第一話「第一回ポケモンリーグ」
「王が死んだ」
その報告が伝わったのは未明の事だった。セキエイ高原の重役達はまさしく寝ぼけた横っ面を引っ叩かれた感覚を味わいながらその報告を聞いた。
「まことか」と誰もが慌しく王の崩御という異例の事態を飲み込めずにいた。一地方にとってそう何度も経験する事のない非常時だ。重役連は寝ぼけた頭を引きずりながら会合を開いた。集まった人々は一様に硬い面持ちをしていたがそのうち幾つかは寝不足によるものだったのかもしれない。
カントーの王。すなわち現チャンピオンの死。それがどれほどの意味を持つのか、容易に説明出来る人間は少ない。というのも、セキエイ高原によってチャンピオンの選定は一手に任されており、チャンピオンが死を迎える前に次のチャンピオンが選ばれるという形式を取っているためである。よって、元チャンピオンの死はあっても、現行のチャンピオン崩御に立ち会う事などまずないと考えていた重役連からは戸惑いの声が漏れた。
「死因は何だね?」
高官の誰もがまずそれを聞いたが帰ってきた言葉は意外そのものだった。
「自殺です」
ざわり、と総毛立つと共に彼らは瞠目した。チャンピオンが自殺。それはセンセーショナルなニュースとしてカントーを騒がせる事だろう。しかし、何故。次に浮かんだのはそんな疑問だ。
「どうして自殺など」
「これを」と手渡されたのは一枚の用紙であった。そこにチャンピオンの直筆で「遺書」と書かれていた。
「どういう事かね」
「言葉通りの意味かと」
秘書官が発する言葉に苛立ちを募らせた高官が同時多発的に発生した。チャンピオンの遺書。カントーの民草はそれに従わなければならない。最後の最後に面倒な事をしてくれたものだ、と彼らは一様に考え、遺書の中身は役員総会にて開示される事になった。
チャンピオンの死から明けて二日後。役員総会で渋面をつきあわせた重役達は情報関係へと話を通す前にまずは自分達でどうこう出来る問題なのかどうかを判断せねばならないという重責を負わされた。問題の如何によってこれは内々で押し隠さなければならない。カントーの王は最期に何を望んだのか。
「チャンピオン付きの秘書官。遺書には何と」
背の高い女性の秘書官が歩み出て、チャンピオン自らがしたためた遺書を読み上げた。仮面をつけた奇妙な相貌に全員が息を呑む。
眼が七つ並んだ奇矯としか言いようのない仮面をつけていた。比して、体躯はスマートで、マネキンのようだ。
その外見からは想像も出来ないほどに朗々とした、よく通る澄んだ声だった。その内容に高官達の顔色が変わった。
「……ありえん。我々セキエイの政治家の意味をなくそうとでも言うのか」
高官の一人が声を震わせながら口にすると、「しかし、王の遺志であるのは明白です」と秘書官が仮面を向けて応じる。
「だから、その王の遺志が本当にそうであったのか伝える術がないだろう」
机を叩いて興奮気味に語る高官を無視して秘書官はこの場で最も発言力のある人間へと視線を据えた。
「どうなさいますか。これは王の勅命です」
「だが、その王は既に死している」
白い顎鬚をたくわえた高官は重々しく告げた。チャンピオンの死は他言すべきではない、とする意見もある。それはイッシュとの緊張関係もあるからだ。
「冷戦状態にあるというのに、これ以上の不安要素を民に与えていいものか」
「しかしカントーの民はこの情報を共有すべきです。遺書にもそうある」
秘書官の声に、「君は部外者だから、そんな悠長な事が言えるのだ」と怒りの声が湧いた。
「我々の立場からすれば、今までのチャンピオン、及び軍備増強を全て無に帰せと言われているようなもの。これでは何も納得出来んよ」
「遺書には軍部の新体制についても書かれているのだろう。つまり、その遺書に書かれている事を実行している間、軍部は空席となる。イッシュの支配を甘んじて受けろと言っているようなものではないか」
「ですが、これが王の遺志なのです」
仮面の秘書官は譲る気配はない。意思決定の手段は重役にはなく、全てチャンピオンの遺志を尊重せよとの無言の圧力を感じる。
どうにか遺書の穴をつけないか、と重役達が頭を巡らせる中、重々しい声が響き渡った。
「それが王の遺志である事は明白なのだな」
この場で最も発言権の強い重役の声に一同、鉛を呑んだようにしんとする。仮面の秘書官は、「はい」と頷いた。
「王の遺志に相違ありません」
「では、その案を許諾する」
紡がれた声に重役達は色めきたった。
「しかし! これが実行された場合、カントー全域の混乱が予想されます。このような事でカントーの民の心を乱すべきではないと判断します」
「しかし、王の崩御は伝えなくてはならない。どちらにせよ、混乱は伝播するものだと考えるが違うかな」
それは、と言葉を濁す高官に、「私は何もこれを混乱の種にしようというのではない」と言葉が続けられた。
「むしろ、逆だ。これによって、カントーの混迷を収束させようと考えている」
「何か策がおありなのですか」
「ふむ」とひと息をついた高官は白い顎鬚を撫でながら、「どうせならば仮想敵国であるイッシュも一枚噛んでもらおうではないか」と告げられた。その意味を吟味しようと高官達は視線を交わし合う。
「それは、どういう……」
「この遺書の内容を交信可能な全域に発布。人種、国籍を問わない競技とする」
その言葉にはさすがの高官達もざわめいた。その中で一番若い高官が、「長官!」と立ち上がる。長官と呼ばれた男は、「何か」と冷静な様子だ。
「そうなれば玉座に収まるのは純粋なカントーの民でなくなる可能性があります。今まで純血を守ってきた玉座に、別の地方の人間を招き入れようなど言語道断」
「そうだ、そうだ」と同調する声が響く中、「ではどうする?」と長官は返した。
「カントー地方のみを混迷の渦に巻き込んで、他地方からの侵略行為を是とするか? それではカントー内部が手薄になる一方だ。それに、これを内紛と取る地方もあるだろう。毒を食らわば皿まで。他地方にも、この戦いに肩入れしてもらう事でカントーのみの軍事力の手薄という隙をなくす」
長官の言葉に若い高官は言葉もなかったようだった。そこまで考えているとは、という諦観もあったのだろう。何も言わずに彼は席についた。
「異論がないのならば、これをジョウト、イッシュ、ホウエン、シンオウにも発布。カントー内での発表は三日後とする。大喪の礼を催し、その後、これを全域に、勅命として下す」
誰しも長官の言葉に異議は唱えたかったが、しかし有効な手段があるわけでもなかった。どちらにせよ、大喪の礼は必要だ。戦争へと傾かせようとする一派を黙らせるためにも。
「あくまでも王は病気によって逝去された。マスコミにはそのように報せるように」
一地方の王が自殺では他地方からの弾圧が強くなる一方だ。カントーはそうでなくとも体面は守りたい。長官の言葉に異議はなかった。
「情報操作に関しては君に一任する」
仮面の秘書官は、「つつがなく」と一礼した。誰しもその一挙一動に薄ら寒いものを覚えないわけでもなかった。一体、この仮面の秘書官は何者なのか。勘繰る言葉を皆が選ぼうとして、それがやぶへびに繋がりかねないと密かに好奇心を仕舞った。
「しかし、長官。これは国家そのものを揺るがす一事ですぞ。そう簡単に容認していいものでしょうか。いくら先代の王の遺志とはいえ」
びくついた声を出すのは親の七光りで高官へと選ばれた者だ。元来、カントーの重役連は世襲制を取っている。その基盤が脅かされようというのだから胸中穏やかであるはずがない。
「しかし、無視するわけにもいかないだろう。後々、遺書が何らかの形で公開された時のリスクを考えてみよ。そうなった場合、我々は王の遺志を無視した非国民だ」
民の上に立つ人間がそのような危険をはらんでいるのでは他地方との牽制にも役立たない。むしろ、他地方から攻撃される隙を作っているようなものだ。高官達は押し黙ったが、何か言いたげなのは明白だった。
「これは閣議決定だ」と長官はそれ以上の追及を拒んだ。
「以後の処理は君に任せる。出来るかね?」
仮面の秘書官は、「問題ありません」と応じた。
「では三日後にこれを全市民に伝える。カントー地方第一回ポケモンリーグ。それが王の望みならば」
その言葉に重苦しい沈黙が流れた。その沈黙を是と受け取ったのか、仮面の秘書官は拝礼した。