
「あんた、ユキナリの事何も分かっていないくせに、何知った風な顔で……!」
「だからと言って、嬢ちゃんの所有物ちゃうやろ? 俺はオーキドにしてやれる事を探して、これをやっとる。邪魔せんといてもらおうか」
半田ごてを取り出し、凝視しないと見えないような細かい部品を取り付けている。ナツキは、「だから呼ぶなって――」と怒声を飛ばそうとした。しかし、ガンテツがそれを制する。
「確かに事情をよく知らん俺が口出すのもどうかと思う。けどな、だからと言って嬢ちゃんが一方的にあいつの道を決めていいわけでもない。もう歩み出すと決めたんなら、男道に女子供が口出すもんやないて」
ガンテツの声にはただ単にユキナリを心配しているだけではない。自分の事も話している空気があった。
「そうか。家、か」
ガンテツはそう呟く。ナツキは、「家柄なんて、あんたには分からないでしょうけど」と口汚く罵った。
「……まぁ、その家の事はその家の人間しか分からん。どれだけ言葉を弄しても、それは結局安全圏からの物言いになってしまうやろう。だからこそ、分かってやる努力を惜しんではいかんのや」
まるでその努力を自分がしたかのような言い草だ。ナツキは、「ユキナリはどこへ」と単刀直入に訊いた。
「俺も分からん。シオンタウンのその辺と違うか? ヤドンがついているから迷子って事はないと思うで」
まるで自分とユキナリの事を分かりきったような口調に腹を立てながらナツキは廊下に出た。
「何よ、あいつ……」
立ち止まり、ナツキは小さくこぼす。
「……あたしだって、何か出来るのならしてやりたいわよ」
出来ないから、困っているのだ。イワヤマトンネルでもキクコの助力がなければ何も出来なかっただろう。もしかしたら自分はユキナリにとって邪魔者なのではないか。胸に湧いた疑念にナツキは首を横に振る。
「そんな事、考えちゃ駄目よ、ナツキ」
言い聞かせて前を向こうとすると、真正面に立っていた人影に気がついた。
「ナツキさん」
キクコがサイコソーダの缶を四つ抱えて今しがた出てきた部屋に向かおうとしていたらしい。キクコ自身には責はないのだがナツキはついきつい物言いになってしまう。
「何よ。ユキナリならいないわよ」
言い捨ててナツキは部屋を目指した。しかし、どうせキクコと相部屋なのだ。そうなると嫌でも顔を合わせる事になる。ナツキは宿を出て夜風に当たった。涼しい風の吹き付けるシオンタウンは一方で盆地のため湿度が高い。肌に張り付く熱気も感じ、手で扇いで風を通していると、「ねぇ」と声がかけられた。
振り返ると女性が立っており質問された。
「あなた、幽霊っていると思う?」
ナツキは怪訝そうに眉をひそめたが、「いるんじゃない?」と答えた。
「ポケモンがいるんだもの。いてもおかしくはないわ」
「そうよね」
女性はそう答えた。何なのだ、と煙たく感じていると一陣の風がポケモンタワーに向けて吹き抜けた。唐突な強風にナツキの視線はポケモンタワーへと向けられる。確か共同墓地だったか。
「ねぇ、さっきの質問……」
振り返ると先ほどの女性はいなかった。去っていってしまったのか。しかし、足音も聞こえなかった。
「ユキナリ……」
周囲を見渡すがその姿は見えない。ヤドンを連れているとのことだったがそれらしき人影はない。嫌な予感に駆られ、ナツキはポケモンタワーを振り仰いだ。
「まさかね。だとしてもただの共同墓地よ。危険はないわ」
そう言い聞かせるが、ユキナリだけで遠出する可能性は薄い。この時間からポケモンセンターに行くという事も考えられず、どうしてだかナツキの中にはポケモンタワーに行かねばならないという使命感が湧き立っていた。それと同時にポケモンタワーには何かがある。ただの共同墓地ではないと第六感が告げている。
「シオンタウンの象徴……」
ナツキはモンスターボールに手を添えてポケモンタワーへと足を踏み出していた。