第四十三話「世界の広さ」
マサキの家に続くゴールデンボールブリッジを抜け、ユキナリ達は早目にマサキの別荘を目指した。
さして障害もなく、雄大に広がる草原地帯の中にぽつりと建った木造の別荘を見つけユキナリはマサキと話をした。カスミからの手紙だと伝えるとマサキは天然パーマを掻きつつ、「すまんな、汚れていて」と部屋を見渡した。屋内はパソコンと周辺機器が密集しておりまるで機械のジャングルだった。マサキはジャンクフードを時折口に運びながら、「今、構築データに手間取っていてな。ワイにはそれしか出来んさかい」とこぼす。どうやらマサキはジョウトの出身でコガネ弁が混じっていた。
「何の構築データです?」
「ああ、言えん、言えん。これだけは企業秘密っちゅう奴や。まぁ、この構築データをすぐに進めろって言われてもなかなか難しくってなぁ。お上も無理難題を押し付けよる」
愚痴をこぼすマサキが手紙を開けようとしたその瞬間であった。
窓と扉が同時に破られ、黒服の人々が侵入してきたのは。
黒服達はホルスターから赤い球体を抜き放つ。それが何なのか、ユキナリには最初分からなかった。赤と白のカラーリングが施された球体は見覚えがあるようでない。次に発せられた声とその主にユキナリは目を向けた。
「マサキを確保せよ。無傷で、との命令……」
身体に密着した黒い衣服を身に纏っているが、翻したマントと結った水色の髪は見間違えようがなかった。
「イブキ、さん……」
ユキナリの声にイブキも驚いたようだった。数秒、確認するかのように視線を交わしたがイブキが歯噛みした。
「どうして、ここにいる」
それはこちらの台詞だったが、その言葉を発する前に黒服がマサキの肩を引っ掴んだ。
「な、何をする? 離さんかい!」
マサキが身をよじるが黒服達は手馴れた様子で一撃の下に昏倒させた。肩に担がれたマサキが窓から運び出されようとする。ユキナリは反射的にマイナスドライバーとモンスターボールを繰り出していた。意識して行動したわけではない。ただ、止めなければという意思が先行しボタンを押し込んでいた。
「いけ、オノンド!」
ボールから飛び出したオノンドが構えを取ってイブキへと睨みを利かせる。因縁の相手だからだろう。オノンドも闘争心を剥き出しにしていた。ユキナリはしかし、それ以上に分からなかった。何故、イブキがマサキを攫うのか。
「イブキさん、何をしているんですか?」
まずそれを問い質さねばならない。イブキは、「目的がある」と短く告げた。
「目的って、玉座ですか?」
イブキは答えない。沈黙を是としたイブキの考えがユキナリには読めなかった。
「……どうして。それとマサキさんの、何の関係が」
「子供が勘繰るものじゃない」
その一語で自分との立場が決定的になったような気がした。断絶が自分とイブキの間に横たわる。それは埋めようのない認識の差であった。
「……そうですか。だったら、僕は」
一歩踏み出す。その意気を読み取ったのかイブキは、「戦うつもりか?」と尋ねた。是非もない。もうそれしか自分とイブキには残されていない。
「分かっていたよ。あんたと私は戦う事でしか分かり合えない!」
イブキがモンスターボールからポケモンを繰り出す。現れたのはトキワの森で対峙したのと同じ、青い姿のハクリューだった。
「進化したのね。キバゴ、だったかしら?」
イブキがオノンドに目をやって口を開く。ユキナリは、「ええ」と応じた。
「僕達は、あの時よりも強くなっている」
「そうでなくっては、戦い甲斐がないわ」
イブキが腕を振り上げる。ハクリューが早速動き、オノンドへと接近した。まさかの動きにユキナリの命令が一拍遅れる。キバゴの時を見ているのならば接近戦はこちらのものだと知っているはずなのに。
「いきなり、何故」
「先制はいただいた! ドラゴンテール!」
ハクリューが尻尾を突き出し、剣の速度でオノンドの鎧の皮膚へと突き込んだ。その一撃がオノンドを下がらせる。ユキナリはその威力に瞠目する。
「パワーが上がっている?」
見間違いか、と感じたが続け様に放たれた「ドラゴンテール」の猛攻に間違いないとユキナリは判断する。何かパワーの上がる効力の道具をつけている。ハクリューの姿を観察していると、その首筋に水色の水晶ともう一つ、黄色い鉱石を巻きつけていた。その石の名前をユキナリは知っていた。
「進化の輝石……」
「あら、意外と博識ね。そうよ、進化前のポケモンならばこれによって能力が上がる」
それは意外な事実を示していた。つまりハクリューはこれからまだ進化するという事だ。その脅威にユキナリは身を震わせた。
「輝石を持たせているハクリューの攻撃力を嘗めないでもらえるかしら!」
竜の尾を突き出し、ハクリューが白兵戦を挑む。ユキナリはまだ命令を下せない。イブキが本当に敵なのか、それすら分からない。今、戦う事が正しいのかさえも。
「僕、は……」
「終わりね! そこで竜の波導!」
ハクリューが波動を口腔に溜めるのにさほど時間はかからなかった。ユキナリはオノンドが避けられない距離で放たれようとしている青い光の帯を視認する。戻れ、と声を出そうとしたが既に遅い。直撃は免れないと考えた、その時であった。
「メラルバ! ニトロチャージ!」
アデクの声が弾け、赤い流星となったメラルバがオノンドとハクリューの戦闘に割って入った。ハクリューが攻撃を中断して後退する。ユキナリがアデクへと視線を振り向けると、「何をやっている!」と檄が飛んだ。
「相手はマサキを攫った連中じゃぞ! こっちが手加減して抑えられるもんじゃない!」
アデクの声にユキナリは、「でも……」と苦渋を噛み締める。イブキなのだ。自分と戦った、最初のトレーナー。高い関門として立ちはだかった優勝候補。だからこそ、次に戦う時はきちんとした場所で、と考えていた。だというのに、その誓いはこんなところで破れるのか。ユキナリは思わず声にしていた。
「イブキさん! 僕は、こんなところで戦いたくないんです!」
会話が平行線なのも分かっている。だからこそ、お互いに何の利益にもならない戦いはしたくない。しかし、ユキナリの思いは他所にイブキは、「私はあんたを下さねばならない」と冷徹だった。
「見られたからには、生かしてさえおけない」
ユキナリは背筋が凍るのを感じた。目の前の敵は誰だ? 本当にイブキなのか、という逡巡が浮かぶ。それを読み取ったようにハクリューが身体を跳ねさせる。青い粒子を全身から放ちながら、ハクリューが突進してくる。「ドラゴンダイブ」だ。青い光にメラルバが弾かれる。アデクがたたらを踏んだ。
「おおう! この強さ、メラルバでは抑え切れん! 腐っても優勝候補か。ユキナリ! 決めろ!」
アデクの言葉にユキナリは肩を震わせる。何を、という意味で振り向けた目にアデクは厳しく告げた。
「ここで奴を倒すか、それとも倒されるかじゃ!」
唐突な言葉にユキナリは硬直するしか出来ない。倒す、倒さないの議論は対等なステージでやるものだと思っていた。だというのに、設けられたのはこのようなどちらの正義があるのかも分からない場所だ。決めようもない。
「メラルバでは押し切られるぞ!」
青い光を纏ったハクリューが真っ直ぐに空間を突き破り、矢のように迫る。ユキナリは眼前に突きつけられた問いに答えるしかなかった。ここでやられるか、それともやるか。
ぎりっ、と歯を食いしばりユキナリは、「オノンド!」と名を呼んだ。
「ドラゴンクロー!」
オノンドの両方の牙に青い光が纏いつき、斧の形状を成してそれぞれを撃ち放った。ハクリューの勢いが減衰し、衝撃波で別荘の床が捲れ上がる。木の粉塵を引き裂き、ハクリューはメラルバを無視してオノンドへと攻撃を加えた。
「ドラゴンダイブを無力化するのは前と同じ! でも、ここから先は違う!」
ハクリューの宝玉から水色の電流が迸ったかと思うと、それは網のようにオノンドを絡め取った。オノンドの動きが鈍り、関節一つを動かすのに時間がかかる。
「何を……」
「電磁波か」
吐き捨てたアデクの言葉に麻痺状態にする「でんじは」が放たれたのだと分かった。ハクリューが再び尻尾を突き上げ一撃が放たれる。オノンドが身をよじる前に胸部へと直撃が叩き込まれた。オノンドが後ずさり、立ち上がろうとする前にハクリューが尻尾を切っ先のように首筋へと突きつけた。
「詰みよ。この距離なら首を落とせるわ」
オノンドの眼から闘争心は消えていないがユキナリにはその一動作でもうこちらに打つ手がない事が分かった。
「どうして……」
そんな言葉ばかりが口をついて出る。イブキは、「大人の世界という奴よ」と告げて身を翻した。ハクリューが煙幕代わりに「りゅうのいかり」を撃つ。オノンドはもちろん、反応して牙で弾いたが、ハクリューは既に離脱していた。
「また会う事もあるでしょう」
「どうしてなんですか! イブキさん!」
こんな邂逅を望んでいたわけではない。全力の声にイブキは、「もう少し、世界の広さを知りなさい」と言い残した。
イブキが身を翻して黒服達と共に逃げていく。ユキナリには納得出来なかった。世界の広さ、自分の窺い知れない世界の闇の前に立ち尽くす事しか出来ない。
「でも、どうしてなのか、教えてよ……。イブキさん……」
膝を落としながら発した言葉は本人に聞かれる事はなかった。