第二十話「玉座に輝くもの」
「いつまでそうしているんだ?」
振りかけられた声にトシカズは顔を上げる。自分達の希望の星、ジムリーダータケシが手を差し出している。トシカズは覚えず顔を背けた。
「俺にはもう、タケシさんについていく資格なんか……」
「いいや、お前は、誰よりも俺を慕うがゆえに少しだけ道を踏み外しただけさ。まだ、間に合う」
タケシの声は優しさに溢れている。トシカズは、「でも!」と立ち上がった。
「タケシさん、負けてしまったんでしょう……」
「ああ。重荷が外れてちょうどいい気分だ」
タケシは伸びをして沈みかけた夕陽を見やった。その眼差しの先に何があるのか、トシカズにも分からない。タケシと研鑽の日々を送ってきた一番のジムトレーナーであるはずなのに。
「タケシさんは、負けたかったんですか?」
失礼な問いかけには違いなかったが、今の様子を見ているとそういう考えも出てくる。タケシは、「そんな事はない」と即答した。
「出来る事ならば最初の関門として不敗を築きたかったのは事実だよ」
「だったら、俺は――」
「だからって、挑戦者を門前払いする事が正しいとは思えない」
トシカズの行動が責めらているのは分かった。タケシは許すつもりはないらしい。
「俺の事を、大会本部に報告しますか」
「いいや、俺は何もしない。彼らもそれで承服してくれた」
自分が下した連中だろう。タケシが負けた事で溜飲を下したのだろうか。それとも、タケシが救済措置でも取ったのだろうか。たとえば、ポイントの分配などを。
「タケシさん、まさか俺のために、奴らにポイントを?」
「いや、やったのは俺じゃない。ユキナリだ」
聞き覚えのない名前に、「お前を倒したドラゴン使いさ」と言われようやく理解出来た。それと同時に、何故、と疑問が突き立つ。
「どうして、奴はそんな事を……」
「自分には過ぎたポイントだってな。1000ポイントずつではあるが、お前が下した連中にもポイントを差し出した。お前が巻き上げた分から考えれば妥当だろう」
トシカズにはまるで理解出来ない。どうして負けた連中にまで温情を払う必要があるのだろう。その不明瞭さに疑問符を浮かべる。
「どうして……」
「どうしてだろうな。俺にも分からん。ただ、ユキナリはそういう奴だったって事だ」
タケシは自分が敗北した相手にもかかわらず、誇るような口調で言った。トシカズにはそれも解せない。
「どうしてそんな真似を。俺がやった事を憎んで――」
「憎んではいないだろうさ」
トシカズが放とうとした言葉をタケシは遮って口にする。
「あいつは、そういうのとは全くの無縁だろう」
「でも、あいつの連れを、俺は下した……」
「それだって、あいつは前に進む強さにするのさ。そういう奴が、多分、玉座を手にするんだ」
タケシの言葉には諦めの色も混じっている。トシカズは尋ねていた。
「これから、どうするんですか?」
ジムバッジを失ったジムリーダーには価値がない。当然、その右腕を自称するジムトレーナーにも、だ。タケシは腕を組んで少し考える仕草をしたが、心は既に決まっていたようだ。
「ジムリーダーは、負けるとジムバッジを取られる。そうなると、他のトレーナーと権利は同じになるって主催者は言っていたな」
トシカズがその言葉の意味するところを理解出来ずにいると、「俺は、旅に出たい」とタケシが口にした。
「旅、ですか……」
「あいつを見ると、まだまだ強いトレーナーがいるんだって分からせられた。いつまでも故郷にしがみつくのもみっともないだろう? ニビシティでは俺の事をみんながよくしてくれる。でも、甘えてちゃいけないんだ。井の中の蛙大海を知らずってね。思い知らされたよ。本当の強さって奴を」
「タケシさんは、強いですよ」
自分にとっては希望の星だ。しかし、自分はその希望を踏み躙るような真似をした。タケシの旅路に同行する事は不可能だろう。だが、タケシが次に放ったのは意外な言葉だった。
「共に来ないか?」
トシカズへと手を差し伸べる。思わず戸惑いを浮かべた。
「……いいん、ですか?」
ジムリーダーの誇りをけなした自分なんかが。その言葉にタケシは、「旅は道連れだ」と笑う。
「ジムトレーナーが道を踏み外したのなら、それを正すのはジムリーダーの役目だからな。それに、あいつらを見ていると、身体が疼いてしまった。結局、俺もポケモントレーナー。旅がらすってわけさ」
タケシの言葉にトシカズは膝から崩れ落ちた。しゃくり上げ、嗚咽を漏らしながらもう一度口にする。
「いいん、ですか……」
「いいも悪いもない。俺のわがままだ。通させてくれよ」
トシカズは泣き顔に染み込んでくる西日が憎々しかった。こんな時に、男ならば泣かないというのに。タケシは夕陽を真っ直ぐに見据え、「眩しいな、しかし」と呟いた。
「馬鹿じゃないの?」
ナツキの言葉にユキナリは、「……はい」と正座しながら答える。ナツキが怒っているのも無理はない。せっかくジムリーダーに勝ったというのに、自分はポイントを人々に配分してしまった。
「ポイントは無限じゃないの。そりゃ、さっきまで無限みたいなポイントだっただろうけど、今の残りポイントは?」
「6000ポイントです……」
ナツキはバンと足を踏み鳴らした。
「10000ポイントどこへ行った!」
「平等に分け与えようとしたら、そうなってしまって……」
あのジムトレーナーに負けた人々へと元のポイントが戻るように配っていると気づけば6000まで下がっていた。
「ジムバッジがあるから辛うじて3000ポイントあるだけじゃない! イブキと戦って、勝った分は? ジムトレーナーとジムリーダーに勝った分は?」
ナツキの怒声に首を引っ込めていると、「細かいのぉ、お前さんの連れは」とアデクが笑った。
「笑い事じゃない!」というナツキの声にユキナリは背筋を思わず伸ばす。アデクはそれも気にせず、「どれ、ちょっと夕飯でも食って落ち着こうや」と露店で買ってきた特産物を頬張っている。ニビシティ名物のいしまんじゅうだ。外は黒胡麻が振りかけられており、中には餡が詰まっていた。全体像として鉱物を思わせるデザインになっている。
「アデクさんは何でここにいるわけ?」
当の問題であるアデクへとナツキが声を振り向ける。アデクは山賊焼きを頬張って、「そりゃ、お前さんの戦いに興味が湧いたからだよ」とユキナリを指差した。しかし、本人である自分はと言えば、宿屋に着くなりナツキから言いたい放題言われている。
「キバゴ、特性は型破り。相手の特性を無力化する能力か。それがどこまでのものなのかは知らんが、お前さん、見ていると飽きん!」
快活に笑ってみせるアデクにユキナリは辟易したが、ナツキは、「すぐ飽きますよ。このドジ」と言い捨てた。
「アデクさん、優勝候補でしょう? いいんですか? こんなところで油売っていて」
「なぁに、ちょっと休んどるだけじゃわい。気にせんでいいぞ」
アデクはメラルバを繰り出してこの部屋に一泊する勢いだ。ナツキが、「ここはユキナリの部屋ですけど……」と含める声を出す。
「おお、知っとる」
アデクはメラルバに買ってきた食べ物を食わせている。メラルバは白い体毛と赤い触手を波立たせてアデクの差し出した食べ物をもぐもぐと食べる。
「そうじゃなくって! 何で、アデクさんは泊まる勢いなんですか!」
遂にナツキが切り出した。アデクは、「駄目か?」と心底不思議そうだ。
「部屋は一人一部屋あるでしょう。何でユキナリの部屋に泊まろうとしているんです?」
「そりゃ、お前さん、面白そうだからのう! 一晩くらい語り明かしたい気分じゃわい!」
明朗なアデクにナツキは不審めいた声を浴びせる。
「何だか男同士で仲睦まじい事で」
「別にそういうわけじゃ……」と抗弁の口を開こうとしたユキナリに、「知らない!」とナツキはぷんすか怒りながら部屋を出て行った。ユキナリが所在なさげにしていると、「あれはあれで心配しとるんじゃろう」とアデクが呟いた。
「心配、ですか?」
そんな事を考えるたまだろうか、と思っていると、「お前さん。ポイントをみんなに分けたろう」とアデクは蒸し返した。その事は出来れば忘れたかった。
「ええ、まぁ」
「このポケモンリーグ。物を言うのは実力でも、バッジの数でもない。もっと言えばポケモンの強さでもない。最終的に順位を決めるのは所持ポイント数。つまりどれだけ勝ち星を効率よく挙げて、相手にどれだけポイントを残さないかが鍵。だって言うのに、お前さんはこんな序盤で多数の人間にポイントをやった。勝負への執念はあっても戦いに赴くにしては、少しばかり迂闊な心じゃな」
冷静に分析されユキナリは言葉もなかった。アデクはメラルバを撫でながら、「ポケモンへの愛情はある」と口にする。
「実力も備わっている。しかし、甘さは時に足をすくうぞ?」
忠告のつもりなのだろう。このままでは終盤でユキナリは大きな遅れを取る可能性もある。
「でも、僕は見捨てられなかったんです」
ポイントを不当に取られた人々を目にした。その中にはもしかしたらナツキも含まれたかもしれない。そ知らぬ顔を続けられるほど、自分は冷酷ではなかった。
「あの嬢ちゃん、お前さんの旅路に暗雲が差すのを嫌っておるな」
それは自分の存在も含めて、と言外に告げていた。ユキナリは、「アデクさんはいい人じゃないですか」と返す。アデクはフッと口元に笑みを浮かべた。
「どうかな? いい人はこんな風に押し付けがましくないかもしれん」
「それでも、あの時、僕が行かなければ割って入っていたのはアデクさんでしょう?」
ジムトレーナーとの一戦。声を張り上げたのはアデクのほうだった。きっと、あの場で最も許せないと感じていたのだろう。
「オレは意外と冷たいかもしれんぞ?」
「そうは見えません」
ユキナリの言葉にアデクは吐息を漏らして、「真っ直ぐだな」と呟いた。
「その真っ直ぐさにつけ入る輩もいるじゃろう。用心せい」
アデクは立ち上がり、部屋を出て行くつもりのようだった。「泊まるんじゃ?」とユキナリが口にすると、「そこまで図々しくないわい」とアデクは微笑んだ。
「明日からの旅もある。備えておかねばな。優勝候補とおだてられて最初に脱落では示しがつかん」
アデクは既に戦士の緊張を纏っているようだった。ユキナリは、「お気をつけて」と言い添える。「お互いにな」とアデクは手を振った。
一人になった部屋の中でユキナリはモンスターボールをホルスターから抜き放ち、語りかける。
「キバゴ。僕はこの戦いを勝ち抜く。お前と一緒なら出来る気がしてくる」
二ヶ月間苦楽を共にした相棒はどのような顔をしているのだろう。不透明なモンスターボールではそれが窺えなかったが、この声は聞こえていると信じたかった。
「瞬間冷凍、レベル2」
ヤナギの声によって瞬時に相手は凍結する。舌打ちを漏らし、「まさか既にバッジが取られたとはな」と忌々しげに口にした。
「それもこれも時間をかけ過ぎた。全員の戦意を削ぐのには時間がかかる」
ヤナギはポケギアのポイント表示をアクティブにする。既に20000点近くのポイントが溜まっていた。
「誰にも譲らせない。玉座に輝くのは、このヤナギだ」