第二十三話「ディグダの穴」
「くそっ! また出てきやがった!」
先頭集団が悪態をついてポケモンを繰り出す。彼らの前には人の指のような形状をしたポケモンが穴から頭部を出していた。ディグダ、と呼ばれるポケモンだ。ディグダは高速で穴を掘り、先頭集団の放ったポケモンの技を回避して地盤を揺らす。彼らは足場が不安定になって三々五々に散った。
「地割れが来るぞ! 先行させているポケモンを引き上げさせろ!」
その言葉の直後、地面が割れ、地層へとポケモンが引き込まれていく。当然、飛翔能力を持っているポケモンや高い機動力を有しているポケモンでもない限り回避は出来ない。一撃必殺の攻撃に何人かは手持ちを失った結果になった。
「駄目だ! 全然前に進めない!」
ディグダの穴に入ってからほぼ一日。先頭集団は野生のディグダの猛攻に苦戦していた。野生と言っても高レベルであり、さらに障害はディグダだけではない。
景色が揺れ動き、地層が鳴動する。彼らはある存在の接近を知覚した。
「ダグトリオが来る! 全員、衝撃に備えろ!」
その言葉が消えるか消えないかの刹那、洞窟の壁から粉塵が巻き起こり迸った衝撃波が何人かを吹き飛ばした。彼らは前に出てくる存在へと一斉に視線を集中させる。
ディグダが三体揃った山のようなポケモン――進化系、ダグトリオは先頭集団の足を止める最大の要因だった。ダグトリオは一進化ポケモン。未進化や地面に相性の悪いポケモンからしてみれば充分に脅威となりうる。ダグトリオ一体を倒すのに五人は要した。その度に二人は手持ちを戦闘不能に追い込まれるのだから先に進めるわけがない。彼らはディグダの穴において、ほとんど入ってすぐのところで足を止めていた。クチバシティへのショートカットは成し遂げられていない。誰一人としてディグダとダグトリオを正面突破して辿り着けないのだ。実力不足以上にこのディグダの穴が相手のホームグラウンドである事が災いした。ディグダもダグトリオもこの地形を最大限に利用する術を知っている。対して、カントーの地をようやく踏み締めたばかりの人間達では相手にもならない。一人、また一人と蹂躙され、ダグトリオの前に絶望の二文字を突きつけられていた。
その時、不意に一人の影が前に出た。昨日からディグダ、ダグトリオと戦闘を重ねている男は声を張り上げる。
「馬鹿! 前に出るな! 地割れが来るぞ!」
ダグトリオが高速で穴を掘り周囲の地形を作り変えていく。壁が鳴動し「じわれ」の一撃が放たれるかに思われた。しかし、それよりも早く発せられた声が響き渡る。
「瞬間冷却、レベル3」
その言葉を男が聞き届けた直後、ダグトリオは凍り付いていた。思わず二度見したほどだ。氷の彫刻と化したダグトリオへとその人影は歩み寄る。
「レベル3の瞬間冷却でダグトリオは倒せるな。あとは順番に進んでいけばいい」
指が鳴らされると氷付けのダグトリオが分解した。男は気後れした声を出す。
「……君は」
「弱いのならば、この道はお勧めしない。今からでもオツキミ山に進路を変えたほうがいい」
自分にしては温情だな、とヤナギは分析した。本当ならば相手が死のうが生きようがどうでもいいのだが、ディグダの穴は思ったよりも手狭だ。出来るならば少数で歩んだほうが自分にとっても安全策だろうと瞬間的に判断したのだろう。男は、「そうするよ」と肩を落として引き返していった。
彼からしてみれば一晩越しの戦いだったのだが、ヤナギの一動作で心は決まったようだ。どの道、このルートは弱い人間は通れないとヤナギは感じていた。ニビシティ経由のディグダの穴によるショートカット。クチバシティ東へと出られる代わりに、この洞窟のディグダ、及びダグトリオはレベルが高い。賢しい頭を働かせて出し抜こうとしても難しいものがあるだろう。しかしヤナギは山越えに比べればリスクが少ないと感じていた。オツキミ山を経由するルートはほとんどの人間が通る。つまり闇討ちされる可能性もその分増えるというわけだ。負ける気はしなかったがリスクは軽減したほうがいい。ディグダの穴は最適だった。待ち構えようにも野生のディグダやダグトリオを相手にしていてはその暇はないだろう。あとは順番に倒していけば何の問題もない。
再び現れたディグダへとヤナギは手を振り翳す。
「瞬間冷凍、レベル1」
二体、三体と出現するディグダを凍結させ、ヤナギはその脇を歩いていく。先頭集団で諦めきれない連中がヤナギに便乗しようとするが、すぐさま凍結を解いたディグダ達に押されて結果として前進しているのはヤナギだけとなった。自分一人の旅は落ち着く。ほとんどヤナギの独走状態に近いこの洞窟で調和を乱す人間が現われるとは思えない。ヤナギはポケギアへと視線を落としたが、どうやら洞窟内部は圏外のようだ。
「技術が進歩しても自然の叡智には勝てない、か」
ぽつりとこぼしてヤナギは歩み出そうとする。その時、「随分と余裕ね」と声が響いた。ディグダ達による障害を除けばほぼ一本道に近い。その中で自分に声をかけてくるというのはディグダの試練を乗り越え、さらに余裕がある証だった。
振り返ると、いつの間に接近していたのか、金髪の女性が腰に手を当てて尊大に口にする。
「先を急いでいるようにも見える」
「その通りだ。俺は早くクチバシティに着きたいんでな」
物怖じせずに返すと女性は鼻を鳴らした。
「あまりにも可愛くないと嫌われるわよ」
「好かれちゃ困る。俺の道には、俺一人でいい」
ヤナギの言葉に、「真っ直ぐね」と女性は感想を述べた。しかし、ヤナギは警戒を解かずに、「何の用だ」と問いかける。
「優勝候補だろう。あんたは」
女性の名をヤナギは知っている。シンオウからの優勝候補、シロナ・カンナギだ。ニュースで何度も「麗しき女性トレーナー」として持ち上げられていた。シロナは金髪をかき上げ、「あなたのポケモン」と足元を見やった。ヤナギの足元には手持ちポケモンが控えている。
「凍結能力を持っているのね。しかも強力で、瞬間的な」
含めたような言い分に、「何が言いたい」とヤナギはその結論を急かす。
「昨日、ジムリーダーが殺されたわ。ニビシティのタケシよ」
シロナの言葉にヤナギはさして驚かなかった。その様子をシロナは注意深く観察しているようだ。
「そうか」
「驚かないのね」
「そういう事もあり得るだろう。このルールが世間に発布されてから、それを予測出来ない輩がいるのが悪い」
率直な感想にシロナは、「あなた、賢いのね」と口にした。しかし、ヤナギからしてみればそのような常識の範疇、賢明のうちに入らない。
「馬鹿にしているのか?」
「いいえ。尊敬しているわ。冷静な判断力、動じない心」
「ジムバッジを目的とした殺しだろう。その程度、察しがつく」
「あたしは、あなたが怪しいと思っている」
シロナの言葉にヤナギは初めて嫌悪の表情を浮かべた。眉間に皺を寄せて、「俺が……?」
と聞き返す。
「ええ。ジムリーダーは凍結系のポケモンで殺害されていた。瞬間的に気温を操れるのは、あなたみたいな使い手しか考えられない」
「そう思ってわざわざ追ってきたのか?」
難儀な事だ、とヤナギは冷笑を浮かべる。シロナはしかし、本気の眼差しだった。
「あたしにはたくさん協力者がいてね。あなたの事も話に上がっていたわ。性格上、オツキミ山を目指す事はない、と踏んでいた」
シロナはモンスターボールを抜き放つ。マイナスドライバーでボタンを緩め、押し込んで投擲した。
「いけ、ミロカロス」
ボールから開放されたのは虹色の美しい鱗を持つ長大な蛇の威容を持つポケモンだった。乳白色の表皮に、黒曜石のような小さな瞳を持っている。戦闘用のポケモンというよりかは観賞用に近い。その立ち姿に思わず感嘆の吐息が漏れそうになる。
「ミロカロス、アクアリング」
ミロカロスと呼ばれたそのポケモンは出現と同時に水の輪を、自分を中心として展開した。ヤナギは冷静に分析する。
「俺とポケモンバトルして、どうする? その事件の犯人とやらを追わなくっていいのか?」
「いいえ、あなたとの戦闘がそれに当たる。一つずつでも可能性を潰さないとね」
ヤナギはフッと口元に笑みを浮かべた。
「俺を疑っているわけか」
「最有力容疑者よ。まさか執行官の息子が犯人、だなんて思いたくないけれど」
馬鹿馬鹿しい、とヤナギは吐き捨てた。
「執行官の息子だろうが何だろうがお前らは関係ないと思っているのだろう。父上に取り入って、何を考えている?」
「何も。ただ真実が欲しいだけ」
シロナの簡潔な言葉にヤナギは、「ちゃんちゃらおかしいな」と告げた。
「真実から遠ざかる真似をしている」
「あたしは、そうは思えない」
いつまで経っても議論は平行線だとヤナギは感じ取った。ここで事態をはっきりさせるには勝つ事が最も望ましい。
「やれやれだな。いくら言葉を交し合っても、お互いに信用していない以上、力を見せ付けるのが最も望ましいとは」
「あら、あなた、戦いが嫌いなの?」
シロナの白々しい声音にヤナギは答える。
「嫌いさ。分をわきまえない馬鹿の相手は、な」
その言葉に宿る挑発の意味を汲み取ったのかシロナは、「いくわよ」と声に戦闘の気配を走らせた。ヤナギは息を詰め、「来い」と応ずる。