第三十二話「策謀の闇」
シロナは部屋に戻るなりポケギアの通話ボタンを押した。通話先は決まっている。
『もしもし……』
「あたしです、シロナ。第一容疑者であるカンナギ・ヤナギと接触しました。でも、彼じゃない。それだけは確信出来る」
発した声に、『そうか』と通話口の相手は応じた。
『だが引き続き監視は』
「行うつもりです。氷タイプ使いでもあの子に比肩する人間はそういない」
あくまで監視対象としてヤナギに同行するつもりであった。それは表向きではあるが。実際にはヤナギも自分達を利用し、自分もヤナギを利用する関係だ。
『そうか。こちらはデボンの個体識別番号を調べているが、それに繋がる要素はなし。ただし、オツキミ山近辺で動きがあった』
「動き?」
『また殺しだ』
その言葉にシロナは慄然とする。自分が追っていたヤナギが犯人ではない事が同時に証明された。
「殺害方法は?」
『同じく。急速に体温を奪われた事によるショック死。あとの二人はやく殺だな』
「三人も殺されたって言うの?」
『これで五人だ。これから先も起こるかもしれない。そうだとすれば犯人が玉座に就くまでこの不可解な殺しは続く』
この競技大会に差した暗雲にシロナは不安を感じないでもなかったが、玉座をかけた戦いだ。人の生死は必然だろう。
「やく殺ってのが気になります。どうしてここに来て犯人は殺し方を変えたのか」
『分からない。ただ、もしかしたら氷タイプ使いという我々の推理の裏を掻くつもりなのかもしれない』
「だったら、油断ならないですね」
複数犯の疑いもある。ヤナギにオツキミ山での殺人に関する疑念はないとは言え、まだジムリーダー殺しが完全に払拭出来たわけでもない。
『どちらにせよ我々の捜査は続けざるを得ない。何らかの進展があるまでね』
シロナはその段になってようやく相手の名前を呼んだ。
「ハンサム警部。今回の一件、正義はこちらにあると考えていいのですよね?」
ヤナギと話していて疑問に感じた事だ。このポケモンリーグ、勝手に正義を騙って組織立って動く事が本当に正しいのか。それは行き過ぎた傲慢に他ならないのではないか、とシロナは感じていた。しかし、その判断の鈍さにハンサムは逆に疑念を抱く。
『何か、あったのかね』
国際警察の眼は欺けないらしい。ヤナギとの契約と敗北を口にするべきか、と迷ったがシロナはこれからの磐石な関係のために伏せる事にした。ただ国際警察相手にどこまで嘘が通用するかは疑問ではあるが。
「何も。ただヤナギという少年、カンザキ執行官の息子という一単位としてみるには惜しい戦力です」
ヤナギの株を上げるべく言ってみたがハンサムの声は冷静だった。
『ヤナギ少年に関しては君に処遇を一任する。それと、犯人がオツキミ山を超えてハナダシティに至る事を考えて既に捜査員を派遣しておいた』
「ハナダシティで殺しがあると?」
『分からないが、またジムリーダー殺しが行われる可能性は否めないだろう。その場合、他の参加者に波紋が広がるかもしれない。今はまだ内々で事を進められているが、いずれは露見する。その場合、カンザキ執行官だけをトカゲの尻尾切りにするのは難しいだろう。我々とて既に後戻り出来ぬ場所まで来ているのだ。私も国際警察という手前、動いていたのがばれるとまずい』
ハンサムの口調から保身が読み取れたがそれだけではないのだろう。この男は入れ込んだ事件にはとことんまで関わる癖がある。今回のポケモンリーグにきな臭さを一番に感じているのもこの男だ。
「……分かりました。ではあたしはこのままヤナギ少年の監視任務につきます」
『頼んだ。しかし、親子共々我々に関わってしまうとは』
因果か、とハンサムは付け加えた。因果があったとしてもそれは向こうから引きつけたものだ。決して、組織だけの力ではない。
「ハンサム警部。犯人の目的は……」
『依然、読めないな。ジムリーダーだけを殺すのならばまだしも、今回の被害者は一般の参加者一人、もう二人は雇われの人間だった』
「雇われ? どこにです?」
シロナの質問にハンサムは一呼吸置いて答える。
『シルフカンパニーの社員名簿にその名前があった。どうしてシルフの人間が身一つでオツキミ山にいたのかは不明。恐らく参加者の一人、ラムダという男がリーダー格だったのだろうが彼らが殺される理由が全く分からない。アトランダムな殺しにしては、随分と限定的な能力に思える』
「シルフカンパニー……」
躍進を続けているカントーの企業だ。確かポケモンリーグの出資者に名を連ねているはずである。シロナはこの大会の裏で動いているのは何も自分と追っている組織だけではないと感じ取る。
『第三勢力の可能性も視野に入れて我々は捜査を続けているがシルフは口が堅い。そうそう真相を話してくれるとは思えないが』
「シルフカンパニーの探り、あたしにやらせてもらえませんか?」
何か理由があって提案したわけではない。しかし、ヤナギと共に旅をするのならばいずれシルフカンパニーの総本山、ヤマブキシティにも辿り着く事だろう。その時に捜査を進められないかと感じたのだ。ハンサムは逡巡の間を置いた後に、『そうだな』と納得した。
『私の動かす構成員は所詮、後手後手に回る事になるだろう。ジムリーダー殺しを危険視してジムリーダーの護衛についたとしても犯人は殺さない可能性もある。そうなった場合、実際に参加者として登録している君のような人間のほうが動きやすいだろう』
「ヤグルマは?」
『ハナダシティに赴いているよ。今回、オツキミ山での殺しに気づいたのは彼だ。山越えをする連中の中に犯人がいると踏んでいたのだがこれも後手に回ったな』
シロナは親指の爪を噛んだ。犯人は自分達では到底及びもつかない考えで動いている。それだけは確かなのだが逃げ水を追っているように手の中を滑り落ちていく感触だけがあった。
「あたし達はさらに相手の裏の裏を読むつもりでなければ」
そうでなければ相手を捉える事も出来ない。シロナの言葉に、『焦りは禁物だ』とハンサムは言い含めた。
『焦っても殺しは起こる。問題なのは、いかにして抑止するか。それだよ』
殺人者に対して最も効率的なのはその意図を読み解く事だったが今の自分達にはピースが足りない。この事件を解読するには圧倒的に情報量で不足していた。
「なにせ、参加者が多過ぎます。絞り込むだけでも」
『デボンに協力を仰いでいるが、その中に内通者がいないとも限らない』
畢竟、自分達しか頼れないという事だ。シロナは身が引き締まる思いだった。
「あたし達が何とかしなければ」
『まだ殺しは続く。それだけは避けねばならない。他地方とはいえ、これほどまでに介入せねばならない事を鑑みると、今回のヤマは大きい』
ハンサムは組織の中で発言力が高いとはいえトップではない。組織が事件を追う事を第一に掲げなければハンサムとてお払い箱だ。
「あたしは、殺しを追う事で、このポケモンリーグの真相が見える気がします」
少なくともこの殺人とポケモンリーグの裏に潜む人々との関係はゼロではない。何かしら繋がるものがあるはずだ。
『そう信じているよ』
「そろそろ明日に備えなければ」
『ああ、おやすみ』
「お疲れ様です」
通話を切り、シロナはベッドに寝転がった。それぞれの部屋には出身地方に近い彩が与えられている。シンオウの間取りに近い部屋の中でシロナは目を瞑った。夢も見ないほどに深い眠りであった。
「朝か……」
ヤナギは身を起こす。結局、一睡も出来なかった。シロナの書き綴ったメモを懐に仕舞い、支度を整えて部屋を出るとちょうどシロナと出くわした。
「行きましょう」
シロナの言葉に、「あんた」とヤナギは口を開く。
「俺と一緒に旅をする気か?」
「そうよ。あなたは一時的とはいえ容疑者に上がっていた。監視をするのは当然でしょう。それに組織に取り入りたいのならばあなたはあたしを利用しなければならない」
「利用されるために俺の傍にいるか」
フッと口元に笑みを浮かべる。シロナは、「いけない?」とわざとらしく微笑んだ。
「好きにしろ。ただし、俺の目的はあくまで玉座だ。ジムには回らせてもらう」
ヤナギの目的はクチバジムだった。オレンジ色の背の低い家屋が密集する街並みをヤナギは窓から見下ろす。
「そうね。あたしも玉座を狙っているけれどあなたほど真剣じゃないわ。二の次。まぁ、負ける気はしないけれど、ここのジムはあたしには不利ね。パスさせてもらうわ」
「クチバジムのジムリーダーは?」
ヤナギが尋ねるとシロナは、「教えると思う?」と首を引っ込めた。
「あたしも一応参加者。当然、ライバルに差をつけたい気分は同じ」
そう簡単ではないか、とヤナギは納得し下階へと降りた。受付でチェックアウトを済ませ、早速クチバジムへと向かった。オツキミ山を越えてくる人間が多数のため、クチバシティでは参加者らしいトレーナーはそう多くは散見されない。それでも、何人かは既にジムの前で張っていた。
「早いな。もう着いているのか」
「あたし達が言える台詞じゃないけどね」
シロナの言葉にヤナギは肩を竦める。どうやら参加者は夜通し旅を続けてきた者達らしい。頭髪は皆がぼさぼさだった。
「オツキミ山を越えて来た連中、にしては早過ぎる」
「ディグダの穴よ。それを通過してきたそれなりの猛者達ってわけね」
ヤナギとシロナが並んで歩いていると参加者と思しきトレーナー達は自然と道を譲った。どうしてだろうと思っているとシロナが不敵に笑う。
「一応、優勝候補なもので」
その相手を下した自分としてはすっかり忘れていた。トレーナー達からしてみればそれに付随している自分のほうが物珍しいのだろう。胡乱そうな視線が何度か向けられた。
「だが、あんたはジムに挑戦する気がないのだろう?」
「そうね。ミロカロスじゃ分が悪い」
既にジムリーダーの情報を得ているシロナのほうが上を行っている。それは間違いない。
「俺が挑戦するのを」
「邪魔する気はないわ。ただ一つだけ言っておくと、氷でも相性は微妙よ」
忠告にヤナギは鼻を鳴らした。
「関係はないな。俺が信じるのは俺の腕だけだ」
「相当自負がある様子だけれど、これじゃ」
シロナが足を止める。トレーナー達がジムの前で立ち往生している理由が分かった。木によって阻まれているのだ。シロナが触れる。
「ちょっとこの木じゃ入れないわね」
ヤナギも次いで木の状態を確かめる。凍結で自然に枯れさせるには少しばかり骨が折れそうだ。
「どうするの? これじゃあ、挑戦できないわよ」
ヤナギは周囲へと視線を配った。クチバシティは港町だ。西部と南部が海に囲まれている。
「あんた、俺の挑戦を邪魔する気はないって言ったな」
「何よ。疑っているの?」
「ジムリーダーには勝てない、とも言ったな」
確認の声にシロナは怪訝そうな目を向けた。
「そうだけど、何? 優勝候補は負け知らずじゃなきゃいけないって言うの?」
「俺の手伝いをしろ」
ヤナギの発した言葉にシロナは目を見開いた。ヤナギは南部に伸びる桟橋を指差す。
「あの辺りから波乗りを使えばジムに到達できる。ミロカロスでも二人くらいは乗せられるだろう?」
その提案にシロナは呆けたように口を開いていたが、やがてにやりと笑った。
「あなた、本当に図太いわね」
「出来るのか、出来ないのかを訊いている」
「出来るわよ。行きましょうか」
シロナは踵を返した。ヤナギはその背中に続いてクチバシティ南部の桟橋に至る。豪華客船サントアンヌ号が停泊しており、ヤナギは一瞬、ジョウトまで行けるのだろうか、と考えた。だがただで故郷に帰るつもりはない。必ず、病床の母親にいい報せを届けなければ。
「行け、ミロカロス」
シロナはモンスターボールからミロカロスを繰り出した。ポケモンセンターに預けていたお陰でヤナギのウリムーによる攻撃は完治しているようだ。しかし、ミロカロスはヤナギに対して敵意を剥き出しにした。
「ミロカロス、今は、ヤナギ君は敵じゃないわ」
今は、か。ヤナギは胸中で自嘲する。お互いにいつでも裏切れる腹積もりでいるのだろう。
「ミロカロス、あたしとヤナギ君を乗せてクチバジムまで」
ミロカロスが身体を震わせて吼える。美しい鱗で波を弾き、二人を乗せるために頭を垂れた。シロナは慣れた様子でミロカロスに騎乗する。ヤナギも物怖じせずにミロカロスに乗った。
「行って」
その命令でミロカロスは波を切りながらクチバジムへと向かう。波間にコイキングが現れミロカロスと並走しようとしたがすぐに波に弾かれた。それほど波は強いわけではないが、ミロカロスの巻き起こす威風に押されたのだろう。
「着いたわ」
シロナの声にヤナギは顔を上げる。ミロカロスはきちんと二人をクチバジムへと送り届けた。仰げば先ほどまで見えていたクチバジムの外観はどうやら背後だったらしい。陸地から入れる唯一の入り口が背中だとは。ヤナギはこのジムの設計者のほうが自分などより随分と図太いと感じた。
「行きましょう」
ミロカロスをボールに戻したシロナが門を叩こうとする。ヤナギはそれを手で制した。
「挑戦するのは俺だ」
ヤナギの声にシロナは口元に笑みを浮かべる。
「言っておくけれど、ジムリーダーはそれなりに強い。それも正規の手順を踏まず、街を一つ飛ばしているのだからその強さは段違いと思ったほうがいい」
「忠告どうも。だが、俺には関係ない」
ヤナギは門の前に立った。やがて重々しく扉が開き、彼を迎え入れた。