第四十五話「無人発電所へ」
「そう、そんな事が。にわかには信じられないわね……」
ハナダシティに帰ってきたユキナリはカスミへと事情を説明した。イブキの事を隠そうとも考えたがそのような浅はかな考えが通用するとも思えず、包み隠さずユキナリは事の次第を伝える。カスミは水着姿ではなく黒いスーツ姿で今しがた役所へとジムリーダーの敗戦届けを出してきたばかりなのだと言う。これからはようやく一人のトレーナーになれるようで、既に着替えは用意しているそうだったがその予定はユキナリ達の持ってきた意想外の報告で潰された事になる。カスミは顎に手を添えながら、「何者かしら?」と疑問を浮かべた。
「その、優勝候補のイブキがいたのよね?」
ユキナリは頷く。自分の中で渦巻いている疑念に頭を振った。
「どうしてなんだ……、イブキさん」
何が彼女を間違えさせたのかは分からない。ただカタギの人間のやる事ではないのは確かだった。カスミは、「一応、警察に届けるわ」と応じる。
「このままじゃ、マサキが行方不明になる」
それだけは避けねば、という口調だった。カスミはマサキと付き合いが長いのだろうか。そういう邪推をしようとしたが、無意味だと感じて口を噤んだ。
「お願いします。あの、僕達の名前は」
「ああ、分かっている。旅の邪魔になるだろうから出さないでおくわ」
内心、安堵しながらユキナリはイブキと共にいた黒服達を思い返した。全員が犯罪行為に手馴れていると言うわけではなさそうだったが数人は確実に犯罪に対して何の負い目も感じていないだろう。
「何でだ? どうして優勝候補が……!」
アデクの声にユキナリは目を向けた。拳を握り締めて震わせている。怒りによるものか、苦悶に顔を歪ませていた。アデクとしては同じ優勝候補とおだてられた間柄、他人事とも思えないのだろう。
「僕らには、どうしようもないですよ」
ユキナリが諦観の声を出すと、「でも!」とアデクが似合わぬ狼狽を浮かべた。
「何かあったはずじゃ! そうでなくっては、誇りを捨ててまであんな……」
濁した語尾に苦渋が滲んでいる。慰める言葉を探そうとしたが、自分一人でさえ困惑の只中にいるのに誰が救えよう、とそっと胸に仕舞った。
「とにかく、わたしが警察には届けるから、あなた達は宿泊施設に戻りなさい。半分はわたしの責任でもある。旅の妨げになってもいけないから」
カスミの厚意にユキナリ達は甘える事にした。宿泊施設に向かう途中、誰もが終始無言で気味が悪いほどだった。アデクも何かを話そうという気分ではないのだろう。宿に辿り着いた時、自然と誰かの部屋に行こうと思わなかったのもそのせいかもしれない。今は一人一人思案を巡らせるほうがいいだろう。ユキナリは鞄を置いて窓辺からハナダシティを一望した。そよ風が頬を撫でる。ユキナリはその風に掻き消されそうな呟きを漏らした。
「どうして……。イブキさん」
問いかけても答えの出ないのは知っている。だが、どうしてと問わずにはいられない。イブキは実力者だ。心も身体も、犯罪組織に許すような人格ではない。だというのに、マサキを攫った一派に属していたのはどうした事だろう。彼女なりの理由があるのかもしれないが、推し量る事さえも困難だった。ユキナリがため息をつくと部屋がノックされた。アデクか、と思い、「はい」と応じると入ってきたのはナツキだった。
「どうかした?」
尋ねるとナツキは顔を伏せて、「ユキナリこそ、何か思うところがあるんでしょう?」と口にした。幼馴染はやはり欺けないのだな、とユキナリは実感する。
「うん。僕は、トキワの森で戦ったイブキさんが犯罪に手を染めるとは思えない」
「何か、理由があると思っているのよね?」
首肯し、そう信じたいだけなのかもしれないと冷徹に考える自分もいる事を発見した。イブキは、いや彼女に限った話ではなく、自分と正々堂々と戦った人間に悪い人間はいないのだと勝手にカテゴリ化したいだけなのかもしれない。そのエゴが見え隠れしてユキナリはきつく目を瞑った。
「ユキナリ?」
心配の声音にユキナリは、「大丈夫」と応じる。
「僕は、大丈夫だから」
「そうは見えない」
ナツキの声にユキナリはそれでも虚勢を張るべきだと判じた。これから先の旅に何が待ち構えているのかも分からない。こんな序盤で心の乱される自分を目にすればナツキの胸中にも迷いが生じる。自分のせいで誰かの足を引っ張りたくなかった。
「僕は、何でもない。ナツキこそ、どうかしたの?」
ユキナリの言葉にナツキは、「……うん」と煮え切らない声を出した。
「マサキさんっていう人は、そんなに重要な人間だったのかな、って」
「と、言うと?」
「多分、襲ってきた奴らは組織立った人間だと思う。そうじゃなきゃ、あんなに手際よくいくはずがない。イブキさんもそこに属していて、だからこそ従わざるを得なかったんじゃないかって」
ナツキの見識にユキナリは意外そうに目を見開いた。
「ナツキ、イブキさんを心配してくれているの?」
「当たり前でしょ。優勝候補で、なおかつあんたと戦ったんだから。まともな人間だと思いたいわよ」
ナツキの声に自分と同じなのだとユキナリは悟った。ナツキもまた自分の足枷になるまいときちんと考えて行動している。お互い、相手を思うあまりに似たような行動を取ってしまっていた。
「そう、だね。僕はイブキさんを信じたい」
いつか、理由を言ってくれる日が来ると。ナツキは、「そうじゃなきゃ引っ叩く」と強気に出た。
「何でもない理由でこんな後味の悪い真似をされたら堪ったものじゃないわ」
幼馴染は自分が思っているよりも凶暴だ。ユキナリは頬を掻きながら、「それにしても」と口を開いた。
「あのハクリュー、前よりも強くなっていた」
「進化の輝石だっけ? 持っていて損はなかったのかもね」
オツキミ山で山男に勧められたが断った事を思い出したのだろう。ナツキはポケットから二つの石を取り出した。片方が虹色の装飾を施された宝玉で、もう片方は黒を基調としたビー玉に近い。ビー玉越しにナツキは空を仰ぎ、「こんなもの役に立つんだか……」とぼやいた。
「余裕なくなってきたかもね。イブキさんがあんなのじゃ」
どこかに報告すべきなのだろうか。しかし、どこに、という疑問があった。ポケモンリーグ事務局に連絡したところで裏が取れなければ同じだろう。かといって自分達の胸の中だけで留めておくには辛い事実だった。
「マサキさんともまともに話せなかったけれど、わざわざカントーの別荘で何をしていたんだろう?」
「博士が言っていた預かりシステムとかじゃない?」
それも自分達が考えるような事ではないのかもしれないが、マサキは何らかの理由があって攫われたのではないのかと感じていた。後ろ暗い秘密があったとは思いたくないが事が事だけに分かったものではない。
「……僕ら子供がいくら言ったところで、どうしようもないのかもしれないけどね」
その無力感にユキナリは顔を伏せた。イブキもマサキも自分達では及び持つかない場所で戦っているのかもしれない。そう考えていると部屋の電気が明滅したのが視界に入った。どういう事だか、電気が消えた。怪訝そうにユキナリはスイッチを押すが電気は点く気配がない。突然の事にナツキは、「どうかした?」と尋ねる。
「電気が消えたんだ。何でかな」
「昼間だから節電とか?」
ユキナリは、「分からないけど……」とテレビを点けようとしたがリモコンの電源ボタンを押しても何も映らない。
「停電かな」
受付に言いに行こうとすると部屋の前にアデクが立っていた。先ほどまで憮然としていたのを思い出し、「あ、アデクさん」と少し気後れ気味の声が出た。
「何か?」
「いや、電気が点かなくなってのう。ここもかと思って聞きに来たんじゃが」
どうやらこの部屋だけではないらしい。ユキナリはナツキと視線を交わし、受付へと向かった。すると宿泊客達が大挙として押しかけていた。「こりゃ……」とアデクも言葉をなくす。どの部屋もそうらしいと感じたユキナリは宿を出た。すると、混乱した人々が次々に建物から出て行く。
「停電か?」
どの場所も同じ憂き目にあっているようだ。ユキナリは、「落ち着いてください」と声を張り上げた人物に目を向ける。カスミだった。彼女はジムリーダーとして事態の収拾に当たろうとしていた。
「恐らく谷間の発電所でトラブルがあったのでしょう。警察が事態を収束させますから皆様は落ち着いた対処を願います」
カスミの言葉は絶大だったようで、人々は少しずつ落ち着いて建物へと入っていった。カスミはポケギアへと声を吹き込む。
「……もしもし。ええ、そう。多分発電所でトラブル。ああ、そっちも? まだクチバだものね。影響はあると思うわ。こっちに来てもらえる? うん、そうすると助かるわ」
通話を切り、ユキナリ達を見つけたカスミは一息ついて、「ああ、見てたの」と声をかける。
「発電所でトラブルって」
「聞いた通りよ。ここ周辺の電気は全部谷間の発電所がまかなっているから、あそこがストップすると全域に影響が出るのよ。ちょっと困ったシステムなんだけどね」
カスミは苦笑した。ユキナリは、「その、谷間の発電所ってどこですか?」と訊いていた。その言葉にナツキが突っかかる。
「聞いてどうするのよ」
ユキナリはカスミを見つめて声にした。
「僕らで事態の収束を手伝えませんか?」
意外な言葉だったのだろう。カスミも虚を突かれたように固まった。
「あなた達が?」とようやく発せられた言葉にユキナリは頷く。
「ええ。マサキさん誘拐の件で多分警察はすぐに動けないでしょう。僕らなら、まだ動ける」
「ちょっと、勝手に話を進めないで!」
ナツキの声にユキナリは、「後で説明するから」と言い含めた。カスミへと確認の声を投げる。
「いいですよね?」
カスミは逡巡の間を浮かべた。「既に仲間に連絡を取ったけれど」と煮え切らない声を出す。
「でも、ま、あなた達が行ってくれるのならば心強いわ。わたしを破ったトレーナーもいるし、もしかしたら警察の対応よりも早いかもね」
ユキナリは、「任せてください」と請け負った。ナツキとアデクはユキナリの突然の言動に驚きを隠せない様子だったが、ユキナリにはこの騒動と先ほどのマサキ誘拐が全くの別物であるという感触はなかった。どこかで繋がっているのではないかと考えたのだ。
「谷間の発電所というのは?」
場所を聞かねばならない。カスミはポケギアを突き出して、「位置を送るわ」と言った。ユキナリもポケギアを突き出してそれを受け取る。確認するとどうやらここから東南に向かった先、イワヤマトンネル付近である事が分かった。
「基本的には無人発電所だから、多分システムダウンだと思う。でも、無人発電所だからセキュリティやもしもの時の安全装置は確かに作動しているはず。それに補助システムもあるはずのなのに、落ちるはずがないんだけど……」
カスミはどうにもこの事態が腑に落ちないらしい。ユキナリは、「解決の糸口を見つけます」と口にした。
「だから、カスミさんは街の人達へと連絡を。ハナダシティならカスミさんの影響力は高いでしょう」
パニックを避ける意味合いもある。カスミは首肯し、「頼むわよ」と伝えた。