第四十一話「アデクという男U」
『なるほど。ブルーバッジか』
ポケモンセンターに着くなり、やはり周囲に誰もいないパソコンを起動させ、博士のアドレスへと繋いだ。博士はまずナツキの戦果を喜んだが、それよりもとアデクに視線を向けた。
『まさか優勝候補と会えるとはね』
博士からしても意外のようだ。アデクは深々とお辞儀をした。
「アデクと言います」
『うん、イッシュの優勝候補だね。知っているよ。その強さはかねがね噂に上っている』
「いえ、そんな事は」とアデクは珍しく謙遜した。ポケモンの権威の前ではさすがに萎縮するのだろうか。
『しかしストライクでスターミーを下すとは見事だね。ストライクの状態は?』
「今、ポケモンセンターに預けていて、明日には完全回復の見込みです」
カスミとの戦闘でストライクは少なからずダメージを負った。それまでにカスミと戦った挑戦者達の予約も混み合っており、ポケモンセンターの回復は明日を待たねばならない。
「すごいと思いますよ。オレでも敵わなかったジムリーダーを倒したのですから」
アデクからまさか激賞の言葉が出るとは思っていなかったのだろう。ナツキは僅かに頬を赤らめた。
『そうだね。その点では私も成長を見られて嬉しい。自分の教え子が力を蓄えるのは素直に誇らしいよ』
博士の飾らぬ物言いにナツキは、「いえ、まだ一個ですから」と謙遜した。そうだ。残り六つのジムバッジを誰が手にするのかは依然として分からない。この勝負はまだ始まったばかりなのだ。
「そういえば、博士。マサキさんという方をご存知ですか?」
本題に博士は小首を傾げる。
『どうしてその名を?』
「カスミさんから預かっていまして。マサキさんへの手紙を」
ユキナリが鞄から取り出すと博士は、『なるどね』と手を打った。
『ソネザキ・マサキと言えばポケモンのデータ変換技術に関する重大な論文を発表した研究者だ。タマムシ大学の出で、言うなれば私の後輩に当たるのだけれどそれ以上はよく知らない。何でも預かりシステムとか言うらしいが、今のところ実用化はまだまだ先だと言われている』
「何です? 預かりシステムって」
『ポケモンがデータ生命体である事に着目し、パソコンの容量分だけデータに変換したポケモンを個人のデータベースに預けられるとするクラウドサービスの事だ。と言っても、私も専門外だからあまり詳しい事は分からないけれど、ポケモントレーナーを支援するための開発だとは聞いているよ』
ユキナリは全員に視線を配るが全員が首を横に振った。どうやらちんぷんかんぷんのようだ。
『まぁ、詳しい事は本人に聞けばいいんじゃないかな。会えるんだろう?』
「ええ、今はハナダの北方にある別荘にいるみたいで」
『だったら話を聞くといい。いい刺激になるだろう』
博士の言葉にユキナリは頷いた。
『それにしてもグレーバッジ一つにブルーバッジ一つか。私も鼻が高いよ』
「トレーナーズスクールでは、僕ら以外にも旅立った人間はいましたよね? 他の人達は……」
『ああ、何人かが脱落したらしい。オツキミ山とディグダの穴の方面、トキワの森辺りでかな。やはり一筋縄ではいかないみたいだ』
ユキナリは自分達以外の脱落に気が張らないわけではなかった。オツキミ山でのラムダとの戦闘。運が悪ければ脱落していた、いや、命を落としていたかもしれない。
「サバイバルですからね。誰が脱落しても不思議じゃない」
ナツキの非情な言葉にユキナリはだからこそ、助け合うべきなのではないかと感じたが、余計な口を挟んで混乱するのを避けたかった。
『そうだね。アデク君、と呼んでいいかな』
「どんな呼び名でも」とアデクは胸を張る。
『強制はしないが、彼らを頼む。まだトレーナーとしては未熟だ。君のような年長者の助けは素直に必要になってくるだろう』
博士からの提言にアデクは、「オレも挑戦者の一人です」と答えた。
「さっき言われたように、誰が脱落しても不思議じゃない。オレも分からない。この先、勝っていけるかどうか。約束はできかねます。ですが、オレは彼らの旅路に少しばかり応援を送りたい。それだけなんです」
アデクの言葉には誇張はない。ただ自分の出来る事だけをやるという、彼らしい声音だった。
『それだけで充分だよ。無粋なお願いだったかな』
「いえ、ニシノモリ博士と話せてオレも嬉しいです」
『そう硬くならないでくれ。イッシュの博士達に比べれば随分と遅れているんだ。私の言葉一つ一つに緊張する事はないよ』
博士は柔らかく微笑んでからユキナリに目を向けた。
『そろそろ切るよ。また何かあったら連絡してくれ』
「はい。では」
ユキナリは通話を切り、アデクへと向き直った。
「博士はああ言っていますがアデクさんの邪魔になるようなら、いいんですけど……」
煮え切らない声を吹き飛ばすようにアデクは快活な笑い声を上げる。
「何を遠慮しとる? オレがやりたいと思っただけ! 何にも遠慮する事はない!」
どうやら杞憂のようだ。アデクはただ自分の旅を遂行しているだけ。その途上にいる自分達を偶然気に留めているだけなのだ。それは彼らしい気紛れだった。
「宿に戻りましょう」
ユキナリの言葉に全員が頷いた。胸にあるしこりはまだ消えないが、きっとこの先軽くなるのだと前向きになる事が出来た。