NEMESIS














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螺戦の章
第三十五話「お転婆人魚」

 ユキナリは早速ハナダジムに向かおうとした。

 ハナダジムは街の中央にあり一際目を引いたのは人の多さだ。人垣が出来ており、まさかニビシティの再現か、とユキナリは身構えたが彼らが一様に整理券を持っているのを見つけてそうではないと分かった。

『現在、最後尾はここでーす』と見目麗しい水着姿の女性が看板と拡声器を手にしている。ユキナリが見惚れていると、「何見てんのよ」と背後から声が聞こえた。ナツキとキクコが揃って歩み寄ってくる。どうやらナツキの心を決める事が出来たようだ。

「よかった」

「何が? 水着姿の女の子が?」

 その舌鋒の鋭さも復活しておりユキナリは辟易した。ナツキは女性へと駆け寄って、「このジムに挑戦したいんですけど」と申し出た。

「ああ、なら整理券をどうぞー」

 笑いながら女性は番号の書かれた整理券を手渡す。ナツキは怪訝そうに、「整理券って」と尋ねた。

「何です?」

「ジムトレーナーは皆スタッフなんです。ここのジムリーダー、カスミさんは挑戦者全員と、一対一で戦うスタンスなんですよー」

 女性のにこやかな対応にナツキは整理券へと視線を落とした。ユキナリも歩み寄ると女性は、「挑戦者の方ですかー」と訊いた。ユキナリは、「いえ、僕は」と手で制する。

「受け取りなさい。ユキナリ」

 ナツキの声にユキナリは顔を向ける。ナツキは振り返り言い放った。

「あたしだけ挑戦するのはフェアじゃない」

 どうやらいつものナツキに戻ってくれたらしい。

「望むところだ」とユキナリも整理券を受け取った。女性は、「男性の方にはスペシャルなグッズもあるんですよー」と手渡した。ユキナリが受け取るとそれは水着姿の女性のピンナップだった。ぎょっとしているとナツキが、「やっぱり男って」と侮蔑の眼差しを向ける。キクコも少し引いているようだった。

「い、いやいや! 僕が欲しいって言ったわけじゃないし」

「でも受け取る辺り、そういう事よね」

 ユキナリは渡してくれた女性の手前捨てるわけにもいかずピンナップを眺めた。すると、ジムトレーナーらしき女性陣と彼女達に囲まれた一人の少女の姿があった。手には雫を思わせる水色のバッジがある。ユキナリはオレンジ色の髪をしたこの少女こそジムリーダーであると確信した。

「今度のジムリーダーは何のタイプか」

「水ですよー」と女性がにこやかに告げる。思わず返答に三人とも硬直した。

「水、って」

「カスミさんは、そういうのを隠すの嫌がるんです。だから挑戦者さんがお伺いになられたら答えなさいって」

 女性の言葉にユキナリは改めてピンナップを見やる。プールサイドに水タイプの使い手。となれば相手のホームグラウンドである事に変わりはない。

「ナツキ。ここも」

「ええ。ニビシティと同じく。やっぱりジムリーダー戦は相手に圧倒的有利な場所での戦闘という事になりそうね」

 ジムから肩を落とした人々が連れ立って外に出て行く。恐らくは敗北したのだろう。ジムリーダーとの戦闘はそう何度も出来るものではない。己の残りポイントと相談し、退却したほうが賢明な場合もある。ジムリーダー、ジムトレーナーも同じ権利を有しているのならばこのポケモンリーグはただの一方的な勝負でない事の証明だ。

「あの人達、どうするのかな」

 ユキナリの声があまりにも弱々しかったからだろう。「知った事じゃないわ」とナツキは強気に言ってのけた。

「勝つか負けるか。勝負の世界はいつだって非情よ」

 結果を出した者の勝ちなのだ。それまでの過程がいくら優れていようと勝負の世界ではそれが絶対的である。

 誘導されながらジムの前に辿り着く前に正午を回ってしまった。するとジムトレーナーである女性達が並んでいる人々に弁当を手渡し始めた。美人達の弁当にすっかり骨抜きにされた男性陣を横目にナツキもちゃっかり弁当を受け取る。

「なかなか良心的ね」

「そうだね」

 ユキナリはカツサンド三個詰め合わせの弁当を見下ろした。験を担ごうと言うのだろうか。

「どんな挑戦者でもどんと来いってわけ。面白いじゃない」

 ナツキはカツサンドを豪快に頬張った。ユキナリも食べているとキクコはカツサンドを見下ろしたまま動こうとしないのを発見した。

「どうかした?」

「肉、嫌いなの」

「じゃあ、あたしがもらうわ」

 ナツキがその手からカツサンドを引っ手繰る。「太るよ」とユキナリが忠告すると、「馬鹿」と声が返ってきた。

「ではサラダサンドをどうぞー」

 女性のジムトレーナーが気を利かせてサラダサンドを持ってきてくれた。キクコはそれを頬張る。「どう?」とユキナリが訊くと、「おいしい。でも」とキクコがユキナリに視線を向ける。

「昨日もらったスープのほうが」

「ああ、あれ? レトルトだよ」

 自然食品を使っている分、こちらのほうがおいしいはずだ。ユキナリがそう思っていると、「あたたかかった」とキクコは呟いた。

 それを問い質す前に、ナツキの番号の十番前の整理券の番号が呼ばれた。ジムに下駄の音を響かせて入っていく影に、ユキナリは声を上げる。

「アデクさん!」

 その声に振り返った赤い髪の青年は、「なんじゃ、来てたのか」と足を止めた。

「じゃがのう。ジムバッジはオレのもんじゃ。今回ばっかりは勝ったのう!」

 アデクは自信満々にジムへと入っていく。ユキナリは女性へと尋ねた。

「観戦は出来ますか?」

「挑戦者の方ならば」と女性は微笑んで対応した。実際、優勝候補アデクの戦いを見ておきたい人々が多かったのだろう。ぞろぞろと人垣がジムへと入っていった。

 ジム内は開放感溢れるガラス張りだった。天井から太陽光が降り注ぐ。プールサイドになっており、ちょうどバトルフィールドは五十メートルプールを挟んで対岸に位置していた。

「ようこそ、チャレンジャー!」

 そう声を張り上げたのはオレンジ色の髪を結い上げた少女だった。水色のセパレート水着を纏っており、ピンナップの少女と一致した。

「わたしの名前はカスミ! チャレンジャー、名乗りなさい!」

 どうやら相当声が通るらしい。あるいはジムの構造上か。五十メートル向こうからでも充分聞こえる声に応じたのはこちらも大声だった。

「オレの名はアデク! イッシュのアデクじゃ!」

 高らかに名乗った声にカスミは、「そう」と不敵に笑う。

「なかなかに自信がおありのようだけれど、わたしに勝てると思っているの?」

「勝つ! 勝たんと前に進めんからのう!」

 どちらも一歩も退かぬ言葉の応酬に、「口ではどうともで言えるわ」と最初にボールを出したのはカスミのほうだった。

「でも勝つのはわたし。行け! マイスタディ!」

 モンスターボールから放たれた星型の光が回転し、水飛沫を上げてプールに降り立った。それは紫色の星型をしたポケモンだった。前後に同じような形状をしており、後部の星型がプロペラの役割を果たしている。前部には赤い中心核があった。それが虹色の光を灯し、戦意を漲らせる。

「おてんば人魚カスミ。その手持ちはスターミー」

 スターミーと呼ばれたポケモンは気高く鳴いた。アデクはボールを取り出し、「水タイプか」と声に出す。そういえばアデクのメラルバは炎・虫タイプ。この状況では不利ではないか、とユキナリは感じたがそれを杞憂だと言うようにアデクの声は吹き飛ばす。

「いけ! メラルバ!」

 放たれたメラルバはやはりプールサイドに降り立った。水に入ろうとはしない。カスミは、「見た事のないポケモンだけれど」と髪を払った。

「スターミーには勝てないわ」

「やってみんと分からん!」

「どうかしら。スターミー、ハイドロポンプ!」

 スターミーが後部の星型を激しく動かし、水を掻き上げたかと思うとそれらが中空で渦をなし、砲弾となってメラルバに襲いかかった。メラルバはアデクの指示を待つまでもなく回避したが、先ほどまでいたプールサイドに穴が穿たれている。それ相応の威力である事は疑いようがない。

「よく避けたわね! でもプールサイドで戦えるほど甘くはないわ!」

 矢継ぎ早に「ハイドロポンプ」が連射される。メラルバはプールサイドを走った。しかし、そこで不意によろける。カスミがしてやったりと笑みを浮かべた。

「プールサイドは走らない! これ、常識よ」

 一瞬のバランスを崩した隙をつき「ハイドロポンプ」が突きつけられる。メラルバは最早、回避だけの戦いを出来るほどの余裕はなかった。

「メラルバ! 浮きに飛び乗れい!」

 アデクの指示にメラルバは横っ飛びをしてプールに浮かぶ直径十センチにも満たない浮きを足場にした。あまりに危うい足場だ、とユキナリが感じた時にはメラルバは駆け出していた。

「一気に接近する!」

 メラルバは浮きを足がかりにしてスターミーへと距離を詰めるつもりだ。しかし、スターミーはそれを許すほど甘くはない。青い光が水面を走り、メラルバを囲うように水の手が浮き上がった。

「サイコキネシス!」

「そんな大きな得物――」

 水の手が紫色の波動を持つ刃となり、メラルバを両断せんと迫るがメラルバは浮きを蹴って跳躍したかと思うと水の手をさらに足場に使った。

「当たらんよ!」

「サイコキネシスの手を回避するとは」

 やるじゃない、とカスミも勝負に乗ってきたようだ。メラルバは空中でスターミーを射程に捉えた。

「メラルバ! ニトロチャージ!」

 メラルバの炎の触手が内側から発光し、次の瞬間、その全身が燃え上がった。メラルバの推進力となってスターミーへと特攻する。

「水タイプに炎とは。ちょっとばかし粗野なんじゃない?」

 スターミーは後部の星型を回転させ、再び「ハイドロポンプ」を構築しようとするがそれよりもメラルバの特攻のほうが速い。瞬時に空間を跳び越えたとしか思えない速度でメラルバはスターミーの至近に入った。

「懐に入れば!」

「こっちのもの、だと思った? スターミーの射程でもある事を忘れないで! 冷凍ビーム!」

 スターミーが頂点の先端をメラルバへと向ける。水色の光が瞬時に集束、一条の光線が放たれた。メラルバは直撃を受けて後退する。

「でも氷の技じゃ、メラルバは」

 倒せない、とユキナリは感じたが、「いえ」とナツキが冷静に返した。

「あの技はメラルバを遠ざけるためにある。元々、スターミーは特殊依存型。物理技をぶつける事はない。メラルバは炎も含んでいる。ならば、このプールという空間そのものが」

 そこでユキナリもハッとする。後退したメラルバに退路はなかった。背後は既に弱点属性である水だ。

「アデクさん!」

「やるかいのう! 火炎車!」

 メラルバは身体を丸め、内側から業火を放った。放たれた炎は次々とメラルバの身体に点火していき、メラルバは回転する炎を身に纏う。水に触れた瞬間、蒸発したかに思われたがメラルバは消火を上回る速度で再びスターミーへと直進した。

「火炎車で水の上を走っている……」

 にわかには信じられなかったが、「可能よ」とナツキが応じた。

「ニトロチャージで素早さを上げ、火炎車を全身に展開する事によって部分的にダメージを食らう事を防いでいる」

 ナツキの冷静さにユキナリは舌を巻いていた。ここまでバトルを冷静に見る事が自分に出来るだろうか。少なくともこれから戦いを控える者にとってはこの戦いはどう立ち振る舞うかの契機になる。あるいはアデクがバッジを手にしてしまうのか。

「水による消火を上回る速度での猪突。申し分ない、という褒め言葉を送っておくわ」

「お褒めに預かり光栄じゃが、そう悠々とお喋りというわけにもいかん。メラルバとて限界ギリギリで戦っとる。メラルバ、虫食い!」

 メラルバが「かえんぐるま」の展開を解き、一瞬の隙をついてスターミーへと噛み付いた。メラルバの口元から侵食した攻撃がスターミーの強固な表皮を溶かす。どうやら消化液による攻撃を行っているようだった。

「虫タイプの技は効果抜群のようじゃのう!」

「その通りよ。スターミーにはエスパーもついているからね。でもそんな近くに来て、無事で済むと思っているの?」

 一瞬だけ後退の気配を見せたスターミーは後部の星型を回転させ、プール内を駆け抜けた。メラルバは離脱も儘ならずスターミーにしがみついたまま水を浴び続ける。

「水による侵食ダメージ。それと、これはお返しよっ!」

 スターミーはあろう事かメラルバに噛み付かれたままプールサイドへと相手を叩きつけた。衝撃で粉塵が舞い散る。アデクは思わず身構え、次いで攻防を確認した。

「メラルバは?」

 粉塵を引き裂いて現れたのはスターミーだ。メラルバは水面に逆さになって浮いていた。

「勝負あり、ね」

 カスミの言葉に、「参ったのう」とアデクは頬を掻いてからメラルバをボールに戻した。

「アデクさんが、負けた……?」

 ユキナリには信じられなかった。優勝候補がこうも簡単に陥落させられるとは。相性が悪かったとはいえアデクの実力ならば勝てるとどこかで思っていた。アデクはポケギアを突き出し、ポイントを払う。敗者はポイントを奪われる。まさかその光景をアデクが関わるとは思ってもみなかった。

「いやはや、カッコ悪いところを見せたな!」

 それでもアデクは明朗快活と言った様子でユキナリ達へと歩み寄ってきた。プールの観覧席に座り込み、「今度はお前さんの戦いを見せてくれ」と既に決した勝負には興味のない様子だ。

「再挑戦も出来るけれど?」

「いんや、オレはもういい。一度戦えば分かる。どういう手順を踏んでも、この場所じゃ負ける」

 アデクは顎をさすりながら答えた。アデクほどに実力者が判断したのならそうなのだろう。何よりも自分の実力を客観視している証拠だった。

「じゃあ次の挑戦者を求めるわ」

 ジムトレーナー達がスターミーへと回復薬を振りかけている。続け様の戦闘とはいえ相手は万全。勝てるのか、という不安が脳裏を過ぎる。一人、また一人と挑戦者は去っていった。誰もが優勝候補の敗北に恐れを成したのだろう。

「意気地のない奴らじゃのう」

 アデクは自分の事でないかのように振る舞う。

「さぁ、誰も挑戦しないのかしら?」

 カスミの声にユキナリが踏み出そうとすると前に出た人影があった。ナツキだ。

「あたしのほうが整理券は前のはずよ」

 ナツキの強気な声にユキナリは気圧されたがすぐにこれが勝てる勝負でない事を悟った。ユキナリは、「でもアデクさんが」と声を澱ませる。

「なに? あたしじゃ勝てないって言うの?」

 そうは言っていないつもりだったが、自分の口調は自然とそうなっていたのだろう。アデクは顎をしゃくって、「挑戦者は自由!」と今しがた負けた事を全く悔いてないような声を出した。

「何よりも全員がライバル! 誰にだって挑戦権はあっていい!」

 アデクのさばさばした性格にユキナリは自分の中にあった懸念を消し去ろうと思った。

 ――ナツキとてトレーナーだ。

 何よりも自分と二ヶ月間、鎬を削った仲である。自分にだけ挑戦権があると考えるのはおこがましかった。

「分かった」

 ユキナリの静かな了承にナツキは、「力を出し切ってくるわ」と応じて手を振った。

「挑戦者はあなた、でいいのかしら?」

 五十メートルプールの対岸でカスミが仁王立ちしている。スターミーは既に回復処置がなされて万全であった。プールの浮きも取り替えられ、アデクのメラルバが衝突した縁以外はほぼ完全である。

 ナツキはホルスターからボールを抜き放ち、挨拶をする。

「マサラタウンのナツキです」

 カスミは応ずるように手を掲げた。

「ハナダジムのカスミ。エースはスターミー」

 既に場に出ているスターミーが呼応して後部の星型を回転させた。ユキナリは固唾を呑んで見守るしかなかった。

「いい眼をしとる。トレーナーの眼じゃな」

 隣に座っていたアデクがナツキを評する。ユキナリは、「幼馴染なんです」と答えた。

「心配か?」とアデクが目配せする。ユキナリは、「少し」と頷いた。

「だがこの勝負。分からんぞ」

 アデクは展開されようとしている勝負に胸を高鳴らせている様子だ。ユキナリも血液が熱を持って身体を循環するのが分かった。

 ナツキがマイナスドライバーでモンスターボール上部のボタンを緩め、プールサイドへと投擲した。

「いけ! ストライク!」

 躍り出たストライクが両腕の鎌を交差させて威嚇する。カスミは、「また虫、か」と少しだけ気落ちした様子だった。

「虫は嫌いなんだけれど、勝負は勝負。全力で戦わせてもらうわ」

 その言葉にナツキは短く、「来い!」と声を放った。

 今、ハナダジムにて戦いの火蓋が切って落とされた。激戦の予感にユキナリは唾を飲み下した。

第三章 了


オンドゥル大使 ( 2015/01/09(金) 20:52 )