第四十六話「邂逅の刻」
次に目指すべき場所はヤマブキシティだと感じていたが、シロナはその前に連絡を何者かから受け取っていた。ポケギアに声を吹き込んでいる。ヤナギは早朝にポケモンセンターでウリムーを受け取ったのですぐにでも出立したかったがシロナの対応する声音は深刻だった。
「……それで、マサキは捕まったわけ。どの手の者かは分かる?」
胡乱そうな言葉が飛び交う中、カミツレはヤナギへと話しかけた。
「私が組織で何をするのか、結局何も決まってないんだけれど、あなたも?」
「俺は組織に属した覚えはない」
利用されるよりもしてやる、という気概にカミツレは心底感心した様子だった。
「やるわね。そういう前向きな考えは好きよ」
「組織に属する事が全てではないという事だ。そういえば、あんたはイッシュのトレーナーだったな。向こうとこっちはやはり違うか?」
「まぁね」とカミツレは遠くに視線を投げた。
「イッシュは建国神話があるから、結構みんな信仰心みたいなものが強い。それとポケモンへの畏怖の念もね。リュウラセンの塔っていうのがあって、そこに建国神話のポケモンが眠っているとされている」
「シロナから聞いたが、イッシュの建国神話は理想と真実を体現する二体の龍のポケモンらしいな」
「元々は一つだったって説もあるけどね。なに、興味があるの?」
「まさか。俺はあいつみたいな考古学者じゃない。ただ、あんたのような人間からしてみれば、このカントーはどう映るのか気になっただけだ」
神話や伝説の存在しない地方。カミツレは唇を指で押し上げながら、「そんなに大層な事を考えた覚えはないけれど」と前置きする。
「確かに奇妙だな、とは思ったわ。私は職業柄多国籍に色んな地方を回る事があるんだけれど、大体の場所に民族性というか、固定された考え方ってものがあるのよ。でもこのカントーにはそれがない。どちらかと言えばイッシュに近い」
「イッシュに?」
仮想敵国に近いというのは意外だった。カミツレは黒髪をかき上げて、「イッシュはね」と説明する。
「色んな地方の人間が住んでいる。そりゃ、もちろん先住民族なんかもいるけれど基本的に元々イッシュで住んでいた人間って言うと限られてくるのよ。ほとんどがカロスからの流入だったりするし。カロス地方のある宮殿ではゼクロムとレシラムの彫像があるらしいわ」
その名前の意味するところが最初分からなかったが、恐らくは伝説のポケモンだろうと推測する。
「黒と白、お互いに相反する二体の龍が大きな庭で向かい合っているという。私もファッションショーの関係で訪れた事があるけれど、大したものよ。それを一人の人間が買い占めたって言うんだから世界は何が起こるか分からないわね」
カミツレは実際に世界を回った感想を述べているのだろう。その言葉には自然と説得力が宿っていた。
「カントーがイッシュに近い、か。お役人が聞けばたまげるような言葉だな」
「建国神話のない、人工的なイッシュ地方、って言うのが妥当ね。まぁそうなるとほとんど別物だけれど」
「ハイリンクというものがあるんじゃなかったか?」
「よく知っているのね」
シロナからの又聞きだったが一々説明するのも面倒なので、「まぁな」と答える。
「そうよ。ハイリンク、それを中心にしてイッシュ地方は形作られたと言われている。でも未だにハイリンクに関して何か明確な事を発言出来る人間はいない。そもそも明言化の難しいものよ」
「俺は別にハイリンクというものに対して学術的な事が知りたいわけじゃない」
ヤナギの言葉にカミツレは、「じゃあ何?」と訊いた。
「あんたの感想だ。それを知りたい」
カミツレは中空に視線を投じながら、「難しい事を聞くのね」と口にした。
「感想、というとハイリンクというものを常に感じているのかになるのかしら。確かにイッシュの中心地に位置するわけだから重要拠点だという事ぐらいは分かる。でも、それ以上は全くの不明。正直な話、私の拠点はライモンシティだから関係ないわね。時々そういう手合いと出会う事もあるけれど、私はその辺に関してはちんぷんかんぷんよ」
肩を竦めるカミツレに一瞥をくれながらヤナギは考える。ならばカントーとは何か。伝説も神話も、重要拠点もない場所。そのような土地が存在する事自体が不思議そのものである。カミツレの話を聞いた時点では未だに確証は得られない。シロナの仮説も仮説でしかない。実証する術はないのか、と感じているとシロナは通話を切ってヤナギ達へと振り返った。
「困った事になったわ」
シロナの顔には焦燥が浮かんでいる。どうやら本当に緊急事態のようだとヤナギは察した。
「何かあったのか?」
「マサキが拉致された」
その言葉に驚愕を浮かべる。しかしそれと同時に、ヤナギはある疑念を抱いた。どうしてそのような一報が入ってくるのか。
「あんたら、そのマサキとやらを張っていたのか?」
シロナは首を横に振る。
「マサキは構成メンバーよ。ハナダシティの北方の別荘にいたところ、黒服の集団に連行されたみたい。強攻策を取ったって。中には優勝候補のドラゴン使い、イブキの姿もあったって報告に上がったけれど」
イブキの名前のほうがヤナギにとっては驚きだった。まさか優勝候補の名をこのような形で耳にするとは思ってもみなかったからだ。
「どうしてイブキのような人間がマサキ誘拐に関わる? あんたらの言う彼らとやらが既に一手を打っていたという事なのか?」
シロナは額に手をやって、「彼らかどうかは分からない」と答えた。
「どうにもその集団のやり口は今までのようなジムリーダー殺しとは一線を画している気がする」
カミツレはつい昨日までその事実を知らなかった人間として発言する。
「シロナさん、ジムリーダー殺しはどのような手口で?」
シロナは逡巡の間を浮かべた。恐らく言うべきか否か迷っているのだろう。ヤナギは言うべきだという視線を送った。既に第三者ではない。
「体温の急激な変動によるショック死。それと何らかの力によるやく殺」
「体温の急激な変化……」
カミツレは推論に行き着いたのだろう。ヤナギは隠す事はないと感じて応える。
「だから氷タイプ使いの俺が第一容疑者に挙がっていた」
「でも、違った。だから行動を共にしている」
シロナの説明にカミツレは得心がいったのか、「なるほどね」と口にした。
「優勝候補がどうして少年と動いているのかがようやく理解出来たわ。監視、の意味もあるのよね」
どうやらカミツレは馬鹿ではないらしい。シロナは、「そうね」と簡素に応ずる。
「もっとも、監視してぼろが出る人間かどうかは別だけれど」
暗にまだ疑念は解けていないという言葉だったがヤナギはそれを額面通り受け取る事もないと考えていた。シロナは自分に話せるだけ話している。既に当事者だろう。
「しかし、マサキを誘拐して何のつもりだ? その研究に興味があるにしろ強硬手段が過ぎる」
目立たないやり方がいくらでもありそうものだ。シロナは顎に手をやって、「恐らくは」と推論を口にする。
「相手方も急いでいた、と考えるべきでしょうね。マサキの身柄をこのポケモンリーグ中に確保する。それこそが重大な一事だった」
「今でなくては駄目な理由があるのか? ポケモンリーグは、いわば国を挙げた一大事業だ。そんな最中に一研究者の誘拐事件は公にならないとでも踏んだのか?」
「どこが関わっているのか全く分からない。でも彼らでない事は確かよ」
「どうして言い切れる?」
「彼らなら技術だけ吸い出して殺しているわ」
冷酷なその言葉にも自然と納得が出来た。シロナの話に出てくる彼らは目的のためならば手段を選ばない印象があるからだ。
「しかし、再現が不可能ならばオリジナルの頭脳が必要になる」
「再現の不可能な新技術なんて技術としては未熟もいいところよ。いい? 技術というのは再現が誰でも可能だからこそ技術として躍進出来るの。マサキの技術は、それこそオープンソースとして共有されるべきものだったわ」
シロナの口ぶりからマサキの重要研究はどうやら組織内部では知れ渡っていたようだ。ヤナギはひとつの可能性を示唆する。
「こうは考えられないか? マサキ自身の自作自演。誘拐されたという既成事実があれば、自分の技術を自分の名前で独占出来る」
「それこそ、ナンセンスよ。だって組織はマサキの名を歴史に刻む事を約束していた」
シロナの抗弁に、「それこそが、マサキが窮屈だと感じていた原因だとしたらどうだ?」と返す。どうやらシロナにはピンと来ていないようで小首を傾げた。
「マサキは、偉人よりも金に目の眩んだ人間だった、というだけの話ね」
割り込んできたカミツレの声にシロナはようやく理解が追いついたようだった。カミツレは浮世離れしているようで意外と世の中を見据えている。
「でも、そんな。組織の力添えなしにあの技術を独占出来る場所なんて」
「探せばあるだろう。叩けば埃の出る企業なんて山ほどあるはずだ。問題なのは、あんたらが盲目的に信じ込んでいるデボンとやらも危ういんじゃないかって話だ」
ヤナギの言葉に、「デボンが……」とシロナは考え込んだ。全く疑問の挟む余地のない話ではないようで、もしかしたらという感覚もあったのだろう。ヤナギは、「犯人探しをするのは組織に任せればいい」と口に出す。
「俺達はジムリーダー殺しの方面だろう。研究者一人の誘拐に随分と人間を出払ったようだから足もつくはずだ。そっちは組織とやらの手腕を期待しようじゃないか」
シロナはヤナギの言葉にひとまずは頷いた。カミツレも目を向け、「これからどうするの?」と尋ねる。理想ではこれからヤマブキシティに向かうつもりだったがシロナに意見を仰がないわけにはいかなかった。
「組織から、今朝早くに伝令を受け取っているわ」
シロナはポケギアを示した。ヤナギは、「伝令……?」と首を傾げる。
「何だって言うんだ?」
「このカントーには伝説、神話の類はない、と説明したわよね」
今さらの言葉にヤナギは、「だから?」と問い返した。
「表立った伝説や神話はないけれど、伝説級のポケモンならば存在する。その波長を、昨夜遅くにカントーの発令所が受け取った」
ヤナギには話が見えなかった。シロナは自分で言った事を自分で否定しているようにも思える。
「意味がよく」
「最後まで聞いて。このカントーには確認されているだけで三体の強力なポケモンがいる。他の地方のデータとすり合わせて恐らくは伝説クラスのポケモンである事が確認された」
「その伝説のポケモンが、何だって言うんだ?」
当然の疑問にシロナは、「彼らをいぶり出す手段として」と一つ指を立てた。
「伝説のポケモンを持っていれば向こうから接触してくる可能性も高い。だから、あたし達は先回りしてでもそのポケモン三体を捕獲せねばならない」
ヤナギは眉をひそめた。
「捕獲だと? ポケモンリーグの規則で戦闘に使用するポケモンは個体識別番号を振ったポケモンでなければならないと決められている」
「その規則には抜け道もあるわ。手持ちのポケモンが深刻な戦闘不能に陥った場合、トレーナーは新たなポケモンを補充する事が許される、と」
ルールにあった想定外の場合の規則を呼び起こし、ヤナギは、「だが誰が戦闘不能だって言うんだ」と視線を交わし合った。シロナはカミツレへと目線を向け、「カミツレさん」と呼びかける。
「あなたがこのルールを適応して欲しい」
カミツレは当然、その言葉に目を瞠った。
「でも、私のポケモンはまだ戦闘不能じゃ――」
「組織の力ならばその辺りは誤魔化せるわ。ヤナギ君にその気はないし、あたしも今ミロカロスを手離すのはまずい。でもジムリーダーからトレーナーとして再出発しようとしているあなたなら、まず不自然じゃない。ゼブライカは深刻な傷を負った事にして、組織に預けておけばいい」
カミツレは逡巡の間を浮かべたが、シロナは詰め寄る。「あなたにしか出来ないのよ」と。
「私だけ……」
ずるい言い回しだ、とヤナギは感じていた。敗北を突きつけられた翌日にこのような交渉材料に使われるとは。しかし、ヤナギには懸念事項もあった。
「そのポケモンがあまりに専門分野からかけ離れている場合、ジムリーダーであるカミツレが扱うには不利だ」
「大丈夫よ」とシロナは応じる。どこからその自信が湧いてくるのか分からず、ヤナギは、「どうして言い切れる?」と尋ねた。
「だって、確認されたそれは電気タイプのポケモンだから」
だからこそ、電気タイプの専門家であるカミツレへと捕獲のチャンスを預けようというのか。
「どうする? もし失敗してもゼブライカはきちんと戻ってくるわ。成功したらその伝説クラスを使ってもらう事になるけれど」
分の悪い交渉ではない、とヤナギは冷静に感じていた。成功すれば伝説クラスを手に入れられる。失敗しても手持ちは失われない。それどころか組織に属する事を決めたのだからそうそうリタイヤする事もないだろう。
カミツレは考え込んだ後に、「やってみるわ」と答えた。シロナは、「お願いしていいのね」と確認の声を出す。今さらだろうとヤナギは次を促した。
「で? その伝説クラスはどこにいる?」
「ハナダシティ周辺で確認されたとの連絡がある。でもどこにいるのかまでは……」
その言葉をポケギアの着信音が遮った。シロナはすぐさま出て声を吹き込む。
「谷間の発電所で事故? ええ、分かったすぐに向かうわ」
シロナは振り返って、「場所が分かったわ」と口にする。
「ハナダシティ東部、谷間の無人発電所。そこで事故があった。停電騒ぎよ」
その言葉にヤナギはテレビを点けようとしたが全く反応しない事に気づいた。電気も点けようとしたが無理である。
「このクチバシティにも及んでいる。発電所の復旧と伝説のポケモンの捕獲。それを同時に行うわ」
出来るわね、と問いかける眼差しにヤナギは、「無論だ」と返す。
「さっさと事態を収束させよう。次のジムバッジを取るためにな」