第二十一話「容疑者」
報告が届いたのは明け方過ぎだった。
カンザキはほとんど眠る事なく執務に駆られていたが、仮眠程度ならば許されていた。一時間の仮眠。だがそれを破ったのは唐突なポケギアの着信音だ。カンザキは佇まいを正し、「何か」とすぐに声を吹き込んだ。
『カンザキ執行官。まずい事になりました』
ヤグルマの声だ。焦燥を滲ませた声音に尋常ではないと判断したカンザキは、「何が起こった?」と尋ねる。
『とにかく現場に向かっていただけますか』
その声の後に続けられた場所を頼りにしてカンザキはスーツを着込み、リムジンに揺られて現場へと向かった。現場、とされたのはニビシティの宿屋の背部だ。木々が乱立して黎明の空の陽射しを遮っている。カンザキはこんなところならばスーツで来るのではなかったと少し後悔した。ヤグルマが先んじてここに来た理由が知りたかったが、それよりも現場を囲うようにスーツの人々が立っていた。写真を取っているのは鑑識だ。カンザキは理解するのにしばらくかかった。
「何が起こったのだね」
「カンザキ執行官」
歩み寄ってきたのは一人の男だ。好青年の体を崩さず、彼は会釈した。
「国際警察のハンサムです。今回のポケモンリーグに当たって、治安の維持を任せられています」
「何の騒ぎだ? こんな場所で高官である我々が話し込んでいるとニュースに――」
「既に、事態はのっぴきならない方向へと動き出しているんですよ」
ヤグルマが声を差し挟む。カンザキは、「一体何だと言うんだ」と煩わしげに返した。
「何が起こったのかと聞いている。さっきから隠し立てしようとしているようだが」
「カンザキ執行官。あなたは代表者とはいえ、一応は民間人だ。この事は極秘に願いたい」
ハンサムの含んだ声にカンザキが怪訝そうに眉をひそめていると、彼は鑑識の肩を叩いた。鑑識が道を譲る。すると、二人の男が倒れ伏しているのが視界に入った。近づいてみてカンザキは呻く。
その顔はニビシティジムリーダー、タケシのものだったからだ。ハンサムは、「死後二時間、というところでしょう」と説明した。
「急激な体温の変化によって死亡した、と思われます」
「体温の、変化……」
ハンサムは手馴れているのか、現場に踏み込むと手袋をつけてタケシのモンスターボールを検分した。
「手持ちを出す暇もなかったようですね」
モンスターボールが開かれていないところを見やり、さらに横に倒れているもう一人へと顎をしゃくった。
「トレーナーカードがありました。ジムトレーナー、トシカズ。タケシの右腕として、この街ではちょっとした有名人です」
トレーナーカードには顔写真と職歴が書かれている。それによれば、トシカズはほとんど負けなしのタケシの部下であるそうだ。
「対人成績がすごいですね。最近、ちょうど二回負け越しているらしいですが」
トレーナーカードは常に更新され、最新の成績が明らかになる。それによると、昨日二度負けたらしい。
「一度目の相手に記載がありますね。ちょうど、ジムバッジを渡した相手みたいです。名前は、オーキド・ユキナリ」
ヤグルマはカンザキへと視線を振り向けた。知っているか、という確認だろう。カンザキは首を横に振る。
「知らないな。無名のトレーナーだろう」
ハンサムは何度かトレーナーカードを翳して、「もう一人の記載はないですね」と呟いた。
「どうやら更新前に殺された様子。当たり前ですか。殺されればトレーナーカードは更新されない。結局、誰が殺したのかは分からない」
「ま、待ってくれ」
カンザキはハンサムの言葉を押し止めた。
「これが殺しだと?」
その疑問にハンサムは、「十中八九間違いありません」と答える。
「この様子から二人同時に、でしょう。相当な使い手である事が予想されます」
「馬鹿な。それほど強ければ、ジムバッジを狙えばいい。どうしてジムバッジを既に剥奪されたジムリーダーを狙う?」
「それは会見で仰られた内容が関係しているのではないでしょうか」
何の事だ、とカンザキが首を傾げると、「私の言った、オリジナルジムバッジは本当に八つか、という質問です」とヤグルマが助け舟を出した。
「まさか、あの質問によって殺人が引き起こされるとは思いませんでした……。相手はオリジナルジムバッジが渡されていないと感じて、まずジムトレーナーとジムリーダーを襲ったのです」
「つまり、渡されたのはダミーだと思った誰かの犯行だという事か」
「その線が濃厚です」とハンサムが応じ、タケシとトシカズの死体を見やる。
「全くの迷いがない。人を殺す事に慣れている相手でしょう」
「熟練者か」
「いや、まだ分からない。そもそも何タイプで殺されたのか、相手のポケモンの規模も強さも不明だ」
カンザキはヤグルマとハンサムが心得たように会話を進めるのに怪訝そうな間を空けた。
「……君達は」
ヤグルマはその沈黙を察したのか、「彼は、私の友人」と紹介した。
「以前、口にしていた協力者の一人です。彼は国際警察。当然、各地方の行政や裏事情にもよく顔が利く」
カンザキは協力者がまさか国際警察だとは思わず度肝を抜かれた気分だったが、当のハンサムは、「どうも」と否定をしない。国際警察と一記者の癒着関係が明るみになれば危険だろう。しかし、それよりもなお危うい綱渡りをしているのは自分なのだ、とカンザキは実感させられた。彼らが全く問題なく会話しているのがその証拠だろう。自分が告発すれば、では何故知っていたのか、と叩かれるのはこの大会の執行官である自分自身。下手な正義感は彼らに踊らされる原因を作る。
「まさか、協力者が国際警察だとは」
「カンザキ執行官。今回のポケモンリーグ、思っていたよりも野蛮な連中を引き入れてしまっています。ヤグルマから上がっていた仮面の人々ですが、私の伝手でもなかなか情報が回ってこない。しかしカントーにだけ、いるのは確かなようです」
「その話はまたにしないか。今は、殺された二人に関して」
ヤグルマが意図的に会話の道筋を変えた。カンザキは確かに今話す事ではないと納得したがヤグルマのそういった様子を見るのは初めてだったので不思議でもあった。
「そうだな。執行官。もう一度確認いたしますがジムバッジは本当に八つですか?」
この対応を誤れば、自分はとんでもない失策を負わされる事になる。その事実に唾を飲み下しつつ、「本当だ」と答えた。
「ダミーのバッジの使用は認められていない。それは何よりも勝負を侮辱する行為だからだ」
「なるほど。ジムリーダーは敗北すれば絶対にオリジナルバッジを渡さねばならない。しかし、本当にそれだけがジムバッジを得る方法ですかな」
ハンサムの声音に、「どういう意味だ」と問いかける。「つまりですね」と彼は前置いた。
「ジムリーダーを暗殺し、ジムバッジが確実に挑戦者に渡される制度を一度でも確認すれば、後はもう、挑戦者を狙ったほうが早いのではないのか、という話です」
カンザキは、「それは難しいだろう」と返す。
「何故です? 私にはそれが手っ取り早く映る」
「ジムリーダーとてやわではない。半端な挑戦者にジムバッジは渡らないはずだ。それこそ、挑むだけ無謀。逆に略奪しようとした相手はより強い相手を前にする事になる」
ハンサムは、ふむ、と納得したようだったが、それは表向き、というポーズに見えた。
「ジムリーダーの死を悼んでいる暇はない。参加者の中に、確実に殺人者が混じっている。これは疑いようのない事実でしょう。参加者二百人前後の誰かが、今も殺人の手ぐすねを引いているのです」
ハンサムの口調にはカンザキも思わずたじろいだ。その道のプロだけが出せる気迫を彼は持っていた。
「しかし、今さら中止勧告など出来るはずもない。このポケモンリーグは転がり始めた石だ。私の立場云々ではなく、たとえチャンピオンが存命でも止められないうねりだろう」
その言葉にヤグルマとハンサムが顔を見合わせる。
「しかし、殺人は容認されない。当然の事ですが。犯人を見つけるべく私の協力者に動いていただく。異論はありませんな」
ハンサムの声に、「まだ、協力者がいるのか」とカンザキは意外という印象を抱いた。一体、どれほどの規模でヤグルマとハンサムは動いているのだろう。それが全く分からず、カンザキは無言の了承を迫られた。
「今、こちらに来てもらっています。ポケモンによる犯行ならばポケモントレーナーが最も専門家だ」
背後に迫る気配を感じ取りカンザキは振り返った。そこにいたのは黒装束に身を包んだ金髪の美女だ。涼しげな目元を細めカンザキへと会釈した。
「シロナ・カンナギ選手……」
「あら、覚えていただいて光栄ですわ」
忘れるはずがない。優勝候補の一角だ。彼女はカンザキを見やってから、「現場は?」と尋ねた。そこでようやく、カンザキはシロナが協力者なのだと知った。
「ここに。君ならばいくつか分かるだろう?」
ハンサムの言葉に、「期待しないでよ。殺しなんて専門外なんだから」とシロナは返しつつ死体を検分する。下された宣告は意外なものだった。
「レベルの高いポケモンの仕業じゃない」
カンザキもその言葉は予想出来なかった。ジムリーダーを暗殺するのだからそれなりのレベルなのだと思ったのだ。
「弱いのか?」
「弱い、というのではありませんわ。レベルが決して高いわけじゃない。でも、こうして暗殺を可能にするポケモン。死因は体温の急激な変化による心臓麻痺。早い話が、そういう外気を操れるポケモンだという事になる」
シロナの着眼点にカンザキは舌を巻く。彼女はまるでコンピュータのように次々と予測を弾き出した。
「氷タイプの可能性が高いわ。でも、瞬間的に血液を冷却でもしない限り、この殺し方は不可能。そういう点で言えば、ポケモンそのもののレベルは低くても、トレーナーとしての熟練度は高い」
「そう簡単に網にはかかってくれそうにもない、という事か」
「こちらが考えている以上に狡猾である事は疑いようのないわ。普段は恐らく、そういう使い方をしない。でも、犯人は一つだけミスを犯した」
シロナは金髪をかき上げてハンサムへと視線を向ける。心得たようにハンサムが周囲を見渡すと、「人間では難しいかもしれない」とシロナは言った。
「獣気、と言うべきかしら。そういうものがまるで残っていない。ポケモンで殺したのならば、それなりにそういうものが残ってるはずなんだけれど」
シロナは鼻の下を擦った。カンザキにはさっぱり分からないが、彼女には感じ取れているのだろう。
「つまりポケモンではないと?」
カンザキが尋ねると、「獣気を発しないポケモンだと考えられる」とシロナは続けた。
「人工の特色が強い、あるいは直接手を下さないポケモンかもしれない」
「それこそ、周囲の気温を下げるだけの能力を持つポケモンの可能性もある」
継げられたハンサムの言葉にシロナは首肯した。カンザキにはこの三人の中で暗黙のうちに実行されている考えが読めなかった。一つだけ間違いのない事があるとすれば殺人は既に行われ、これからも発生する可能性があるという事だ。それこそ犯人が玉座に輝くまで。
「あたしはこのまま継続して捜査に当たる。この大会には友人も多く参加しているから、自分としてもすぐに犯人を突き止めたい。第一の容疑者として」
シロナがトレーナーカードを見やった。ハンサムが、「オーキド・ユキナリ」と告げる。
「彼を洗い出しましょう。それが、最初にやるべき事になる」
「分かったわ。あたしが彼に何とかして近づく」
シロナの言葉にハンサムは、「この一件は極秘裏に進めましょう」と提案した。
「他の参加者に恐慌が伝わると面倒だ。カンザキ執行官もそうお考えでしょうし」
カンザキはこの場で自分の開く口はあるのかと自問した。この三人は、いや三人だけではない。彼らは何を目指しているのか。
「ヤグルマ。君もシロナ君と共に、継続捜査を願いたい」
ハンサムが声を振り向けるとヤグルマは頷いた。「現場は私が預かる」とハンサムが口にするとそれを潮にしたように三人は別れた。カンザキはヤグルマの後についていきながら充分に距離が開いたと考えて口を開く。
「どうして、私をあの場に呼んだ?」
「必要だと思ったからです。カンザキ執行官。あなたはこの大会の自治運営がある。もしもの時には大会中止も打診しなければならない立場だ。あなたに知らせないのはフェアじゃないでしょう」
「既にフェアではないだろう。君達、何人協力者がいるのか分からないが優勝候補のシロナ・カンナギまでも抱き込んでいたとは思わなかったぞ」
「抱き込んでいるとは」
人聞きの悪い、とヤグルマは続けた。
「我々は元より同じ意思を持つ者達。統一された存在です。シロナは優勝候補ですが、そう目される前から我々と行動を共にしていた」
「私が君達の網にかかった、というわけか」
自嘲気味に発すると、「誰も網にかけたつもりはありませんよ」とヤグルマは返した。
「ただ、カンザキ執行官。あなたはこの大会が思っているよりも血に濡れた道である事を熟知していただきたい。皆、必死なのです。それぞれの地域の威信、だけじゃない。個人のプライドがぶつかり合っている。ジムリーダー殺しは続く可能性があります」
「他の街のジムリーダーにも知らせるべきか?」
「少しばかり慎重になったほうがいいでしょう。彼らとて命は惜しい。逃げ出すと大会運営そのものに支障を来たしかねない」
ヤグルマの忠告にカンザキは、「しかし、君の立場はどうなんだ」と口にした。
「と、言うと?」
「優勝候補ではないが、君は踏み込み過ぎている。一トレーナーと言うのにはな。私は君達が動かしている組織だって怪しいと思っているんだ」
一体、水面下で何が動いているのか。カンザキには知ろうとしても、それは近づけば近づくほどに遠くへと逃げていく逃げ水のように思えた。
「警戒するだけ無駄ですよ」とヤグルマはそのような感情すら見通した声を発する。
「害悪ではありません。それだけは本当です」
自分は何と話しているのか。そら恐ろしくなったカンザキは東の空を眺めた。切り込んでくる日差しが、ポケモンリーグ二日目の朝を告げていた。
第二章 了