第三十七話「戦士の考え」
それでこそナツキだと誇らしく思うと同時に、しかしどうやって、と目の前の現実に戸惑いもあった。
如何にしてスターミーの鉄壁の守りを崩し、その身体に攻撃を叩き込むのか。その方法が全く思い浮かばない。オノンドならば力押しでスターミーの防御を崩せるだろうかと考えるが周囲が全て武器となる水では難しいだろう。それにドラゴンタイプであるオノンドには氷技は厳しい。ストライクもそれは同じである。冷凍ビームを一撃でもまともに食らえばそれは決定的な一打となるだろう。勝率は限りなく低い。だがナツキが諦めていないのはその背中を見れば明らかだった。ストライクを使って何らかの勝算があるのだろうか。
「ストライク」
ナツキの声にストライクが目を向ける。勝負を捨てていない瞳をストライクに向け、「恐れないで」と呼びかけた。
「あたしはあんたのトレーナー。あんたを勝たせるためにあたしはいる。だから」
そこから先は不要だと感じたのだろう。ストライクは強く鳴き声を上げた。ナツキは柔らかい笑みを吹き消し、ストライクに命じた。
「流氷を最大限に利用する。ストライク!」
ストライクは浮きの足場からあろう事か流氷へと飛び乗った。思わずユキナリは立ち上がる。
「無茶だ! ストライクは――」
「氷は弱点。でも!」
ナツキの声にストライクの姿が掻き消えた。どこへ、と探す前にストライクは次の流氷へと飛び乗っている。しかしそれも一瞬。ストライクは流氷を蹴って着実にスターミーへと接近していた。
「電光石火……」
ユキナリは呟く。ストライクは「でんこうせっか」を使い、接地面積を最小限に抑え、流氷を蹴ってスターミーへと接近戦を挑もうとしていた。
「なるほどね。確かに最も有効な手段だわ。でもスターミーに対してはそんな付け焼刃!」
スターミーが流氷に向けて冷凍ビームを放つ。ストライクは撃ち抜いた冷凍ビームを間一髪でかわす。まさしく髪の毛一本ほどの攻防だった。流氷から氷柱が形成される。ナツキは手を振り翳す。
「ストライク! 氷柱を足場に跳躍!」
ストライクは氷柱へと飛び乗った。氷柱はそのままスターミーへと通じている。スターミーへの最短距離を考えれば自然と導き出される戦法だった。
「でも、それは」
「相手も予期していないわけではない、じゃのう」
ユキナリの懸念をアデクの言葉が引き継ぐ。それを裏付けるようにスターミーは冷凍ビームの照準を氷柱から登ってくるストライクへと向けた。
「飛んで火にいる夏の虫ってね! それはスターミーの射程よ! 冷凍ビーム!」
一射された冷凍ビームは寸分の狂いもなくストライクへと突き刺さった。ストライクが肩口から凍りつく。よろけたストライクが倒れゆくビジョンが網膜に焼きついた。
「勝った!」
カスミの声にナツキは、「いえ」と返す。その直後、ストライクの姿が掻き消える。全身を凍結の勢いに呑まれたストライクの姿が大写しになるはずだったが、そのストライクそのものが消えたのである。驚愕したのはユキナリだけではない。カスミもであった。
「消えた……?」
「いいや。最初からそれはストライクじゃない」
アデクが深い笑みを刻む。目を凝らすとストライクは依然、氷柱を登っていた。カスミが狼狽する。
「馬鹿な、冷凍ビームが突き刺さって――」
「影分身。あんたみたいな実力者には真正面から見せても見抜かれると思った。だからこそ、この状況を作り出した」
その言葉にカスミはハッとして周囲を見やる。冷凍ビームによって生じた巨大な円柱、それを取り囲む流氷。視野は極限まで狭められ、カスミが見ているのは円柱越しのストライクだ。当然、正確無比な狙撃を行っていると思い込んでいた。だがその実は冷凍ビームの乱射によって氷のフィールドを作り出す事により、影分身に成り代わっている事を見抜けなかった。
「わたしの、戦法が裏目に出た……」
カスミの声を他所にストライクの脚が膨れ上がり、鎌を振り上げて跳躍した。その先にはスターミーの姿がある。カスミは手を振り翳す。
「スターミー! 冷凍ビーム!」
頂点から水色の光線を集束させて発射しようとする前に鎌から放たれた空気の弾丸がスターミーを打ち据えた。あまりの速さに避ける事も叶わず、スターミーがよろめく。
「真空破……」
「そう。これでこの距離は――」
ストライクが「しんくうは」の余波を用いてスターミーへと肉迫する。スターミーは咄嗟の防御も取れず眼前のストライクに対して無力だった。
「ストライクの距離! ストライク、連続斬り!」
ストライクの鎌が緑色の光を帯びてスターミーへと突き刺さる。スターミーは振りかけられた刃の鋭さに怯んだ。
「もう一発!」
返す刀で振るわれた攻撃がスターミーを打ち据える。スターミーは後部の星型を回転させて逃れようとしたが、ストライクの「れんぞくぎり」の応酬のほうが速い。瞬く間に間断のない攻撃の嵐にスターミーは巻き込まれた。傾いだ身体へとさらに一撃、さらに一撃と攻撃が続きスターミーは防御すら出来ない。水から離れた事が災いした。氷の円柱を作り、狙撃姿勢を取った事が裏目に出たのである。ストライクが鎌を大きく振りかぶる。スターミーは最後の逃れるチャンスだったが、既に反撃の体力は残っていなかった。ストライクの振り下ろした一撃がスターミーの身体へと打ち下ろされる。コアに亀裂が走り、スターミーは投げ出された。プールへとぽちゃんと落ちる。ストライクは円柱を蹴りつけ、浮きへと背中を向けて着地した。
振り返り攻撃姿勢を取る。ユキナリは固唾を呑んで見守った。ナツキはまだ戦闘の余韻が離れないのか身構えている。浮き上がったスターミーは力なく項垂れていた。カスミがフッと微笑む。
「負けね」
スターミーをボールに戻し、カスミは肩を竦めた。スターミーがいなくなったのを契機としたように流氷や氷の円柱が崩れていく。ストライクとナツキはその様子をぼんやりと眺めていた。
「勝利者の証、ブルーバッジを」
カスミはピアスのようにつけていた雫の形をしたバッジを差し出した。ナツキは呆然としており、戦闘が終わった事を自覚出来ていないようだ。
「大丈夫?」とカスミが声をかけてようやくハッと気がついたようだった。
「あなた、勝ったのよ」
「勝った……。あたしが……」
ユキナリは早速観客席からナツキへと駆け寄ろうとする。アデクが拍手を送った。
「お見事」
「やったな! ナツキ!」
それぞれの声を受けてもまだ信じられないのかナツキは頬をつねった。
「あ、痛い……」
「現実よ。はい、ブルーバッジ」
カスミがナツキの手に握らせる。ナツキの手は少しばかり震えていた。
「どうしたの?」
怪訝そうに尋ねるカスミへとナツキは、「あ、あの……」と声を発する。
「本当にもらっていいんでしょうか?」
その疑問にカスミは吹き出した。
「当たり前じゃない。だってあなたは勝ったのよ」
「勝った……」
ストライクへと目をやり、ようやく勝った事を認識したのか、「あ、戻ってストライク」とボールに戻した。
「慢心ね。どんな相手が来ても勝てるつもりでいたけれど」
カスミの声にナツキはぼんやりと受け答えする。
「これが、ブルーバッジ……」
光に翳してバッジを眺めるナツキへとカスミが声をかけた。
「ブルーバッジはシンボルポイントになる。持っているだけで6000点を約束するわ。それと勝利者にはポイントをあげないと」
ポケギアを突き出し、ナツキはポイントを受け取った。「こんなにたくさん」とナツキはうろたえる。
「いいんですか?」
「いいも何も、勝ったんだから」
カスミは肩を竦めるがナツキはポケギアを眺めてポイントを確認する。
「10000ポイント……」
「やったな」
ユキナリの声にナツキはようやく我に帰ったのか、「あ、当たり前でしょ」と腕を組んだ。ただし声は上ずっている。
「さーて、わたしはこれでお役御免ね。ようやく他のトレーナーと同じ権利を有するわけだ」
カスミは両腕を上げて伸びをする。ユキナリは、「ジムリーダーも、僕らと同じように旅が出来るんですよね?」と尋ねていた。
「まぁね。あなた達に比べると遅くなるけれど。その分、所持ポイントは高い」
「じゃあ、タケシさんに会ったら、よろしく伝えてください」
ニビシティで下したタケシの事を思い出し発した言葉にカスミは、「ああ、ニビの」と応じた。
「分かったわ。また伝えておく」
カスミはタオルをジムトレーナーから受け取りながら、「いやぁ、いい勝負だった」と感想を漏らした。
「じゃあね、マサラタウンのナツキさん。それに彼氏にもよろしくね」
気安く放たれた声にいい人だ、とユキナリは感じたがナツキは急にいきり立って、「か、彼氏じゃないですよ!」と声を荒らげた。
「そうなの? でも一緒に旅しているみたいだし」
「腐れ縁です、腐れ縁。幼馴染なだけだし……」
「そう。でも……」
カスミはキクコへと視線を流す。ナツキへと歩み寄り、「取られちゃってから気づいても知らないぞ」と呟いた。ユキナリには意味が分からなかったが、ナツキは顔を赤くした。
「な、な……」
「冗談。まぁ、頑張ってねー」
カスミの言葉にナツキは少なからず衝撃を受けたようだ。飄々と手を振って去っていくカスミの背中を見送りながらユキナリは尋ねる。
「どういう事?」
「うっさいわね! 何でもない!」
ナツキは顔を背けてしまった。ユキナリが疑問符を浮かべていると、「ああ、そうそう」とカスミは振り返る。
「勝利ついでにちょっとお使い頼まれてくれる?」
「お使い?」
カスミは歩み寄ってジムトレーナーから手紙を受け取る。それをユキナリに差し出した。
「明日でいいから、ハナダシティの北方にいるマサキさんに届けて欲しいの」
「マサキさん? 誰なんです?」
「ポケモンの学者さんよ。あたしが懇意にしてもらっている学者先生と知り合いでね。その先生が次の学会でぜひマサキさんを招待したいって言っているから、それに関する通知が入っているわ。まぁあの人は断らないでしょう」
ユキナリは便箋サイズの手紙を裏返しながらカスミのサインが書かれている事に気づいた。
「でも、僕らそういうのには疎いですよ? カスミさんが自分で行ったほうが」
「これでもジムリーダーなものでね。一応、負けた後の手続きみたいなのをしないといけない。多分、二三日は忙しくって動けないから頼んでいるの。その間にマサキさんはジョウトに帰るかもしれないし、今なら別荘にいる事を知っているからね」
ユキナリは手紙に視線を落としながら、「分かりました」と頷いた。
「マサキさんに渡せばいいんですよね?」
「ええ、頼むわ」
カスミは手を振って離れていく。ユキナリ達がジムを後にしようとすると、「もう一つ」とカスミは声をかけた。肩越しの視線をやって、「次は負けない」と強気な発言が飛び出した。ユキナリが固まっているとナツキが踏み出し、「いい勝負、ありがとうございました!」と頭を下げた。カスミは、「それもジムリーダーの仕事だからねー」と軽い様子で返す。
ジムを出るとポイントの確認を行った。アデクは相当溜め込んでいるため余裕があった。ナツキも今の戦いで10000ポイントの大台に乗った。キクコは何ポイント持っているのか分からないがこの中で一番低いのは自分と見て間違いなかった。
「アデクさん。せっかく山越えしたんだし、今日は語り合いませんか?」
宿泊施設を示しユキナリが提案すると、「おお、いいが……」とアデクはナツキ達に了承の視線を流す。
「いいんじゃない?」とナツキは返す。
「こっちも女子が二人に増えたわけだし。そっちは男が二人でも」
「やった! じゃあアデクさん、チェックインしましょう」
「おお、焦るなや」
ユキナリは僅かにナツキへと視線をやった。ナツキは改めてブルーバッジを握り締め、「……勝ったんだ」と呟いた。それがどれほどの苦渋の上にあるのか、ユキナリは知っている。だからこそ言葉はかけなかった。きっと今は自分の中で自分の勝利を反芻する事こそが重要だと感じたからだ。
二ヶ月前には思いもしなかった戦士の考え方に我ながら微笑ましかった。