第十四話「活路」
ストライクの鎌が空気を纏って奔る。
「キバゴ! 回避を!」
ユキナリの指示はしかし遅い。キバゴは身体の中心にストライクの「しんくうは」を受けた。吹っ飛ばされぜいぜいと荒い息をつく。博士がジャッジした。
「これで二十戦十八敗二分けだね」
ユキナリは歯噛みする。どうして勝てない。ストライクをナツキは労わってバトルフィールドから離脱させた。博士が歩み寄ってくる。既に陽は落ち、宵闇での戦いになっている。暗がりだとキバゴの回避精度が落ちるのは仕方がないとしてももう二十戦もしているのにストライクに一矢報いる事も出来ないのはどうしてなのか。二回の引き分けもストライクの単純な命令ミスだ。偶然引き分けに持ち込めた過ぎない。
「どうして、キバゴは勝てないんだ」
「キバゴが勝てない、というよりも連携と指示のミスだろう。かわせ、避けろ、という指示はポケモンにとってはかなり曖昧なものだ。それに相手から退く、という行為はマイナスでもある。攻めに転じなければ勝てる勝負も勝てないよ」
博士の助言に、「でも……」とユキナリはキバゴを見やる。それにしたってこうまで性能差が出るのはキバゴと自分が合ってないのではないかと思わせられる。
「キバゴの技さえも君はまだ理解し切っていないんだ。当然、キバゴが得意とする戦法も不明だろう」
「そりゃ、だってキバゴはこの辺で手に入るポケモンじゃない」
ユキナリの言い訳に、「ストライクもそうよ」とナツキは返した。
「でも、あたしは博士の助言で使いこなせるようになった」
「ポケモンには特性がある」
特性、という言葉はスクールの授業の節々で聞いた事はあるもののあまり覚えていなかった。
「確か、ポケモンの固有能力でしたっけ」
博士は頷きストライクへと視線を流す。
「ナツキ君のストライクはテクニシャンの特性。威力の低い技が上がる。ナツキ君が本来ならば使い勝手の悪い電光石火や真空破、連続切りを組み込んでいるのはそのためだ。加えてそれらの技は初速が速いためにほぼ先手を打てる。ユキナリ君が遅れを取っているのは相手に先手を打たれているのも一つだろう」
「無茶言わないでください、博士。キバゴには先手を打てるような技はない」
「試しようはあると思うけどねぇ」
博士は頭を掻きながらキバゴへと視線を向ける。キバゴは片牙を突き出してまだ戦う気があるようだった。
「特性も分からないんじゃどうしようもないですよ」
キバゴの特性は未だに不明だ。調べようとしても方法がない。博士は顎鬚をさすり、「データがあればいいんだが」と煮え切らない様子だ。
「キバゴの特性、それは恐らく戦闘中に働くものだろう。しかし、特性の性能だけで勝負が決するわけでもない。今のところ、キバゴの技は引っ掻くだけだったかな」
「あとは鳴き声ですかね。でも、その二つじゃまともに戦闘にならない」
博士はうぅむと呻りながら、「多分、他の技も覚えているはずだよ」と口にした。
「我々が引っ掻くだと誤解しているだけで、それは引っ掻くという技じゃないのかもしれない」
「だとすれば余計に分からないですよ。どうやって引き出すんです?」
ユキナリがお手上げだと言わんばかりに肩を竦めると、「ナツキ君、頼む」と博士は口にした。ナツキは頷き、「ストライク」と名を呼ぶ。ストライクが再び戦闘態勢に入る。ユキナリは、「ちょ、ちょっと待って!」とうろたえた。
「何よ。待たないわよ」
「まさか戦いの中でそれに気づけって言うんですか」
博士は、「それが一番早い」と渋い顔をした。
「本当なら研究で解き明かすのがいいんだが、ポケモンに関して言えば、現場の人々が切り拓いた分野だからねぇ」
「ストライク。真空破」
鎌に空気を纏いつかせ、ストライクが一気に肉迫する。ユキナリは無茶苦茶に叫んだ。
「ええい! キバゴ、引っ掻くだ!」
キバゴが短い手でストライクの攻撃を受け止めようとするが当然のようにストライクに突き飛ばされる。ユキナリは着地の瞬間に、「受け身だ」と口にしていた。
「攻撃の衝撃を最小限に!」
キバゴはその命令に従い短い手足で受け身を取った。この二十戦が全くの無駄ではないのは相手の攻撃を出来る限り受け流す事が可能になった事。次の行動に移るまでのタイムロスが限りなく短くなった事だろう。しかし、次の動作と言ってもユキナリにはキバゴが何を覚えているのか分からず、試行錯誤ばかりだった。
「掴みかかれ! 引っ掻くだ!」
キバゴが駆け出し、ストライクへと飛びかかる。ストライクの放った鎌が空を切った。キバゴの強みはその軽業、フットワークだ。だが、そこから先に活かす方法が思いつかない。キバゴは相手の身体を足がかりにしてストライクの頭部まで至る。ユキナリは思い切って今までにやった事のない命令をした。
「牙で叩きつけろ!」
その指示は半ばやけっぱちだった。しかし、キバゴは驚いた事にうろたえる事もなく、片牙を振りかぶり、ストライクの頭部を打ち据えた。ストライクが初めての反撃に狼狽する。それはナツキも、博士でさえも同じだった。
「攻撃が……」
「入った……」
二人同時に呆けたような声を出す。ユキナリは、「もう一撃!」と声を搾った。するとキバゴはもう一撃を牙で叩き込もうとしたが、片方の牙が折れているためにその攻撃はなされず、虚しく空を切った。防御の姿勢に入っていたストライクは自分の足元で転がったキバゴを呆然と眺めている。
「き、キバゴ。立ち上がれ」
短い手足をばたつかせてようやく立ち上がったキバゴへとストライクが襲いかかる。しかし、それを制したのは博士だった。
「ちょっと待ってくれないか、ナツキ君」
ストライクの鎌が止まる。「博士?」と怪訝そうな顔をする二人に、博士はキバゴへと歩み寄って観察の目を注いだ。その眼差しのあまりの真剣さにこちらがたじろぎそうになる。
「ど、どうしたんですか?」
ユキナリの声に博士は顎に手をやって、「キバゴは」と言葉を継いだ。
「ドラゴンタイプだ。それは間違いない」
ユキナリは事前に行った試験においてキバゴをドラゴンタイプと判断した事に首肯した。バトルフィールドの片隅にある案山子。あれに塗られている塗料はタイプ判別の機能を持っている。段階的に塗装され、ある種別のポケモンの分類を可能にした。塗料の剥がれ方、現れる色の度合いによってタイプが判別出来る。ユキナリはただの案山子だと思っていただけにその事実は驚愕に値したが種が分かれば何て事はない。
「それが今、どうか?」
「今の攻撃、もしかしたら引っ掻くではないのかもしれない」
その言葉はナツキとユキナリ双方に驚愕として降りかかった。覚えず顔を見合わせる。先に声を出したのはナツキだった。
「でも、今までキバゴは引っ掻くを繰り出す事しか出来ていませんよ」
「その認識がそもそもの間違いだったとしたら? 今までの攻撃は不完全な、キバゴ本来の技であり、今ストライクに決まった技こそがその完成形であった、というのは」
観察者ならではの着眼点で博士はキバゴを分析する。ユキナリはしかし、「あり得るんですか?」と半信半疑だ。
「今まで技を勘違いして繰り出していたなんて」
「思いっ切り勘違いというわけでもないのかもしれない。たとえば、キバゴはこの技と引っ掻く、両方を覚えるポケモンであった、と」
だとすれば「ひっかく」はこの技に至るための因子だった、という事になるのか。しかし、今の攻撃はたまたま決まったようにも思える。
「今まで、キバゴの牙を使った攻撃に着目しなかった私も迂闊だった。片牙だから、攻撃には適さないのだろうと判断していたが……。元々キバゴはこの牙を使って攻撃するポケモンなのかもしれない。短い手足は相手の懐へと潜り込むフットワークを可能にする。全ては、牙の一撃を叩き込むため」
博士はキバゴを睨むように眺めては呻っている。キバゴが片牙を突き出して威嚇した。
「博士、キバゴが怖がっています」
「ああ、そうか。すまんすまん」
博士はキバゴから顔を離し、ユキナリへと視線を向けた。
「今の攻撃、もう一度出来るかね?」
博士の提案にナツキへと視線を移す。ナツキは、「ストライクに当てられるのは、ちょっと……」と難色を示した。
「ああ、そうだね。効果のほども分からない技を自分のポケモンに試されるのは嫌だろう。よし、あの案山子を使おう」
博士は歩み出す。ユキナリとナツキはその背中に続いた。打ち捨てられたような血色の案山子がぽつりと闇の中に佇んでいる。ユキナリは前に出され狼狽する。
「あの、どうすれば?」
「さっきの技を打ち込んでくれれば」
「いや、でもさっきのはほとんどやけでキバゴに命じたわけでして……」
意識して出せたわけではない、と言い含めたつもりだったがナツキが、「意識して出せなきゃ、実戦じゃ意味ないでしょ」と真っ当な事を言った。
「その通りだ。キバゴは、あの技が使える、という前提で使わなければならない。むしろ、キバゴにとってこれは躍進だ。持ち技が一つでも多ければ手数も増える。これから先、取れる対策も多くなってくる。今回、ポケモンリーグを勝ち進むためには必要な要素だろう」
博士とナツキに押される形となったが、ユキナリ自身もキバゴに勝てる算段があるのならばそれに賭けてやりたいと思っていた。
「出来るか?」と視線を落として尋ねるとキバゴは何度か頷いた。ユキナリは先ほどの感覚を思い返す。大きく息を吸い込み、声を放った。
「キバゴ、目標に向けて走れ!」
キバゴが短い手足で地を駆ける。案山子へと至る瞬間、すかさず指示を飛ばす。
「引っ掻くで組み付いて牙で攻撃!」
キバゴは手を伸ばして案山子を引っ掻いた。その一撃を手がかりにしてキバゴは案山子の頭上へと躍り上がる。牙を振りかぶった瞬間、青い光が牙に纏いついたのをユキナリは確かに見た。キバゴが渾身の力で案山子の頭部を牙で揺さぶる。一撃が食い込み、キバゴは空中で身を翻してもう一撃を放とうとしたが、片牙のためにもう一撃は空を穿った。これも先ほどと同じだ。キバゴは不恰好に地面へと転がった。手足をばたつかせ、もがいている。ユキナリが歩み寄ってキバゴを立たせるのに協力する傍ら、博士は案山子に打ち込まれた技の残滓を観察していた。
「……これは、引っ掻くじゃないぞ」
放たれた言葉にユキナリは絶句した。
「でも、僕が命じたのは引っ掻くですし……」
「確かに、案山子に掴みかかった時に使ったのは引っ掻くだ。見るといい」
博士が指差すと案山子の赤い塗装に傷がついている。その傷自体は大した事のない、ノーマルタイプの技だと判断させられたがキバゴが頭部へと叩き込んだ一撃には赤い塗装が剥がれ落ち、青い層が見え隠れしていた。どこか神秘的に薄い光を放つ青い層の持つ意味を、博士は口にする。
「ドラゴンタイプの技だ」
ユキナリはキバゴを抱えながら、「ドラゴンタイプを使ったって言うんですか?」と問い返す。
「そうとしか思えない。私が推測するに、引っ掻くはこれを相手へと確実にぶつけるための手段。キバゴはこの技こそ、メインに据えるポケモンだった、と言うべきだろう。しかし、牙が片方しかないために完全ではないが、ユキナリ君。今しがた、牙に青い光が纏いついたのを私は見たが」
君もか、という無言の問いかけにユキナリは頷く。
「ええ。確かに青い光が」
「物理攻撃反応だろう。あれは技なのだ。キバゴの技、相手へと肉迫し、双方の牙を叩きつけるドラゴンの物理攻撃、その名も――」
「ダブルチョップ!」
ユキナリの放った声に呼応してキバゴの片牙へと青い光が纏いつく。イブキはそれを危険と判断する前にハクリューへと叩き込まれた一撃に瞠目する。
「入った? 私のハクリューに?」
一撃はハクリューの身体へと食い込んだ。手応えを見せるキバゴは短い足でハクリューを蹴り上げた。さらに躍り上がり、もう一撃を叩き込もうとするが、牙は片方しかない。当然、空を穿った一撃はしかし、もし牙が存在していれば頚動脈を切り裂いていただろう。それほどの勢いであった。イブキが息を呑むのが伝わる。ユキナリは、「キバゴ、一旦距離を」と指示する。キバゴは短い手足を駆使してハクリューの間合いから離れた。イブキは未だに一撃を与えられた事が信じられないようだ。手をわなわなと震わせる。
「そんな小さなドラゴンタイプが、私のハクリューに手傷を……」
「小さいからって嘗めないでください」
ユキナリの声の強さに応ずるようにキバゴも気高い鳴き声を上げる。
「言っておきますが、僕とキバゴは強いですよ」
その声にイブキは歯軋りを漏らし、「実に、いいじゃない」と呟いた。
「ハクリューの相手にするにはね! 本気でいくわ! ハクリュー!」
水色の宝玉が光り輝き、ハクリューが開けた小さな口の周囲へと波紋状の光が連鎖する。それが一輪へと重なった瞬間、咆哮が青い光条となった。先ほどの「りゅうのいかり」とは比べ物にならないほどのエネルギーの奔流にユキナリは思わず気圧されるものを感じたが、冷静にキバゴへと指示を飛ばす。
「キバゴ、右に宙返り、二メートル!」
キバゴは足に込めていた力を開放し、一瞬で躍り上がった。射線上から外れたキバゴの赤い瞳に青い光の帯が反射する。ユキナリは息を呑んだ。草むらを焼いた今の技は生半可な攻撃ではない。
「今のは……」
「竜の波導。ドラゴンタイプの中でもかなり高威力の技よ。波導って何なのか私にも分からないけれど、ポケモンならどんな存在でも持っているとされているエネルギーみたい」
「なるほど。今のは、そのエネルギーを光線にして放出した……」
ユキナリの理解にイブキは指を鳴らす。
「頭の回転が速いのね。馬鹿じゃない人間はそこそこ好意に値するわ。でも……」
含めた声と共にイブキはキバゴへと視線を移す。
「その小さなドラゴンタイプはどうかしらね? 今の攻撃、命中すればまずいのだと直感的に悟ったんじゃない? 動きが鈍っているわよ」
ユキナリはキバゴへと目をやる。キバゴはほとんど分からない変化ではあるが、手が震えているのが分かった。ユキナリとて理解している。ドラゴンの天敵はドラゴン。その相手の、高威力の技を見せつけられれば怯むのも当然。
ここで、怯むな、と命令すればポケモンの恐れをより強めてしまう。トレーナーに求められるのは次への瞬時の判断力。ユキナリは軽く息を吸い込み、詰めてハクリューを睨んだ。
「キバゴ。お前の攻撃は相手に有効だ。次も行くぞ」
その言葉にキバゴが攻撃姿勢を取った。身を沈み込ませ、両手両足を使った特攻姿勢だ。イブキは鼻を鳴らす。
「それしか芸がないみたいね。どうやら遠距離戦はお好みじゃないよう」
「ええ。僕もキバゴも、しゃにむにぶつかっていく事しか出来ない」
キバゴが片牙を突き出す。イブキは、「宣言しましょう」と手を振り翳す。
「さっきの攻撃、ダブルチョップが命中する前に、あんたとそのポケモン、キバゴは踏み止まる事になる。それこそ、さっきみたいに射程範囲には入れさせない」
どうやらイブキには遠距離攻撃以外にも強みがあるようだ。ユキナリはぐっと息を詰め、キバゴに命じた。
「接近だ!」
キバゴが駆け出す。ハクリューの水色の宝玉に光が宿り、そこから縫うような光線が発射された。
「竜の怒り!」
先ほどまでのよりも精密な動きでキバゴの動きを捕捉する「りゅうのいかり」の光線をキバゴは短い手足を駆使して逃れようとする。しかし、ただ逃げているわけではない。ハクリューへと接近出来る好条件の位置を探しているのだ。ほとんど目と鼻の先を掠めていく水色の光条をキバゴは冷静に回避していく。ハクリューが円弧を描くように身を反らせた。青い光の輪が連鎖して次の一撃を伝える。「りゅうのいかり」でキバゴの動きを封じ込め、その上で「りゅうのはどう」による一撃を確実に命中させる。キバゴがフットワークこそ持ち味のポケモンだと一瞬で判断した辺り、さすがは優勝候補だとユキナリは渇いた喉に唾を飲み下す。
「さっきはちょっと油断しただけよ! 本気を出せば私以上のドラゴン使いなんてありえない!」
しかし、ユキナリはその一撃に至るまでの一線を狙っていた。ハクリューはキバゴの動きを既に封じ込めたと、トレーナーであるイブキも含めて確信している。ならば、それを見越した戦いをしなければ押し負けるのは自明の理だ。
ユキナリは視線を走らせる。水色の閃光がキバゴを追って放たれている。その一方で、充填されていく一撃への確信を自分とキバゴは超えねばならない。超えた時こそ、自分達はトレーナーとポケモンとしてもう一歩先へと進めるのだ。
「今だ!」
キバゴへと指示を飛ばす。宙へと躍り上がったキバゴは先ほどと同じく「ひっかく」からの連鎖の動きを見せた。引っ掻いてハクリューを手がかりに接近する。しかし、ハクリューはそれを読んでいたように「りゅうのはどう」を撃ち出そうとしていた。ユキナリはそこでキバゴへと第二の指示を送る。
「
空牙を突き出せ!」
キバゴが突き出したのはあろう事か、有している右側の牙ではなく、根元から折れている左側の牙だった。その事実にイブキが目を瞠る。
「驚いた。勝負を捨てるの?」
「いいや!」
「竜の波導!」
イブキの放った声に相乗したハクリューの青い光線が一射され、キバゴを撃ち抜いたかに見えた。誰の目にもそうだっただろう。しかし、キバゴは後ずさる事はなかった。それどころか、より強い決意の眼差しを赤い瞳に湛えて、キバゴは
空牙を振るう。
そこには、青い光線を凝縮した牙が光を宿していた。