第三十六話「水飛沫、散る」
ストライクが鎌を交差させ、翅を震わせる。
威嚇のサインだ。対してカスミのスターミーはその場から動こうともしない。絶対防衛圏である自らの領域を動く必要はないのだ。ストライクは否が応でもプールに入らねばならない。両手の鎌は接近戦が得意だと暗に告げている。
比してスターミーは先ほどの戦闘から接近にこだわる必要は全くない事が窺えた。ユキナリには分の悪い戦いに映る。ナツキは意固地になっているようにも見えるし、カスミは落ち着き払っている。この勝負、ストライクが不利なのは同じだ。
「この勝負、どう見る?」
アデクの質問にユキナリは、「難しいと思います」と素直に返した。
「スターミーの技構成は先ほどの戦闘を鑑みるにフルアタック構成。ストライクがつけ入るような隙があるとは思えない」
ユキナリの評にアデクは、「ふむ」と一呼吸置いて顎をさすった。その挙動に思うところがあったのか、「何ですか」と不満の声を漏らす。
「いや、お前さんはマサラタウンから旅立った仲間を信じんのかと思ってな」
アデクの痛いところをつく言葉にユキナリは俯いた。
「信じたいですよ。でも勝敗は残酷だ」
何よりも無慈悲に、力の在りようを伝える。そこに感情の介入する余地などないのだ。アデクは、「だが、連れはストライクに諦めているわけではないぞ」と答えた。
ユキナリはナツキの横顔を見やる。ナツキはどこまでもストライクを信じ込んでいるように真っ直ぐな視線を投げている。カスミが腕を掲げ、「チャレンジャー! 準備はいい?」と尋ねた。
「いつでも」とナツキが答える。
ユキナリが唾を飲み下す前に、「こちらから行くわ」とカスミが声を張り上げた。スターミーが頂点に水色の光を集束させる。五十メートル先からでも減衰しない光の帯がストライクに向けて放たれた。冷凍ビームの初発を、ストライクは跳躍して回避する。
ナツキが事前に示し合わせていたのか、ストライクの動きは迅速だった。跳躍からの翅の振動による前身。ストライクは虫・飛行タイプ。少しの間だけだが飛行が出来る。ストライクはスターミーへと空中からの奇襲を仕掛けようとしていた。ナツキの声が響き渡る。
「真空破!」
ストライクが空気を鎌に纏いつかせ、内側にひねった勢いで収縮した空気の弾丸を撃ち放つ。スターミーへと直進した空気の弾丸は命中する前に後部の星型が巻き上げた水の壁によって阻まれる。
しかしストライクの真の目的は「しんくうは」の直撃ではない。
「捉えた」
ナツキの声にカスミはハッとしたように視線を向ける。ストライクの鎌が水のベールの向こう側に存在した。「しんくうは」は物理攻撃であり、先制を約束する技だ。ストライクはそれを発する事によって真空の膜の中に自らを浸し、一気に接近したのである。ナツキの得意とする戦法だ。最初の「しんくうは」は初めから接近の契機を作るための囮だった。ストライクが鎌を振り翳し、スターミーへと攻撃を見舞おうとする。
「連続斬り!」
ストライクの鎌が緑色の残像を帯びる。スターミーへと斜に放たれようとした一撃はしかし届く事はなかった。一瞬にして巻き上がった水が凝固し、ストライクの鎌を止めたのである。
「スターミー、冷凍ビームが放てるのは、何も星型の頂点だけではない」
ナツキは目を向ける。ユキナリもそれに気づいていた。スターミーは後部の星型で水を巻き上げるのと同時に二番目の頂点から冷凍ビームを発射し、水を凍結させ氷の壁を作り出した。ストライクの鎌の表面が赤らむ。凍傷だ、とナツキも勘付いたのだろう。
「離脱を!」
ナツキの叫びにストライクは足で氷の壁を蹴りつけた。直後に冷凍ビームの一閃が縫うようにストライクが先ほどまでいた空間を奔る。氷の壁はバラバラに砕け、それと同時に氷柱が幾重にも構築させられた。空気中に形成された氷柱が水に落ちる。ストライクは先ほどのメラルバと同じように浮きを蹴って足場にする。僅か数十センチの浮きの周囲は相手の武器となる水ばかり。圧倒的不利に立たされているのには変わりはない。ナツキはストライクに命じる。
「電光石火で走り抜けろ!」
ストライクが翅を推進剤のように用い、空間に残像を僅かに刻みながら瞬時にスターミーの前に出る。やはり接近か、とユキナリは歯噛みした。
「ストライクには接近するしか道がないんでしょうか」
「じゃのう。ストライクの武器はあの鎌。虫タイプだから弱点が突けるが、スターミーは中から遠距離型の技構築。加えてフィールドがこれでは分が悪い」
しかし、ナツキがただしゃにむに攻撃だけを続けるはずがない。何か策があるはずだと信じたいがストライクの接近にスターミーもカスミも動揺する気配はない。むしろ予定調和とでも言うように手を振るって技を命じた。
「ハイドロポンプ!」
しかし、その攻撃動作よりもストライクの接近攻撃のほうが速い。僅かに勝算はあるか、とユキナリが感じた瞬間、水の砲弾はあろう事かスターミーそのものへと放たれた。ハイドロポンプの威力がプールの水を押し上げ、ストライクの接近攻撃を阻んだ。そう易々と攻撃しないのは水そのものがスターミーの武器だとナツキも知っているからだ。スターミーはハイドロポンプの予備動作の遅さを自らに振り掛けるという荒業で制した。舞い散った水飛沫がストライクにかかる。カスミが腕を振り上げた。
「冷凍ビーム!」
スターミーが足に用いている頂点から冷気を放ち、水飛沫を次々と凍らせていく。小さな氷柱針となってそれらが一斉にストライクへと襲いかかった。ストライクは鎌で弾こうとするが氷の技は効果抜群である。
「ただ単に冷凍ビームを放つだけが芸じゃないわ。こうやって、フィールドと状況を最大限に活かす。それがジムリーダーよ!」
カスミの言葉にナツキはストライクに退去を命じた。
「ストライク、一旦距離を取って――」
「させないわ。絡め取る!」
後部の星型が水を巻き上げ、瞬時にプール内の水の量が変わっていく。スターミーの足元の水が圧縮され、次の瞬間スターミーが持ち上がった。さらに冷凍ビームが放たれ、スターミーは仮初めの足場を形成する。瞬く間に円柱型の氷が完成し、スターミーはストライクの上を取った。
「上を取られればもう奇襲は通用しない! スターミー、冷凍ビーム!」
スターミーが固定砲台のように冷凍ビームを連射する。ナツキは必死に声をかけた。
「ストライク、浮きを蹴って回避を!」
ストライクが浮きを蹴って翻弄しようとするがスターミーの冷凍ビームが無情にも襲いかかる。一瞬にして水面が凍りつき、ストライクの足を絡め取ろうとする。
「ストライクの機動力が活きていない……!」
ユキナリの声にアデクも頷いた。
「やはり周囲が水面ではストライクといえども不利なのには変わりないのか」
冷凍ビームが一射され、プールには流氷が浮かんだ。カスミが鼻を鳴らす。
「足場を増やす結果になったわね」
流氷によるダメージを恐れないのならば確かにそうだろう。しかしストライクは氷が弱点だ。自ら体力を減らしにいくような真似をすればただでさえ耐久で劣るこの戦いでは余計に不利となる。
ユキナリはナツキが白旗を上げると思っていた。この状況、明らかに出直したほうがいい。今のスターミーの城壁のような守りを陥落させるのには骨が折れるだろう。ストライクの特性がテクニシャンだとは言え、あまりにも火力不足だ。アデクでさえ負けたのだ。ここで退く事は何ら恥ではない。
ナツキはしかし、そのような素振りは見せなかった。それどころかストライクへと、「攻撃の準備は、出来ているわね?」と了承を迫った。ユキナリは覚えず声を上げる。
「無茶だ! ナツキ!」
周囲は流氷と水で囲まれている。流氷を足がかりにしてスターミーへと至ろうとすれば余計なダメージを負い、浮きだけを頼りに戦えばスターミーの精密な狙撃を食らう結果になる。どう考えてもストライクに勝つ見込みはない。
「……ユキナリ。あんたなら、ここで諦めるの?」
問われた言葉に一瞬戸惑った。ナツキはユキナリへと視線を向ける。その眼はまっすぐな光を宿している。
「あんたは、ニビシティでも、オツキミ山でも決して逃げなかった。マサラタウンにいた時、あれだけ逃げていたあんたが、もう逃げないと誓った。それがどれほど勇気のいる事なのか、あたしには分かる。だから、あたしも逃げない。最後まで戦わせて」
ユキナリはそこでようやく気づいた。ナツキは意固地になっているわけではない。ユキナリに救われた自分がただ守られるだけの対象ではない事を証明したいのだ。守られるだけでは肩を並べて旅する事など出来ない。ナツキはこのジム戦を経て、自分が一人のトレーナーである事を何よりも雄弁に語るつもりである。
「お前さん、いつの間にか連れを守る気でいたじゃろ」
アデクが呟く。ユキナリが目を向けるとアデクは腕を組んだまま、「男ならそうじゃ」と続けた。
「女子供を守る。そりゃ、正しい。だがな、女子供にもまた、プライドがある事を忘れちゃならん。彼らがただ守られる事をよしとしないのならば、その背中を押す事もまた、男には必要な事じゃて」
アデクが微笑みかける。ユキナリはぐっと拳を握り締めた。いつの間にか勘違いをしていたらしい。あるいは驕りか。ユキナリは改めて一緒に旅をすると誓った事を思い出して声を張り上げた。
「ナツキ! 勝ってくれ!」
その声にナツキはサムズアップを寄越す。正々堂々とナツキは勝負をするつもりだ。