最終話「僕らの夏の夢」
中継される戦いにお茶の間が沸く。
『ゲンガー、シャドーボール!』
黒い球体を練ったゲンガーが相手へと攻撃を見舞う。闇の散弾を潜り抜けたのは紫色の疾駆だ。角を突き出し、甲高い声で鳴く。
『ニドリーノ! 毒針!』
その一撃をゲンガーは軽くいなした。
『毒タイプに毒針とは、釈迦に説法のようなものよの』
そう答えたのはバトルフィールドの片側にいる杖をついた老婆だ。灰色の髪に赤い瞳が輝く。
『ゲンガー、教えておやりなさい。本当の戦いというものを!』
ゲンガーが跳躍し両手を薙ぎ払う。すると、先ほどよりも細やかな闇の散弾が連鎖して形成された。
『なにぃ! シャドーボールを同時にそんな風に!』
『まだまだ青いよの、挑戦者。ポケモンの数だけ戦略があるという事を、教えておやりなさい、ゲンガーよ!』
ゲンガーの放った「シャドーボール」の連激にニドリーノが倒れ伏す。ジャッジの声が響き渡った。
『勝者、四天王キクコ!』
「やっぱ強いよなぁ! キクコは!」
少年がテレビを見ながら感心する。いつだって挑戦者はキクコ辺りで敗北するのだ。ゴーストタイプへの対抗策をメモに書き留める。
「えっと、効果抜群が悪タイプと……何だっけ?」
「あんた、オーキド博士に習ったんじゃないの?」
母親がいつの間にか歩み寄っていたらしく少年は驚愕する。
「うわ! 急に近づかないでよ、母さん」
「そう言えばオーキド博士が呼んでいたわよ。何でも、前から約束していたものが出来たとか何とか」
「本当? じゃあ、俺、行ってくるよ!」
駆け出した少年の首根っこを母親は掴み、「待ちなさい」と制する。
「何だよ、これからってのに」
「忘れ物」と手渡されたのは赤い帽子だった。
「いけね! これがないとな!」
帽子を被り駆け出して母親の声が飛ぶ。
「失礼のないようにね!」
「分かってるって」
マサラタウンの街並みを抜け、一際大きな建物へと歩み寄る。看板があり「オーキド研究所」と書いてあった。
「失礼しまーす」
入ると顔馴染みの研究員が、「ああ、君か」と声を発する。
「博士ならば奥で待っているよ」
「マジに出来たの?」と奥にいる白衣の老人へと声をかける。振り返った老人は、「おお来たか」と微笑みを浮かべた。
「だが、一足遅かったようだぜ?」
その声に視線を向けると二階から降りてきたのは幼馴染だ。
「シゲル! お前も呼ばれたのかよ」
「間抜けなお前だけをじいさんが選ぶわけないだろ。なぁ、じいさん。早く渡してくれよ。うずうずしてるんだぜ」
その言葉に白衣の老人は、「分かっておるよ」と二つ差し出す。
「これが例のポケモン図鑑?」
赤い本型の端末だ。開くとユーザー認証画面に入った。
「そう。今まではトレーナーとしての知識や勘で動く部分が多かったが、これが普及すればポケモンの覚えている技や特性も一目瞭然。ワシはこれで世界が変えられると思っておる。それにワシの夢もな」
「博士の夢って?」
「この世界に棲むポケモン達の生態図鑑を作る事がワシの夢だったんじゃ。しかし、ワシは見ての通りもうジジイ。夢は君達に託そう」
「だってよ。じゃあ遠慮なく俺は受け取るとするぜ」
シゲルはポケモン図鑑のユーザー認証を早速行う。「せっかちな奴じゃなぁ」と博士は呆れた様子だった。
「我が孫でありながら」
「じいさんがゆっくり過ぎるんだよ」
ユーザー認証を果たしたシゲルが図鑑を手にする。少年も負けじとユーザー認証を済ませた。
「これだけじゃないんだろ、じいさん」
博士は、「やれやれ」とため息を漏らしながら視線を向ける。そこには三つのモンスターボールが置かれていた。
「そこに三体のポケモンがおるじゃろ? それぞれ、草のポケモン、フシギダネ、火のポケモン、ヒトカゲ、水のポケモン、ゼニガメ。どれでもいい。好きなポケモンをパートナーにするといい」
「俺はがっつかないからな。お前に選ばせてやるぜ」
シゲルの言葉にむっとしながら一つのボールを選び取った。
「じゃあ、俺はこいつだ。ヒトカゲ!」
放り投げたボールから炎を尻尾に灯らせたポケモンが躍り出る。
「ニックネームをつけるかな?」
「いえ、俺はヒトカゲのままで」
「ではシゲル。お前はどうする?」
その言葉にシゲルは鼻を鳴らす。
「センチメンタルだけじゃ勝てないんでね。俺はリアリストなんだ。行け、ゼニガメ!」
シゲルの放ったボールから水色の矮躯が躍り出る。それぞれのポケモンが出揃いシゲルが持ちかけた。
「バトルしようぜ。ここいらでチャンピオンになる素質とやらを見せ付けてやる」
「こっちこそ!」
売り言葉に買い言葉の体でバトルの火蓋が切られた。
ああ、これが、とユキナリは感じる。
もしかしたらずっと求め続けていた結果なのかもしれない。老いぼれてまで自分の持つ全ての情熱を傾けて待ち続けていたのはこの時だったのだ。後に託す事、それこそが自分に出来る最大限の貢献であった。
勝負がつき、「だが俺はチャンピオンになる」と言い捨てて孫であるシゲルが出て行く。少年もそれを追おうとして自分へと振り返った。
「そういえば博士、ずっと戸棚に写真を飾っていましたよね。あれって何のポケモンなんですか?」
ユキナリは、「ああ、あれか」と応ずる。
「ワシの生涯の相棒じゃよ。思えば、キバゴとの出会いが全てを変えてくれたんじゃな」
「その相棒は……」
ユキナリは首を横に振った。
「もういない。妻にも先立たれ、キバゴも失ってしまった。だからこそ、君達に託したい。ワシの夢を。一つだけ、聞いて欲しい。夢を追う資格のない人間などいない。誰もが皆、生まれながらにその資格を有しているのだと」
自分が勇気付けられた台詞を口にする。何度も打ちのめされそうになった時この言葉を思い返した。たとえ呪縛だとしても、自分を衝き動かしたのはこの言葉なのだという誇りがある。
「分かりました。博士の夢、俺が叶えます」
ユキナリは手を振る。二人とも立派なポケモントレーナーになってくれるだろうか。その旅路は不安だがそれ以上に希望に満ちている。ユキナリは応接室にある写真を眺めた。そこには片牙のキバゴと写っている自分の若い頃の写真がある。ナツキと挙式した時の写真も隣にあった。博士号を取った時の写真、ポケモンの学説を確立させた時の記念式の写真など様々な写真の中にユキナリは一葉の写真を見つけ出す。
ヤナギとガンテツ、それにアデクと撮った一度きりの写真だった。自分以外は写真が嫌いで、この四人で写ったのはこれしかない。ユキナリは色褪せた写真を撫で、「みんな、ワシは、いや僕はやったよ」と呟く。
「夢を繋ぐ事が出来た。これほど幸せな事はない」
戸棚の中にスケッチブックが挟まれている。ユキナリは埃を被ったスケッチブックの表面を軽く撫でて、「せめてこれからの旅路に幸あらん事を」と祈った。
全てのポケモントレーナーが夢を追える世界に。自分は少しでも近づけたのだろうか。
「さぁ、行くといい、若人よ。ポケットモンスターの世界へ」
きっとその先には今よりずっといい未来が待っているはずだから。
NEMESIS ポケットモンスターHEXA 完