第四十二話「歪んだ再会」
纏った黒服は自分には合わない。
イブキは直感的にそう感じたがキシベに提言するつもりはなかった。元より、自分達が行おうとしているのはこの世の闇に当たる道。その中で今までのようにスポットライトの当たる王道を行けるとは思っていなかった。水色の衣服は捨てなかったがもう着られるとは考えていない。それほど楽観主義にはなれなかった。イブキは身体にフィットする服を撫でながら物思いにふける。故郷の人々のため、自分の活躍に期待している人々を裏切る行為ではなかろうか。何度も頭を掠めたその思考は結局益もなく過ぎていくばかりだ。イブキはモンスターボールを確認する。キシベの奨励したボールを使わないだけ自分の一線を保てていた気がしていたが、それは結局意味のあるこだわりなのだろうか。ホルスター越しにパートナーとの呼吸を確認したイブキは扉をノックした音にびくりと身体を震わせた。
「イブキ殿。キシベです」
キシベの前では弱い自分を見せるわけにはいかない。呼吸一つでフスベのドラゴン使いイブキを呼び出した彼女は扉を開け、「何か」と硬い声音で問いかけた。キシベは、「入っても?」と確認する。明日に控えた作戦の前準備として一人一人を回っているのだと彼は説明した。
「どうぞ」とイブキは応じてキシベを通す。宿泊施設はポケモンリーグの奨励する施設ではなくシルフカンパニーの支配下にある施設らしい。情報が漏れる心配はないそうだ。
「明日の作戦は午前九時ジャストにマサキの別荘へと襲撃をかけます。異論はありませんね?」
キシベの声にイブキは、「あると言えば」と服装に関して文句を言った。
「この黒い衣服は何?」
「全員で共通の色を使う事によって連帯感を強めようという考えです」
「目立つのでは?」
「意外とそうでもないですよ。私や他のメンバーもそれに近い服装をしていますが目立つ事は稀です。それにシルフの社員証を見せれば誰でも納得する」
イブキにはシルフカンパニーの社員証が与えられていた。もちろん偽装だ。しかし、キシベは問題ないと言い放つ。
「シルフの腹を探ろうなんていう命知らずはいませんからね」
それだけカントーではシルフカンパニーという会社が幅を利かせているのだ。イブキはまさかその一部になるとは思ってもみなかった自身を反芻する。
「それにあなたの服装はオーダーメイドでしたが、気に入りませんか?」
「マントのこれ」
取り出したのは赤い「R」の文字が刻まれた黒いマントだ。イブキは顔をしかめ、「さすがに目立つ」と口にした。
「今まで通りのマントでいいかしら?」
「どうぞ。マントに関してはあなたの自由です」
ただし、いずれ必要になる。そのような含みを感じさせる物言いだった。イブキは豪奢な装飾がなされた部屋を見渡し、「大したものね」と口にする。
「シルフカンパニーってのはそれほど偉いのかしら」
「ええ。カントーの製品の九割のシェアを誇っています。いずれ百パーセントになるでしょう」
その言葉には驕りもなく、さも当然だと言いたげだった。イブキは怪訝そうに尋ねる。
「あなたの口ぶりには何か、余人には窺い知れないものを感じさせるわ。どうしてそれほどまでの自身があるのか、拝聴したいわね」
キシベは椅子に座って脚を組み、「簡単な事ですよ」と口を開いた。
「ただそうあるべきだと歴史が証明している」
「歴史? シルフは確かにカントーでは古株の会社だけれどそれほどまでに成功を収めてきたとは聞かないわね」
キシベは少しだけ視線を中空に向けて、「そうですね」と思案した。まるでイブキに説明するには少しばかり手間がかかるとでも言うように。
「歴史とは、元来不可逆なものです」
「当然よ」
「しかし、この世界において、これから起こる事、これまでに起こった事全てを記した存在があるとしたら」
イブキは眉根を寄せた。それはまるでオカルトだ。
「陰謀論でも唱えたいの?」
「いいえ、私が言いたいのは、そういう予言めいたものを信じるか、という話です」
イブキは少しの逡巡の間を置いた後、「信じないわね」と答えた。
「どうして?」
「だってそんなものがあるとしたら人間は何も努力しないでしょう」
イブキの答えが意外だったのか。それとも大した事のないせいか、キシベは口元に笑みを浮かべた。「何よ」と不遜そうな声を出すと、「いえ」とキシベは首を振る。
「そう考えるのもまた、人です」
はぐらかされているような気がした。イブキは、「何が言いたいの」と問い詰める。
「つまりですね、この先起こる事、これまでに起こった事を記した預言があったとして、それに人は基づいて行動するか、あるいはそんなものを無視して反対側の方向に行動するのか」
「それは、知る人次第じゃないの」
キシベは笑みを深くして、「その知った人間が」と身振り手振りをつけた。
「もし、ひた隠しにしたら? その預言は誰にも知られない」
「そうしたら、一部の人間を除いてこの世界は預言通りなのか、そうでないのかの判別はつかないわね」
イブキの言葉にキシベは、「それを仮に対象Xとします」と急に教鞭を取るように語り始めた。
「預言書、対象Xは一部の人間だけが知っている。それにはこれまでの人間の行いや、業が書かれており、これから先にどう行動すべきか、誰が何を生み出すのかまでが書かれている」
「眉唾物ね」
イブキの感想を無視してキシベは続ける。
「もし、それに基づいて行動したとしたら。それに基づくために必要な要素として殺人があり、歴史の改変があったとしたら?」
イブキは硬直した。キシベの言わんとしている事が何となく理解出来たからだ。
「……まさか、このポケモンリーグが」
キシベは肯定も否定もせず、「シルフは発展しますよ」とだけ告げた。
「それこそ、ポケモン産業を独占する企業となる。バトルや道具の管理に加え、さらにそれを扱う人間の巨大なクラウドである預かりシステムの開発者を抱き込めば何も怖くないでしょう?」
「そのための、マサキ拉致」
しかし、その論法は同時にある事実を示していた。マサキが預かりシステムとやらを開発する事を既に知っており、これから先それが必要になってくるのだと確信していなければこのような強攻策に出る事は出来ない。
シルフカンパニーがその預言書とやらを保持していない限り――。
イブキは底知れぬ闇を垣間見たような気がした。ポケギアに視線を落とし、その中にあるマサキのデータを閲覧する。
「ソネザキ・マサキ。二十五歳。タマムシ大学を首席で卒業後、ベンチャー企業を立ち上げ、その中でポケモンがデータ生命体である事に着目。論文は学会に旋風を巻き起こした。パソコンの容量分だけ個人のポケモンを預かれると提唱したこの預かりシステムを今、マサキは開発段階に入っている……」
「その技術、一つの組織に属しておくにはもったいないと思いませんか?」
「シルフのお膝元に置く事もまた、傲慢だと思うけれど」
イブキの疑問にキシベは、「ナンセンスです」と口にする。
「いずれシルフの力添えが必要になる。今の組織ではマサキとて満足ではないはずです」
「だったら、真正面から交渉すればいいんじゃ――」
「そんな事を許す組織だとお思いですか?」
キシベの言う組織とやらは随分と大きなものらしい。イブキには全く窺い知れなかったが、シルフカンパニーを脅かすほどと言えば相当だろう。
「……あなた達の横暴を許さない組織ってわけ。なんだか正義は向こうにあるような気がするけれど」
「正義など、流動的です。そのような価値観に縛られていては成長するものも成長しない。我々は、我々の道を切り拓くために動くまで。その過程でマサキの頭脳、技術は必須です。必ずや手に入れなければ」
キシベの強い口調に、「分かっているわ」とイブキは応じた。
「もう出て行ってくれる? 私だって明日の任務に向けて集中したいのよ」
既に時刻は十時を回っている。キシベは素直に退散した。
「明日の陣頭指揮を頼みます」
キシベ本人はハナダシティに赴く事はしないらしい。安全圏から自分達に命令を下すようだ。それも気に入らなかったが仕方がないとイブキは感じていた。この男は表舞台に出るタイプではない。
「では、最大の健闘を」
その言葉を潮にしてキシベは去って行った。一人、取り残されたイブキは、「最大の健闘を、か」と呟いて拳を握り締めた。
「やってやるわよ。玉座に上り詰めるためならば」
どんな泥だって被る、とその決意を強固にした。
集まったのは自分と同じような黒服の人々だった。彼らは隠密に秀でた井出達で自分とは対照的だったが襟元に赤い「R」のバッジを見つけ、キシベの息のかかった人間達だと知れた。
「ソネザキ・マサキの身柄を拘束する。総員、滞空姿勢」
イブキの命令に全員に緊張が走った。イブキもこれから行う事が善なのか悪なのかはかり知れなかった。ただ自分には退路がない事も知っている。だからこそ、この任務に臨んでいるのだ。耳に埋め込んだ通信機から声が発せられる。
『全員、降下準備』
重々しい音を立てて後部ハッチが開いていく。イブキは一言だけ命じた。
「降下」
その言葉に全員が迷いなく踏み出し、後部ハッチから身を乗り出した。躍り上がった人々は空中に散開する。イブキも空中に身を躍らせた。背中に背負ったパラシュートを確かめ、イブキは独自の命令系統を使って、「パラシュートを展開」と声にした。全員がパラシュートを広げ、ゆっくりと目的地に降りていく。
ポケモンによる「そらをとぶ」の使用が禁じられているとはいえ、まさか超高空から輸送機を使って降下してくる人間がいるとは誰も思わないだろう。イブキは改めてシルフカンパニーがどれだけ金をかけているのか実感した。自分達にシルフは投資している。それは未来のためであるのだろう。しかし、まだ見ぬ未来のためだけにこれほどまで大がかりな事をするのか? キシベの言っていた預言書とやらを思い返したが、詭弁だと切り捨てた。余計な事は降下中に考えるべきではない。
第一波が降り立ち、ハナダシティ北方の草原地帯に身を隠そうとした。彼らはどうやらプロらしい。パラシュートを即座に仕舞い、自分達の足跡を消そうとしている。続いて自分を含む第二派が降り立った。最初、視界がぶれて一瞬だけ暗転したがすぐに持ち直した。イブキは何度か教えられたパラシュートの仕舞い方を実践し、すぐに第一波に追いついた。
「状況は?」
「ソネザキ・マサキは別荘にいる模様。中に数人、人がいるようですがどうします?」
マサキは誰か連れでもいるのか。情報では単独で別荘にいるとの事だったが状況は変わるものだ。
「構う事はない。突入」
イブキの声に黒服の人々が草原から顔を出し、雪崩のように別荘へと向かって駆け出した。彼らの保有するモンスターボールがキシベの言っていた最新鋭のものだと気づき、イブキは苦い思いを噛み締めたが自分はこれでいいと考え直した。安きに流れる事だけが人間の所業ではない。イブキは別荘の前から、他の人々は窓を蹴破って入った。
「マサキを確保せよ。無傷で、との命令……」
扉を破った瞬間、茶髪を天然パーマにした青年が視界に入った。それがソネザキ・マサキだと確認したのも束の間、次の瞬間に視界に入った人影にイブキは瞠目した。
「イブキ、さん……」
それはトキワの森で戦ったトレーナーに他ならなかったからだ。