第六話「仮面の子供達」
父親が自分を愛していない。
それは最初から分かっていた。むしろ畏れの対象だ。ヤナギはジョウトのカンザキ財閥の御曹司として何不自由なく過ごしてきたつもりだった。しかし幼少時から「子供らしくない」という印象が自分について回ったのは確実だった。
協調よりも勝負にこだわり、惰弱よりも鍛錬を重ねた。まるで課された十字架のように、ヤナギは自分自身に安寧を与えなかった。心の安定が誰しもあるとすれば、ヤナギには今のところ存在しない。それが必要なのかすら分からなかった。
だから玉座というものがあるとすれば、それは自分のような人間が相応しいのだろうと考えていた。誰も必要とせず、誰にも必要とされない。そんな孤独の闇に自分を浸す事が最善だと。父親も母親も、自分と一緒にいるべきではない。自分は期せずして災厄を導く存在であると感じていた。
中庭に出る廊下でヤナギは仮面をつけた少女を認めた。少女は他の仮面をつけた者達よりも幾分かとろいようで、そうやって独りでいる事が多かった。灰色の髪をした少女の名をヤナギは呼んだ。
「キクコ。またみんなからはぐれたの?」
仮面の少女は自身の名前を呼んだヤナギへと振り返る。七つの眼を刻んだ威容にたじろいだのは最初のほうだけだ。今は、キクコの名前を落ち着いて呼ぶ事が出来る。
「ヤナギ君」
「仮面なんて俺の前では外しなよ」
ヤナギの言葉に、「駄目だよ」とキクコは仮面を撫でた。
「だって、先生達が怒るもの」
キクコが周囲を忙しなく見渡す。どこから「先生」に見られているのか分からないのだろう。ヤナギは周囲の気配を感知したが、どこからでも見ているようであるし、どこからも見ていないようでもあった。
「大丈夫。誰も見てない」
「本当?」
キクコは遠慮がちに仮面をずらした。すると、赤い瞳のあどけない顔立ちが視界に入る。白い肌は太陽の光を今まで受けた事のないように透明感があった。
「私、またはぐれちゃったの……」
「みたいだ。でも、俺が案内するよ」
手を差し出すとキクコはすがり付いてきた。
「ヤナギ君。怖いのはやだよ」
キクコは常に何かに恐怖しているようであった。その対象が何なのか、ヤナギにも明確な説明はつけられない。しかし、ヤナギはそれを取り除ける。その資格が自分にはあると確信していた。キクコの恐怖が何によるものであれ、自分は強い。誰よりも強くあれば、誰にも害される事はない。キクコも、自分もそうだ。
「キクコ。俺はもうすぐ開催されるポケモンリーグに出場することが決まっている」
ヤナギの言葉にキクコは、「聞いているよ」と答える。
「先生達はその前準備に躍起になっている。仮面の選定者の中から何人か選ぶみたい」
「まさか、キクコが?」
「私はないよ」
キクコは弱々しく微笑んだ。
「だって、とろいんだもん」
その言葉にヤナギは内心安堵した。キクコが戦いの場に駆り出される事はあってはならないと感じていたからだ。
「そう、か。でも仮面の選定者の中で誰かは選ばれるんだな」
「うん。玉座とか、私にはよく分からないけど」
キクコと並んでヤナギは歩く。繋いだ手のぬくもりに、キクコだけは、とヤナギは強く願った。キクコだけは争いに巻き込まないで欲しい。
その時、不意に暗闇が蠢動した。凝った影が人の形を取る。ヤナギよりも一回り背の高い女性が足音一つ立てずに前に出てきた。
「先生」
キクコの声に、「また遅れたのですね」と冷たい声音が響く。キクコが自分から離れて先生と呼ばれた女性の前に駆け寄ると、先生はあろう事かキクコを引っ叩いた。ヤナギが、「何を!」と声を出す。
「カンザキ執行官の息子さんですか。我々の子供達に関わるのはおよしなさい」
有無を言わせぬ口調にヤナギは言葉を呑み込む。キクコはしゃくり上げながら、「ごめん、なさい……」と謝っている。
「仮面をつけなさい。誰が取っていいと言いましたか」
キクコは再び仮面をつけて先生の手を握る。先ほどまで自分の手を握ってくれていたキクコが離れていく事にヤナギは耐え切れなかった。
「待ってください!」
覚えず出した大声に先生が肩越しに振り返る。
「何ですか」
「キクコは何も悪くないんです」
自分が取っていいと言ったからキクコは仮面を取った。遅れたくて遅れているわけではない。ヤナギはキクコの気持ちを最大限に汲んだつもりだったが、「それがどうしたと言うのです」という先生の言葉に掻き消された。
「何、を……」
「この子の問題は我々の問題です。あなたが関わる事ではないでしょう。出しゃばると痛い目を見ますよ」
その忠告を潮に先生とキクコは去っていった。ヤナギはその場に縫い付けられたように固まっていた。二人の気配が消え去ってから自分の無力さに歯噛みする。
「俺は……何も出来ないのか」
キクコのために。分かっていても動かない身体がもどかしく、ヤナギは自分を引っ叩いた。