NEMESIS














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螺戦の章
第二十二話「オツキミ山越え」

 ポケモンリーグ二日目の朝は、暗雲と共にやってきた。

 ユキナリは窓辺から空を仰ぐ。快晴、とはいかないらしく、空は暗く立ち込めている。昨日の晴れを帳消しにされた気分だった。しかし、この天候でも進まなければ大きく差をつけられるのは分かり切っている。

 ディグダの穴を通ってクチバシティへと至ろうとした集団を思い返す。彼らはあの後、どうなったのだろうか。無事にクチバシティに辿り着けたのだろうか。自分と関わり合った人々に思いを馳せていると部屋の扉がノックされた。応じる声を出すと、「入るぞ」とアデクが扉を開けてきた。

「よく眠れたかいや」

 ユキナリは、「ええ」と答える。どうやら身体は思っていたよりも疲れていたようで熟睡出来た。夢も見ないほど深い眠りについたのは久しぶりかもしれない。

「最近、浅い眠りばっかりでしたから」

「オレもそうだ。胸が高鳴って最近は特に眠っているのが惜しいもんでのう!」

 どうやらアデクも同じ心地を味わっていたらしい。ユキナリは昨日の間に起こった事を反芻する。二ヶ月の修行から、本格的な戦闘への移行。未だに思い返すと胸の高鳴りを止められない。今、自分はポケモンリーグの頂を目指して戦っているのだという自負が自ずと血を沸き立たせる。

「だったら、夜通し語り合うのもよかったかもしれませんね」

 ナツキのお陰でその計画はご破算になったが。アデクと視線を交わし合うと、「そりゃ、多分、しばらく無理じゃろ!」とアデクは言い放った。

「どうしてです? これからオツキミ山で山越えとなります。もしかしたら二三日はキャンプする事になるかも」

 そうなった場合、アデクと話せていい機会だとユキナリは思っていたのだがアデクは、「お前さんらの旅にのう」と言い難そうにこめかみを掻いた。

「図々しくついていくのも悪い」

 アデクらしからぬ言い草だった。彼にはそのような気を回す事など無縁だと思っていたのに。ユキナリは、「ナツキと二人っきりで旅しろ、ってわけですか?」と返した。

「人の恋路を邪魔する奴は、と言うじゃろ? お邪魔虫には成りとうないからのう」

 アデクの真正直な言葉にナツキがいたならば顔を赤面させるだろうがユキナリは自然と冷静だった。

「僕とナツキはそんなんじゃないですよ」

「だとしても、オレは一人で山越えする事にした。そのほうが強くなれそうじゃ!」

 どうやらオツキミ山での戦いをも見越した決断らしい。ならば止める言葉を持たないとユキナリは素直に引いた。

「メラルバ、でしたっけ?」

 アデクの手持ちを確認すると、「おお!」とアデクはモンスターボールを突き出した。

「自慢の相棒じゃ!」

「戦ってみませんか?」

 ユキナリの提案にアデクは少しだけ面食らった様子だったがやがて快活に笑うと、「今はやめておく!」と決断した。

「どうしてです?」

「このアデク、嘗めてもらったら困るぜよ! まだお前さんとオレとではレベルが違う」

 その通りであった。メラルバのレベルは恐らくキバゴよりも二十近く高いはずだ。さらにまだ出していないとっておきの技もあるのだろう。それに引き換え、こちらはアデクの前で手の内を晒している。フェアではないと彼は判断したに違いない。

「じゃあ、僕のキバゴが追いついた時には」

「おう! ポケモンバトルじゃ! 約束じゃぞ!」

 拳をアデクが突き出したのでユキナリもその拳を当てる。思えば男友達を作ったのは久しいかもしれない。いつの間にかナツキとばかり遊ぶようになっていた。

「そういや、お前さん。気になっとったんじゃが、それは何ぞ?」

 アデクが指差したのは鞄から突き出たスケッチブックと画材セットだろう。ユキナリは、「スケッチするんです」とスケッチブックを取り出した。

「見せてもらっても?」

「ええ、どうぞ」

 差し出されたスケッチブックをアデクは受け取り、一つ一つに目を通していく。ユキナリからしてみれば自分の作品が人目に触れているので少しばかりの緊張があった。

「ほう……うまいもんやのぉ」

 心底感心している様子のアデクはスケッチブックのページを繰りながら頷いている。ユキナリは、「ほとんどキバゴの行動スケッチですけどね」と謙遜した。

「キバゴが活き活きとしとるわい! 特にこの!」

 アデクが指差したのはキバゴが「ダブルチョップ」を繰り出す瞬間を描いたものだった。牙に青い光が纏いついている様子が克明に描かれている。ユキナリは、「昨日のイブキさんとの戦いを思い出しながら描いたんです」と説明した。眠る前に記憶スケッチとして描いたもので最新だった。

「お前さん、画家の才能あるでのう! これだけ上手く描けりゃ、将来有望じゃ!」

 何の臆面もなく言ってのけるアデクにユキナリは素直に照れる。「アデクさんは」とユキナリは会話の矛先を変えた。

「何か、得意分野は?」

「オレは戦い以外てんで! 一応、身上としては、先住民族の末裔として立派に戦うっていう大義名分はあるがのう」

 そういえばアデクはイッシュの先住民族の末裔として祀り上げられていたという話を聞いていた。ユキナリは、「イッシュって」と自分の記憶を手繰る。

「確か、色んな民族が集まっている地方ですよね」

「おう! オレらみたいなのから、遠くカロスとかいう地方で育った奴ら、それにジョウトやシンオウから来た奴らもいるからたくさんじゃ!」

 数え切れん、とアデクは言葉に付け加えた。ユキナリはそれだけの民族が集まっているのだから宗教や習慣も大変だろうと想像する。

「イッシュは何を拠り所に集まっているんですか? 何だか話だけ聞くと色んな民族がいて大変そうですけど」

「ハイリンク、ってのがイッシュの中心にあるんじゃ。最近、どこかから来た偉い学者が言っておった。アララギ、とか言ったかのう!」

 ユキナリは専門分野ではないので聞き流すつもりだったが、様々な民族を纏め上げるものがそのハイリンクにあるのか、と疑問に感じた。

「それで、民族が纏っているって?」

「古くは争いもあったんじゃ。建国神話ってのがあって、理想を体現する英雄と、真実を体現する英雄がぶつかり合い、二人の思想はそのまま黒い龍と白い龍となり、イッシュの地を一度焼き払ったという」

「迷信ですよね……」

 ユキナリの言葉に、「そう馬鹿に出来んぞ?」とアデクは指を立てた。

「と、言うと?」

「何でも、偉い学者先生の間ではイッシュの地は一度焼き払われて再建させられた痕がそこらかしこにあるらしい。リュウラセンの塔って言うのが、それに近い考古学資料らしいんじゃが、オレにはピンと来ない!」

 そりゃそうだろう、とユキナリは当事者でもないが思っていた。アデクの身なりは考古学や学術とはまるで無縁のところにある野生だ。

「でも、アデクさんは先住民族としての誇りとか、あるわけですか……」

 聞いてもいいのか分からなかったがアデクがこのポケモンリーグに賭けるものを知りたかったのもある。アデクは、「そうさなぁ」と顎をさすってから膝を叩いた。

「オレにもよく分からん!」

 大口を開いてアデクは笑う。「分からん、って……」とユキナリが肩透かしを食らった気分でいるとアデクは神妙に語った。

「オレには、部族の誇りとか、そういう難しいもんはいらんのじゃ。確かにオレは先住民族の末裔。それなりの責任、ってもんがあるのかもしれん。だがな、お前さん。そういう因習、生まれに縛られたらお終いじゃ。自分の道を辿れなくなる。オレは、ただ強く、そして戦えたらそれでいい。そのほうがいいに決まっとる!」

 アデクはあえてそういう側面を蚊投げないようにしているのかもしれないとユキナリには思えた。自分には背負うべき十字架などない。ただ今を生きて、戦って勝つ。シンプルながら、それは自然の掟だ。アデクは自分でも知らぬうちに身のうちの野生を迸らせているのだろう。

 それに引き寄せられるように強者達が集まっていく。ユキナリは少なくともアデクに立ち向かいたい。戦ってみたいと思う事が出来た。勝ち負けは元より、勝負になるならないの問題かもしれない。しかし、戦ってみたい。この人に勝ちたいと思う衝動はいけない事だろうか。アデクは自然と他人をそのような真っ直ぐな意思に従わせる天性の才能があるような気がした。

「……そうですね、そのほうがいい」

「じゃろ! 戦う理由だとか、信念だとかはのう、難しくってよう分からん! 必要だとは思う! でも、それが全部じゃない」

 剥き出しの野生にこちらまで引き込まれそうになる。そのように振る舞えたら、そのようにあれたら、と自然と感じてしまう。

「ですね。じゃあ、お預けですか」

「じゃのう! 残念だが」

 ちっとも残念だと思っていないような朗らかな口調。それでもまだ火の点いた胸を燻らせるのは戦いへと導かせる心だ。お互いに今ではないという了承。それが行えただけでもいい、とユキナリは感じた。

「それにしても、お前さん、ポケモンの絵ばっかりじゃのう!」

 スケッチブックを捲っていたアデクがうなりながら口にした。ユキナリが、「いけませんかね?」と尋ねると、「人間も描け」とアデクはスケッチブックを返した。

「どこにでもいるでしょう?」

「どこにでもはおらん。人間だって一人一人立派な存在じゃ。お前さんの周り、かけがえのない人はおるじゃろ?」

 その言葉に脳裏で自然とナツキの姿が像を結んだ。ナツキをスケッチのモデルにしようと思わないのは、そういえば何故だろう。考えた事もなかった。

「まだ僕には……」

「分からんでも、いつかは分かる。その時のために、腕を鈍らせるなよ」

 ポケモンバトルでも、スケッチでも負けるつもりはない、という眼差しをユキナリは向ける。勝気な瞳に、「いい眼じゃ」とアデクは微笑んだ。

「そういう眼が出来るうちは、人間腐らんからのう」

 アデクは立ち上がると部屋を出て行く様子だった。まだもう少しだけ話したい気分だったが、それを中断したのはナツキの声だ。

「ユキナリ。二日目、山越えについての説明をニビシティの人から聞けるみたいだから、この際、行っておきましょう」

 ナツキは入ってくるなりアデクが外に出ようとしたので視線を交わし合った。

「何かあった?」

 ナツキの不安を他所に、「いや」とアデクは不敵に笑いユキナリは頷いた。男にしか分からぬ無言の了承だ。

「またな」

 別れの挨拶はその程度でいい。淡白なほうが自分達には合っている。ユキナリは、「ええ」とだけ返した。アデクが出て行った後、ナツキは腕を組んで先ほどの様子を聞きだそうとする。

「何か、気味が悪いわよ、あんた達」

 気味が悪いとは失敬だな、とユキナリは感じたが、「言い過ぎだ」という程度の反論に留めておいた。自分でも変化に戸惑っている部分はある。同じ志を持つ存在と見えて興奮した神経があるのか、それとも自分本来に備わっていた性か。どちらにせよ、ナツキとの日々では培われなかった部分だ。

「山越えの説明だって? どこで?」

 ユキナリは早速荷物を纏め始めた。ナツキは、「北側にある博物館の前みたいよ」と返す。

「オツキミ山はそんなに危険じゃないし、遭難者が出るような険しい山じゃないだろ?」

「それでも一晩や二晩を明かす可能性のあるトレーナーには良識ある行動を、ってのがオツキミ山を管轄するニビシティからのお達しよ。どうやら、大会本部も一枚噛んでいるみたい」

 大規模な大会で自然が荒らされるのを恐れているのだろうか。しかし今回のポケモンリーグ、ポケモンの乱獲は禁止である。それでも人が行き過ぎれば何かと不都合な部分があるのだろう。ユキナリはすぐに従って宿屋を出た。チェックイン、チェックアウトはトレーナーズカードによってなされる。トレーナーズカードは一種の身分証であり、ポケモンリーグ内においては参加者である事を示す何よりの証拠となる。もしトレーナーズカードをなくしてもポケギアの個体識別番号によって再発行は可能だがその間、バトルや交換などのトレーナーとしての行動は原則禁止となる。

「用具がいるかなぁ」

 道すがらフレンドリィショップを眺めていると、「大抵の備品はポイントと交換みたいよ」と前を行くナツキが返した。

「昨日1000ポイントずつ他人にあげちゃったユキナリのポイントじゃ心許ないでしょ? あたしが出すわ」

 ぐうの音も出ない。ユキナリはナツキに言われるまま、道具を買い揃えた。虫除けスプレーや傷薬などを鞄に詰め込むとそれなりの重さがある。

「これで説明会に行けって?」

「九時半からってポケギアに出てるわ。あんたのも」

 ユキナリはポケギアを確認した。ナツキの言う通り「大会運営側からのお知らせ」としてピックアップされている。

「でも、僕らみたいにニビシティをまともに抜けようと言う人ばかりじゃないよね」

 ディグダの穴に向かっていった人々の事を含めて言ったつもりだったが、「参加は自由よ」とナツキは素っ気ない。

「山越えの自信があるのなら、それでいいんじゃない?」

 ナツキはオツキミ山を単独で越えるのは難しいと判断して説明会へ参加しようとしているのだろう。ユキナリも夜通しの戦いに巻き込まれた場合、勝ち抜けるのか不安もあった。

 当のニビシティ博物館前は以外にも閑散としていてこの大会運営側からの勧告がきちんと行き渡っているのか心配になったが定刻通りに博物館前に人影が現れた。カンザキ執行官ではない。別の役人が、「これで全員ですかな」とトレーナー達を見渡す。ユキナリも同じようにきょろきょろしていると、「明朝に発った人達も多いと聞くわ」とナツキがその疑問に答えた。

「どうしてそんな」

「これはレースじゃない、と言っても早くにオツキミ山を抜けられるほうがいいに決まっている。抜け駆けよ、抜け駆け」

 つまり、この説明会に律儀に参加している時点で既に行き遅れている事になるのだが、ナツキには急いた様子はなかった。

「それにしちゃ、みんな落ち着いている……」

 ナツキだけではない。説明会にいる人々はどこか落ち着き払っている。「慌てたって仕方がないのは多分、一日目で身に沁みたんでしょう」とナツキは肩を竦めた。

「むしろ勇み足にならないだけ賢明」

 それだけ冷静な判断力を持った人々という事か、とユキナリは無言の視線を向けた。無関心を決め込んでいるが彼らこそがこの先において障害になりかねない。それをじっくりとユキナリは肝に銘じる事にした。その中にアデクの姿を見つけ軽く手を振られたので振り返す。

「随分と仲良くなったわね」

 ナツキの声に、「まぁ」と曖昧な返事を寄越した。ナツキはアデクの事をいまいち信用していないらしい。邪険にする事はないが、真正直にアデクの人格を受け止める事はなかった。

「どうして。アデクさんはいい人だよ」

「いい人ってのは同意。あの時も、割り入ろうとしたし」

 あの時、というのはジムトレーナーのトシカズにしてやられていた時だろう。アデクが声を張り上げたのをナツキも知っているはずだ。

「だったら」

「だからって、イッシュのトレーナーで優勝候補。そうそう、甘く考えないほうがいいわ」

 ナツキの言葉はユキナリの中で染み入った。アデクは優勝候補、つまりそれだけの実力を認められた存在なのだ。対して自分達は無名のトレーナー。隔絶を感じるのも無理はない。

「でも、よくしてくれている」

「そのよくしてくれている、が最後まで持つかどうか」

 どうやらナツキはとことん疑ってかかるようだ。ユキナリは、「疲れるよ」と忠告した。

「そんなに片肘張っていると」

「あんたみたいに連勝しているわけじゃないもの。そりゃ片肘も張るわ」

 ユキナリはその言葉に声を詰まらせた。ナツキのポイントは昨日の時点で2500ポイント。500ポイントをトシカズに取られてそのままだ。ユキナリはナツキにも分配しようとしたが彼女は頑なに拒んだ。恐らくプライドがあるのだろう。自分で勝ったわけでもない勝ち星を上げる事をよしとしないのだ。焦るのも無理はない。その精神状態で考えれば随分と落ち着いている。ユキナリはナツキの強靭な精神力ゆえだと感じていた。

 二ヶ月間、修行として毎日戦っていれば嫌でも分かる。相手が何を考えているのか。ナツキはどうにか挽回したい、その気持ちを胸にこの説明会に参加したのだ。何よりもここから先の黒星は避けたいと願っているはずである。

「えー、大会主催者側からはオツキミ山内部での観測は不可能と判断し、個人の裁量に任せる事とします。ただし、度を超えた戦闘や生態系を破壊すると思しき行動には後々ペナルティが追加されます。また山越えに際して二三、注意事項を――」

 そこから先の話は山越えに関する専門知識だった。ユキナリはスケッチブックの端にメモを取ったがほとんどの人間はメモの一つも取らなかった。山越えの経験者もいるのか、バックパックを背負った大男や、顎鬚をたくわえた山男が肩を並べている。

「彼らに比べれば僕達も軽装だ。ナツキ、どうする?」

 ユキナリは目の端でアデクの動きを追ったが、アデクは既にどうするべきか決めているようで歩き始めていた。腰蓑のように荷物を抱えている。

「そんなにアデクさんが気になるの?」

 ナツキの言葉は棘を含んでいた。ユキナリは、「そんな事」と返そうとしたが全てを見透かしている瞳に素直に認めた。

「……まぁ、そうだよ」

「彼は当てになるものね」

「何ひがんでいるんだ?」

「別に」とナツキはぷいと視線を逸らしてオツキミ山へと続く道を歩き始めた。三番道路は段差が多く、人々はいちいちそれらを跨ぎながら進んでいく。ユキナリ達もまた同じように進んでいたが、やがて立ち止まる人も現れた。話によるとオツキミ山の前にはポケモンセンターが設営されており、オツキミ山散策前に充分な回復が行えるという。

 だからなのか、彼らの中にはモンスターボールをホルスターから抜き放ち、ポケモン勝負と洒落込む人間も少なくなかった。ここでポイントを稼ぎたいのだろう。オツキミ山では山越えがメインとなるためにポケモン勝負の暇はない。あるいはオツキミ山内部での闇討ちも考慮に入れた勝負なのかもしれない。ここで実力を明らかにする事によって妨害を防ぐ役割もあるのだろう。ユキナリは彼らの勝負気に中てられたようにモンスターボールへと手を伸ばしかけて寸前で立ち止まる事が出来た。ナツキも同様である。ここで呑まれれば進めないと判断したのだろう。

「いい? オツキミ山の前のポケモンセンターで一時休止。それまで無駄な消耗は避ける」

 ユキナリは首肯した。

「それに博士にも連絡を取らないと」

 昨日はジム戦のごたごたで結局連絡が取れず仕舞いだった。ナツキは、「キバゴの事ね」と心得た眼差しを向けた。

「どうなるのか、あたしにも全然分からない。でも、ユキナリ。一つ、忠告しておくわ」

 ナツキの改まった声に何だろうとユキナリは小首を傾げた。

「ジムバッジ、見えない位置に隠したほうがいいわよ」

 ユキナリは襟元に留めておいたジムバッジを自覚した。懐に隠しながら、「もっと早くに言ってくれよ」とむくれる。

「仕方がないでしょう。ここまで連中も血気盛んだとは思わなかったんだから。みんな修行僧みたいに山に向かうかと思ったら……」

 濁した語尾を断ずるようにポケモンの技が弾ける。近くで巻き起こったバトルに二人は辟易した。堰を切ったようにバトルへと雪崩れ込む人々の胸中にあるのは自身のポイントへの不安だろう。ここで稼がねば、と誰もが感じているのだ。ナツキも同じに違いなかったが彼女は自制心を持ってきちんと戦うべき時を見据えている。ユキナリはナツキが思っていたよりも冷静な理由が分かった。冷静でいなければすぐに呑まれてしまう。バトルへの魅力、というよりは誘惑はそれほどまでに甘美だ。一度戦いを経験したのならば分かるだろう。勝利の美酒への探求を。

「こいつらのペースで戦っていたら終わり。オツキミ山越えの前にスタミナ切れを興しかねない」

「だろうね。アデクさんは真っ直ぐにオツキミ山に向かっている」

 アデクの背中を目で追っていると、「いつまでもアデクアデク言っているんじゃないわよ」とナツキが呟いた。

「別行動なんでしょ? 割り切りなさい」

 振りかけられた声にユキナリは首を引っ込める。しかしアデクの行動をトレースすれば間違いのないのも事実なのだ。彼は実戦においてはエキスパートである。それは昨日のトキワの森での戦いを見れば明らかだった。

「バトルを控えて、山越えに専念する、か」

 発した言葉に、「分かっているじゃない」とナツキが鼻を鳴らす。

「誰かさんを見て覚えるんじゃ、まだまだだけどね」

 ユキナリはその小言を無視してオツキミ山を目指して歩いた。山道は平坦だが、オツキミ山は広大である。見渡す限り荒涼とした岩肌の無骨さが浮き立っている。山頂は尖っており、とてもではないが登頂は出来そうにもない。

「標高は? 何メートル?」

 仰ぎ見ると上空の縮れ雲が目視で分かる速度で移動している。

「海抜一千メートル前後みたい。山そのものよりも内包する洞窟のほうが厄介のようね」

 ナツキがポケギアを操作しながら確認する。どうやらナツキも随分とポケギアに慣れ親しんだらしい。

「確か、探検隊が遭難したって言うのは……」

「あれはシンオウのテンガン山でしょう? 規模が違うわよ」

 いつかテレビで見たうろ覚えの知識を口にするとナツキはすぐさまポケモンセンターを示した。

「一度休みましょう。あんたはキバゴを見てあげなさい」

 ポケモンセンターに入るや否や、ユキナリはパソコンに、ナツキは回復受付へと回った。どうやらナツキはストライクのコンディションに不安があるらしい。瞼の裏に残る傷痕を思い返し、一回の回復程度では全快は不可能だったのだろうか、とユキナリは考える。

 パソコンを接続し博士へと通信を打診するとすぐさま返事が来た。指定されたアドレスを踏むと博士とのビデオチャットが開く。

『ユキナリ君。元気かい?』

 博士の声は広域で聞こえるようになっていたのでボリュームを調整し、「すいません」とまず謝った。

「昨日は連絡取れずに……」

『ああ、いいんだよ。私なんかとの定時連絡よりも冒険を優先すべきだ。何か進展はあったかい?』

 ユキナリは周囲を憚ってから懐のバッジを見せた。鈍く輝く灰色のバッジに博士が息を呑む。

『……やったんだね?』

 その確認の声にユキナリは頷いた。

『緒戦は上々……。だが、ここからだ。通信領域を見る限りまだニビシティからそう離れていないようだけれど』

「オツキミ山です。その前に仮設のポケモンセンターがあって」

『なるほど。今回のポケモンリーグ、通信網を走らせる事に関しては上も相当気を回しているらしい。オツキミ山近辺といえば、磁気の影響で以前までは通信は危うかったんだが』

「そうなんですか?」

 ユキナリはポケギアへと視線を落とすと通信レベルを示すアンテナが見る見るうちに下がっていく。

「あれ? これって……」

『やはり、音声通話は厳しくなるね。こういうきちんとした設備の中だけだろう。通話が辛うじて出来るのは』

 ユキナリは瞬時に骨董品に成り下がったポケギアを見下ろした。振ってみるが電波が回復する兆しはない。

『それよりも、キバゴは? どうなった?』

 本題を思い出しユキナリは、「その事なんですが」と昨日の戦闘で手にした経験を話した。

 博士は頷きながらユキナリの話に真摯に耳を傾ける。

『すると新たな技の発現があったわけか』

「ええ。イブキさんによるとあれはドラゴンクローっていうらしいですが」

『すごいじゃないか。優勝候補の一角に勝つなんて』

 賞賛の言葉にユキナリは後頭部を掻く。

「いえ、たまたまです。それに特性も判明したっぽくて」

 頑丈を突き崩した特性をユキナリは「型破り」と名付けた事を話すと博士は指を鳴らした。

『いいね。型破り。実にキバゴと君らしい特性じゃないか』

「でも、この特性、どこまで及ぶのかまるで分からないんです」

 たとえばストライクの特性、テクニシャンを破ったり出来るのか。どこまで「型破り」なのかはまるで分からない。

『研究のし甲斐があるね。型破り、という特性はいいよ。頑丈特性を破る事が出来る。大きな戦力となるだろう』

「それでキバゴに関してなんですが……」

 ユキナリが顔を翳らせて喋るので博士は事の重大さを理解したのか声を潜めた。

『何か?』

「空牙が、生えてくる気配がないんです」

 ユキナリは戦いの中でキバゴの牙は研鑽され、強くなると仮定していた。博士も同じである。確かに片牙は強くなった。その予兆もある。しかし、空牙はまるで生える気配がない。元々牙など存在しなかったかのように生え変わりもしない。

 博士は思案するように呻り、『もしかしたら』と仮説を述べた。

『キバゴは新たなる戦い方を体得したのかもしれない』

「新たなる、戦い方、ですか……」

『本来は二つの牙を持つポケモンだったのだろうが、空牙のキャンセル機能を君との戦いで目覚めさせ、それと片牙を併用する戦術を編み出したのだとしたら?』

「でも、だとしたらダブルチョップは使いようがないですよ」

 イブキのように特殊攻撃を行ってくる相手でしか「ダブルチョップ」は有効ではない。そのような技を組み込んで勝てるほどポケモンリーグは甘くないはずだ。博士は、『キバゴの力は未知数だ』と続けた。

『だからこそ、トレーナーとの交信で確かめ合っていきたい。ユキナリ君、君がキバゴにしてやれる事が増えれば、キバゴも君にしてあげられる事が増えるんじゃないかな』

 してやれる事、と言われても真っ先に思い浮かぶ事はなかった。戦いの中で絆を通じて力を開花させる。それが一番のように思えたが、自分のトレーナーとしての力量がそれに及ぶかどうかの自信はない。

「キバゴは、僕なんかがトレーナーでいいんでしょうか」

 不意に浮かんだ不安の翳りに博士は、『君だからこそ』と返す。

『キバゴはここまで応えてくれたんだと思うよ』

 そうならばありがたいのだがユキナリには自分以上にキバゴを使いこなせる人間がいるのならそれでもいいのではないのかと思う側面もあった。キバゴは、イブキとの戦いでもタケシとの戦いでも自分に呼応するように力を発揮してくれた。しかし、それは自分の実力なのかと翻れば疑問を感じる。

「僕だって、キバゴとは離れたくないです。でも、キバゴが、それを望むなら……」

 キバゴの真価を発揮出来るのが自分ではないのならばそれは受け入れるべきだろう。博士はユキナリの発言に、『らしくないね』とこぼした。

『何か自信喪失するような事でもあったのかい?』

「それは、ないんです。むしろ、上手く行き過ぎているほどに」

 だからこそ、不安なのだ。これから先も上手くいくのか。戦えるのかが。博士はコーヒーカップを口に運びながら、『順風満帆、っていう状態が怖いのは分かるよ』と頷く。

『その状態を出来れば壊したくないってのが人情だからね。でも、ナツキ君はどうだい? 彼女は、負けてもそれでも立ち上がろうとしているんじゃないかい?』

 その言葉にユキナリは絶句した。ナツキは自分よりもさい先に不安を感じているはずだ。緒戦から負け越しで始まったのもあるだろう。ユキナリは僅かに回復受付にいるナツキを窺い、彼女の不安を一つでも取り除きたいと感じた。

「僕は、ナツキが自信を失うところを見たくない」

『だったら、君だけは彼女を信じる事だ。それが強さに繋がる。ナツキ君は、私が見た中でもトレーナー気質だが、同時に脆い側面もある。支えてあげてくれ』

 ユキナリが首肯するとナツキが歩み寄ってきた。「切りますね」と言ってから通信を切るとナツキが怪訝そうに眉をひそめた。

「何で切るの? あたしも博士に報告しようと思っていたのに」

「ああ、ゴメン」

 気が回らなかった、と言い訳すると、「まぁ、いいわ」とナツキはオツキミ山の山道地図を取り出してきた。どうやら無料配布しているらしい。受付の隣のストッカーへと大量に投入されている。

「山道地図によるとオツキミ山は最近になって梯子や階段を模した道路が整備されたみたい。レベルの高い野生は出ないけれど、月の石っていうのが鉱物資源として採れるみたいね」

「月の石?」

「進化のための石よ」とナツキは応じた。ユキナリはスクールの授業でポケモンの進化要因に特殊条件下の鉱物が関係しているというものがあったのを思い返す。

「そんなのが採れるんだ?」

「貴重な資源だから採ったら罰金みたいだけれど」

 ナツキは山道のマップを繰っている。ユキナリは、「オツキミ山だけのポケモンっているのかなぁ」とスケッチブックを取り出した。

「ピッピ、ってのが有名ね」

「ピッピ?」

「ピンク色のポケモンよ。目撃個体が少ないから詳細は不明みたいだけれど」

 出来るならばそれをスケッチしたいと考えていたがナツキは、「スケッチの暇なんてないと思うわよ」と冷淡だ。

「どうしてさ」

「オツキミ山の中では監視がないって聞いたでしょ。つまり、トキワの森と同じ」

 その言葉の導く先をユキナリは感じ取った。

「問答無用のバトルロワイヤル……」

「死んだって責任取ってくれないかもね」と続けたナツキの言葉にユキナリは背筋を凍らせた。

「冗談にしてもきついな」

 ポケモンセンターのすぐ脇には露店がいつの間にか出来ており大柄な男が声を張り上げている。

「コイキング安いよー! 今なら一匹五百円!」

 男の背負っているバックパックにはモンスターボールが詰め込まれており、それら全てがコイキングなのだと知れた。コイキングならばユキナリでも知識はある。最も弱いポケモンとして名高い。

「おっ、そこの少年と彼女。コイキングはどう?」

 売り込みの声に、「彼女じゃない!」とナツキは声を張り上げた。男とユキナリが顔を見合わせる。

「そんなに否定するところ?」

「うっさいわね」

 ナツキはぐちぐちぼやきながらオツキミ山の洞窟に続く入り口を眺めた。外からではまるで中の様子は分からない。どうやら慎重に慎重を期しているようだったが、「入ってみなけりゃ分からないんじゃない?」とユキナリは冷静だった。

「……入ってすぐに奇襲を受ける可能性もあるわ。ストライク」

 ナツキはストライクを繰り出し、いつでも迎撃出来る態勢を作る。ユキナリはそこまではなれなかったが、ポイントの事を鑑みればナツキの態度も分かる。キバゴを繰り出そうとした時、「お嬢ちゃん。コイキング、どう?」という声に振り返った。コイキング売りを誰しも相手にしない中、一人だけ立ち止まって思案している少女がいた。ユキナリは思わずその様子を眺める。

 トレーナーらしき少女は、「五百円、ですか……」とどうしてだか迷っていた。まさか、コイキングを買おうとでも言うのか。

「そう! 五百円よ! 今なら、お嬢ちゃんだけに。このコイキングってのはね、とっても珍しいからね」

 相手が無知なのをいい事に言いたい放題である。少女は財布へと手を伸ばそうとした。ユキナリは見ていられず歩み寄った。

「すいません。連れなんで」

 行商に愛想笑いを浮かべてユキナリは少女の手を引く。少女は戸惑った様子でユキナリを眺め、遠ざかっていくコイキング売りを見つめていた。

「駄目じゃないですか。ああいうのは相手にしちゃ」

 あまりにも純粋に信じ込んでいる様子に見ていられなかったのもある。しかし、それ以上にユキナリの目を引いたのは少女の容貌だった。紫色のワンピースを身に纏い、白い前掛けをつけている姿はトレーナーとは思えない。だがオツキミ山近辺にいるのは皆、トレーナーである。その少女の危うさに思わず引き止めていた。少女は目をぱちくりさせる。その段になって瞳が赤い事に気づいた。珍しいな、とユキナリが見惚れている事に気づいたのか、それとも無意識か、「あの……」と控えめな声が漏れる。ユキナリは手を掴んでいたままの事に気づき、「ああ、ゴメン」と慌てて離す。少女は触られていた手首を不思議そうにさすった。

「ああいうのには引っかかっちゃ駄目ですよ」

 ユキナリは再三注意する。少女は何の事だか分かっていないようだった。小首を傾げている少女へと、「コイキングなんて買ったら」と続けた。それでようやく理解したのか、手を合わせて、「ああ」と応ずる。頭の回転が遅いのかもしれない。

「私、コイキングというのが何なのか知らなくって」

 それは奇妙な話に思えたが、別地方から来たのならば不思議はないか、とユキナリは少女の相貌を眺めて納得した。

 灰色の髪に花模様の髪留めをつけている。それに加えて赤い瞳となればカントーの出身ではないのだろう。

「トレーナー、ですよね?」

 確認の意を込めた言葉に少女は、「はい」と腰に留めたモンスターボールを手にする。

「ポケモントレーナーを名乗りなさいって、先生から言われたから」

 先生、というのはスクールの教師の事だろうか。ユキナリは浮世離れした少女の言動に戸惑っていた。

「……誰、その子」

 不意に背後から発せられた低い声音にユキナリは驚いて奇声を上げた。ナツキが据わった眼でユキナリを睨む。

「あんた、これから山越えだってのにナンパとか」

「違う! 誤解だって」

 必死に弁明しようとすると少女は、「ごきげんよう」と会釈した。ナツキが気後れ気味に応じる。

「あ、よろしく」

 ユキナリの首を引っ掴み、ナツキは声を潜めた。

「……誰なの? 本当に」

「僕にも分からないんだって。ただコイキング売りの商法にかかりそうになっていたから、見ていられなくって」

「そんな理由で知らない人間をたらし込もうとしたの? 馬鹿じゃないの?」

 ナツキの罵声にユキナリはぐっと堪えた。どう反論しても知らない少女に声をかけた事には変わりはない。

「あの子、トレーナー?」

「みたいだけど、コイキングも知らないって……」

 ユキナリの心配事が移ったのかナツキも視線で少女を窺った。少女は軽く手を振る。ナツキは愛想笑いを返して、「参加者?」と尋ねる。

「参加者、というのは」

 ゆったりとした少女のテンポにナツキは、「ポケギア、持っているの?」と左手の端末を示した。少女は、「ああ」と手を合わせて首から提げたネックレスを差し出す。驚く事にそれはポケギアだった。

「先生に持っていろって言われたので」

「変わった持ち方ね……」

 ナツキは辟易しつつユキナリへと視線を送った。どうする、と問いかける眼差しにユキナリは応じた。

「トレーナー初心者なら、僕達も同じだし。山越えには人数も多いほうがいい」

「正気? だってこの子」

 ナツキは少女を上から下に検分する。ナツキの言いたい事は分かる。軽装なのだ。鞄すら持っていない。

「着の身着のまま攻略出来るほどこの旅は甘くないでしょう」

 少女の装いは奇妙だが、上手く戦いを回避してきたのならばこういう装備の人間がいてもおかしくはない。

「心配だし……」

「あたし達だって山越えは不安なのに、さらに不安要素持ち込む事ないって言っているの」

 ナツキの言葉は厳しいが、確かに少女を抱えてリスクが増える事にもなりかねない。

「放ってはおけないだろ」

 ユキナリはしかし、このまま少女を見て見ぬ振りをして放置する事のほうがよくないと考えていた。参加者だというのならばなおさらだ。誰かに利用されかねない。ポイントを巻き上げられればそれこそ身一つになってしまう。オツキミ山で一人になる事の危険度はナツキが一番よく理解しているはずだった。声を詰まらせたナツキに、「それに、もしかしたら戦力になってくれるかも」と期待を添える。ナツキはぷいと顔を背けた。

「見たところ弱そうだけど」

 棘のある言い分だが、ナツキはそれ以上否定の言葉を発しなかった。あとはユキナリに任せるつもりなのだろう。ユキナリはとりあえず少女に同行の許可を求めた。

「えっと、じゃあ、僕らと一緒に山越えをしませんか? 多分、そのほうが助かる事もあるだろうし」

 その言葉に少女は、「ご迷惑でないのなら」と頭を下げた。ユキナリはナツキへと視線を向ける。ナツキは、「ここまで来たんなら、肝は据わっているんでしょ」と了承した。

「じゃあ、えっとまだお名前を聞いていませんでしたね。何て言うんですか?」

 少女は幾ばくかの逡巡の後に答えた。

「キクコ、っていうのが私の名前」



オンドゥル大使 ( 2014/12/12(金) 21:37 )