第三十八話「シャイニングビューティ」
ジムの外観とは打って変わって内部は華やかだった。
ジムの中心をキャットウォークが貫いており、奥まった場所に舞台があった。ヤナギは息を詰める。暗がりの中、スポットライトが段階的にキャットウォークを照らし出す。最後のスポットライトが一人の女性を照らし出した。黄色いファーコートを纏っており、細身の身体は黒い衣服に包まれている。振り返った女性は赤いゴーグルをつけていた。アンテナのような意匠のついたヘッドフォンをつけており、そのごてごてした外見とは打って変わって澄んだ声で呼びかける。
「ようこそ、チャレンジャー。私はこのクチバジムを任されているジムリーダー、カミツレです」
カミツレと名乗った女性はすっとヤナギを指差す。ヤナギは、「面妖だな」と呟いた。その声が聞こえたのか、「何が?」とカミツレは小首を傾げる。両端から垂らした長い黒髪が揺れた。
「ジムトレーナーはいないのか?」
「私はイッシュから派遣されたジムリーダーなの。当初は職業軍人であるマチス少佐に任が下されていたんだけれど、一応仮想敵国。生粋の軍人であるマチス少佐は残念ながら呼べなかった。その代わりに私が呼ばれたわけ。だから本当はマチス少佐の部下達がジムトレーナーだったんだけれど皆イッシュから離れられないわけなのよね。ジムトレーナーがいたほうがよかったかしら?」
「ああ。ポイントをごっそり奪えるからな」
ヤナギの言い草に、「相当な自信家のご様子」とカミツレはヘッドフォンに手をやった。赤いゴーグルが両端に収納され、碧眼がヤナギを見据える。
「でも勝つのは私。どちらの輝きが本物か――」
カミツレがフォーコートを脱ぎ捨てた瞬間、スポットライトが青や赤の光を湛え、周囲を華やかに彩った。シロナが感嘆の吐息を漏らす。
「ここで、競いましょう!」
ヤナギはモンスターボールをホルスターから抜き放つ。
「相手が誰であろうと関係ない。俺に勝てるのは、世界で俺だけだ。誰も肩を並べる事など出来やしない」
マイナスドライバーでボタンを緩め押し込んだ。
「いけ、ウリムー」
繰り出されたウリムーにカミツレが大げさに声を出す。
「とってもチャーミングね! あなたとは大違い」
「姿形で嘗めてるんじゃないぞ」
「嘗めていないわ。真剣勝負だもの。私のポケモンも、戦いたがっている」
カミツレがモンスターボールを投擲する。光と共に現れたのは白い縞模様が走った四足のポケモンだった。額から雷撃のような角が二本突き出しており、白と黒の配色の身体を時折電流が迸った。電気タイプのポケモンである事は明白だ。
「ゼブライカ。彼に教えてあげましょう。私とあなたの輝きを!」
ゼブライカと呼ばれたポケモンは強く鳴き声を上げる。ヤナギはシロナへと目線をやった。
「あんたが勝てないと判断した理由が分かった。タイプ相性か」
「そうね」とシロナは肩を竦める。
「あまりポイントを喪失するのは嫌なの。特に勝てないと分かっている勝負ではね」
「賢明と言えば賢明だが、勝てないと決め付けている時点でもう伸びしろがないな」
ヤナギの苦言にもシロナは態度を改める様子はない。
「あら? だって勝てない勝負はするもんじゃないでしょう。あたし達の目的のためにも」
「勝手に括るな。俺は、まだあんたらと行動を共にすると決めたわけじゃない」
「お喋りは、そこまででいいかしら、チャレンジャー」
カミツレの言葉に、「違いないな」とヤナギは顎をしゃくった。
「お喋りほど無駄なものはない。特に、戦闘においては」
「よくご存知で。ゼブライカ、ワイルドボルト!」
ゼブライカが二本の角から電撃を放射し、電流は天へと昇って渦を巻いた。ヤナギがそれを眺めていると、ゼブライカは稲妻を自らへと放った。全身から電流が巻き上げられ、ゼブライカの威容は金色の鎧を纏った獣であった。毛が逆立ち、ゼブライカの眼光が鋭く光る。来る、とヤナギが身構えたその時にはゼブライカの姿が掻き消えていた。
まさしく神速の速さを伴ってゼブライカがウリムーへと駆け抜ける。しかしヤナギの命令速度が遅れる事はなかった。
「瞬間冷却、レベル2」
空気を凝固させ、氷壁を作り出す。ゼブライカはその氷壁によって侵攻を阻まれた形となった。電流が逆巻き、ゼブライカが一瞬だけ後退する。その隙をヤナギとウリムーは見逃さない。
「凍結範囲を敵対象の上部へと固定。生成サイズは標準より二割増した形で凝固」
その言葉と共にゼブライカの頭上へと霜が降り、氷の粒が寄り集まった。一瞬にして粒同士が吸着し、生成されたのは巨大な氷柱だった。釘のような形状の氷柱がゼブライカを頭上から捕捉している。
「氷柱落とし」
ヤナギの言葉に氷柱が真っ直ぐに降下した。ゼブライカの表皮を破るかに思われたその一撃はしかし、ゼブライカの表皮に触れる前に霧散した。ゼブライカが一瞬だけ自身にかかる黄金の鎧を迸らせるとのたうった電撃が鞭のようにしなり、氷柱を叩き割ったのだ。
ヤナギは、「なるほど」と特に驚いた様子はなかった。
「その電撃の鎧、熱効果作用もあるのか」
「ご明察」とカミツレが腕を掲げる。その一動作でさえ流麗だ。
「ワイルドボルトは全身に電撃の鎧を纏って攻撃する技。電気に熱の作用が少なからずある事くらいは分かるわよね? 今の氷柱落とし、生成速度、攻撃までの反射、全てにおいて完璧だったけれど、少しばかりゼブライカを過小評価しているわ」
ヤナギはウリムーが形成している氷壁を見やる。一部が融解しており、次の一撃の如何によっては打ち破られる可能性があった。
「ワイルドボルトだけではないな」
ヤナギの言葉に、「これは驚いた」とカミツレはわざとらしく口元に手をやる。
「そう、ゼブライカに命じたのはワイルドボルトと共にある技もあった。それがこれ」
カミツレが指を鳴らすと黄金の鎧の合間から赤い光が見て取れた。足首から、まるで靴のように迸っている。
「素早さを上げる技、ニトロチャージ。これは炎タイプの物理技。これをワイルドボルトと組み合わせる事によって先制の鋭さを伴った技を繰り出す事が出来る」
ヤナギは鼻を鳴らした。その意味を解していないのか、カミツレは肩を竦める。
「どうしてそこまで種明かしをする。俺のウリムーの氷結範囲と精度を過小評価しているのか」
ヤナギからしてみれば「ワイルドボルト」と同時に使っているであろう技に関しては全くの無知である。相手にそのタイプを明かすという事が不利に繋がる事だと考えていた。それだけにカミツレの言動は理解出来ない。
「ウリムーの氷結範囲、凍結動作、見事だわ。どれを取っても最高のトレーナーとポケモンに相応しいでしょう。それをコンマ一秒の遅れもなく、正確に伝達するのには相当な熟練度を必要とする」
「だから、どうした?」
カミツレはヤナギを見下ろし腰に手を当てて高圧的に返した。
「だからこそ、あなたでは私に勝てない。その実力に胡坐を掻いている間はね」
「誰も胡坐など、掻いてはいないさ。ただ、比肩する人間がいないだけの事だ」
ヤナギは指を鳴らす。その動作だけでゼブライカの足元が凍てついた。氷結の手を先ほど氷壁へと激突してきた瞬間、種となる一部を植えつけておいたのだ。
「俺の前に立つ者がいないだけ。胡坐を掻くにせよ、比較対象がいなければ始まらない。ゼブライカの機動力、もらった」
ヤナギは確実にゼブライカの足を潰したと確信した。しかし、ゼブライカは蹄を打ち鳴らしたかと思うと先ほどよりもさらに高温の炎を発した。その火が一瞬にしてヤナギの植えつけた氷の種を焼き尽くす。ゼブライカはまるでダメージなどないかのように平然としている。
「それが胡坐を掻いているって言っているのよ。あなた、ジムリーダーがその程度で陥落させられると思った?」
ヤナギはさして驚くでもなく、「やはりこの程度の氷結では止められないか」と冷静に分析する。
「ならば、タイプ弱点を攻めさせてもらう」
あまり得意ではないのだがな、とヤナギは付け加えてウリムーへと視線を配った。ウリムーが小刻みに身体を震わせ、全身から土色の波紋を打ち出した。それが触れた箇所から地面が波打ち、ガラガラと突き崩れていく。
「地面タイプの技、地震。電気タイプならば効果は抜群のはず」
地に足のついているポケモンならば逃れようのない攻撃だ。命中を確信したが、次の瞬間、ゼブライカは全身から四方に向かって電流を放った。その電流がまるで吸着する多脚のように展開され、ゼブライカの身体をあろう事か持ち上げた。ゼブライカは地震の波紋から逃れ、空中へと歩を進める。ヤナギはそこで初めて、驚愕を露にした。ゼブライカは空中を蹴りつける。一歩進むたびに、足元で電流が震えた。
「電磁浮遊。これで地面の技は当たらない」
思わず歯噛みする。自分の小手先のプライドを捨て去って放った技を予期していたというのか。カミツレは、「プライドを少しばかり捨てたみたいだけれど」と暗い目で告げる。
「嘗めないで欲しいわね。私達だって真剣に戦っているのよ。小手先の技が通用するほどやわじゃない」
空中を蹴りつけたゼブライカは再び蹄から炎を点火した。「ニトロチャージ」だ。黄金の電流の鎧はそのままにゼブライカは真っ直ぐに突進してきた。ヤナギはすかさず命じる。
「氷壁――」
「脆い」
ゼブライカが角を突き上げると電流が刃のように発振され、形成した氷壁を一瞬にして溶解させた。目を瞠るヤナギへとカミツレは言い放つ。
「これがシャイニングビューティの真骨頂! ゼブライカ、ワイルドボルト!」
ゼブライカが全身から黄金の鎧を展開させて、もう一つのゼブライカの像を作り出す。それがウリムーへと真っ直ぐに突進してきた。ウリムーへと直撃したゼブライカの像は弾け飛び、巨大な電流の膜となってウリムーを襲った。しかしウリムーは健在である。氷・地面タイプであり、電気の攻撃は無効になるからだ。だが、先ほど「じしん」で攻撃したため、相手がタイプを見極めていないはずがない。ヤナギは拳を握り締めた。
「……電気以外だったら、やられていたって言いたいのか」
ゼブライカは空中で距離を取り、ウリムーを見下ろしている。その視線と同じくらいの気高さを湛えた瞳でカミツレはヤナギを見据えた。
「間違えない事ね。あなたに比肩する人間がいないのかどうかは知らないけれど、今戦っているのは、紛れもなくこのカミツレだという事を」
ヤナギは確信する。このジムリーダーを完膚なきまでに叩き潰す。そうでなければ自分の道は拓けないと。手を振り翳し、ヤナギは命じた。
「凍結連鎖、レベル1」
その言葉が発せられた直後、ウリムーとゼブライカを結ぶように空間が次々と凍結していった。縄のような氷の粒は一つ一つが精緻に出来ているわけではない。むしろ今までよりも粗い氷の縄を依り代として相手へと攻撃を繋げる事だけをヤナギは考えていた。当然、射程に入ったゼブライカは飛び退る。その瞬間、ヤナギは口にしていた。
「氷のつぶて!」
縄のように展開していた氷が一斉に弾け飛び、まるで散弾の如くゼブライカへと襲いかかる。ゼブライカとカミツレもさすがに予想外だったのかその攻撃に対してゼブライカの対応は一拍遅れた。
「ワイルドボルトを展開。鎧の中に攻撃を入れないで」
角を突き上げ、ゼブライカがワイルドボルトの鎧を展開する。しかし、それまでに一発でも懐に入ればこちらのものだった。ヤナギは何発かはワイルドボルトの鎧の内部に入ったのを確認し、指を鳴らす。
「氷柱針」
ワイルドボルトの内部に入り込んでいた氷の粒が一瞬にして針状に尖り、ゼブライカを襲った。突然の痛みに悶える自身のポケモンの状態をカミツレは把握し切れていないようだ。
「何を……」とうろたえたカミツレへとヤナギは言い捨てる。
「どうした? 胡坐を掻いているのだと説教を垂れるのではなかったのか?」
カミツレは舌打ちを漏らし、腕を振るった。
「ニトロチャージで焼き尽くしなさい!」
足先から「ニトロチャージ」が点火され内部の氷を溶かす。しかし、それは想定内だった。
「炎によって氷が溶かされ、水になる。そうすればその水分はどこへ行く? 電気だけでは蒸発し切れまい」
ヤナギは次の攻撃を静かに命じた。
「フリーズドライ」
その瞬間、ゼブライカがよろめいた。攻撃の反応だとカミツレは察したのだろう。その視界の中にワイルドボルトの鎧が解除されている部分を発見し目を慄かせる。
「何をして……」
「氷を溶かせば水となる。水を一瞬で蒸発させられるほどの高温を、その電気の鎧が発しているとは思えない。それは自身へのダメージにも繋がるからな。それに瞬間冷却が可能な室温だという事は、それは空気中の水分までも奪えるほど万能ではないという事。水を触媒にしてフリーズドライを放った。フリーズドライは水があればあるほどに効果が見込める技だ」
「それであたしはやられたってわけか」とシロナが後方で肩を竦める。カミツレは、「何て事……」と恐れを成した声を出す。
「ほんの少しのはずよ。氷とはいえ、ほんの少し。それを頼りにダメージを与えるなんて」
「常人ならば不可能だろう。ただ、俺とウリムーならば出来る」
ヤナギの声にカミツレは目を見開いたが、「……そう」と納得した声を発した。
「どうやら私も、あなた達を過小評価していたみたいね。それにほんの少しばかり勝負に真剣になってきたみたいじゃない」
「ならざるを得ない。実力者が相手ではな」
ヤナギが苦笑を漏らして発した言葉にカミツレも口元を緩める。どうやらお互いに本気を出すべきだという了承が成されたようだ。
「いい事を教えてあげましょう。ワイルドボルトは万能じゃないわ。この強力な電気の鎧は自らの体力を削る技。相手への決死の特攻の代わりに、反動ダメージを受ける」
種を全て明かすつもりらしい。それを以ってしても勝てない、という現実を自分に突きつけるつもりなのだろう。ヤナギは冷静に、「そうか」と返す。
「ならば、俺も明かそう。次の攻撃は氷柱落とし。瞬間冷却でゼブライカの頭上に展開する」
「いいの? そこまで言って?」
カミツレの挑発めいた声に、「構わないさ」とヤナギは応じた。
「ちょっとくらい手が割れていたほうが、スリルがあって面白い」
ヤナギ自身、ここまで戦いに意味を見出せるのは初めてだったかもしれない。ここでの勝利は自分を高める事になると確信していた。ただの白星ではない。これは今の自分を超える勝利となるだろう。
「面白い、ね。本当、見た目に反して可愛くないわ」
カミツレの評を無視してヤナギは身構える。
「行くぞ」
「来なさい。ゼブライカは全ての攻撃をかわし、ニトロチャージでウリムーを倒す」
ヤナギはまずゼブライカの後方に瞬間冷却を命じさせた。
「瞬間冷却、レベル3。ゼブライカ、後方二メートル」
「当てずっぽうなのかしら? それとも動きの方向を読んだつもり?」
ヤナギはその言葉に何も返さずさらに瞬間冷却を続ける。
「瞬間冷却、レベル3を三回、連続展開。ゼブライカの前方三メートル、右方向に一メートル、左方向に四メートル」
それぞれ冷気が逆巻き、瞬時に形成されたのは巨大な氷柱だ。カミツレは、「それが何!」と笑う。
「全部ゼブライカとは全く別の方向よ。前方の氷柱も、回避すれば何も怖くない!」
ゼブライカが右に回り込み、前方に展開していた氷柱をかわした。しかし、ヤナギの狙いはそれだった。ゼブライカが避ける。それこそ意味があったのだ。
「氷柱落とし」
「今さら遅い!」
ワイルドボルトを身に纏い、ゼブライカが蹄に炎を突き上げて突進してくる。その攻撃の牙がウリムーにかかろうとした、その瞬間である。
ゼブライカが空中で動きを止めた。どうしてだか、前に行こうとするとつんのめる。カミツレはその原因を探し出そうとした。その瞬間、目に入った現実に絶句する。
「電磁浮遊の、手を……」
四本の氷柱が落とされた箇所には「でんじふゆう」に欠かせない電流の手があった。その段になってカミツレはようやく理解したようにハッと顔を上げる。
「最初から、氷柱落としはゼブライカに攻撃するためではなかった……。電磁浮遊を無効化するために、氷柱落としを利用した」
ゼブライカが前に進もうとするが鎖に繋がれたようにびくともしない。それもそのはずだ。今まで空中に固定してきた電流の手を氷柱が縫い止めている。ヤナギはふっと息を吐き出し、ゼブライカへと指を突き出す。
「氷柱落としを触媒にして瞬間冷却、レベル3」
氷柱が地面に固定され、ゼブライカがいななき声を上げた。それと同期するようにゼブライカそのものも地面へと叩きつけられる。
「このタイミングを……!」
カミツレの声にヤナギはフッと口元に笑みを浮かべた。
「氷タイプの技だけでは単なる力押しになってしまう。ポケモンバトルは力押しだけのバトルではない。それは何よりもジムリーダーが知っているだろう?」
ウリムーが全身を小刻みに震わせる。ヤナギは次の瞬間、命じた。
「地震」
ウリムーから発生した土色の波紋がゼブライカへと至り、その身を浸食していく。地面が浮き沈みし、ゼブライカに間断ない攻撃を叩き込んだ。もちろん、ゼブライカは逃れる事など出来ない。自ら発生させた「でんじふゆう」の手によって自らを拘束しているからだ。「じしん」による攻撃がようやく収まった頃、ゼブライカから黄金の鎧が剥ぎ取られた。全身に傷を作ったゼブライカが横たわっている。電磁浮遊の手も消え去り、ゼブライカから闘争の気配が消滅した。
シロナが固唾を呑む。
「勝った……」
カミツレはしばらく放心していたがやがて自らの敗北を悟ったようだ。ボールを手にし、「戻れ」とゼブライカをボールに戻してからヤナギへと歩み寄る。ヤナギのほうから歩き出す事はなかった。すっと手が差し出される。ヤナギが黙ってそれを見下ろしていると、「お互いの健闘を讃えましょう」とカミツレは言い出した。
「握手を」
「必要ない」
ヤナギは素っ気なく答える。ポケギアを突き出し、「それよりもポイントとバッジだ」と口にした。
「敗北したのならば渡す義務があるだろう」
その言葉にカミツレはため息を漏らした。
「……本当に可愛くないわね。いいわ、これがオレンジバッジ、クチバジムを制した証拠よ」
カミツレが襟元につけていたバッジを外し、ヤナギへと手渡す。ヤナギは、「ようやく一個目」とその感慨を露にした。
「それとポイントね。オレンジバッジ一個で9000ポイント。それに私の敗北分を加算する。やれやれ、とんだ出費ね」
「早くしろ」とヤナギが急かす。カミツレは、「もうちょっと可愛げを持ちなさいよ」と忠告した。
「誰も寄せ付けないわよ。そんなんじゃ」
「寄せ付ける必要性がないな」
ヤナギはポケギアを払う。既に30000に届くポイントが溜められていた。カミツレは、「すごいわね」と素直に感心した様子だ。
「総ポイント数じゃトップなんじゃない?」
「誰とも比べた事がないからな。分からないさ」
最後まで、勝負は分からない。たとえば弱いトレーナーに絞ってポイント狩りをしている連中もいるかもしれない。あるいは徒党を組んでポイントを荒稼ぎしている連中か。
「それにしちゃ、相手方は」
カミツレがシロナへと目を向ける。ヤナギは、「厄介者だ」と突っぱねた。シロナが、「酷いわね」と顔をしかめる。
「一応、手を組むって言ったじゃない」
「あんたらの組織を知るためにな。俺はそれ以上を望んでいるつもりはない」
共闘の必要性はないと告げた声にシロナはカミツレへと目を向けた。カミツレは周囲に視線を配り、「羨ましいわね」と呟く。
「羨ましい?」
「そうやって一匹狼に生きられる事が、よ」
身を翻し舞台に捨てたファーコートを拾って羽織る。その様子は酷く不憫なものに見えた。
「あんたはそうじゃないのか?」
「私? 私はね、イッシュじゃこれでも名の知れたトップモデルだった。一流の舞台に立ったこともあるし、一流のものを身につけ、一流の人間として名を馳せてきた」
「充分じゃないか」
ヤナギの声に、「いいえ。何も」とカミツレは首を横に振った。
「何も、この手にはないわ。トップモデルという地位も、名誉も、全て誰かの助力があってこそだもの。私は自分一人でこの居場所を保てていると言えるほど傲慢じゃない」
その言葉にシロナが、「殊勝な心がけだと思うわ」と感想を述べる。
「慢心していない点では素晴らしい生き方だとも言える」
カミツレは振り返った。碧眼には惑いがあった。
「違う、違うわ。私は、慢心していない自分に酔っているだけ。自分はまだマシな人間だと思える材料が欲しいだけなのよ。本当ならば地位も、名誉も、この手に独占したい。そういう欲望が渦巻いているのが自分でも分かる」
カミツレが拳を握り締める。彼女はそれなりに努力を重ねてきたのだろう。ただのモデルがジムリーダーに選ばれるはずがない。ポケモントレーナーとしても一流の道を歩んできたはずだ。シロナは続ける言葉を迷っている様子だったがヤナギは、「今さら、何を言う」と口を挟んだ。
「ヤナギ君?」
「黙っているんだ。こいつは、俺と同じだ」
ヤナギの有無を言わせぬ口調にシロナは言葉をなくす。自分より長身のカミツレを見やり、「あんた」と声を重ねた。
「ただのトップモデルがコネだけで生きられるほど、トレーナーの道は甘くない。その腕に違わぬ強さが必要だ。それこそ、誰も寄せ付けないほどの絶対の孤独を漂わせる強さがな。あんたはそれを持っているからこそイッシュからこのカントーまで辿り着けた。だが、自分がコネで支えられた、糊塗された偽りの上にあるというのならば、その偽りを振り払え。運命の虚飾を打ち砕く強さを見せろ。そうでなければ、偽りの安寧に食われるぞ」
自分がカンザキの名に恥じぬ誇らしさを持ち続けてきたように。相手にもそれを強制する権利はない。ただ、迷宮の中にいる相手に道を示す事くらいは出来る。戯れに過ぎなくとも、迷宮を脱する手助けになるのならば。
カミツレは目を見開いている。
「どうした?」とヤナギが尋ねると、「あなたがそんな風な人間に見えなかったから」とカミツレはこぼした。
「もっと冷酷な人間だと思っていた。氷タイプ使いだし」
フッと口元に微笑みを浮かべてカミツレが付け足す。ヤナギは鼻を鳴らした。
「俺は温情で動くタイプではない。ただ目の前でウジウジされるのが嫌なだけだ」
「よく分かるわ」
カミツレは真っ直ぐな眼差しをヤナギへと向けた。既に内面の迷いはある程度吹っ切れたようだ。
「あんたがどれだけ努力したのかは知らない。ただ、誇っていいレベルだと俺は思う」
それを言い置いてヤナギは舞台から去ろうとした。その手をカミツレが取る。怪訝そうにしていると、「キャットウォークは」とカミツレが微笑んだ。
「勝利者と歩くのが最も映えるのよ」
どうやらカミツレはヤナギと共にキャットウォークを歩くつもりらしい。「いいかしら?」と含めた声に、「好きにしろ」と言い捨てた。ヤナギの手を取り、カミツレが誇りを携えた歩調で進む。スポットライトが交差し、ヤナギとカミツレを映し出した。観客席でシロナが拍手を送った。
「茶化しているのか?」
睨みと共に振り向けた声に、「滅相もない」とシロナは頭を振った。
「意外だっただけよ。あなたにも内面に熱さがあるなんてね」
ヤナギはシロナの言葉に難色を示す。
「凍傷になると、どのような感じになるのか知っているか?」
ヤナギの質問はアンバランスだったのだろう。シロナは首を傾げる。
「凄まじい熱さになるんだ。それと同じさ。俺の言葉に熱さを感じたのだとしたら、それは凍傷にかかったのだと思えばいい」
その言葉にシロナは暫時ぽかんとしていたがやがてぷっと吹き出した。ヤナギが睨んでいると、「ああ、ごめんなさい」とシロナは取り成す。
「ユーモアのセンスがあなたにあるとは思っていなかったから」
「冗談や酔狂で言ったわけではない」
ヤナギの真面目ぶった言葉がさらにおかしかったのだろう。カミツレも笑いを堪えていた。
「何なんだ? 馬鹿にしているのか」
「いいえ、尊敬しているわ」
シロナの言葉にヤナギは顔を背ける。お世辞はまともに受け取る気はなかった。シロナはカミツレへと目をやる。
「観客のいないショーはつまらないわね」
同じ女性だからか、思うところがあったのだろう。カミツレは、「ええ」と人気のない観客席を一瞥する。
「こんな入りにくい所にジムを構えるからだ」
「用意したのはカントー政府よ。もっと言えばカンザキ執行官だと思うけれど」
シロナの思わぬ反撃にヤナギは声を詰まらせた。シロナは腕を組んだままカミツレへと語りかける。
「ねぇ、観客はいないけれど、世界を救ってみる仕事をしたくはない?」
まさか、とヤナギはシロナを見やる。
「何を考えている……」
「何も、多分、予想通りだと思うけど」
二人の会話にカミツレはついていけないのか、「どういう事なの」と戸惑った。シロナはウインクして悪戯めいた声を放った。
「あたし達の組織に、入ってみないかって事」
やはりか、とヤナギは歯噛みする。シロナはジムリーダー殺しの犯人を追っている。それを追跡するのに最も手っ取り早いのは疑似餌を用いる事だ。ジムリーダーを丸め込むのは最も効率のいい手段だった。
「組織、って……」
カミツレはまだ全体像を掴めていないのか、ぼんやりとした声で応じる。シロナは勧誘の声音になった。
「これから先を考えるに当たって、恐らくは共通の利害を見込めるわ」
「あんた、節操というものがないのか? 俺とは確かに利害は一致した。だが、ジムリーダーを巻き込むとなると」
事が大きくなるのを最も懸念しているのはヤナギだ。そうなってくると父親の耳に入りかねない。
シロナはその心配は無用だとでも言うように手を振った。
「もうジムリーダーじゃない。規約に則れば、ジムバッジを取られた時点で他のトレーナーと同様の権利を有する事になる」
やはり、シロナは意地でもここでカミツレを抱き込むつもりだった。ジムリーダー単体戦力でも充分に強力な人材だ。
「話が見えないけれど……」
「カミツレさん。あなたはこの先、どうするつもり?」
「どうするって、多分祖国に帰るわ。玉座には興味がないし」
「それじゃもったいないって思うの。あなたほどの強さならば活かす方法はいくらでもある。その才能を、祖国で枯らしていいものじゃないわ」
「おい、それ以上は」
「カミツレさん。これは秘匿されているのだけれど、ジムリーダーが殺されている」
その言葉にカミツレは目を戦慄かせた。当然だ。自分と同じ立場の人間が殺されたとなると。
「どうして」
「ポイントと、恐らくはバッジ狙い、というのが我々の組織の見立てね。ジムバッジが本当に八つしか存在しないのか疑っている連中がいるのよ。あるいは、勝利者に渡すのはダミーでオリジナルが存在しているのではないか、と」
「私が渡したのは」
ヤナギが今しがた受け取ったオレンジバッジへと視線を落とす。ポケギアを翳すと9000ポイントが約束されている事が確認出来た。
「本物だ」
「ポイント上は確かに本物かもしれない。でも、誰もオリジナルジムバッジを見たことがないのだもの。疑う人間も出てくる」
シロナはどう足掻いても元ジムリーダーであるカミツレに判断の予知はないのだと思わせたいらしい。カミツレは頭を抱えて、「どうすれば……」と思案した。
「だってそれ以外にジムバッジは渡されていない……」
「でも、それを証明する手段も同時に存在しない」
シロナの論法にカミツレは完全にはまっている様子だ。自分は狙われる。ジムバッジとポイントを目的とした連中に。殺されるかもしれないとなれば正常な判断は期待出来なかった。
「ポケモンリーグを取り仕切る人間に事の次第を話せば」
「既に執行官レベルまで話が通っている。でも、彼らが動いたところでポケモンリーグは転がり出した石よ。当然の事ながら、今さら中止勧告を出すわけにもいかない。逆にこの状況で掻き乱せば国際問題に発展しかねない。それを恐れて上は動けないわ。あなただってそれくらいは分かるでしょう?」
カミツレは言葉を詰まらせた。シロナはそこで優しく提案する。
「あたし達の組織に入れば、あなたの身の安全は保障する。メンバーには国際警察もいるわ。少なくとも着の身着のまま旅を続けるか、ジムリーダーという箔をつけたままぶらつくよりかは安全なはず」
シロナの言葉はまるで誘導尋問だ。最終的に落としどころは一つしかない。
「どうする? 決めるのはあなたよ」
既に決定は成されている。ヤナギは何も言わなかった。
「私は……」