第十八話「キバゴの力」
「トキワの森で先に行った知り合いのはず」とユキナリへと視線を流す。
事の状況を見る限り、どうやらナツキとストライクは目の前のイシツブテのトレーナーと勝負しているようだ。イシツブテが右腕を思い切り後方へと振りかぶる。大きな一撃の予感にストライクが先に動いた。
「真空破!」
鎌に空気の膜を纏いつかせ、砲弾のように発射する。イシツブテの身体へとその攻撃は確かに打ち込まれた。体表に亀裂が走る。格闘タイプの技「しんくうは」は岩タイプを持つイシツブテに効果抜群のはずだ。
しかし、イシツブテは倒れなかった。一撃を凌いだイシツブテが身体を揺らすと貝殻の鈴が癒しの音叉を響かせた。青い光が波紋状に広がり、イシツブテの負傷を治療していく。見る見る間に亀裂が消え、イシツブテは万全の状態になった。
「くそっ! さっきから何度も何度も!」
ナツキの声にイシツブテのトレーナーは、「負けない戦いってのがあるんだよ」と応じる。
「ここの違いだ」とこめかみを指差した。「何を!」とナツキがストライクを先行させる。するとイシツブテは右腕を引き、ストライクへと鉄拳を見舞った。
「メガトンパンチ」
ストライクが大きく後退する。目を凝らせばストライクの外骨格には何度も打ち据えられたような痕跡があった。一度や二度ではない。何度も「メガトンパンチ」を受けている。
「でも、ストライクとナツキはそう簡単に相手の攻撃を許すわけが……」
二ヶ月間の修行が思い出される。アデクは苦い顔をして、「あれを見てみ」と顎をしゃくった。示したのはイシツブテの持つ貝殻で出来た鈴だ。
「あれは?」
「貝殻の鈴。まぁ、名前はそのまんまじゃが、あれの効力がいかん。その鈴の音から発せられる癒しの効用で体力を回復する」
その効果のせいでイシツブテが倒せないのか。しかし、と疑問が残る。
「でも、だからって何度も受け続けられるわけじゃないでしょう? 僕が知っている限り、ナツキのストライクは弱点タイプ程度で止まる性能じゃない」
「そこが、あのトレーナーのいやらしいところだな」
アデクは冷静に分析している。何が行われているというのか。ユキナリが事を見守っていると、ストライクが再び動く。翅を展開し、跳躍からの鎌による一閃を浴びせた。イシツブテはすぐに砕けそうになるが貝殻の鈴がもたらす効用ですぐさま修復される。ナツキが悪態をついた。
「何度も、何度も……」
「しつこいのが俺とイシツブテの戦い方だ。降参してもいいんだぜ?」
「誰が!」とナツキは意地になってストライクへと前身を促す。ユキナリには何が行われているのかさっぱりだった。
「あのイシツブテはレベル1のものじゃろう」
アデクの推測にユキナリは耳を疑った。
「レベル1? そんなポケモンがどうして何度も何度もストライクの猛攻を防げるって言うんです?」
「レベル1じゃからこそ、この戦法は有効になる」
苦渋を噛み締めたかのようにアデクは顔をしかめた。「だから、何が……」と理解していないユキナリは続ける。
「あのイシツブテ、特性が頑丈じゃ」
特性、という言葉にこの二ヶ月の修行が思い出された。
「特性。ポケモンが持つ固有能力……」
「そう。頑丈特性はたとえば瀕死に持ち込まれるほどの相手の攻撃を受けたとしても耐え切る特性。体力が満タンの時に限って、だが」
「だったら、どうして何度も」
「だからこそのレベル1なのだろう。レベル1は必然的に体力が低い。貝殻の鈴で回復を補ってやれば、すぐに満タンになる。そして満タンの時にはいくら攻撃を与えても、絶対に耐え凌ぐ」
そこまで言われてユキナリはハッとなった。
「つまり、無限に頑丈特性が適応される……」
「その通り。汚い戦法と言えばそこまでじゃが、負けない戦法ではある。相手のスタミナ切れを待つか、あるいは相手へと攻撃を加えて降伏を突きつけるか」
ユキナリはそのような戦いにナツキが巻き込まれている事が信じられなかった。よくよく見れば周囲の人々のポケモンも傷ついている。頑丈特性が発動する度にその顔が怒りに歪んだ。彼らもまた、あの一人のトレーナーにしてやられたのだろう。
「そんな……。ナツキ、もう!」
ユキナリの声にナツキが顔を振り向ける。その一瞬にイシツブテのトレーナーが口角を吊り上げた。
「イシツブテ、メガトンパンチ」
しまった、とナツキが顔を向ける前にストライクの腹腔へと勢いをつけた鉄拳が叩き込まれる。緑色の外骨格に皹が入り、戦うには危険な状態である事を告げていた。
「そろそろボールに戻す事をお勧めするね」
それは退け、と言っているのだろう。ナツキは歯を食いしばって頭を振った。
「ストライク! まだ!」
「見苦しいなぁ。いつまでもそうやって。いい加減、勝負を投げたらどうかな? そうすれば少しばかりは楽になれる」
「黙りなさい! あたしと、ストライクなら!」
「そういう根性論みたいなの、嫌いなんだよねぇ。特性も相性も理解しているのなら、余計に、そういうのは自分のポケモンを苦しめるだけって気づけているはずだけど?」
ナツキは歯噛みした。今にも涙が零れそうなほどに瞳が揺れているのが分かる。それを一線で堪えているのだ。
「簡単な事だ。俺にポイントを渡す。たった四分の一。それを渡してこのジムの攻略は諦めればいいだけ。次のジムに向かうといい。ただし、俺に負けたという心の傷は負いながらな」
哄笑を上げる相手に業を煮やしたのか、アデクが顔を怒りに染めて叫んだ。
「貴様ァ!」
モンスターボールを手にその戦場に踏み込むかに思われたが、それよりも早く、その戦闘に割って入った影があった。アデクが瞠目する。
「お前さん……」
ユキナリがアデクよりも先に戦場に踏み込んでいた。ナツキが、「ユキナリ……?」と声を出す。今にも泣きじゃくりそうな弱々しい声音に、「ナツキは、見ていてくれ」と返す。
「僕が、奴を倒す」
その言葉に仰天したのはナツキだけではない。アデクも同様であった。
「お前さん、連戦じゃろう! 無理は――」
「していません。もう、ポケモンセンターで回復も済ませた。僕とキバゴは万全だ」
モンスターボールを構える。ユキナリの挙動に、「あんたが、この勝負を引き継ぐってのか?」とイシツブテのトレーナーが挑発した。ユキナリは首肯する。
「ああ。僕とキバゴなら負けない」
「よく分からない自信だな。今の戦い、見ていたろう? 頑丈特性を破る手段でもあるってのか?」
「それは、分からない」
正直に発した言葉にアデクとナツキが息を呑んだ。イシツブテのトレーナーは、「分からないって」とくっくっと喉の奥で嗤う。
「じゃあ勝てないんじゃないの?」
ナツキがその言葉に反論する前に、ユキナリは静かに応えた。
「いいや。僕が、勝つ」
マイナスドライバーでモンスターボールを開放する。放り投げると二つに割れたボールからキバゴが飛び出した。それを見下ろして、「ちっさなポケモンだな、おい」と相手トレーナーは馬鹿にする。
「非力そうだ。頼むからここまで盛り上げておいて、メガトンパンチ一発で沈んでくれるなよ、ヒーロー君」
神経を逆撫でするような言葉にもユキナリは静かな怒りで応ずる。
ナツキだけではない。ここにいるトレーナー、みんなを食い物にするような戦い方をした相手を許すわけにはいかない。
「そっちこそ、一撃でやられてくれるんじゃないぞ」
ユキナリの声に口角を吊り上げた相手トレーナーが手を振り翳す。
「イシツブテ! メガトンパンチ!」
イシツブテが跳ねるようにキバゴへと肉迫する。全く動こうとしないキバゴにアデクとナツキが、「危ない!」と声を重ねた。次の瞬間、キバゴの身体に鉄拳が叩き込まれていた。
しかし、キバゴは動じない。ユキナリでさえも。
「この一撃はあえて受けた。お前らが侮辱していった人達の、悔しさを知るために」
キバゴが手を払う。それだけで相手のイシツブテが弾き飛ばされた。相手トレーナーはキバゴの膂力に驚愕を隠せない様子だったが、「まやかしだ」と断じた。
「そんな弱々しい身体で!」
「確かに、弱そうに映るだろう。でも、僕は、それに逃げやしない。キバゴとならば、超えられる」
キバゴが片牙を突き出す。青い光が身体から迸り、片牙へと纏い付くと巨大な扇形の牙を形成した。キバゴの身の丈ほどもある牙の具現に一同がざわめく。
「何だ、その、牙は……」
相手トレーナーも狼狽している。ユキナリはキバゴへと静かに命じた。
「キバゴ、ドラゴンクロー」
青い一閃が突き上げる鋭さを伴ってイシツブテへと叩きつけられる。イシツブテの岩石の体表から血飛沫の代わりに砂礫が迸った。切り裂かれたイシツブテが弱々しくその場に倒れ伏す。相手トレーナーも理解出来ていないようだった。今の一撃がどれほどのものなのかを。
しかし、すぐに持ち直し、「ま、まだだ!」と手を振り翳す。
「貝殻の鈴が作用し、頑丈特性のイシツブテは復活する!」
そのはずであった。しかし、イシツブテは再生する気配はない。貝殻の鈴も作用しているう様子はなかった。
「おい、イシツブテ? どうしたって言うんだ!」
相手トレーナーの声にイシツブテは応じない。アデクが間に入って、「もう瀕死状態じゃ」と宣言した。
「イシツブテは負けた」
アデクの言葉が信じられないのか、「そんな馬鹿な事ってあるかよ!」と相手トレーナーはいきり立った。
「だって、頑丈特性なんだぞ。一撃を確実に受け止める特性が、どうして一撃で……」
「それを無力化する何かを、キバゴとユキナリが秘めていただけの事。簡単じゃろう」
アデクの言葉にユキナリは、「何か」と繰り返した。相手トレーナーは負けを認められない様子で、「嘘だ、嘘だ!」と叫ぶ。
「ここを通すわけにはいかないんだ! だって、俺達の希望の星であるタケシさんに、どう顔向けしろって……。お前らクズがタケシさんに挑戦しようなんて一万光年早いんだよ! 俺程度で止まっていればいいんだ! だから――」
「話は、聞かせてもらった」
遮って放たれたのは重々しい声だった。ユキナリを含む全員がその主を見やる。ジムから出てきたのは上半身裸の男だった。筋骨粒々で、糸のように細い目をしている。逆立たせた黒髪に武神のような井出達は岩のような男だという印象を強めた。
「タケシ、さん……」
「トシカズ。お前の気持ちは痛いほどに分かった」
トシカズと呼ばれたイシツブテ使いは顔を伏せる。タケシは全員を見やってから、「ジムトレーナーの教育が行き届いていなくってすまない」と頭を下げた。その行動に全員が沈黙する。
「だが、トシカズは俺の事を思ってやったんだろう。文句は全て、俺が受け止める。何なら処分を受けてもいい。この事を、大会本部に密告しても構わない」
タケシという男はどうやらかなり真っ直ぐな人間らしい。何のてらいもなく放たれた言葉に全員が硬直しているとユキナリに彼は顔を向けた。
「君が、トシカズを倒したのか?」
ジムリーダーの声に気圧されるものを感じつつ頷くと、「間違いを間違いと気づくためには、誰かの力添えが必要だ」とタケシは言った。
「ジムトレーナーの道を正してくれた事、礼を言う」
ユキナリは自分がそのような大それた事を成し遂げたつもりはないためにうろたえた。「そんな事」と謙遜すると、「その代わり、お願いがある」とタケシが告げた。
「お願い、ですか……」
この状況で何だろうと不安を覚えているとタケシは真っ直ぐにユキナリを見据え、「俺とバトルして欲しい」と言い放った。