第二十四話「凍結魔術」
ミロカロスの身体が弾け、ヤナギに向かって直進する。ヤナギは手を掲げて命じた。
「瞬間冷却、レベル1」
その言葉と共にミロカロスの表皮へと急速に霜が降りてくる。しかし、ミロカロスは体内から発した水飛沫で弾いた。
「その程度で凍らせられるほどやわじゃないわ!」
ミロカロスがヤナギを射程圏内に捉える。アクアリングが煌き、瞬時に集束した。ミロカロスの口腔内から放たれた光を増幅させ、アクアリングを潜って水色の光が拡張させられる。光条が放たれ、ヤナギは即座に反応する。
「凍結防御壁、レベル2」
土くれを巻き上がらせ、それらを触媒にしてヤナギは即席の防御壁を展開した。瞬く間に凍り付いた壁を上塗りするように光線の効果が発揮される。すり鉢状の氷柱が突き刺さるかのように屹立した。
「冷凍ビームか」
その技の名前をヤナギが口にすると、「その通り」とシロナは応じた。
「もっとも、あなたには意味のない技だったかもしれないけれど」
確かに、氷を操る自分には縁の深い技である。しかしヤナギには分かっていた。シロナは、こちらが氷を操る事を見越してこの技を発したのだと。
「俺の氷を操るレベルを知るために、あえて効果の薄い技で攻めた」
見透かした声に、「やっぱり、可愛くない」とシロナはふふんと鼻を鳴らした。
「その手持ちとは対照的ね」
シロナはヤナギの手持ちを見下ろす。ミロカロスに比べれば弱小に近く見える茶色の毛並みの矮躯だった。小刻みに震えており、目は細かいゴマのようである。
「ウリムーというポケモンね。未進化の氷・地面タイプ」
「詳しいな」
「これでも一応、考古学者の顔も持っている。タマムシ大学も出ているわ。それなりに教養はある」
シロナは金髪をかき上げる。ヤナギは鼻を鳴らした。
「氷である事を分かっていて冷凍ビームなんて放った。よっぽど意地が悪いと見える。俺のウリムーを試したな」
「そうね。普通なら、未進化でそれほど精密な凍結制御が出来るはずがないわ。何か、仕掛けでもあるのかしら」
シロナは値踏みするように指を動かすがヤナギは動じた様子もない。ミロカロスが虹色の鱗が際立つ尻尾を突き出した。鋭利な刃物を思わせる一撃をヤナギに向かって放つ。
「ドラゴンテール」
一直線に発せられた打突は、しかし空間に現れた氷壁によって遮られた。
「瞬間冷却、レベル2。空気を凍らせて壁を作った」
「ドラゴンテールを徹さないってわけ。でも、どこまで持つかしら?」
何度も繰り返し放たれる攻撃は間断なく氷壁を攻めた。それだけではない。同じ位置を繰り返し突いている事にヤナギはいち早く気づいていた。
「全く寸分のブレもない、力加減さえ同じ攻撃を何度も」
「そう! それが真骨頂!」
何度目かの「ドラゴンテール」が氷壁を砕いた。頬のすぐ傍をミロカロスの刃の切っ先を思わせる攻撃が突き抜けていく。
「優勝候補なだけはある。俺も見くびっていたようだな」
冷静なヤナギの言葉に、「それだけ?」とシロナは含んだ笑みを向ける。
「それ以上の賛美が必要か?」
「あたしの故郷では、てらいのない賞賛の言葉が好まれたけれど。都会はそうじゃないのかしら?」
ヤナギは鼻を鳴らし、「下らない」と告げた。
「賞賛も、賛美も、全て勝者のためにある。敗者にかけられる賞賛は惨めなだけだ」
「まるであたしが負けるみたいな言い草ね」
その言葉にヤナギは指を一本立てる。
「事実、そうだと言っている。瞬間冷却、レベル3」
ヤナギのすぐ脇を通っていたミロカロスの尻尾が一瞬にして凍り付いた。その所作にシロナは瞠目する。ヤナギは爪先で足元を払った。
「この距離は既に凍結範囲だ。氷壁を破る事が勝利だとでも思ったか? 俺の射程に無闇に入って凍らない自信でもあったのか?」
勝利を確信したヤナギへとシロナは不敵な笑みを浮かべた。覚えず眉をひそめる。
「何が可笑しい?」
「まだ、負けてはいないわ」
その瞬間、凍てついていたミロカロスの尻尾が鱗を残して脱皮させられた。残った凍結した鱗が地面に落ちる。ヤナギはそれを見下ろし、観察する。
「特性か」
「そう。不思議な鱗、という特性は状態異常の時、防御を強化する。あなたが凍らせたのはミロカロスの表層。それを脱ぎ捨ててミロカロスはさらに強固な鱗を纏った。もう、さっきの氷結能力では凍らないほどにね」
見ればミロカロスの尻尾は先ほどまでよりも煌いている。光の差さない洞窟内部なので太陽の下では宝石のように映る事だろう。ヤナギは、「伊達ではない、か」と呟いた。
「一つずつ、こちらの戦略を暴いていくつもりだな」
相手にはそれが出来る。ミロカロスは防御に特化したステータスを持っている事は今しがたのやり取りで分かった。凍結範囲に入ったのも計算のうちだったというわけだ。食えない相手だとヤナギは認識する。
「フェアに物事を進めるために、いい事を教えてあげる。ミロカロスは水単体タイプ。もし、電気や草タイプの技を使われた場合、大きく遅れを取る事になるけれど、ウリムーじゃその心配もないかしら?」
シロナの言葉に嘗められているという意識よりもヤナギはその事実を噛み締めた。
「なるほど。水単体となれば、倒すのには時間がかかりそうだ」
ヤナギの言葉にシロナは、「何? 倒すって」と嘲笑する。
「さっきの状況通り、凍結によってミロカロスを下すのは不可能。さらに言えば、防御、特殊防御に秀でたミロカロスの表皮を破って凍結させるのは至難の業よ。いくらウリムーを自在に操れるといってもポケモンとしての格が違う」
自信満々に言い放つシロナにヤナギは冷たくあしらった。
「格、か。そのような言葉が優勝候補から漏れるとはな」
「馬鹿にしているの? ポケモンには埋めようのない隔絶がある。いくらレベルを高めようとも、超えられない壁というものが。水タイプのミロカロスに対して有効打になり得るのは草、電気のみ。その弱点属性だって相当な威力じゃないとミロカロスの鱗を貫通出来ないわよ」
ヤナギはウリムーへと視線をやる。ウリムーは身体を小刻みに震わせて次の一撃への布石を打とうとしていた。しかし、その前にミロカロスが動いた。アクアリングが拡散し、小型のアクアリングを生成する。それが砲口のようにヤナギを捉えた。空中でアクアリングが凝縮して鉄砲水を弾き出す。ヤナギはすぐさま命じる。
「瞬間冷却、レベル2」
ハイドロポンプ当たりが妥当だろうと考えていたが放たれた水からは蒸気がもくもくと出ていた。その事実にヤナギはすぐさま命令を変える。
「瞬間冷却を解除! 防御壁、レベル3を――」
「遅い! ミロカロス、熱湯!」
アクアリングが分散して撃ち出された攻撃はハイドロポンプではない。「ねっとう」と呼ばれる水タイプの攻撃だ。ヤナギが危惧したのはその威力ではない。追加効果であった。熱湯は氷壁によって遮られたかに見えたが飛沫がウリムーにかかったらしい。ウリムーの身体の一部が赤らんでいた。
「火傷効果……」
呟いた声に、「そう」とシロナは手を突き出す。
「冷却系の技を操るポケモンにとって最も危惧すべき事、それは炎とそれに追加する効果の火傷。あなたのような瞬間的な判断を重視するトレーナーとしては、状態異常は避けたいはずよね?」
その通りである。麻痺、毒の状態になっても困るが火傷は継続ダメージが残る技だ。こちらの攻撃の手も緩めなければならなくなる。火傷の痛みでポケモンが正確な技の操作が出来なくなる。それだけではなく、攻撃に際して極端に威力が下がる。ウリムーとヤナギは正確無比な氷結操作を得意とするだけに致命的であった。
ミロカロスが長い桃色の睫の下にある瞳を細めた。次の一撃で決めるつもりなのは明白である。ヤナギは舌打ちを漏らし、手を振り翳す。
「ウリムー、氷のつぶて」
ウリムーに初めて技らしい技を命じる。ウリムーが空気中の塵を凍らせて氷の散弾を撃ち出した。ミロカロスは冷静に尻尾で振り払う。
「今さらその程度の攻撃? 言っておくけれど、アクアリングは!」
その言葉に応ずるように展開されたアクアリングから透き通った水がミロカロスの表皮へと供給されていく。ミロカロスは僅かに傷つけられた鱗に艶を取り戻させた。
「一定時間、回復を確約する。つまり、あなた達があたしに勝ちたかったら、アクアリング展開前に潰しておくべきだったという事!」
アクアリングをまるで光背のように掲げたミロカロスが屹立する。ミロカロスはアクアリングを眼前に集束させ光を放つ。次こそハイドロポンプの一撃だろう。ヤナギはそれでもウリムーへと命令を飛ばす。
「氷のつぶて」
ヤナギの命令を受け止めたウリムーが空気中の塵で生成したつぶてをミロカロスは避けるまでもなかった。身体に受け止めてもまだミロカロスは健在だ。
「……どうやら見込み過ぎていたようね。効果がいまひとつの技を繰り返す辺り。安心なさい。ポイントは奪わないわ。ただ、あなたに事情を聞きたいだけの事。場合によっては出場辞退を勧告する事もやむをえないけれど」
シロナの言葉にヤナギは答えない。答える意思がないと判断したのかシロナが最後の命令を下そうとする。
「ミロカロス、ハイドロポンプ。氷・地面のウリムーには効果抜群のはず」
ミロカロスが今まさにハイドロポンプを繰り出そうとした、その直前である。ミロカロスの動きが唐突に鈍った。
「ミロカロス?」
シロナが異常に気づいて声をかける。その瞬間、ミロカロスが苦悶の叫びを上げた。突然のパートナーの急変にシロナは慌てる。
「どうしたって言うの? 氷のつぶてなんて、避けるまでも――」
「避けなかったのが、お前らの運の尽きだったわけだ」
遮ってヤナギは声を放つ。人差し指と親指の腹を擦らせ合い、気温を確認する。
「効果を発揮するには充分だ」
「……何をしたって言うの?」
シロナの声にヤナギは鼻で笑った。
「気がつかないのか? 優勝候補の名が泣くぞ」
その直後、ミロカロスが苦しげに呻く。シロナはその視線の先にようやくその苦痛の元を発見したようだった。「あれは……!」とシロナが声に出す。その視線の先を追ってヤナギは首肯した。
「そう、アクアリングだ」
ミロカロスの身体の周囲を護るように展開されたアクアリング。それらが凍結していた。
否、水は流れている。しかし、そこから放出される回復のはずの水はすぐさま凍結して小さな氷の針となりミロカロスの表皮を突き刺していた。ミロカロスは自身を一斉に襲ったその極小の攻撃によって苦しめられていたのだ。シロナは、「アクアリングに、細工を……」とヤナギに詰め寄った。
「細工、というほどの事はしていない。ただ、氷のつぶてをミロカロスが触れる。それだけでよかった。触れた箇所から凍結範囲の根を張り、アクアリングへとその効果を広げる。一番大事だったのはミロカロスに気取られぬ事だったが、どうやら随分と愚鈍らしい」
ヤナギの言葉にシロナは歯噛みした。
「あたしのミロカロスを……!」
「怒りに任せて俺達に攻撃するか? 簡単だろう。ハイドロポンプを一撃。それで全てが事足りる」
「ミロカロス、ハイドロポンプ!」
シロナの放った声と同時にヤナギは指を鳴らした。瞬時にアクアリング全体が凍結し、氷の首輪となってミロカロスを締め付けた。ハイドロポンプは中断され、ミロカロスがのた打ち回る。氷の首輪は内側に棘の突いた痛々しい代物だった。
「何を……」
「氷柱針。アクアリングを凍結させた。回復の代わりに、アクアリングは確実にミロカロスの体力を奪うだろう」
シロナは一瞬にして自らを護る鉄壁の策が毒になった事を悟ったのか、「解除を」と声を上げる。「無駄だ」とヤナギは断じた。
「既に凍結はウリムーの管理下にある。アクアリングをどうするかは俺とウリムー次第だ」
シロナは、「だったら!」と手を振り翳す。ミロカロスが尻尾を振り上げてアクアリングを割ろうとした。
「アクアリングごと捨てるまで!」
しかし、アクアリングは表皮へと既に食い込んでおり、棘も相まって砕ける様子はなかった。
「氷の首輪の支配は俺が解除を命ずるまで続く。ミロカロスは断続的なダメージを与えられる事になる」
シロナは舌打ち混じりにヤナギを睨み据えた。ヤナギは、「立ち回りが甘いな」と判断する。
「俺が子供だからか、まだ温情でもやるつもりだったのだろう。だが、この戦いは最早個人の枠組みを超えた戦争。やるのならば徹底的にやるべきだったな」
ミロカロスへと氷の首輪が食い込む。シロナは、「ハイドロポンプが無理でも!」と指示を飛ばす。
「ミロカロス、熱湯!」
ミロカロスの周囲へと空気中から水分が集まっていく。ヤナギは、「今降参すれば」と告げていた。
「決定的な敗北を味わわずに済む」
「それはどの口が言っているのかしら? 見くびらないで! あたしだって優勝候補、シンオウのシロナ・カンナギ! その志を甘く見られちゃ困るわ!」
熱湯を放とうとするミロカロスを見やり、ヤナギは一言だけ告げた。
「残念だ。もう、その美しい姿を見る事は出来ないだろう」
「攻撃を――」
「フリーズドライ」
氷の首輪が砕け散り、広がった冷却の靄が一瞬にしてミロカロスを覆い尽した。ミロカロスの身体から水分が抜けていく。美しい鱗は見る影もなく剥がれ落ち、ぱりぱりになった全身から血が迸った。
「ミロカロス……!」
「今すぐにモンスターボールに戻せば、間に合うだろう」
ヤナギの忠告にシロナは抗弁を放とうとしたが、既にミロカロスが戦闘不能に陥っている事は自明の理であった。シロナは、それに従った。モンスターボールに戻してもまだミロカロスの事を心配している様子だ。
「今の、は」
「守秘義務だな。教えられない」
「水タイプであるミロカロスを下すだけの技、よね。氷の技に見えたけれど」
「詮索するな。それよりも」
ヤナギはポケギアを突き出す。ようやく事態を飲み込んだシロナは、「ああ、そうよね」とポケギアをつき合わせた。ポイントがヤナギへと送られる。シロナは目を見開いた。
「22400ポイントって……」
「かかってくる連中を片っ端から倒すとこうなった」
簡潔なヤナギの言葉にシロナは微笑んだ。対してヤナギは仏頂面である。
「これだけポイントがあれば、ジムバッジを奪う理由もない、か」
「ようやくか。理解が遅いな」
ヤナギはウリムーに触れる。火傷状態はそれほど厳しくはない。ディグダの穴を抜けるくらいならば問題なさそうだ。
「誤解していたわ。ごめんなさい」
シロナはまず謝ったが、ヤナギには聞かねばならぬ事があった。
「どうして父上に取り入ろうとしている?」
「それも勘違いだわ。あたし達は、確かに執行官の力を借りている。でも、それが全てではない」
「あんたらの仲間にタマムシの記者がいるはずだ。そいつが二ヶ月前の記者会見の後から嗅ぎ回っている」
「あなた、お父上に相当ご執心なのね。よく見ているわ」
シロナの言葉は無視してヤナギは問いを重ねる。
「答えろ。お前らは何だ?」
シロナは幾ばくか逡巡の間を置いた後、「そうね。知るべきだわ」と頷く。
「我々はある目的のために結成した団体。今は、そうとしか言えない」
「組織か」
「表立ったものじゃないけれど、有識者や権力者を集めている。カンザキ執行官もその一人」
「捨て駒のように使うつもりは……」
「それは杞憂よ。むしろ、あたし達はお互いに最大限の努力をして立ち向かうべきと考えている」
「何に、だ?」
ヤナギには疑問だった。どうやってあの厳格な父を丸め込んだのか。一体、彼らは何に歯向かおうとしているのか。シロナは一つ息をついて、「歩きながら話しましょう」と提案する。
「ディグダの穴で一泊もするのは御免よ」
どうやら長い話になりそうだとヤナギは感じつつその提案に乗った。歩いていると思い出したようにディグダが顔を出したが先ほどまでの戦いを見ていたのだろう。突っかかろうとしてこない辺り、この穴に生息するディグダは賢い。
「カントーにだけ、建国神話や、伝説に関する話がほとんど残ってないのはご存知?」
「俺はジョウトの出身だ。そういうのには疎い」
ヤナギの言葉に、「そうだったわね」とシロナは了承した。
「じゃあ、まずは聞いて。ここカントーは伝説やそれの類する神話が全くない。不自然なほどに」
「開拓された地方ならば、別におかしくはない」
「いいえ、おかしいのよ。ポケモンの目撃例の最初期はカントーだった。つまり早くから人々は永住していた。その中で、ある意味では異物としてポケモンが後発的に発生した。それは奇妙なのよ。イッシュ建国神話や、ジョウトのスズの塔、渦巻き島の伝説、ホウエンの古代ポケモン、シンオウの時間と空間を司る神話、それらはあって然るべきものだった。でも最初期にポケモンが見られたカントーにはない。つまり、ポケモンの発生自体は他の地方にもあったにも関わらず、カントーが一歩抜きん出たというのは不自然である、とする仮説よ」
「夢見がちだな」
ヤナギはそう断じたが、「そうそう夢想的な話でもない」とシロナの声は淡々としていた。
「まるで認識の中に湧いて出た悪魔のように、人々が在ると感じた瞬間からポケモンは在った。それの最初期がカントーだった。それはたまたま、偶発的なものだったと考えるか、それとも必然的なものであったと考えるか」
「俺なら、偶発的だと感じる」
感想を述べると、「普通なら、そう感じてもおかしくはない」とシロナは肯定した。
「でも、どこかにそれを手引きした、いわば影の集団としてポケモンと人間の歴史を操った存在がいるとすれば? その存在こそが、このポケモンリーグを支配しているとしたら?」
ヤナギは馬鹿げた話だと感じていた。陰謀論も大概にしろ、と言いたかったが、不意に仮面の人々が脳裏に浮かんでヤナギは足を止めた。その様子を目ざとく察知したシロナは、「心当たりがあるのね」と呟いた。
「……馬鹿げている。そんな事をして何の得になる? 世界を影から操っている組織? 俺からしてみれば、あんたらも同じ穴のムジナだが」
「そう。我々の組織は彼らに対抗するために作られた、いわば対極の存在」
ヤナギはため息を漏らしていた。否定するならばいざ知らず、まさか認めた上で組織と来るとは。シロナの口調には必死さが滲み出ていた。
「あたしも、シンオウの地で、考古学を専攻している時におかしいと感じる節が何度かあった。シンオウやイッシュほどの歴史ある地が存在するにもかかわらず、どうしてカントーなのか。その疑問に組織の人間は答えられるとしてあたしに接触した」
「じゃあ、あんたはもうその答えは持っているのか?」
ヤナギの問いに、「仮説は立てられたわ」とシロナは髪をかき上げて頭を振る。
「でも、それだけ。それに随分と荒唐無稽な話になってしまう。これを学会で発表したら、それこそあたしは鼻つまみ者ね」
「確証が得られるまで自分の中だけに留めるわけか」
「いけない? それに組織と取引したもの。組織の情報開示レベルに則さない行動をした場合、即座に抹殺される」
「随分と乱暴だな」
だが今までの話を統合すれば全く考えられない話ではない。むしろ、秘密主義はあり得る。秘密で以ってその組織は磐石となる。
「仕方がないと割り切ったわ。だって命は惜しいし、それにもしこの分野で成功を収めようと思えば、組織の言い分に従っているほうが利口よ」
ヤナギは鼻を鳴らし、「考古学者も廃れたものだ」と皮肉を口にした。
「発言一つに慎重な事で」
「もう、既にあたし一人の事じゃなくなっているからね。だからこそ、今回のポケモンリーグで優勝を目指したかったのだけれど」
「一地方の玉座となれば、組織を恐れる事もない、か」
「実際、今だって危うい綱渡りよ。どこに耳があるか分からない」
ヤナギはシロナの左手に巻かれているポケギアに一瞥をやる。一番可能性の高そうな道具だが、手離すわけにはいかないのだろう。
組織に隷属し、組織の蜜に集る人々。シロナとてその利権をものとして時代の寵児になろうとしている。だがそう簡単に事は進まないのだろう。それが歯がゆく、彼女は少しでも自由を目指して戦いに赴いた、というわけか。
「父上を張っている記者、ヤグルマとか言ったか。実力者なのか?」
「驚いた。既にそこまで調べているってわけね」
シロナの言葉にヤナギは、「悪い虫でなければ注目はしない」と返す。
「だが、あの男の眼には野心がある。父上を、何らかの形で踏み台にするつもりだろう」
「ヤグルマに関してはあたしも分からない事が多い。そもそも秘密主義なのよ。お互いの経歴は詮索しないのが長生きの秘訣、ってわけ」
ヤナギはそれを聞き届けて嘘ではないのだろうと判断した。シロナの口から聞ける事はどうやら限られているようだ。だが気になる事がまだ存在する。
「ジムリーダーが殺された、と言っていたな」
「ええ。あなたじゃなさそうだけれど」
「当然だ。俺じゃない」
しかし自分を疑うに足る根拠があったはずだ。ヤナギはそれを聞き出そうとしていた。
「氷タイプ使いなのか?」
「分からない。ただ、鑑識は体温の急激な低下が原因だと言っていた。体温を急低下させられるという前提に立てば、氷タイプ使いが最も疑わしい」
消去法というわけか、とヤナギは納得する。恐らく他の氷タイプ使いにも違う方法でアプローチされているに違いない。
「……待てよ。氷タイプ使いだという事が割れているならば、所持ポケモンが割れているという事」
当然の帰結にシロナは今さら隠し立てするつもりはないらしい。「デボンが協力してくれているわ」と答えた。
「個体識別番号がこんなところで役立ったわけか」
という事はデボンコーポレーションの御曹司、ツワブキ・ダイゴも一枚噛んでいる。ヤナギは広げれば広げるほどに複雑怪奇に絡み合う人々の関係性にため息を漏らした。
「どうしたの?」
「優勝候補が聞いて呆れる。ほとんどお前らの組織が占めているわけか」
「そうでない部分もあるわ。ジョウトのイブキやシルフの用意したサカキとか言うトレーナーは全くのノーマーク。それにイッシュのアデクもそうね」
「そいつらを取り込もうと動くのが自然だろうな」
自分を取り込もうとしているのと同じように、と言外に告げたがシロナは悪びれる様子もなかった。
「強ければ、あたし達の組織には当たり前に行き着くわ。遅かれ早かれ、というだけの話」
シロナの言動からして、彼女は恐らく末端の構成員だろう。本丸はもっと別の場所で手ぐすねを引いている。それに至るためにはあらゆる事象を利用するつもりでなければならないだろう。
「俺の他に、当たるべきだと思っている人間はいないのか?」
「氷タイプ使い以外なら、一人だけマークしているけれど」
「誰だ?」
「昨日ジムバッジを取得したトレーナーよ。無名の新人。オーキド・ユキナリ、って言ったかしら?」
どうやらシロナですら記憶に留めるのも面倒だと判断するほどの存在感の人間らしい。ヤナギはしかし、その名前を頭に留めた。
「オーキド・ユキナリ、か」
「ジムバッジを正規の手順を踏んで取得したから、容疑者ではないけれど」
それでも、ヤナギにはどうしてだか気になった。トレーナーとしての第六感だ。その男が何かを成す。その予感が纏いついた。