第五十七話「一門の誇り」
チェックインそのものは何の問題もなく終わったが部屋分けで一悶着あった。
「申し訳ありませんが、今部屋数が足りておりませんので、相部屋、という事になりますが……」
宿泊施設の受付でそう言われナツキは、「つまり、何人で一部屋ですか?」と訊いた。汗っかきなのか、額をハンカチで拭いながら職員は告げる。
「はい、残り二部屋でして」
「ちょうどええやんか」
ガンテツの声にナツキがむっとして目を向ける。
「俺とこいつで一部屋。嬢ちゃんらで一部屋」
ユキナリは自分が指されて驚いたがそれよりもナツキの眼が恐ろしかった。じっとりとした目で睨みつけてくる。
「な、何もないよ」
「何も聞いてないわよ」
ため息を漏らし、ナツキは、「じゃあそれで」と受付に申し出た。鍵が手渡され、キクコとナツキで一部屋、自分とガンテツで一部屋となった。
ガンテツは部屋につくなり、「疲れたー」と全身を広げて寝そべった。ヤドンが窓を念力で開き、窓からぶら下がる。
「ヤドン、それ傑作やな」
ガンテツが笑うがユキナリはそれを認めるなり、慌ててヤドンを部屋の中へと戻そうとする。しかし、ヤドンはどうしてだか窓に張り付いて離れない。「無駄やぞ」とガンテツが寝たまま口にした。
「念力で張り付いているから取れん」
「どうにか、出来ないんですか。これじゃ、丸見えですよ」
「別にええやんか。見られて困るもんはない」
大らかなガンテツの言葉に、「いえ、僕は困るん、です!」とヤドンを無理やり引っぺがした。ヤドンが部屋に放り投げられて転がる。その行動さえもマイペースだ。
「おお、かわいそうにヤドン。俺のヤドンに何する?」
「部屋数が足りてないんですよ。ヤドンが窓から顔を出していたらどう思いますか?」
ガンテツは少しばかり考えた後に、「部屋を遊ばせている暇があれば使わせろ、と思うな」と至極当然な答えに達した。
「でしょう?」とユキナリは肩で息をつきながら額を拭った。
「疲れとるんやったら寝るとええ。明日の正午まで借りられるんやろ?」
「そうですけれど、ガンテツ、はどうして来る気になったんですか?」
「まぁ、俺も休みたいし。お前らが休むんなら俺だけ行くのも筋が通らんかな、って思って」
ガンテツは腰蓑を置いて、背中に担いでいた道具を立てかけた。どうやらガンテツ一人が乗ったところで壊れない代物らしい。
「何です? それ」
「これはぼんぐりとそれを加工する道具箱やな」
「ぼん、ぐり?」
聞いた事のない言葉にユキナリは小首を傾げる。
「何や、ぼんぐりも知らんのかいな。カントーのもんやろ?」
「ええ、でも田舎町の出身なんで」
「まぁ、今どき、ぼんぐりなんてジョウトでしか産出されん代物やけれどな。一昔前まではこれをモンスターボールの雛形にしていたんや」
ガンテツが取り出したのは木の実だった。黒や赤、白などあらゆる色が揃っている。まるでパレットだ、とユキナリは感じた。
「絵の具みたいに鮮やかですね」
「おっ、イけるクチやな。分かっとるやんけ。この色が重要なんや。色とそれから硬度」
ガンテツは黄色いぼんぐりを床の上で叩いた。すると残響するような不思議な調べが耳に届いた。
「何だか、不思議な感じですね。楽器みたいだ」
「あながち間違いでもないな。遠く、ホウエンでは似たようなのにビードロっていう工芸品がある。あれは火山灰から産出されるんや。これは天然の木の実から。まぁ、今となっちゃ生産数が限られるのも利権欲しさに色んな輩が土地買って栽培したからやから、取れる場所って言うとそうそう多くないけどな」
ガンテツは膝頭で赤いぼんぐりを叩く。すると渋い顔をした。
「こりゃいかんな。ぼんぐりの中が湿気ってしまっとる」
「湿るといけないんですか?」
「ぼんぐりからモンスターボールを作るのは精密作業や。ちょっとの温度差や指先の力加減の間違いでそれは上物にもごみくずにもなる」
ユキナリは改めて、ボール職人の本懐を見たような気がした。ぼんぐりを眺めるガンテツの眼は真剣そのものだったからだ。
「……羨ましいな」
「何がや?」
「そういう風に、自分の道が決まっているって言うのは」
「お前は玉座ちゃうんか?」
「どうなんでしょう。……僕も、ちょっと分からなくなってしまった」
「おいおい、そんなのでこれから先、旅出来るんかいな。まだシオンタウンやろ。それにお前、さっき見たら一番ポイント低かったやないか。嬢ちゃんらに負けてるとかカッコ悪いで」
ぐうの音も出ない。ユキナリが黙りこくっていると、「ああ、もう!」とガンテツはぼんぐりを置いてユキナリの目を真っ直ぐに見据えた。
「何があったんや。話してみい」
その言葉の意外さにユキナリが顔を上げるとガンテツは頬を掻いた。
「まぁ、なんや。俺も結構空気読めんからな。知らんところで傷つけているかもしれん」
どうやら気遣ってくれているらしい。不器用な優しさにユキナリは微笑んだ。
「いえ、ガンテツのせいじゃ」
「そういや、お前、名は? まだ聞いとらん」
「あ、ユキナリです。オーキド・ユキナリ」
「みんな、どう呼ぶんや?」
「えっと、ユキナリで呼ばれる事が多いです。オーキドで呼ぶ人は少ない」
「じゃあ、俺はそっちで呼ぶ」
虚をつかれた気分で見つめていると、「他人を覚えるのにはな」とガンテツは袴を叩いて佇まいを正す。
「あんまり呼ばれていない名前で呼ぶのが一番や。そいつの印象にも残るやろ?」
思わぬ言葉にユキナリは、「はぁ」と気圧された状態になった。ガンテツは、「俺の事も」と口にする。
「呼びにくかったら自分で呼び名作ってええ」
その言葉にユキナリは唇を指先で押し上げながら考える。ガンテツ、という名前から連想する愛称は……。
「ガンテツ君、いや、ガンテツさん……」
「だから、さんはいらんって」
突っ込まれ、ユキナリは苦笑する。
「じゃあ、ガンちゃんで」
提案した名前にガンテツが呆けたような顔をした。まずい、地雷を踏んだかと訂正しようとするとガンテツは笑った。
「ええやないか。ガンちゃん。そう呼ばれた事はないで。お互い、思い出に残る名前になりそうやな」
ガンテツはユキナリの肩を引き寄せる。ユキナリはすっかりガンテツのペースに呑まれている事に気づいた。
「えっと、ガンちゃん」
「うん。何や?」
何やら気恥ずかしいものを感じつつユキナリは口火を切った。自分の手持ち、オノンドが制御を離れた事。今もまた、繰り出せば制御不能になるという事を。話し終えてから、「馬鹿、ですよね……」と呟いた。
「こんなの、僕の、トレーナーとしての力量が足りないから――」
「それは違う」
遮って放たれた声にユキナリが目を向ける。ガンテツはもう一度、ゆっくりと首を横に振った。
「それは違うで、オーキド。ワイルド状態ってのは、どうしようもないんや。熟練のトレーナーでもなる。いわばスランプみたいなもん。俺も、ボール職人の端くれ。色んな話は聞く。でも、お前はそれを乗り越えるために、ここに来たんやろ?」
ガンテツの言葉にユキナリは首肯した。強くなるためにここに来た。
「なら、自分の行動にだけは自分できちんと責任を持てや。自分を裏切ってしまうのは他でもない、自分自身なんや。いつだってそうやで。俺も何度かボール職人の道の険しさに逃げ出したくなった事がある」
「ガンちゃんでも、ですか?」
ガンテツは薄く笑い、「俺かってガキや」と答える。
「ボール職人、殊にヒワダタウンのガンテツ一門と言えばな、そりゃ名門なんや。弟子志望が数十人は来る。でも、その中で実際に選ばれて教えを受けるのは十人そこら。その教えを受け継ぐのはたった一人や。たった一人だけがガンテツ≠フ名を冠する事を許される。俺は、無念に散っていった人々の分まで、招魂込めて作らなならん。至高の逸品を」
「至高の逸品?」
ユキナリが言葉の意味が分からずに問い返すと、「ガンテツ一門にはな」とガンテツが正座を組んで、ユキナリへと真正面から口にした。
「言い伝えられている伝説のボールがある。それは現在過去、未来さえも越えるモンスターボール。それを作れた時、ガンテツの名は永遠となる」
「ま、まさかぁ」
あまりに突飛な話にユキナリは冗談にしようとしたがガンテツは本気の眼差しだ。
「俺は、自分の代でそれを極めたい。本物のモンスターボールをな」
「今のモンスターボールは偽者だって言うんですか?」
「大量生産品か? あれはいかん。美しくない」
美醜からはかけ離れたような井出達をしているガンテツの口から放たれたものだとは思えなかったが、ガンテツは腰につけられたモンスターボールを見やった。
「だが悔しい事に、こいつを純粋な意味で打ち負かすボールもないんや。誰でも手軽に使える事と、ポケモンを捕獲するという意味だけならば、このボールでも充分に完成品やろうな」
ガンテツはまるで親の仇のようにヤドンのものであろうボールを見下ろした。実際、ボール作りを生業としているガンテツからは敗北の象徴に映るのだろう。
「ガンちゃんのボールでも、これは超えられないんですか?」
「ところどころ特化させる事は出来る。たとえば逃げ足の速いポケモンのためのボール、海や河辺に現れるポケモンのためのボール、あるいは中にいるポケモンの体力を回復させるボール」
ユキナリは素直に驚いていた。そのような事がモンスターボールに可能だと言うのか。ユキナリの視線を読んでガンテツは、「ぼんぐりならば可能や」と答えた。
「ぼんぐりと、ガンテツ一門の技術があれば、やけれどな」
薄く笑って見せるガンテツにユキナリは、「それだけ出来れば」と返した。
「相当ボールを作ってくれっていう人間もいるんでしょうね」
「ああ、俺はガキやから安売りしとるけれど、本当は気に入ったトレーナーにしか作ったらいかんのや」
だったら、ガンテツの行動は一門の思想に反した行いではないのか。「心配いらへん」とガンテツは首を振った。
「師匠には了承済み、もっとも、師匠は俺にポケモンを操る才能がないさかい、そっちで戦うしかないって諦めたみたいやけれどな」
ガンテツは困ったように後頭部を掻いた。ヤドンがぼんやりと呆けた顔をして四足で這い進む。ヤドンが自由に行動しているのもガンテツが操ろうとしていないからなのか。
「ガキやって事、充分に活かしとるってわけ。俺も大人になれば、一門の名を汚したらいかんさかい、相当慎重にならなあかんようになるやろうな」
子供だから、という免罪符を使っている事を自覚している様子だ。ある意味では性質が悪いだろうが、それに助けられる人もいるだろう。
「ガンちゃんのボールってどんなのがあるんです?」
「ああ、さっき洞窟内部で見せた奴とか」
すっと取り出して見せたのは黒光りするモンスターボールだ。「手に取っても……」と尋ねるとガンテツは頷く。
ユキナリはその重厚さに似合わずずっと軽いモンスターボールに驚愕した。普段トレーナーが使っているものよりも軽量な素材を使っているのか。ユキナリの持っているモンスターボールとは形状も異なる。射出ボタンらしきものが中央についており、そこから左右にラインが伸びていた。どうやらこのモンスターボール、開閉にさほど時間はかからないらしい。中央のボタンを見つめていると、「それを押すだけの簡単開閉!」とガンテツは口元に笑みを浮かべる。
「それがガンテツ一門の銘が入った特別製モンスターボールの共通点や。普通に考えても通常流通のモンスターボールの半分、いや、三倍は素早くポケモンを繰り出せる。戻すのも、そのボタン部分をポケモンに向けるだけ。そうすると、ポケモンのデータ変換機能を利用した一瞬の戻しが可能になる」
「そんなハイテクな技術……」
いつから、と続けようとした言葉を、「昔っからあるで」とガンテツは腕を組んだ。
「ただそれらがバラバラに点在しているから、一まとめにしようって言う発想がなかっただけのこっちゃ。アイデア一つで意外に世界ってのは大きく変わる」
ユキナリは黒いモンスターボールを隅から隅まで眺めた。「このボールは?」と用途を尋ねる。
「そいつはヘビーボール。重たいポケモンほど捕まえやすくなる」
指鉄砲を作ってガンテツが説明する。ユキナリは目を見開いた。
「こんなに軽いのに?」
「今はブランクやからな。ポケモンが入るとそれなりに重くなるで。ただし、内部のポケモンから発せられる電磁場、力場、重量、体臭、全てに至るまでシャットアウト出来る」
それほどまでに高性能なものが手の中に収まっていることが信じられなかったが、「お前、自分のモンスターボールでもそれは常に働いとるやん」と呆れたようにガンテツが声に出した。
「あ、そういえば……」
当たり前過ぎて気がつかなかったがいくらポケモンが重くともボールの重さは一定であるし、臭いもしなければ電磁波やあらゆるものが漏れてくる事もない。
「それ、五十年程前には信じられなかった事なんや。その辺りではまだガンテツ一門のボールぐらいでしかポケモンを捕まえる手段ってのはなかった」
「じゃあ、今僕達が使えているってのは」
疑問符を浮かべるとガンテツは、「……身内の恥ってのを喋るのは気が引けるが」と前置きした。
「八代目ガンテツがその技術を企業に売った。その結果、その企業は大当たり。今日のポケモン産業の基盤が出来上がったわけや。ただ八代目はその事で破門された。今ではその企業の重役に収まっとるさかい、ボール技術のノウハウは一般に知れ渡ったってわけやな」
「でも、それってジョウトカントーだけの話ですよね。ホウエンやシンオウ、果てはイッシュはどうやってポケモンを捕まえていたんですか?」
「古くにポケモンは魔獣と呼ばれていた。シンオウなんかでは特に顕著でポケモンを鎧で縛って使役していたらしい。つい最近まで、拘束具で捕縛するのが一般的やったみたいやで」
他地方の思わぬ歴史にユキナリは感心していた。それはガンテツの知識の深さにもあった。
「スクールでは習わなかったな」
「普通の学校じゃ習わんやろ。いらん知識や。普通に生きている分には大きな技術転換期があってその時からモンスターボールはこの形! それだけ知っておればええ」
ユキナリはオノンドの入ったモンスターボールを手に取る。だがそれは仮初めのボールだ。ガンテツは初めてそれに気づいたらしい。「それ、普通のとちゃうな」と声をかけてきた。
「やっぱり、一目で分かりますか」
「拘束用の奴や。何でそんな面倒なもんを、ってさっきの話の通りか」
オノンドの話を思い出し、ユキナリは覚えず肩を縮める。
「これって、やっぱり恥ずかしい事ですか……」
「出来れば俺が一発作ってやりたいところやが、こればっかりはしゃあないな。もし、俺が制御可能なボールを作ったとしても、オノンドがそれに合わへんかったら意味ないし。そうなってくると無理やりの制御ってのは、トレーナーとしては邪道やろ?」
ユキナリはこくりと頷く。出来る事ならばオノンドとの関係を元に戻したい。それが本音だった。
「しかしなぁ、オーキド。一応、それを可能にするボールってのはあるんや」
その言葉にユキナリは食いついた。
「あるんですか?」
「ああ。しかし、こいつは出来れば使って欲しくない、いや流通して欲しくないな」
ガンテツは道具箱から一枚の紙を取り出した。ユキナリにはそれが設計図に見えた。ガンテツに見せてもらったヘビーボールを簡略化したようなボールの図である。
「これは?」
「さっき八代目が企業に売ったって言うたやろ? その企業が、これからは世界シェア独占を目指すっうんで、俺の師匠に打診したモンスターボールの設計図や。次世代型モンスターボール。世界初の実用型、誰でも使えるという利便性を打ち出した新製品。最初のモンスターボールとしてこれをタイプ零式として売り出すそうや」
「零式……」
ユキナリは片隅にその名が刻まれた設計図を眺めた。
「それにはガンテツ一門の技術の粋が詰まっとる」
「と、言うと?」
「まず、特殊な技術、あるいは機構を必要とせん、全く新しく、なおかつユーザビリティを考慮したインターフェイスがどうたらこうたら説明されたが、結局のところ、簡単に言えばどのようなポケモンでも、このモンスターボールをもってすればワイルド状態にはならん、って事や」
その言葉に鼓動が脈打った。もし、このボールがあれば。そう感じてしまう自分の小ささを実感しつつ、「これは」と口に出した。
「もう完成しているんですか?」
「みたいやで。本社はこのポケモンリーグ後半での発売を目処にしているらしいけれど、行ったら試用期間としてただで配布するそうや。一般流通は二百円、って事でお手軽感も出したいらしい」
「でも、そんな大仰な事、どんな企業が……」
「隅っこのほう、サインがしてあるやろ」
ガンテツが指差した隅を見やるとそこには「SILPH」のサインがあった。
「シルフ……」
「そう。シルフカンパニー。あそこが一枚噛んでいる」
確かポケモンリーグのスポンサーとしても有名である。ポケモン企業の一つでしかなかったがそれほどまでの大プロジェクトを組んでいるというのか。
「って、これ一般人の僕に言っていいんですか?」
その段になって気づいたユキナリが声を上げると、「ああ、まだ極秘やったな」とガンテツは白々しい。
「すまん。忘れてくれ」
額をぺしんと叩き、舌を出して茶目っ気を出すガンテツだったが、ユキナリには他人事とは思えなかった。ワイルド状態を無効化するボールとなれば喉から手が出るほど欲しい。
「……シルフカンパニーに行けば、もらえるんですよね」
「おいおいおい」とガンテツは止めに入る。
「あんまり期待するんと違うぞ? これはワイルド状態を治す特効薬なんかじゃないんやからな」
「と、言いますと」
「これはいわば今までよりもずっと強力な催眠電波でポケモンを隷属させるって事や」
催眠電波、という厳しい言葉にユキナリは身体を強張らせる。しかし当のガンテツは、「ポケモンはポケモン、人間は人間」と口にする。
「別の種族を従えるのに、信頼なんか生易しいもんだけじゃあり得ないって事くらいは分かるよな? 今のモンスターボールだって、微弱やが催眠電波を出しとる。新型は、それの数十倍と言われておる」
「数十倍……」
ユキナリにははかり知れなかったが、ガンテツは頭を振った。
「これがどれだけポケモンに影響をもたらすかは分からん。でもある有識者の言葉によると、ポケモンがこのボールに入れば確実に今よりも弱くなると断言されている」
「弱くなる……」
その言葉は意外だった。制御出来て強くなるならばまだしも。ガンテツは設計図を指差し、「この機構が」と説明し出した。
「ポケモンの脳波に働きかけて野生状態から捕獲状態、つまり手持ちへと移行させる。その段階は今まで色んな手順を踏んできたけれど、それらのステップを全て吹っ飛ばして、すぐにその関係へと持ってくる。一種の洗脳とも言えなくもない」
ガンテツの説明する専門用語は分からなかったが「洗脳」という一語だけが突き刺さった。
「そんな……。そんなのトレーナーとポケモンの関係じゃない」
「でもな、そうでもせんと言う事を聞かんポケモンのおんのや」
その言葉に無条件にオノンドが思い起こされる。それを感知したのか、ガンテツの口調には暗いものが宿っていた。
「理想の関係、ってもんがある。トレーナーとポケモンにはな。俺はそれに近づきたくってボールを作っとるし、お前らはそれを極めるためにトレーナーやっとる。でもな、いつだって技術が奪っていくもんはそういう気持ちや感情の部分や。感情を捨て去り、冷徹にポケモンと人間との関係を俯瞰すれば、これほど出来たシステムはない」
ガンテツの言葉にそれでも、とユキナリは返したかった。しかし、喉の奥で声が詰まって出ない。これを否定する材料を自分とポケモンは持っていない。
「それでも」と声を発したのはガンテツのほうだった。彼は設計図を真っ直ぐに見据え、「このやり方、俺は好かん」と断言した。
「感情だの、感傷だのは甘いって言う奴もおる。そりゃあ、伝説のポケモンや幻のポケモンを従えるのに、今のボールじゃ力不足ってのも充分に分かっとるつもりや。作り手やさかいの。でもな、それでも割り切れん情ってのはあるんや。そこにこそ、人間、ひいてはポケモンの理想ってもんがあるんやないか。俺はそう思っとる」
ガンテツは自身の思いの丈をぶつけたのだと分かった。新型のボール、それが生み出す価値と効果は歴然としたものがあるのだろう。しかし、それでも理想の関係とは、そのような力づくではない場所にあるのだとガンテツは言っているのだ。ユキナリは、「ですね」と答えていた。
「僕達みたいな若い人間が諦めていちゃいけない」
ユキナリの発した言葉にガンテツは薄く笑った。
「お前、分かっとるやないか」
「僕は」とユキナリはモンスターボールを見下ろす。オノンドにこの思いは伝わらないのかもしれない。それでも、やる価値はある。
「僕の理想を貫き通したい。それが茨の道であっても」
「よっしゃ!」とガンテツは腕まくりをした。何をするのかと思えばぼんぐりを一つ取り出し、「お前のボール作ったる!」と豪語した。
「え、でも職人さんは認めたトレーナーにしか」
「お前を認めた! それでええやろ」
ガンテツは道具箱を引っくり返した。すると、道具箱が展開され、様々な工具が視界に入る。
「今、作っとる新作があるんや。それにお前のオノンドを入れる」
ガンテツはユキナリへと目配せをした。それが覚悟を問いかけるものであった事は、ユキナリでも分かった。
「正直、百パーセントうまくいくわけやない。このボールも、結局欠陥品に終わるかもしれん。それでも、賭けてくれるか?」
自分の夢に。そう無言で問いかけたガンテツへとユキナリは頷いた。
「作っていただけるのなら、是非。僕もガンちゃんのボールなら納得してオノンドを任せられる」
照れ隠しに微笑むとガンテツは、「そうと決まったら作るで!」と道具箱の中央に取り付けてある作りかけのボールへと作業の手を伸ばした。
「悪いが二、三時間は最低でもかかる。その間、外にいてくれんか? 集中出来んと辛くってな」
ガンテツの言葉にユキナリは、「ええ」と外に出た。すると、ヤドンがユキナリへとついてくる。
「どうやらヤドンはお前の見張りにつきたいらしいな」
小さな見張り番であるヤドンは呑気な鳴き声を上げる。「それでも結構強い」とガンテツは付け加えた。
「危なくなった時は容赦なく使ってくれよ」
サムズアップを寄越してガンテツは作業に没頭し始めた。ユキナリは微笑んで部屋の外に出る。果たしてヤドンを使う事はあるだろうか。もしもの時に、とヤドンを見やるが何か使えそうなポケモンとは思えない。
「道中、仕方なくって感じか……」
頼りにはなりそうにもない。廊下に留まっていてもナツキ達に見咎められると気まずいので宿から出る事にした。既に夜の帳が落ち、夜風がそよいでいる。
「涼しいな、ヤドン」
声をかけるとヤドンは鳴き返した。どうやら素直な性格らしい。
ユキナリはシオンタウンを象徴する尖塔であるポケモンタワーを視界に入れた。改めて夜に見ると独特の雰囲気をかもし出している。
「でかいな……」
昼に見た時にはそうは思わなかったが、夜のポケモンタワーは巨大に映った。歩み寄ってみるとその大きさがよく分かる。
「これが共同墓地か……」
それにしては煉瓦造りのよく出来た塔である。ちょうど散歩でもしていたのか、住民らしき女性を呼び止めた。
「このポケモンタワー、入場は自由なんですか?」
「ええ、そうですよ」
女性はそう応じてから、「ねぇ」と声をかけた。
「幽霊っていると思う?」
奇妙な質問には違いなかったが、ユキナリは、「いないんじゃないですかねぇ」と答える。女性は、「そうよね」と笑った。
「あなたの肩に白い手が置かれているなんて、きっと何かの間違いよね」
その言葉を聞きつけたユキナリが振り返ると、既に女性はいなかった。薄ら寒いものを覚えつつ、ユキナリはポケモンタワーを仰ぐ。
夜の闇に沈んだ尖塔は、静かに風に身を佇ませている。
「幽霊がいる、っていうのか」
馬鹿馬鹿しい、と一笑に付すことも出来ず、ユキナリは中途半端な気持ちのまま、足を踏み入れた。