第三十一話「始まりの物語」
ディグダの穴はクチバシティ東へと接続していた。
オレンジ色を基調とした屋根を持つクチバシティは漁港も盛んで、港町としても名高い。また外国との通商貿易にもまずクチバシティが置かれているために玄関口としても有名である。しかし、クチバシティそのものは開発途上であり、首都であるヤマブキシティや商業都市タマムシシティに比べれば随分とお粗末だ。
ヤナギはまず、クチバシティの宿泊施設にチェックインし、シロナと隣室を取った。シロナは優勝候補としてメディアにも露出しているため慎重を期す事になったが、ヤナギは身分が割れていないためその分では楽だった。待ち構えていた記者達が一斉にシロナに質問を浴びせる中、ヤナギは涼しい顔で部屋番号を確認し、ディグダの穴で疲弊した身体を休ませた。手持ちのウリムーはポケモンセンターに一晩預け、回復処置を行ってもらった。その間、ヤナギは手持ちなしの状態だがシロナに勝った手前、誰も襲ってこないだろう。来たとしてもヤナギには勝算があった。
間もなく扉がノックされ、ヤナギは答える。
「どうぞ」
現れたのはシロナだ。金髪をかき上げ、「嫌になっちゃう」と第一声を上げた。
「どこに言っても質問攻めなんだから」
「あんたがそういう立場にいるのが悪い。もっと地味な立ち居地を取るべきだったな」
ヤナギの言葉に、「あなたみたいに冷静にもいられないのよ」とシロナは応ずる。
「なりふり構っていられないのが本音ね」
「考古学者ってのはそんなにがっつかなくってはいけない職業なのか?」
皮肉を込めた言葉にシロナは、「そうね。仕事柄」と答える。どうやら相当参っている様子だ。これ以上意味のない言葉を繰り返しても仕方ないだろう。ヤナギは早速、本題に至った。
「あんたらの組織は何だ?」
ヤナギは僅かに視線を壁に走らせる。「盗聴の心配はないわ」とシロナが心得たように口にする。
「ミロカロスが既に張っている。彼女はとても気配に敏感だから、そういう機械があれば見分けられる」
「随分とよく躾けられたポケモンだな」
「ええ。この時のために、あたし達はそれこそ身を削る思いで研鑽の日々を送ってきた」
シロナの言葉にヤナギは、「よく出来ている、と思うよ」と口元を吊り上げる。
「だが、何に忠義を誓ってそんな真似が出来る? 国家か? あるいは個人か」
「とても鋭い質問をするのね」
シロナは年長者の威厳を出そうとして微笑んだがヤナギには無意味な事だった。
「質問は、的確に、なおかつ最低限にするのが礼儀だ」
「礼節を心得ているのは立派だと思うわ」
「あんたらが信ずるものとは何だ?」
ヤナギの質問にシロナは背筋を伸ばして答えた。
「公平さと誠実さよ」
「答えになっていないな。それはどういう事か」
「このポケモンリーグに欠けているもの。それを満たしてくれる存在に、あたし達は奉仕している」
「最初からポケモンリーグが磐石ではないかのような言い草だな」
「あなただって思い当たる節があるでしょう?」
ヤナギは暫時沈黙を挟んだ。ヤグルマとかいう記者。父親が信奉している組織。何よりも、このポケモンリーグの枠組みが何やら欺瞞めいている。
「俺は、玉座が欲しい」
「知っているわ」
「ならば何故、俺を襲った? 純粋に玉座を求めるのならば不必要な殺しは避ける」
「必要最低限なら人殺しも厭わないような口ぶりね」
ヤナギはまたも沈黙を挟む。やがて、指を一本立てた。
「鮮血の一つも纏わないで、王になれるとは思っていない」
シロナは乾いた拍手を送る。
「その年齢にしては世間を知っているのね」
「教えろ。どうしてお前らは、ジムリーダー殺しの犯人を追っている?」
「その犯人こそが、敵対する組織の手駒かもしれないと考えているからよ」
「お前らは国家の枠組みすら超えた組織だ。そんな奴らでさえ、恐れるものとは何だ?」
ヤナギの質問にシロナは、「恐れる、というよりかは理由を知りたい」と視線を机の隅に置いた。
「理由?」
「あなたが何故襲われたのかを知りたいように、あたし達は、何故、相手が存在するのかを知りたい」
「禅問答はお呼びじゃない」
「大切な事よ。敵とは、何故、存在するのか」
ヤナギはシロナの言葉の行き着く先を答えた。
「思想の違いだ。何を求めるかによって人の利害は一致する事もあれば不一致の場合もある」
「そうよ。あたし達の敵は、つまり利害の不一致に他ならない」
「答えになっていない」とヤナギは苛立たしげに机を叩いた。文机が揺れる。
「いいえ、これが答え。ただし、あたし達の場合、それが国家の規模に膨れ上がっただけ」
ヤナギは眉をひそめる。国家規模の思想の違いと言えば一つ、結論が出る。
「戦争か」
「それは表上のやり取りに過ぎないわ。イッシュを仮想敵にしているのはもちろんカントーに住んでいるのなら分かっているわよね?」
「馬鹿げた話だ。規模が違う」
「あら、戦争否定派?」
ヤナギは戦時下と言う名目のカントーがそもそもどことも戦争状態になろうと思っていない事を知っている。
「カントーは内々に事を収めるだけでも精一杯だ。他国との戦争など、やっている場合ではない」
「それは同意ね。カントーはだからこそ躍起になっている。この地方の民草全てを納得させ、安心させる材料である王の不在の状況を」
「何が言いたい?」
ヤナギの苛立たしげな声に、「つまりはこういう事よ」とシロナが続けた。
「このポケモンリーグ自体が、カントーという大規模国家を纏め上げるために必要だったとしたら?」
ヤナギはその想像の帰結を容易に理解した。
「……まさか、カントーは他国との戦争を想定して、このポケモンリーグを開催したと言うのか」
民の声を纏め上げる絶対的なシンボルである王。それをこの機会に作る事によってカントー全国民の思想を一致団結させる。それを槍の穂先にしてカントーは戦時国家への道を辿ろうとでも言うのか。シロナは、「当たらずとも遠からずね」と返す。
「戦争のつもりがあるのかどうかまでの確証はないにしても、国民の思想を一気に纏め上げるカリスマを欲しているのは事実」
「だが、それは先王がいれば何も困る事はなかった。今回、事の発端は先王の崩御……」
ヤナギはそこでハッとしてシロナに視線を固定した。
「まさか、先王の崩御そのものから仕組まれていた?」
あってはならない想定だと思いながらもヤナギは口にせざるを得なかった。シロナは静かに首肯する。
「そこまで想定するのは、さすがにやり過ぎだと判定している人間も組織にはいる。でも、あたしはそうじゃないかと考えている。相手が、先王を殺した」
「先王は病死だと聞いたが」
「それは嘘よ」
シロナは何でもない事のように否定する。ヤナギは、「まさか、そこまでの勢力だと」と半ば信じられなかった。対してシロナは落ち着いてヤナギに説明する。
「そもそもこの国の興りからしておかしい、ってのはディグダの穴でも言ったわよね。あたし達はこのカントーが興国するきっかけにも、彼らがいたと考えている」
「飛躍だ」とヤナギは首を振ったが、シロナは、「飛躍でも何でもない」と答えた。
「もし、彼らがカントー始まりの、その先駆者だとしたら? この大きな地方は彼らから始まった。少なくともあたし達はそう考えている」
「馬鹿げた話だ。あんたの話を統合すればカントーの興りにはある集団が関わっていて、そいつらが今回のポケモンリーグも裏で糸を引いていると言うのか」
否定する材料を与えたつもりだったがシロナは、「その通りよ」と頷いた。
「その名前は?」
シロナは首を横に振る。
「それだけがどうしても出てこない。だからあたしのような考古学者にもお呼びがかかった。考古学の観点から彼らを暴いて欲しいと」
「実力者であるのは後付けか」
「カンナギタウンという寒村がシンオウにはあってね。あたしはそこで生まれた。そこでは時間と空間を操る二体のポケモンを奉る祠があった」
「何の話だ?」
苛立ちの口調にもシロナは臆す事はない。ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「ジョウトにもあるんでしょう。確か、時間を旅するポケモンの社が。それにスズの塔にはジョウトで伝説となったポケモンを蘇らせた不死鳥のポケモンがいるとか。海の底、渦巻き島は未開で何かがいると言う話だけが伝わっているとか」
「だから何の話を――」
「これは始まりの話よ」
痺れを切らした声を、思いのほか冷静な声音が断じた。ヤナギは呆けたように、「始まり……」と繰り返す。
「そう、一地方の始まり。それは必ず伝説、神話、あるいは創造譚に溢れている。でも、このカントーにはそれがない。いくら調査してもないのよ。逆に不自然なほどに」
「彼らが意図的に排除したとでも言うのか」
「排除、なのかは分からないけれど、ないという証明はあるという証明よりも難しい。ここ数十年、我々の組織はないという証明を繰り返し、カントーという土地の特異性を示唆してきた。この土地には何かがある。イッシュのハイリンクやカロスのヒャッコクの石時計なんかよりもよっぽど奇妙で、それも不明瞭な何かが」
シロナは眼差しに鋭い光を含んだ。それが考古学者としての性なのか、それとも組織の一員としての使命感なのかは判別出来なかった。
「あんたらの組織は彼らを闇から引っ張り出したいわけか」
「それも分からないわ。彼らが闇に潜んでいるのかもね。もしかしたら、堂々とこのポケモンリーグに出場しているかもしれない」
「まさか」
ヤナギは笑い話にしようとしたが生々しい現実が邪魔をした。カントーという土地ににおい立つ何か。それが巨大な影として屹立する。
「カントーは何なんだ。おかしいという前に、どうしてこうまで因縁の土地となる」
「王の崩御も彼らの仕業となればいよいよこの土地がきな臭く感じられる。何を守っているのかしら」
それは同時に、何をこの土地は隠し持っているのか、という問いになった。ヤナギは、「あんた」と声をかける。
「ディグダの穴で俺に仮説とやらが立っていると言ったな」
シロナは目を見開いて、「聞きたいの?」と尋ねた。
「知らねばならない。あんたの組織、そうでなくってもあんたは何を考えているのか。損得の問題を超えて、あんたらは何を手にするつもりなのか」
「玉座だって言い訳、はもう通用しなさそうね……」
シロナは肩を竦める。ヤナギは尋問の口調になった。
「教えろ」
「仮説よ。本当に仮説」
シロナはそう前置きして、文机の上にあるメモ用紙とペンを手に取った。ヤナギが怪訝そうに眺めていると、「この世界は」とシロナはメモに文字を走らせた。
「ポケモンの発生によって生み出された、という神話がある。アルセウス創世神話。シンオウでは広く伝えられているわ」
ヤナギも耳にした事はある。ただし、眉唾の範疇だ。実際にポケモンであるアルセウスが創世したと言うよりかは、それは事実にポケモンをなぞらえただけの創作に過ぎないと聞いた。
「ホウエンのグラードンとカイオーガの伝説と同じだな。実際にはこの二体は戦ってすらおらず、地殻変動を説明する術を持たなかった当時の人間が、グラードンとカイオーガと言う強大なポケモンに理由を求めた」
「あら、博識ね」
シロナは試すような物言いで呟く。ヤナギは、「一応、政治家の息子なんでね」と答えた。
「それなりに教養はあるつもりだ」
「でも、あたしが話すのは荒唐無稽よ。それを理解して、聞きたいのね?」
どうやら最終確認が必要なほどにシロナの話は突拍子がないらしい。ヤナギはため息をついて、「いいから話せ」と促した。
「じゃあ言うけれど、アルセウス創世神話。これは実際の宇宙の始まり、ビッグバンを説明するためにアルセウスと言う神にも等しいポケモンに理由を求めた」
「おい、いいのか。シンオウの考古学者だろう」
そのような、自分の土地の伝説を貶めるような事を言っても、という意味だったが、シロナは、「だからこそよ」と応じた。
「だからこそ?」
「生まれ故郷だからこそ、客観的に言える。これはビッグバンを説明するための道具。そもそも、ポケモンの発見がここ数十年程度の話なのに、どうして遥かな昔にポケモンのタマゴがまずあったって言うの?」
ヤナギは盗聴の類はないとしても慌てた。この発言はポケモン原理主義者からしてみれば冒涜そのものだ。
「あんた、自分の立場を分かって言って――」
「だから、学会では言えないんでしょう」
遮って放たれた言葉にこの女の思っていたよりもしたたかな面が滲み出ていた。何を考えているのか。どうしてそのような仮説に至ったのか。ヤナギは気になり始めている自分を発見した。
「……続けろ」
「肯定と受け取っていいのかしら。じゃあ続けるけれど、ポケモンの発見は数十年前、何人かの人々が突然認識し始めた事から始まった。この数人を我々の組織は確保し、とある実験を行った」
「実験?」
「退行催眠よ」
ヤナギは目を慄かせた。「それは……」と思わず口調が上ずる。
「ええ、人道的範疇で、だけれど」
ヤナギの心配を察したようにシロナは先回りした。
「退行催眠の結果、彼ら彼女らにはそれより前にポケモンを見たと言う記憶があった。つまりポケモンとは、ここ数十年で認識されただけで、最初から存在した、という証明になった。でも、本当に最初、原始の記憶にまで刻まれていたわけではない。最初、というのは個体生命が発してから、つまり彼ら彼女らの数十年の人生でしかない。組織は人間相手では埒が明かないと感じ、ポケモンへの退行催眠を試みた」
「その、結果は?」
ヤナギが固唾を呑んで次の言葉を待っているとシロナは目を伏せて、「出来なかった」と告げた。
「出来なかった?」
「ポケモンには過去の記憶がなかった。ポケモンのメカニズムを少しだけ解明するのならば、彼ら彼女らには長期記憶の領域は存在するが、それは自己認識に関わるもの以外は希薄であり、つまり自分達の個体がどれほど前に存在したのかまでは分からない。そもそも、ポケモンと一括りにしたところでピカチュウとポッポでさえ全く別の生命体。そのような別の系統樹を辿ったポケモンが、同じ原始の記憶を共有しているはずはなかった」
「つまり、あんたらの実験は失敗だったわけだ」
「そうでもないわ。ならば組織は最初のポケモンにこそ、答えがあると考えた」
「最初だと」
「そう。幻のポケモン、全てのポケモンの遺伝子を持つというポケモンの祖先、ミュウ」
ヤナギも教本の挿絵でしか見た事がない。誰も見た事がないはずでありながら、誰しも共通認識として持っている幻のポケモンであった。
「ミュウを捕まえたのか?」
「いいえ。どれだけ奥地に行ってもミュウは捕まらなかった。その睫の化石だけを手に入れた。それも、研究所の事故の折に紛失したそうだけれど」
「化石からじゃ、何も分からないな」
結論付けたヤナギに、「化石から復元する方法もあるのよ」とシロナは不敵に微笑んだ。
「出来たのか?」
「化石に含まれる遺伝子に聞いたわ。あなた達の原初はどこから始まったのか。そして何よりもポケモンとは何なのか。人間と何の関係があるのか」
その答えの行き着く先を、シロナ達の組織は至ったというのか。ヤナギは唾を飲み下し、「分かったのか?」と訊いていた。
「ポケモンとは何なのか」
シロナはゆっくりと首を横に振った。
「分からない事のほうが多かった。ミュウの睫の遺伝子程度で範囲はたかが知れている。あたし達は、自力でそこに辿り着かねばならない」
そこでシロナがメモに書き付けている言葉に気がついた。シロナは喋りながら覚え書きのようなメモを残している。
「それは?」
「ああ、考えていたのよ。ミュウの遺伝子を手に入れ、組織は大きく躍進するはずだったのに、どうして歩を進めなかったのか。あたしにはね、人類が到達するには早過ぎたのではないのかと推測している」
「どういう事だ?」
「ポケモンとは何か、人間とは何か。この世界の創造主は何者か。その問いかけに至るのに、あたし達は未だ無知なままよ。でも一つだけ、ミュウの睫から仮説は立てられる」
シロナはペン先でメモ帳を指した。その内容にヤナギは息を詰まらせる。
「これは……」
「それが、あたしの仮説。言葉にする事も憚られる内容でしょう?」
シロナがメモした内容はヤナギでもにわかには信じられなかった。これは学会で鼻つまみ者にされるのは目に見ているだろう。
だから組織に入ったのか。しかし組織内部であっても、このような考え方は異端である事は容易に想像がつく。
「これを誰かに話したのは」
「ないわ。あなたが初めて。だからかしら、少し饒舌になりすぎてしまった」
シロナは立ち上がった。メモを手に取ると、「燃やすなり持っておくなり好きにすれば?」と素っ気ない返事を寄越された。
「どうせ、学会じゃ発表出来ないわよ。そんなの」
シロナはあくまで考古学者としての地位を目指しているようだ。このポケモンリーグの最終到達点である玉座にも興味はないのかもしれない。
「あんたは……」
「もう寝るわ」
シロナは部屋を後にする。ヤナギは引き止める言葉を持たなかった。ただ一つだけ、確認する。
「あんたらの組織を、俺は利用する。その関係性は」
「承諾しているわ。今のところ、あたしの胸の中にだけ留めておくけれど」
ヤナギは表立って組織の力を利用しようとは思っていなかった。あまり派手に動けば父親に気取られる。そうなれば自分達親子の関係性も瓦解しかねない。
「あなた達親子は、思っているよりもしたたかね」
シロナの感想にヤナギは、「俺の独断だ」と答える。
「父上の事は関係ない」
「カンザキの家柄で持ち上げられるのは嫌って事かしら」
「俺が信じているのは俺の力だけだ。他には何もない」
ヤナギの言葉にシロナは鼻息を漏らす。
「立派ね」
そう言い置いてシロナは部屋を出て行った。一人残されたヤナギは布団を敷いて眠る準備を始めたがメモ帳を手にすると眠気が訪れる事はなかった。
そこに書き綴られている事がもし事実なら――。
「ポケモンも俺達人間も、どちらの未来も……」
そこから先は言葉にならなかった。