第十七話「赤い鬣の青年」
一つの街に一つ、ポケモンセンターと呼ばれるポケモン専門の医療機関の設置。
それはポケモンリーグが開催を予定された当初から組み込まれていた工程表にあった。ユキナリはトキワの森を抜けると、人々が二手に分かれるのを見た。ディグダの穴と呼ばれる名所へと入っていく人々とニビシティを目指す人々。ディグダの穴に向かう人間に声をかけると、「ショートカットなんだ」と答えられた。
「わざわざ全チェックポイントを順番に回る必要もないだろう? そりゃ、チェックポイントから配分されるポイントは魅力的さ。でも、それ以上に、さらに奥地に行けばチェックポイントも上がるんだ。ディグダの穴で向かえるのはクチバシティの東部。出し抜けるわけだよ」
彼らの言い分だとチェックポイントをわざわざ抜けて旅をするほうが危険なのだと言う。どうしてなのか、とユキナリは訊いていた。
「さっき、君は辛うじて勝てたけれど、イブキみたいなトレーナーもいる。最初のほうで実力ははっきりさせておきたいって感じのね。君がいなければ、おれ達はポイントを巻き上げられて諦めていただろう。だからあえて提案したいんだが、君もこっちから来ないか?」
思わぬ提案に、「僕も?」と聞き返す。
「ああ。君のポケモン、キバゴならば充分レベルの高い相手とやり合えるだろう。何も順繰りに回る必要性もないんだ。普通にニビシティやハナダシティを経由している間に、クチバシティやその他のジムが落とされる可能性だってある。この競技は一見、順番に回ったほうがいいような気がするが、総合ではポイントの高い者の勝利だ。当然、向こう側のトレーナーやジムバッジを取ったほうがポイントは高い」
ユキナリはしかし、最初から断る事を決めていた。「どうして?」と不思議そうに相手は尋ねる。
「連れを待たせているので。それに僕とキバゴも一度休まなければ」
さすがにディグダの穴で連戦、というわけもいくまい。彼らはイブキに挑まず手持ちを温存しているが、自分は手持ちを晒した上に体力も随分と削られた。ディグダの穴に潜るのは難しい。
「そうか。じゃあここで別行動だな」
彼らは別れる間際、「君の戦い、よかったよ」と感想を送ってくれた。ユキナリは手を振り返してニビシティへと経由する二番道路を行った。
大きく草むらが取られているがわざわざ戦闘する余裕はない。脇道を通ってニビシティの全貌を捉える。
屋根瓦が灰色で、全体の景観としては背の低い建物が乱立していた。盆地のようで街の北側が盛り上がっている。中央は街を降りたところにあり、そこにピンク色のテントと仮組みされた建物が映った。ポケモンセンターだろう。ユキナリはトキワシティで似た物を見た事がある。入ると、思っていたよりも人が少ない事に驚いた。トキワの森で多くの挑戦者が脱落したのか。それとも休んでいる暇はないと先ほどの人々のように旅を続けているのかは定かではないが、空いているのは素直にありがたい。ユキナリは受付にモンスターボールを持っていった。ピンク色の髪をロール状にした女性が受付嬢をしている。彼女達はセキエイから派遣された医療ボランティアだ。本来ならばタマムシ大学出のエリートだという事をナツキから聞かされた時には驚いたものである。
「こちらのポケモンですね」
回復のために使われる機械は統一されており、半球状の窪みのついた黒い筐体であった。そこにモンスターボールを組み込むと光と共に回復されるのである。ナツキからは擬似的な癒しの波導を発生させ、回復させているのだと聞いたがその技術力に目を瞠るばかりだ。
「はい。どうぞ。預かったポケモンは元気になりましたよ」
手渡されてユキナリは本当に今の一瞬で回復したのか疑わしかったが、ポケモンセンター内で出すのも気が引けたので建物から出てから確認しようとした。
その時、視界に入ったのはパソコンだった。これも今回のポケモンリーグのため、セキエイ高原及びシルフカンパニーが普及に乗り出した機械である。博士の研究所に何台か置かれていたのを目にした事があるが一般家庭において普及率は二割程度を切っている。インターネット回線が敷かれているのはさらに半分ほどだろう。
物珍しいのか、ポケモンの回復を終えた人々が見物していた。しかし遠くから眺めるばかりで誰も触ろうとしないのは新しいものに対する警戒だろうか。ユキナリはそんな中、パソコンへと歩み寄った。先ほどの戦闘におけるキバゴの動きを博士に報告しなければならないと感じたのだ。他の人々がひそひそ声を交わし合う中、ユキナリは常時起動のパソコンでメールメッセージを作った。博士の研究所のアドレスを打ち込み、後でビデオチャットの予告をしておく。すると返事はすぐに来た。
「三十分後、か」
博士もやきもきしているのだろう。スクールから今回のポケモンリーグに出ている人間はなにもユキナリとナツキだけではない。他の参加者もいるだろうが定期通信を取ってくる人間は少ないのかもしれない。
「ジムまで行ってみるか」
それまでの時間潰しをユキナリはニビシティを観光巡りでもしようかと考えていたが、ナツキとの約束もあった。恐らくジムで待っているはずだ。ポケモンセンターを出ると、「お前さん」と呼びかけられた。
視線を向けると赤い髪の青年がユキナリを待ち構えていた。アデク、だったか、と名前を脳裏に呼び出す。
「強かったのう! お前さんのポケモン!」
アデクはいきなりユキナリの肩を引っ掴んだかと思うと激しく揺すぶった。ユキナリはそれだけでも勢いに圧される気分だったが、アデクの大音量の声に耳がわんわんと鳴った。
「は、はぁ」
「なんじゃい、もうちょっと自信持ちないな! あれほどあのドラゴンタイプを使えるトレーナーは初めて見たわい!」
あのドラゴンタイプ、と言ったところでユキナリは、「キバゴを知っているんですか?」と尋ねていた。
「おお! キバゴ言うんかいな! イッシュではそのポケモンをAXEWと呼ぶがな」
「アクス……?」
「おお、斧、っうんかな。カントーでの意味は。キバゴ言うんはお前さんが?」
ユキナリがおっかなびっくりに頷くとアデクは快活に笑った。
「そうか、そうか! いい名やわい!」
「……あの、その喋り方……」
ユキナリが怪訝そうに尋ねると、「おお! 勉強した!」とアデクは答えた。
「カントーでの標準語、って言う奴をな!」
それにしてはジョウトのコガネ弁訛りでもあるし、無駄に声が大きい。ユキナリの不安を他所に、「お前さん、強いな」と急に真剣な声音でアデクは言った。
「いや、僕はまだまだ」
「謙遜する事はない! あのドラゴン使いに勝った。それで充分じゃ!」
アデクに背中を激しく叩かれてユキナリはむせそうになりながら、「あの、アデクさんは……」と口にすると、「アデクでいい」と返された。
「同じトレーナーやろ!」
「ええ、まぁ」と小さな声で返すと、「何や、お前さん! 虫が鳴くみたいな声やのう!」と笑われた。それはアデクと比べればそうだろう。
「名前は? ええトレーナーや。知っておきたい」
「ユキナリです。えっとファミリーネームは……」
確かイッシュではファミリーネームを後に言うのだったか、と考えていると、「ユキナリか! いい名じゃな!」とアデクはそれを気にも留めない様子だった。
「お前さん、当然チェックポイントへ行くのやろ!」
アデクと並んで歩くと、彼がいかに鍛え上げた身体をしているのかが分かった。下駄を履いており、修行僧のような衣装は独特だが、二の腕はユキナリの倍ほどはありそうだ。
「今回のポケモンリーグ、オレはそう簡単に事は進まん! そう考えてる!」
その言葉にはユキナリも同感だった。
「ジムトレーナーとジムリーダー制度ですよね」
「そいつらにもオレらと変わらん、いや、オレら以上に優遇されてるって聞くやないか! そいつらを倒して回るのに、相当熟練しなければいかんだろ!」
アデクはモンスターボールを片手に握っていた。先ほどトキワの森で見た手持ちは白い体毛のポケモンだった。技の性質からして炎タイプだろうか、と勘繰っていると、「オレのポケモンはメラルバ!」とボールを差し出した。
「虫・炎タイプじゃわい!」
ユキナリはそのあっけらかんとした立ち振る舞いに翻弄されていた。まさか自分の手持ちを自ら明かすとは思えなかったのだ。「意外、ですね……」と感想を漏らす。「何が!」とアデクは笑った。
「だって、戦ってもいない相手に手持ちを明かすなんて」
「お前さんの実力はさっきのでよく分かった! なのに、オレだけ明かさないなんぞ、男として恥ずかしいわい!」
明朗なその言葉に悪い人間ではない、という認識をユキナリはアデクに付け加えた。アデクは顎をさすりながら、「それにしても、ジムリーダーか」と初めて不安そうな顔をする。
「何か不安でも?」
「そりゃ、不安はある! なにせ、相手の素性も、どれだけ強いのかも分からない相手を八人! 倒さなきゃならんってのはな!」
どうやらアデクは八人全員を突破する事を前提に話を進めているらしい。ユキナリは、「別に全員突破をしなくてもいいのでは」と消極的な言葉を発するとアデクからの檄が飛んだ。
「そんな弱々しい事でどうする! 全員ぶっ倒してまだ足りんレベルじゃなければ玉座なんぞ!」
どうやらアデクは自身の腕に頼むところが大きいようだ。一地方の玉座となればそれほどまでにハングリー精神を燃やす人間がいてもおかしくはないのかもしれない。
「全員を凌駕するレベルで戦うってのは、僕は難しいと思います」
ユキナリの言葉を今度は否定せずに、「随分と弱気じゃなぁ」と感想を述べた。
「だって使えるのは一体きり。タイプ相性も考えれば絶対に突破出来ないジムリーダーがいてもおかしくはない」
「交換は出来るんじゃろう?」
アデクの言葉に、「まさかその都度誰かと交換を?」とユキナリが返すと、「いいや!」とアデクは首を横に振った。
「メラルバはオレの相棒! そう簡単に誰かと交換なんて出来ん!」
ならばどうしてそのような言葉が出たのかと訝しげにしていると、「そういう戦術もありじゃろ!」とアデクは笑った。
「オレはそんな姑息な真似はせん! 正々堂々、このメラルバのみで勝ち抜く!」
こちらにまで熱さが伝わってきそうな鬼気迫るやる気にユキナリは辟易しながら愛想笑いを浮かべた。
「ところで、最初のジム。ニビジムだが……」
その段になってアデクは周囲を見渡した。
「どこに行ったらあるんじゃろう?」
どうやらアデクには土地勘というものが全くないらしい。今までの心意気が充分な発言からしてみれば肩透かしを食らった気分だった。ユキナリが、「街の中央でしょう」と推測する。
「僕はこれから向かおうとしていますが」
「なんと! ならオレも行くわい!」
アデクはユキナリと共に歩き出す。恐らくは強敵になるであろうアデクと行動を共にするのは如何なものかと思ったが既に相手に手持ちは割れている。こちらから裏切るような真似は控えたほうがいいだろう。
「……ん? 何だ?」
他の建築物とは明らかに違う、がっしりとした様式の建物が目に入り、あれがポケモンジムだろうと当たりをつけたところの出来事だった。アデクもそれに気づいたらしい。
「人が集まっとるな!」
ユキナリはジムの前で立ち往生している人々が困惑するように足踏みをしているのを視界に入れた。ただ集まっているだけではない、とその異常を発見するのに時間はかからなかった。
「人が多くて入れんというのか?」
「……いや、あれはそういうんじゃないですよ」
ユキナリは自然と早足になっていた。アデクがかっぽかっぽと下駄を鳴らしながらついてくる。ジムの前で一人の男が立ち塞がっていた。その男の前には岩に両腕のついたポケモンが侍っている。ユキナリでも知っている。地面・岩タイプのポケモン、イシツブテだ。そのイシツブテは顔のすぐ下に貝殻で出来た小さな鈴をぶら提げていた。アンバランスなそれに、一体どのような用途なのだろうか、と考えていると、「おい! 見てみ!」とアデクの声が飛んだ。ユキナリが目を向けると、相手のトレーナーがイシツブテのトレーナーと対峙していた。ユキナリにとって驚愕の材料となったのは相手があのナツキだった事だ。
「ナツキ……」