第十三話「勝負の火蓋」
他の者達に同調してはいけない。
ユキナリはそれだけを感じてトキワの森へと続く道を真っ直ぐに上った。既に戦闘が始まっているが乱戦状態だ。ここでキバゴを出すのには向いていない。ユキナリは出来るだけ戦闘は避け、必要最低限に留めるつもりだった。走っている間にも水や炎、あるいは草の刃が疾風のように駆け抜ける。
「すごい事になっているわね」
いつの間にか近づいてきていたナツキが声を出した。ユキナリは首肯し、「これくらいが予想される事だろう」と返した。
「もっと派手に仕掛けてくる奴がいても不思議じゃないけれど」
「ジムバッジを手に入れるためには先手を打つ必要性もある。この戦い、ただ強いポケモンを持っていればいいってもんじゃないわ」
先ほど先行したギャロップのトレーナーを見れば明らかだ。早く辿り着けば有利とはいえ、あまりに先行し過ぎればそれは悪目立ちする。格好の的になるのだ。ユキナリは自分とキバゴがそのような戦法ではない事はこの二ヶ月で身に沁みていた。
「僕は、出来るだけ一対一の戦い以外はしたくない」
「それはキバゴを使うに当たって博士と約束した事でもあるものね。でも、意外」
「意外って何が?」
怪訝そうに聞き返すとナツキは微笑んで、「二ヶ月前には、戦いさえもしたくないって言っていたあんたが」と口にする。ユキナリは、「今だってそうさ」と応じた。
「戦いはしたくない。でも、勝たなければならないんだ。そのためならば、僕は戦う」
矛盾した言い回しに聞こえただろう。しかしユキナリの中にある確固とした自己はそれに集約されていた。勝利のための戦い。
ナツキは、「そうね」と答えた。
「あたしのストライクも乱戦向けじゃない。今は出来るだけ静かに、目立たないようにするべきね」
その時、不意に前を駆けていたトレーナーが後ろへと振り返った。モンスターボールが投擲され、空中で二つに割れる。中から出現したのは全身から管を伸ばしたポケモンだった。紫色で眼は血走っている。口腔が全身の半分を占めていた。管から蒸気を噴出し、そのポケモンが吼える。一度の咆哮で何人かが吹き飛ばされた。
「音波攻撃……!」
どうやら後続集団をここで潰そうというらしい。ユキナリがモンスターボールを掲げようとするとナツキがそれを制した。
「あたしので充分。いけ、ストライク!」
ナツキがマイナスドライバーで上部ボタンを緩め、モンスターボールを放る。ストライクが飛び出し、鎌へと空気を纏いつかせる。次の音波咆哮による一撃が放たれる前に、肉迫したストライクが空気の一撃を打ち込んだ。
「真空破」
ストライクの放った「しんくうは」が紫色のポケモンに突き刺さる。後退した相手は蒸気を噴き出す管を用いて空中で姿勢制御をしようとするが翅を開放したストライクが地を蹴って鎌を打ち込んだ。紫色のポケモンが瞠目する。
「峰打ち!」
ストライクに突き飛ばされた開いてポケモンが転がる。恐らくは戦闘不能に追い込まれただろう。この先、トキワの森を越えねばならないのだから死活問題だ。相手は大きく遅れを取った形となる。
ユキナリは口笛を吹かした。
「乱戦は苦手って、よく言うよ」
ナツキはストライクを伴って口にする。
「ストライクとならばあたしは無敵よ」
強気なその言葉にユキナリはフッと口元に笑みを浮かべる。トキワの森へと入る木立が現れた。ユキナリ達はトキワの森へと突入する。トキワの森は平時より少し薄暗い。草むらも多く、ポケモンが群生している地帯だ。
トレーナーの中にはここで野生を倒して経験値を得ようという輩もいるらしく野生ポケモンに手を出している者も見受けられたがユキナリはそれよりも通過だ、と判断していた。
「ナツキ。ここは野生に目をくれている場合じゃない。ここで警戒すべきは……」
「監視の目が緩くなったのをいい事に仕掛けてくるトレーナー」
その言葉に首肯する。トキワの森を越えられるか。ここが第一関門になる。
早速、各所でバトルが巻き起こっていた。その中の一つに目をやる。白い羽毛のような身体のポケモンが躍り上がっていた。赤い触手を有しており、眼は水色である。とてもではないが戦闘用には見えないそのポケモンを操るのは優勝候補の一人、アデクだった。アデクは猛々しい声を上げる。
「メラルバ! ニトロチャージ!」
赤い触手が輝きを増し、一瞬にして速度を上げたメラルバと呼ばれるポケモンが相手のポケモンを下した。あまりの早業に目を奪われる。アデクとメラルバはここで消耗を続けるつもりはないらしい。ユキナリの視線を感じながらも早々に切り上げてトキワの森攻略を目指すようだ。ポイントだけはちゃっかりといただいていくようだが。
「見た事のないポケモンばかりだわ」
ナツキの感想はそのままユキナリの感想だった。通信可能な全地方から参加者を招いているのだから当然だろう。どのようなポケモンが出てきてもおかしくはない。今のメラルバとて、何タイプなのか全く見当がつかなかった。
「スケッチが出来たらなぁ」
ユキナリは思わずぼやいた。これほどポケモンに恵まれているというのに、スケッチの暇もない。ナツキが睨みを飛ばす。
「ユキナリ。そんな場合じゃ」
「分かっているよ。冗談さ」
半分は本気だったが、冗談にしておいた。この大会で様々なポケモンが見られる事に昂揚感を覚えないわけでもない。
「トキワの森を抜けましょう。ここを抜けたら、ニビシティのはず」
二人は視線を交し合って駆け出す。ここでバトルをしてポイントを荒稼ぎ、という人間もいるだろうが、この大会は百日にも及ぶ長期戦。あまりに早く手持ちを見せればその対策を練られる。つまり早期に勝ちに拘るのも得策ではない。本当に賢しいのならば、全く手持ちの正体を見せず、なおかつチェックポイントを回る事だろうが、それにしたところで目立たないわけにはいかないだろう。全く目立たずにセキエイ高原へと戻る事は出来ない。どこかでぼろが出るシステムになっている。
キャタピーやピカチュウが飛び出すが、他のトレーナーに恐れを成してほとんど好戦的ではなかった。元々、トキワの森のポケモンは大人しい。血気盛んなトレーナー達に挑みかかるほど命知らずな野生ポケモンはいないだろう。出てくるポケモンはほとんど先行した人々が倒していったのだろう。ところどころ、焼けた地面や刈られた草が広がっている。
「出口よ」
トキワの森の終点が見えてきた。ユキナリ達はほとんど目立たずにトキワの森を抜けるかに思われたがその安息を命令の声が遮った。
「竜の怒り!」
放たれた水色の光条が瞬き、ユキナリは森の終点で多くの人々が立ち往生しているのを視界に入れた。
「何かが起こっている?」
その中には先ほどのアデクもいる。輪の中のトレーナーとポケモンが吹き飛ばされ、尻餅をついた。
「つ、強い……」
その声にユキナリは目を向ける。マントを身に纏い、威風堂々としたそれは皇帝の威容だ。腕を組み、仁王立ちをしているその姿は水色の髪を結った少女だった。ユキナリはその姿に見覚えがある。
「優勝候補の一人、ドラゴン使いのイブキ……」
ナツキが呟き、ぐっと息を詰まらせる。イブキは森の終点にまるで番人のように立っていた。
「私を倒せないのならば、この先に残ったって仕方がないでしょう? ここでドラゴン使い、イブキを破ってみせる気概のトレーナーはいないのかしら!」
どうやらイブキ自身には驕ったところがあるわけではないらしい。ただ単純に自分よりも弱い相手がこの先に残るのが我慢ならないと言った様子だ。イブキは横に控えているポケモンの肌を撫でる。青を基調にしたドランゴンタイプだった。水色の宝玉が首周りと尻尾にあり、黒曜石のような瞳が射る光を灯している。
「知っているわ。ドラゴンポケモン、ハクリュー。一進化よ」
ナツキが潜めた声で口にする。イブキは仁王立ちのまま、全く動こうとする気配はない。どうやら挑戦者を待っているようだったが先ほどの戦闘に恐れを成したのか、あるいはここでポケモンを消耗させる事をよしとしないのか誰も挑まない。このままでは立ち往生する一方だ。
アデクが歩み出ようとする。しかし、その前にユキナリが前に出ていた。イブキは、「挑戦者かしら?」と尋ねる。
「ええ。僕では不満でしょうか」
「ちょっと! ユキナリ!」
ナツキが止めに入ろうとするが既にユキナリはホルスターからボールを抜き放っていた。
「何考えているのよ。相手は優勝候補よ」
「だからこそ、だよ」
その言葉にナツキは疑問符を挟んだ。
「いずれ戦わなければならないんだ。それに、僕もキバゴも、ただ無為に二ヶ月を過ごしたわけじゃない。それを証明したい」
ユキナリの強い口調にナツキは気圧されたように、「でも……」と返す。
「相手はドラゴン使い。キバゴじゃ」
「それも分かっている」
分かっていて、戦おうとしている。それ以上止める言葉を持たなかったのか、ナツキは、「やるのね」と覚悟を問い質した。ユキナリは頷く。
「よく分からないけれど、あんた達、どっちかなら通してもいいわ。一人は私と戦ってもらう」
「僕が残る。ナツキは」
「ええ。先に行くわ」
駆け出したナツキをイブキは素直に通した。それを、「意外ですね」とユキナリは評す。
「何で?」
「あなたなら、それでも通さないと思っていた」
「約束は違えないわ。それに、片方は私が優勝候補だと分かっていて挑もうとしている。勇気は素直に評価するべきよ」
ユキナリはフッと笑みを口元に浮かべる。
「あなたはいい人だ」
「そのいい人に、あんたは負ける」
イブキが堂々とした立ち振る舞いですっと片手を上げた。何をするのかと思えばイブキはびしりとユキナリを指差した。
「ポケモン勝負よ!」
ハクリューがイブキの闘争心を引き移したかのように甲高く吼えた。ユキナリはマイナスドライバーで上部ボタンを緩め、ボールを放り投げる。
「いけ、キバゴ!」
放たれたキバゴが強く声を上げた。それを見てイブキが、「ドラゴンタイプね」と看破する。
「でもこの辺では見ない……。他の地方のポケモンかしら。どちらにせよ、その未発達な腕と足では、ハクリューの攻撃を避ける事も叶わないでしょう」
ハクリューの宝玉が光り輝き、水色の渦が収束したかと思うと一挙に弾け飛んだ。
「竜の怒り!」
水色の光条がキバゴへと直進する。命中するかに思われたそれは草むらをジュッと焼いた。もうもうと煙が上がる。しかし、その射線上にキバゴは既にいなかった。それを認めたイブキがハッとする。
「どこへ……」
視線を巡らせる前にハクリューが動いた。主人の命令よりも先に動いたのは動物的勘が働いたからであろう。あるいは歴戦の成果か。足元にいるキバゴにハクリューは気づいて全身をばねにして叩きつけた。
「いつの間に、足元まで」
イブキも迂闊だったのだろう。キバゴの戦力を完全に嘗め切っていた。ハクリューの鋭い刺突のような攻撃がキバゴを射抜こうとする。だが、キバゴは軽いステップでかわした。
「当たらない、ですって……」
「キバゴと僕は、それなりに鍛錬を重ねた。もちろん、ドラゴンの弱点が同じドラゴンである事も承知している」
ユキナリは静かな語り口調で告げる。二ヶ月に渡る修行の記憶が脳裏を掠めた。