第十六話「竜使いの矜持」
青い光を帯びた牙を突き出してキバゴがハクリューへと攻撃を放った。空牙から放たれた一閃は「りゅうのはどう」の威力をそのまま引き移し、ハクリューの身体を打ち据える。分散して放たれたその一刈りは散弾の性能を誇っていた。ハクリューが全身に攻撃を受け止める。ドラゴンに対してドラゴンの攻撃は効果抜群のはずだった。
「ハクリュー? そのポケモン、竜の波導を受け止めたって言うの?」
イブキはすぐさまキバゴへと視線を走らせる。舌打ちと共に、「結構器用ってわけ」と結論を出したらしい。さすがはドラゴン使いを自負するだけある。どうやら二度目は通用しそうにない。キバゴがそのまま「ダブルチョップ」へと移行しようとするのをユキナリは声で制した。
「一旦離れろ!」
「賢明ね。ハクリューは遠距離攻撃だけじゃない!」
その言葉が消えるか消えないかの刹那、ハクリューが目にも留まらぬ打突を繰り出した。尻尾による一撃だったが跳ねるように放たれたそれはキバゴの身体の中央を捉える。キバゴはこの場において初めて、まともに攻撃を受けてしまった。
「キバゴ!」
ユキナリの声にキバゴは地面に倒れ込む直前に受け身を取って体勢を立て直す。しかし、その身へとさらに一撃、青い残像を引く攻撃が続け様に放たれる。ハクリューが跳ねるように身体をひねって切っ先のように鋭い攻撃が連鎖しているのが分かった。間断のない攻撃は熟練した剣の使い手のようだ。キバゴは短い手と牙を駆使してそれをいなす。ハクリューの猛攻が一時止んだ。ユキナリはキバゴがハクリューの射程距離外に出たからだと判断する。
「射程内のドラゴンテールを受け切るとは、半端じゃないみたいね」
イブキが口元に笑みを浮かべる。「ドラゴンテール」というのか、とユキナリは今しがたの攻撃を思い返す。今、受け切ったのは全くの偶然だ。あるいはナツキのストライクとの研鑽の日々で反応速度が向上した結果、接近戦に強くなったのかもしれない。だとしても、一撃を受けてしまったのは不覚に違いなかった。
「ドラゴンテールは本来ならば出ているポケモンと控えのポケモンを強制交換させるほどの勢いを持つ刺突。それだけでも充分な威力はあるわ。たとえば、同じドラゴンの鎧のような表皮に傷をつけるくらいには」
その言葉にユキナリはハッとしてキバゴを見やった。キバゴの腹部は見えないが荒く息をついているところから見て深い傷を負ったと見るべきだろう。ドラゴンの宿敵はドラゴン。何よりも恐れていた事態に発展している事をユキナリは自覚した。
「私はフスベの村で育ったドラゴン使い。十二の時に一人前としての資格は受けた。これを見ろ!」
イブキがマントを翻し自身の背中を向けた。ユキナリは息を呑む。そこにはドラゴンの文様が刺青として彫られていたからだ。
「代々、フスベの村で最も強いドラゴン使いが刻むこの文様を私は背負っている。生半可な気持ちで玉座を目指しているわけではない!」
その言葉にユキナリは改めてこの大会に臨む人々の気持ちの具現を見たような気がした。身が竦むほどの本気。それがぶつかり合い、大きなうねりを成しているのだ。
自分には覚悟があるのか、と胸中に問いかける。この大きなうねりを弾き飛ばし、自らの望みを胸に立ち上がるほどの決意が。
脳裏にキシベとの会話が反芻される。
「……夢を追う資格は、僕にだってある」
「ならば、このイブキの呪縛を超えられるか?」
試すような物言いにユキナリは真正面から対抗した。
「倒す、倒します!」
キバゴがユキナリの闘志を受け止めたかのように一声鳴き、再びハクリューへと接近する。しかし三度も接近戦を許すハクリューとイブキではない。
「猪突猛進。どこまでも真っ直ぐな奴らだな。だが、既に射程圏内だ!」
ハクリューが尻尾を突き出して道を阻もうとする。キバゴはステップを踏んで襲い来る青い残像の切っ先を紙一重でかわす。しかし、その程度の動きを予期出来ない相手ではない。ハクリューは不意に「ドラゴンテール」を偏向させ、薙ぎ払った。不意打ち気味の変化にキバゴはついていけず、足元を払われる。地面に両手をついた時には、既に「ドラゴンテール」は必殺の間合いに入っていた。
「額を突いて脳震とうを起こす! いくらドラゴンタイプといえども、戦闘不能は免れない!」
イブキの言葉にユキナリは、「キバゴ!」と呼びかけた。キバゴはただ両手をついたのではない。片腕を掲げたかと思うと拳を地面に向けて打ち込んだ。その一撃でキバゴの身体が浮き上がる。必殺の一突きであった「ドラゴンテール」が下方を突き抜けていく。ユキナリはキバゴに命じた。
「ダブルチョップで尻尾を断ち切れ!」
空中で身体を反転させ、キバゴは牙を振りかぶる。その一撃に必殺の重さを乗せて、キバゴはまだ攻撃モーション中であるハクリューの尻尾に向ける。閃光の勢いを伴った攻撃は尻尾へと打ち込まれる。牙の鋭角的な薙ぎ払いが突き刺さり尻尾から鮮血が迸った。ハクリューが衝撃に尻尾を引っ込めようとするが、キバゴはそれを足がかりにして一気に接近していた。当然、それに気づいたイブキが対処の声を上げる。
「ハクリュー、振り払え!」
しかし先ほどまでよりも尻尾の力が弱まっている。「ダブルチョップ」の一撃を受けたのだ。ドラゴンの攻撃は効果抜群。キバゴは振り払われる前に足で蹴りつける。ボロボロになった尻尾が落ちるのと同時に眼前に至ったキバゴの姿にハクリューとイブキは狼狽した。
「なんて、速い……」
「キバゴの体重はたったの十八キロ。ドラゴンの膂力を持ってすれば、その動きは素早い」
それだけではもちろんない。この二ヶ月の特訓によってキバゴは手足をフルに使い、フットワークが自慢の攻撃を身につけた。キバゴが片牙を振るい上げる。ハクリューはまたしても「りゅうのはどう」を発射しようとしたが、それでは先ほどの再現だとイブキは判断したのだろう。
「ハクリュー! あえて接近! 噛み付く!」
その声にユキナリも瞠目する。ハクリューは「りゅうのはどう」の発射体勢のままキバゴへと噛み付いた。空中で縫いとめられる形となったキバゴは手足をばたつかせる。
「この距離ならば、もう片方の牙による無力化は不可能のはず!」
ハクリューの口腔内に青い光の輪が連鎖する。放たれる攻撃を感知してユキナリは手を振り払う。
「手刀で喉笛を掻っ切れ! ダブルチョップ!」
キバゴが即座に判断し、両手を掲げたかと思うと挟み込むようにしてハクリューの喉へと叩き込んだ。青い光を伴った一撃がハクリューの攻撃を緩ませる。キバゴは空中でハクリューの額を蹴り、射程から離脱する。それと「りゅうのはどう」が地面に向けて放たれたのはほぼ同時だった。土くれが舞い上がり、ハクリューの黒い瞳とキバゴの赤い瞳が交錯する。ハクリューはキバゴへと向き直った。首筋の宝玉から光線を放つ。
「キバゴ、空牙を翳せ!」
キバゴは両手を扇のように回転させ姿勢を制御し、空牙を相手の攻撃へとぶつけた。干渉波が弾け飛び、キバゴの空牙へと青い光が定着する。
「着地させるな! ドラゴンテール!」
間髪入れず、ハクリューは空中のキバゴに向けて「ドラゴンテール」を放つ。尻尾が切られたとはいえ、寸断されたわけではない。キバゴを迎撃しようとした攻撃にユキナリは声を張り上げた。
「片牙でいなせ! ドラゴンテールを手がかりにして接近!」
キバゴが片牙を突き出す。「ドラゴンテール」が頭部を突き刺すかに見えたが、盾のように掲げられた片牙が必殺の勢いを伴った打突は火花を散らして防御される。僅かにぶれた間隙を縫ってキバゴは着地せずに再びハクリューの間合いへと入った。空牙を今度は突き上げる。
「打ち込め! ダブルチョップ!」
先ほどの即席の攻撃ではなく、牙を用いた真実の「ダブルチョップ」がハクリューの身体を打ち据えた。ハクリューが攻撃を受けてよろめく。空牙に纏い付いていた青い光が分散し、追い討ちの散弾を浴びせかけた。ハクリューが「ドラゴンテール」を放った。しかし、それは攻撃のためではなく牽制だ。距離を取るためだと判断したキバゴとユキナリは深追いをしなかった。
ハクリューがイブキの傍まで後退し、キバゴはようやく着地した。息をつく間もない激戦。周囲にいる人々にも緊張が伝播したように誰一人として無駄な言葉を吐かなかった。
当然、戦闘の只中にいる二人は余計だ。ユキナリはキバゴと共に肩を荒立たせる。イブキも同様だった。ハクリューの状態を一目見やり、「ドラゴンテールは」と口にした。
「もう使えそうにないわね」
ユキナリも一瞥する。尻尾には「ダブルチョップ」で与えた直撃以外にも、いなす時に傷つけられたのであろう一筋の傷が赤く居残っている。他にも空牙で与えた散弾の傷がそこらかしこにあった。通常ならば敗北を認めてもおかしくはないダメージである。しかし、イブキとハクリューは気高く吼える。
「私をここまで追い詰めたドラゴン使いはいない! 次で仕留める!」
本来ならばここで退くのもまた戦略的には一つの決断だろう。この先、どれだけの敵が待ち受けているのか分からないのだ。自分の手持ちの最大までの戦いをギャラリーに見せつける事は、自分の手のうちを明かす事に他ならない。ユキナリは出来るならば、ここでキバゴと自分の最大限の戦いを見せるべきではないと考えていた。ここから先にも戦いは控えている。
だが、そんな浅ましい考え以上に、ユキナリは今、イブキと戦えている事に昂揚していた。
――これが、戦いか。
二ヶ月間、ナツキと共に本気の修行に臨んだつもりである。だが、それ以上に胸を震わせるこれこそが本気の戦い。お互いの意地と意地のぶつかり合い。負けられない、という決意を新たにしてユキナリはキバゴに声をかける。
「キバゴ。多分、次の一撃で勝負が決する」
キバゴはユキナリへと振り返った。赤い眼には恐れ以上に闘志が宿っている。負けられない、と考えているのは何も自分だけではない。
「ハクリュー。私とあなたが覚えている、最高の技で締めくくる!」
ハクリューがばねのように身体をねじらせ、舞い上がった。耳元にある羽根のような意匠が拡張し、青い光を伴って擬似的な翼を形成する。ハクリューはまるで雷のように頭部を下げてキバゴへと狙いをつける。全身から青い粒子が放出され、その身を彩った。
「ドラゴンダイブ。自分ごと相手へと凄まじい勢いで体当たりする、ドラゴンの物理技」
イブキの声にユキナリは感嘆する。青い光を全身から放出するハクリューは素直に美しかった。
「……すごいな」
思わず出た感想にイブキが笑みをこぼす。
「勝てるかしら?」
「僕達がこの二ヶ月でようやく使えるようになったドラゴンの技は、ダブルチョップ一つだけ。そんなにすごい技は覚えていない。でも」
キバゴが踏み出す。その決意がユキナリにも伝わってくる。
「挑む事を、僕らはやめない」
ユキナリの声に、「じゃあ食らいなさい!」とイブキの声が響き渡った。ハクリューが一条の閃光となって空中からキバゴへと真っ逆さまに落下する。まさしく落雷。その勢いに通常ならば及び腰になるだろう。だがユキナリとキバゴは決して臆する事はなかった。
「キバゴ。跳躍してダブルチョップ!」
応じた声でキバゴが地面を蹴りつけて片牙を振り翳す。青い雷の「ドラゴンダイブ」がキバゴの牙へと突き刺さった。予想外の衝撃にキバゴの身体が軋みを上げたのを感じる。余剰衝撃波が拡散し、周囲の草むらを青い電流が薙ぎ払った。
「ハクリューのドラゴンダイブを受け止めて今まで立っていたドラゴンはいない!」
イブキの声に、「それでも!」とユキナリは返す。
「キバゴは立ってくれているはずだ!」
キバゴは「ダブルチョップ」を叩き込もうとするが、ハクリューが全身に纏った青い粒子が邪魔をする。
「ドラゴンの身体から発せられる粒子は神秘の護りを誇る! そう簡単に突き崩せはしない!」
「キバゴだってドラゴンだ! そうだろう!」
ユキナリはほとんど青一色に染まりかけた視界の中でキバゴへと呼びかける。その言葉にキバゴの片牙が青く光り輝いた。呆然とするユキナリの視野に映ったのは、拡張したキバゴの片牙だ。青い光を纏いつかせ、扇形の牙へと変形を果たしている。ユキナリにはその技の名前は分からなかった。しかし、今、キバゴが勝つために顕現させた技なのだという事は分かる。「ドラゴンダイブ」を破るために、キバゴが自身の遺伝子の底から引き出した技が輝きを帯びた。
「……その技、ドラゴンクロー? まさか、覚えているなんて」
イブキの狼狽の声にユキナリはそれが「ドラゴンクロー」と呼ばれる技なのだと認識した。身を引き裂かんばかりの声を発し、ユキナリは命ずる。
「竜の刃で雷を切り裂け! キバゴ!」
キバゴは空中で身体を反転させ、片牙から拡張した光の一閃をハクリューへと叩き込んだ。ハクリューの首元を狩る形で「ドラゴンクロー」の一撃が食い込む。青い雷と化していたハクリューが弾き飛ばされ、草むらを転がった。キバゴはそれを発した後、しばらく動けない様子だった。
双方、固唾を呑む。
どちらかが倒れるか、動けなければこの勝負は決する。
キバゴは痺れながらも足を一歩踏み出した。まだ闘争心がある事の現れのように。
一方、ハクリューは全く動かなかった。全身から力が抜け切ったように倒れ伏しているハクリューにイブキは歩み寄って労わった。
「ありがとう、ハクリュー」
モンスターボールをこつんと当てると、ハクリューは内部から発せられた網に捕らえられ、戻っていった。
イブキがユキナリへと歩み寄る。ユキナリは未だ警戒が解けずにいたが、イブキが優しく微笑み宣言した。
「負けました」
その言葉でようやくユキナリの現実認識が追いつく。「えっ」と虚をつかれた気分でいると、「負けたって、言っているでしょう」とイブキはもう一度口にする。
「何度も言わせないで。恥を掻かせるつもり?」
「あっ、えっと……」
「勝ったんだから、もっと毅然としなさい」
イブキの言葉をユキナリは胸中で何度か咀嚼した。
「勝った……」
「そう。優勝候補って言われて、ちょっと舞い上がっていたのかもね。また修行するわ」
ユキナリはキバゴと視線を合わせる。キバゴが小首を傾げた。
「勝ったみたい」
情けない主人の声にキバゴは短い手を広げ勝どきを上げた。
「モンスターボールに戻しなさい。勝ったとはいえ、キバゴも消耗が激しいはずよ」
イブキの忠告にユキナリは慌ててキバゴをボールに戻す。その様子にイブキはため息をついた。
「素人のトレーナーさんに負けちゃったか……。まぁ、それでも実力は出し切ったわけだし、悔いはないわ」
イブキがポケギアを突き出す。ユキナリもそれに合わせた。ポイントが勝利したユキナリへと送られる。ポケモンバトルは持ち点の四分の一が配当のはずだが、イブキがこの森で勝ち進んでいたお陰か1200ポイントもの配当があった。
「こんなに……」
「それだけの戦いだったって事よ」
気がつくとギャラリー達も先ほどの勝負に湧き立っていた。誰もが同じ心地だったのだろう。拍手を送る者もいた。
「ガラじゃないわね」
イブキが肩を竦め、マントを翻す。「あの」とユキナリは思わずその背中に声をかけていた。
「何?」
肩越しに振り向いた視線に何を言ったらいいのか分からなかったが、一言だけ胸に結実した。
「ありがとう、ございました」
勝負してくれて、という意味で言ったのだが、「感謝の言葉は早いわよ」とイブキは厳しい声を向ける。
「私なんかより、もっと強いトレーナーがいる。でも、当面はあんたとキバゴを超えるのが目標になりそうね。私の場合」
付け加えられた言葉にきょとんとしていると、「じゃあね。……頑張りなさい」とイブキは小さくこぼして森を去っていった。ユキナリが追いかけようとすると、「あんたすごいな」とギャラリーから声がかかった。
「あのイブキを破るなんて」
「そのポケモン、ドラゴンなんだろ? 小さいのによくやったよ」
様々な謝辞の言葉にユキナリが戸惑う。イブキを追う事は結局、出来なかった。まるで夢幻のように彼女は去った。しかし、初めての戦いで高鳴った鼓動だけは、今の出来事が夢ではないと告げていた。
「負けちゃったわね、ハクリュー」
モンスターボールに言葉を投げかける。中にいるハクリューがどのような顔をしているのか分からなかったが、恐らく自分と同じくらい悔しいに違いなかった。
「フスベの里から出た人間としては、示しがつかないかな……」
ひとまずはニビシティでポケモンの回復を行うしかない。このポケモンリーグという大会においては一体のポケモンしか使う事は許されていないからだ。
「それにしても、あの片牙の、キバゴってポケモン。すごかったわね」
主人によく懐いていた。それだけではなく柔軟な判断力と強固なる精神を引き継いでいる。
「世界にはまだまだ私の知らないドラゴンがいるのね」
これから出会うかもしれない予感に胸を高鳴らせつつ、イブキはニビシティを目指す。トキワの森を出れば二番道路、ディグダの穴と呼ばれる名所を超えてすぐのはずだ。
歩み出そうとすると、不意に呼びかけられた。記者だろうか。黒いスーツを身に纏っている。優勝候補の自分が下された事を早くも嗅ぎつけたのかもしれない。
「何か?」
イブキが尋ねると黒衣の男は、「先ほどの戦い。見事なものでした」と告げた。
「見ていたの?」
「ええ。一部始終を」
「で、何? 取材? 言っておくけれど、ポケモンリーグは始まったばかりよ。一度の黒星でどうこうなる話じゃない」
「重々、承知しております。私はただ、あなたのその実力をポケモンリーグ制覇というだけの小さな目的に集約するのはもったいないと思っているだけです」
「小さな目的?」
聞き捨てならない、という響きを伴った声に相手は即座に反応する。
「もちろん、その制覇を至上目的とされているあなたからしてみれば、私の発言は困惑の種でしょう。しかし、こうも考えていただきたい。もっと別の、冴えたやり方で世界を手に入れる方法もある、と」
男はこめかみを指差す。自分の中にこそ、それがあるかのように。
「その様子じゃ、ただの記者ってわけでもなさそうね」
イブキが察すると、「ご明察」と相手は恭しく頭を垂れた。
「私はこういうものです」
名刺が差し出され、イブキはそれを受け取った。シルフカンパニーの企業マークの横に赤い文字で「R」の刻印がある。
「何、このRは?」
「いずれ、この世界を手中に収めるマークです。今はまだ、力が及んでいませんが」
「シルフの下請けか何か?」
「だと思っていただいて結構。あなたは、ポケモンリーグを制覇し、玉座に就く事で秘境と呼ばれているフスベの里を盛り上げようとしている。現在、フスベタウンはその上の階級、フスベシティへの昇級を希望しているそうですね」
「いけないかしら?」
「とんでもない。崇高な理念だと思います」
男の口調からは嘘かどうかは読めない。まるで鏡と対峙している気分だ。
「我々ならばそれが出来る、と言えばどうでしょうか?」
相手の提案にイブキは目を見開く。
「市町村の関係にまで口を出せる立場だとは思っていないけれど」
シルフカンパニーはいつからそこまで偉くなったと言うのだろう。イブキの疑問に、「ごもっとも」と相手は返した。
「しかし、いずれシルフカンパニーはポケモン産業を独占し、この国になくてはならない企業となる。その時、その下部組織である我々は充分に機能するはずです。今、関わっておいて損はない話だと思いますが」
「勧誘でもしているって言うの? あんた――キシベ・サトシだっけ」
名刺に刻まれた名前を呼ぶとキシベという男がようやく輪郭を帯びてきたのが分かった。キシベは、「その力と血筋を残すためにも」と言葉を添える。
「どうか我々にお力添えを」
イブキは迷った。この男、何が最終目的なのだ。シルフカンパニーの全権か。あるいは、それ以上を所望しているのか。優勝候補の自分に接触してくる辺り、小事に拘っているとは思えないが。
「虎の威を借る、ってわけでもなさそうね。何か、勝算があるのかしら」
「我々の下には今、優勝候補の一人がおります。彼を玉座に引き上げるため、その力を貸していただきたい」
イブキはその提案に瞠目する。自分に誰かの下につけというのか。不満を感知したように、「何も下につけと言っているのではありません」とキシベは先んじて声を出す。
「あなたにはあなたの名声を。勝利の美酒を与えましょう。それに相応しい力も。ただ我々の組織に入っていただきたい。結果として、彼が玉座に就くという話です」
「私じゃ、その彼とやらに勝てないと言うの?」
イブキは随分と嘗められたものだと感じていた。最初から部下としての勧誘とは。キシベはしかし取り立てて慌てる事もない。
「彼は強い。あなた以上でしょう。私は冷静に、分析しているだけです」
「気に入らないわね」
鼻を鳴らすとキシベは、「いずれ、我々の力が必要になります」と言って退いた。どうやら退き際を心得ている様子だ。
「その時に、名刺にある番号にかけていただければ、我々はどこにいてもあなたの力になるでしょう」
キシベは景色へと溶けるように消えていく。実体ではない。ポケモンの技を使って遠隔操作で自身の鏡像を具現化させていたのだ。
「最後に。Rの意味は?」
問いかけた声にキシベは口元を歪める。
「――ロケット団。この名前を、あなた方は嫌でも思い知る事になる」
不吉に告げられた言葉は風に乗って消えていった。