第五十四話「恋心輝きながら」
「で、何です? アデクさんにあたし、失礼でもしましたっけ?」
自分がアデクにした事と言えば邪険な態度を取ったくらいしか思い浮かばない。恨み口を言われるのだと思っていたナツキは、「そうじゃない」と微笑んだアデクに毒気を抜かれた気分だった。
「そう他人行儀なるものでもない。オレとユキナリはもう戦友なんじゃからのう」
「そりゃ、あなたとユキナリはそうでしょうけれど、あたしなんて」
「お前さんがいなければ発電所を抜ける事も出来んかったじゃろう」
そこでナツキは、アデクが発電所にてストライクで抱え出した事を言っているのだと気づいた。
「助かった。礼を言う」
何のてらいもない言葉にナツキは、「大した事をしたわけじゃないですよ」と視線を逸らした。何か、ユキナリとは別種の、男の幼馴染ではない、初めて男の子というものに触れたかのような初々しさが胸の中で募っていく。
「オレは、この先旅が出来るか分からん」
アデクの弱気な言葉にナツキは、「でも先生は何でもないって」と呟いていた。
「そうではない。オレだって自分の身体の状態くらいは分かる。お前さん達についていくのはちょっと厳しくなった、というだけ」
つまり旅に同行出来ないという事なのか。今までアデクを邪険に扱ってきた分、それは何だか悪いような気がした。
「回復には少しばかり時間がかかりそうじゃ。まぁ、自分のペースで旅をする事にするわい。お前さん達はオレの事は気にせず進め。それが一番いい」
ナツキはアデクが自分達を気遣っている事に、「意外ですね」と声を発していた。
「意外とな?」
「アデクさんってもっと気丈夫な方だと思っていました」
その言葉にアデクは薄く笑って首を横に振る。
「オレだって人間じゃ。病気や怪我になれば弱気にもなる。何か、不倶戴天かだと思い込んでいたのと違うか?」
「ええ、少し」とナツキは微笑んだ。アデクは、「ちょっと話がしたかったんじゃ」と口にする。
「あたしよりユキナリに話せばよかったんじゃ?」
「いや、お前さんやないといかん事やし。ここで逃すと、多分次はないと思ってのう」
何だろう。ユキナリや自分達に対するアドバイスだろうか。アデクは今まで見守ってきてくれた分、自分達の旅に対して口出しするくらいの権利はあるのだろう。
そう考えていたナツキへと放たれたのは意外な言葉だった。
「ナツキ、というたな。オレ、お前さんが好きみたいや」
何を言われたのか一瞬分からず、ぽかんとしてしまった。アデクは太陽の鬣のような頭を掻いて、「こんな事、ユキナリのいないところで言うのは反則かもしれんけど」と呟く。
その段になって、言葉の意味を咀嚼したナツキは顔面がかぁっと熱を帯びていくのを感じた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「待たんぞ。オレはお前さんが好き。これは譲れん」
「だから、何で!」
意味が分からない。どうしてアデクが自分のような人間の事が好きなのか。戸惑っていると、「ハナダジムの戦い、見事やった」とアデクが賞賛した。
「それで……、いや、そうやないな。オレは、一目見た時から、お前さんが好きになってしまった。それだけの事」
自分でも言葉を弄している自覚はあったのか、アデクは直球を投げてくる。対するナツキはその言葉にどうしようもなかった。不意打ち気味の好意はナツキには処理出来ない。
「何で……、アデクさんならいくらでも女の子が寄ってくるでしょう?」
どうして自分なんかに。その念に、アデクは腕を組んで、「自分をけなすものじゃない」と説教じみた声を出した。
「お前さんは充分に魅力的や。オレが保障する」
「そんな事、急に言われても……」
「別に夫婦にならんか、と言っているわけじゃないだろう。ただ純粋に、オレはお前さんが好き。それだけの話や」
しかし、ナツキはその好意をどう受け止めていいのか分からなかった。初めて男の子から好きと言ってもらえても、何をどうすればいいのか、見当もつかない。
「だから、この旅を終えた時、答えを出して欲しい。オレか、ユキナリか。別の男でもいい。ただ、忘れないで欲しい。オレがお前さんの事を好きなのはな」
アデクは嘘や冗談を言っている風ではない。本気で自分の事を好きなのだと言っているのだ。ナツキは何度か口を開こうとして、どれも自分の気持ちを言い当てていない言葉を発した。
「あ、でも、あたし、そういうの、分からなくって。でも、好きというのも、その、分からないわけじゃなくって。あ、だからってアデクさんの気持ちが分からないわけでもなくって」
「答えは急がん」
アデクは物腰柔らかに口にする。
「ハナダシティを離れたら、最低でも三日は差がつく。その間にお前さん達がどこまで行くか分からんからな。今言っておかなければ一生後悔すると思った。それだけや」
アデクは隠し立てをする気配もない。そう好きと何度も連呼されればナツキは羞恥の念がカァッと沸き上がってくるのを感じ取った。
「……その、今は答えられない、です」
ようやくその言葉を発した時、アデクは、「知っとる」と窓の外を眺めながら口にした。
「胸の内に留めておいてくれ。それで度々思い出してくれると助かる」
アデクの顔が自分に振り向けられ、ナツキはその精悍な顔つきを呆けたように見つめた。
今まで生きてきて、初めて男の子の顔を真正面から見たような気がしたのだ。
「何かついとるか?」
その様子を怪訝そうにアデクが眺める。ナツキは、「い、いえ!」と慌てて手を振った。
「そういう事、言われるの慣れていなくって……。スクールでも男勝りって思われていたし」
「別にお前さんの事を絶世の美女やとか、芸術品みたいだとか、絵画の中の少女のようだとか言っているようではあるまい? どうしてそんなに照れる?」
アデクの言葉にナツキは少しむくれた。そのたとえはあまりにも酷かったからだ。
「……何だかどきどきしたのが馬鹿みたいじゃないですか」
「ああ、分かった分かった。今のはナシ。訂正する。オレの中では、お前さんは絵画の中の少女だとかよりも価値は上や。かけがえのない人だと、オレは思える」
「……だから、何でそう恥ずかしげもなく……」
ナツキが困惑していると、「どうして恥ずかしがる必要がある?」とアデクは首をひねった。
「好きな女に、好きだと言うだけやぞ? こんな当たり前の事恥ずかしがっていて何が王じゃ」
アデクの言葉にナツキのほうが恥ずかしくなってくる。誰かに聞かれていないか周囲を見渡した。
「けれど分かっておる。すぐには答えられんってのはな。ユキナリの事やろ」
全てお見通しというわけか。それを分かっていてもアデクは自分の気持ちをきちんと伝えたのだ。まさしく男の鑑だった。
「あいつは、今少し迷っておるな」
「分かるんですか」
アデクはそういう事には無頓着だと思い込んでいた。少しだけ口元を緩めて、「オレの怪我にも責任を感じているみたいやし」と言葉を続けた。
「そんな必要はないのに。あいつはいつでも多くを背負い込もうとする」
「同感ですね。ユキナリは、自分が思っているよりもずっと強いんだって、分かってくれればいいんですけど」
「おっ、やっぱり気が合うな」
発せられた声に、「正直な事を言っただけです」とナツキは思わず顔を背けた。
「オレも、あいつは少し自分の事を軽く見過ぎだと思っておる。強い弱いではなく、自分を大切に出来ん奴はどこにも行けん。それは、オレが見てきたトレーナーの中でも言える事や」
アデクの口調には歴戦の兵を思わせる苦悩が滲んでいた。彼とて優勝候補。伊達におだてられていたわけではない。
「強い弱いに振り回されて、それで大局が窺えんようでは三流よ。問題なのは、志をずっと保てるかどうか。王になると言うのならばそれを。強くなると言うのならばそれを。どこまで自分に正直に、言い方が悪ければわがままになれるか、っていう事やな」
「アデクさんは、ユキナリにはその可能性があると感じられているんですよね?」
「おお。だからこそ、お前さんを渡したくないんや。強者の頂に行ける可能性のある奴に、好いた女子を攫われたくないのは当然やろ?」
「……だから、そんな事を臆面もなく言うのは」
ナツキは赤面した。対してアデクは破顔一笑する。
「オレはあいつと共に行きたい。強さの極みへとな」
「でも、次にどこへ行けばいいのか、あたし達にも分からなくって」
「そうさなぁ」とアデクは顎に手を添えて考える真似をしてから、「シオンタウン、なんてどうや?」と提案した。
「シオンタウン、ってイワヤマトンネルを抜けたところの町ですよね」
小規模な町で確かポケモンタワーと呼ばれるポケモンの共同墓地があるはずだ。どうしてそのような場所に、という無言の問いかけにアデクは応じた。
「ポケモンと自分との関係性をもう一度見直したいのならば、それは生と死から見直す必要がある。イッシュにはタワーオブヘブンという場所があってな。そこがカントーのポケモンタワーに近い、鎮魂の場所なんじゃが、そういう場所にオレもよく訪れた」
「何のために?」
ナツキの疑問に、「決まっておる」とアデクは答える。
「生きている自分のありがたみが分からなければ、人はどこにも進めん。それはポケモンとて同じ事」
アデクのアドバイスを正直に受けるべきか悩んだが、自分達が次に向かうのならばどこか目的地があったほうがいい。ナツキは素直に礼を言った。
「ありがとうございます。これで、あたし達は旅を続けられる」
「礼には及ばん。ただイワヤマトンネルは過酷やと聞く。少しばかり用心せい」
アデクはどうして自分達に対してここまでよくしてくれるのだろう。先ほどの告白の事を思い返し、ナツキはそれだけではないはずだと感じた。アデクは自分一人が好きだからという理由なんかで道を示してくれる事はない。それは今までの態度を見ていれば分かる。
「どうして、ここまで……?」
「なに、お前さん達が旅の最後に何を得るのか。それにちょっとした興味があるだけじゃ。他意はない」
アデクは打算も何もない笑みを浮かべる。ナツキは告白を保留にした事も含め、どういう顔をしたらいいのか分からなかったので曖昧に笑んだ。