第百九十五話「ライジングワールド」
『おおーっと! 今の今まで何があったのでしょう? 全く戦闘がモニター出来ませんでしたが、洞窟を、この難攻不落のチャンピオンロードを一番に抜けてきた人影は――!』
実況の声に観客が沸く。熱が包み込んだ観客席から黄色い声が上がった。
『サカキだー! シルフカンパニーの擁する新鋭トレーナー、サカキが相棒のポケモンと共にチャンピオンロードを抜け、殿堂入りの間まで残り三十メートルを切ったー!』
サカキは観客達を眺め、これほどつまらない眺めはないと感じていた。この人々は新たなる王の君臨に心躍らせているのだろうが、ここから先、カントーを支配するのは暗黒時代だ。ロケット団が君臨し、再びこの世の春を謳歌する。それは自分の再起でもあった。自分が一度諦め、成せなかった事を再び成す。奇妙な感覚がついて回ったが、以前までの自分は切り捨てる事にしたのだ。
最早、この次元のサカキ自身を知る人間など一人もいない。当然だ。この次元の自分ではない。もっと大きなものを背負って自分はここに立っている。玉座への道を駆け抜けている。
『今! サカキが殿堂入りの門を潜ったー! 殿堂入りの間へとこのまま誘われます。カントーの王はサカキで決着だー!』
サカキは鼻を鳴らす。自分には王の素質がある。カントーの民草には悪いが、また支配を受けてもらおう。
「こちらへ」とポケモンリーグの事務局の人々がサカキを誘う。そこには旧式だが殿堂入りの間と同じく手持ちを記録する機械があった。
「さぁ、このマシンにあなたのポケモンを永遠に記録いたしましょう」
サカキはニドキングをボールに戻し、歩みを進める。殿堂入りの間は殺風景だった。奥まった場所に機械が据えつけられているだけだ。サカキは先導する人間に目を向ける。
「ここは、観客に見せないのだな」
「ええ。言うなればこれは儀式。一市民が見ていいものではありません」
そう説明する事務局の人間はサカキが王になっても淡白な様子だった。だが、それでも構わない。むしろ、支配の一歩目だ。こういう手合いの人間を手中に置くのは。
「そうか。まぁ、俺も煩わしくなくっていい」
サカキが歩を進めると事務局の人間は立ち止まった。何をしているのか、と訝しげにサカキも足を止める。振り返り、「あなたがここに来れば」と事務局の人間が口を開く。
「止めねばならぬと、ずっと感じていました。玉座には相応しい人間がなるもの。私は諦観のうちにそれを決定付けていた。ですが同時に気づきもしたのです。諦めているだけでは未来は掴めない、と」
事務局員らしい――灰色の髪の女性――はモンスターボールを手にした。サカキは睨みを利かす。
「何のつもりだ?」
「止めます。邪悪は止めねばならない」
「驚いたな。セキエイ側の人間が王になる人間に異を唱えるか?」
「オーキド・ユキナリ、カンザキ・ヤナギらが来たのならばまだ納得出来ました。ですが、あなたは……。あなただけは」
「選り好みするか。だが、気をつけろよ、三下。旧式のモンスターボールと新型の、いや俺の次元ではこれでも古いものだが、こっちとどちらが抜くのが速いか比べるまでもないだろう?」
サカキがホルスターから再びボールを抜く。事務局員は、「私は止めねばならないのです」と告げた。
「キシベの話にあったネメシスの人間か。こいつらはどうせ静観するだろうと思われたが、抵抗するとは馬鹿な奴め。人の形に生まれた事を後悔させながら殺してやる」
旧式のボールから蒸気が発せられるがそれよりももちろんサカキのモンスターボールからニドキングが射出されるほうが速い。ニドキングは即座に、ボールからポケモンが繰り出される前にその腕を握り潰す。骨の砕ける音と腕が引き千切られる無残な姿が視界に映った。事務局員の女は千切られた片腕を押さえ、「ああ」と呻く。サカキは鼻を鳴らす。
「どれほどのポケモンであったのかは知らないが、事務局員が玉座の人間に牙を剥いていいと思っているのか」
「我々、ネメシスは……」
事務局員がよろりと立ち上がる。血に染め上げられた手を握り締めた。
「一度は見過ごそうと考えていた。でも、オーキド・ユキナリやカンザキ・ヤナギ。彼らの姿勢が、未来を手にしようとする彼らの思いが、私の心を打ったのです」
「その他大勢に影響を与えるほどではある、という事か」
「その他大勢ではありません」
事務局員は意思を固めた双眸を投げる。
「私の名前はキクノ。たとえ身体がレプリカントのそれでも、一個人として私は戦う」
「キクノ……。向こう側にもいたな、そういえば。シンオウの四天王だったか」
「四天王……?」
意味を解していないのだろう。サカキはキクノへと視線を向けて、「だがどうする?」と問いかける。
「ポケモンを失った。ヘキサツールは完成し、俺が王となる。これは既に決定事項だ」
「誰が、ポケモンを失った、と言いましたか」
ことり、と衣服から何かが零れ落ちる。それはモンスターボールだった。キクノは緊急射出ボタンを踏みつけて叫ぶ。
「いけ、グライオン!」
飛び出したグライオンがハサミを突き出し、ニドキングへと襲いかかる。だがニドキングを操るサカキは平然としていた。
「一体で向かってくるほど自信家ではない事ぐらいは考えが及ぶ範囲だ。グライオン、確か地面・飛行タイプ。弱点はこいつだな」
ニドキングが腕を払う。その射線上に冷凍ビームの光が凝縮された。連鎖した冷凍ビームがグライオンに向けて放たれる。それぞれが一拍遅れで中空を裂いた。グライオンは皮膜を広げて逃れようとするが一撃を掠める。それだけでグライオンの飛翔能力が削がれた。
「四倍弱点のはずだ。命の珠の加護がないとはいえ、特性は生きている」
素早さを奪われたグライオンはすぐさま氷の洗礼を受けた。氷結する事はないと言っても冷凍ビームそのものの威力は健在だ。瞬く間に皮膜が破れ、グライオンがよろめいた。その身体がふらふらとニドキングへと覆い被さろうとする。その瞬間にハサミがぎらりと凶暴な光を湛えた。
「刺し違えてでも! ハサミギロチン!」
肉迫したグライオンがハサミを撃とうとする。だが、それよりも速く、ニドキングは跳躍した。グライオンを跳び越え様に直下へと冷凍ビームが一射される。冷凍ビームを背筋に受けたグライオンが完全に戦闘能力を奪われて地面に転がった。
「無様、というほかない。俺は王だ。王に立ち向かうにしては力不足だったな」
ニドキングがグライオンを踏みつける。拳を固めてニドキングがグライオンの頭部を殴りつけた。表皮に亀裂が入る。キクノは、「やめて……」と悲鳴を漏らしたがニドキングとサカキはグライオンとまだボールに収まっている手持ちポケモンとを同時に無力化した。ボールに入っているほうは握り潰し、グライオンは再生不可能なほど叩き潰した。キクノがその場に蹲る。
「レプリカント。聞いているぞ。瞬時にポケモンとの同調率を操れる人造人間。同じ顔の連中らしいな。まぁ、その怪我ならば失血死は免れまい。俺が放置しておいても死ぬだろう。最後に聞いておく。ヘキサツールはどこか?」
「誰が、あなたなんかに……」
ニドキングが手を払う。キクノが煽られるように転がった。
「もう一度、聞こう。ヘキサツールはどこなのか?」
最早虫の息のキクノに問い質す。その時、不意に足音が聞こえた。そちらへと目を向けると、子供達が逃げ去っていく背中が見えた。
「なるほど。あとはレプリカントのガキ共に聞こう」
サカキが歩み出そうとするとキクノはその足にすがりついた。虫けらを眺めるように眼を向ける。
「……お願い。あの子達だけは……」
「意外だな。道具としか思っていないようにキシベからは聞いていたが」
「……気づいたんです。私も、とても酷い事をあの子達にしてきた。キクコも、運命に翻弄されてきた。でも、私達大人がすべき事はそうじゃない。子供の未来を縛るのではなく、その未来の道を拓く事だと。それが、大人の務めです」
「言葉の上では尊敬するよ。だが、それは詭弁だ」
サカキはキクノの頭を蹴りつけ吐き捨てるように口にする。
「断言しよう。大人が子供にすべき事は未来を閉ざす事だ。未来、希望などというあやふやなものにいちいち光を見出させて、この絶望の世界に突き落とす事の、何の意義がある事か。世界は最悪だ。常に、そうなのだ。破滅へと向かう世界、破滅はなくともだらだらと延命し続ける世界、あるいは誰かが気紛れに終わらせられる世界、そのような世界に堕とす事に大人の義務を見出すのは不可能だ。それはな、押し付け、と呼ぶのだよ」
「それでも……、あなただって人の子でしょう?」
最後の希望をかけた言葉だったのかもしれない。だが今の自分には通用しなかった。
「そうだな。人の腹から生まれ、人の血が流れている。だが、今の俺は超越者だ。人を超えたのだよ」
「……傲慢な」
「傲慢で何が悪い。人の上に立つのならば傲慢なほうが都合はいいではないか」
サカキはキクノの頭を蹴り飛ばして意識を失わせた。それでも絡んでくる手を蹴り払い、子供達の後を追う。子供達はサカキの事を本当の脅威だと思っていないのか、その足並みは緩やかなものだった。逃げている、というよりも遊んでいるかのようだ。
「俺をヘキサツールの場所まで導こうと言うのか?」
あるいは子供達こそが地獄への案内人か。そのような考えが浮かび、フッと口元を緩める。
「俺は王だ。さっさと案内してもらおう」
子供達が足を止める。その先には杭で壁に留められた石版があった。カントーの陸地の形状をしておりサカキにはそれが一目でヘキサツールなのだと分かった。
「八つの窪み。なるほど、これがヘキサツール。その完成の日を見たわけか」
「キクコは来なかったんだね」、「そりゃそうだよ。あいつとろいもん」、「じゃあ、この人が王様?」、「王様って言うかチャンピオンだよ」、「どっちも同じだろ」
口々に飛ぶ同じ顔の子供達の声にサカキは指を鳴らす。
「ニドキング、黙らせろ」
重戦車のようにニドキングが駆け抜け、子供達を一人、また一人と惨殺していく。子供達はどうしてだか無表情で無感情にそれを眺めていた。誰一人として悲鳴を上げない。まるで予定された犠牲だとでも言うように。
血で濡れた腕を掲げたニドキングが吼える。サカキはヘキサツールへと歩み寄った。
「番人は全て消した。あとは完成させるのみ」
一つ一つ、丁寧に窪みへとセットしていく。それぞれの街のシンボルとなっているバッジを各々の場所に。最後のグリーンバッジをセットすると、ヘキサツールが留められていた杭が不意に老朽化し、石版が落下した。だが粉砕する事はない。ヘキサツールの表面を何かの力が覆っているからだ。
「三位一体によって生じたエネルギーの波か。これで俺は名実共にカントーの王だ。このヘキサツールをロケット団のシンボルとして飾ろう。そうなれば全ての現象はロケット団を中心として回る。この世の幸福はヘキサツール所持者が持つ事になる」
サカキは石英の茂る空間に開いた中天を眺める。雲一つない青空が区切られており、「ここからロケット団の支配は始まる」と告げた。
「人々の血と、嘆きの中心に。街々を襲いつくせ、打ちのめせ、悪の牙達よ」
「――させない」
その声にサカキは振り返った。今しがた殺し尽くしたはずの灰色の髪の少女が佇んでいる。はて、とサカキは死体を眺めてからようやく納得した。
「そうか。お前は、レプリカント、キクコだな。だが、俺をどうしようというのだ? 手持ちもなしに俺に立ち向かうつもりか?」
「ユキナリ君が来る。私は、せめてもの時間稼ぎと、罪滅ぼしのために」
キクコが手に取ったのはモンスターボールではない。一つのリモコンだった。サカキが怪訝そうに眉をひそめていると、「これは」とキクコが言葉を継ぐ。
「私が命令を待っていた時に手にしたもの。自分にもしもの事があれば使って欲しいと命令を受けていた。今ならば分かる。私は託されていたのだと」
キクコがリモコンのボタンを押す。サカキは自爆を恐れてニドキングを先行させたが何かが起こる気配はなかった。ニドキングが血に汚れた手でキクコを羽交い絞めにしようとする。
「何をした? まさかここまで来て、意味のない事をしようとしたのではあるまい?」
キクコは小さく、「……私が何かしたと言うよりかは」と口にする。
「そうするように命令されていた。だからこれは、私の意思じゃない」
「理由も意図も不明だが、レプリカントに人権はない。このまま死に絶えろ。ネメシスは崩壊だ」
ニドキングがその力を込めようとする。その瞬間、サカキは額に雨粒を感じた。空を仰ぐと先ほどまで晴れ渡っていた空が急激に流転している。積乱雲が渦巻き、悪天候と化していた。
「何が……」
サカキはハッとしてキクコを見やる。だがすぐに判ずる。違う、こいつは何もしていない。
「何が起こっている?」
問い詰める声に、「来たのよ」とキクコは簡素に告げた。
「来た、だと?」
サカキが再び空を仰いだ瞬間、雷が鳴り響き、天空に三つの影が躍り出た。その影の正体にサカキは震撼する。
「まさか、伝説の三体の鳥ポケモン……」
だがその三体はフジによって封印されたはずだ。その段になってサカキは先ほどのリモコンの意味を悟った。
「フジが、最悪の状況を想定してお前に渡していたというのか。解除キーを」
キシベの話では今のキクコはフジの再生した代物だと言う。ならば命令権はフジにあった。
「死者が、悪あがきを……!」
サカキの命令が飛ぶ前に降り立った三体の鳥ポケモンがそれぞれオーラを迸らせた。電流の皮膜を張ったサンダーの放つ一閃がニドキングの腕を焼く。ニドキングが覚えずキクコを取り落とした。ファイヤー、フリーザーと続き、各々の光を纏った。
「まさか、こいつらは……」
サカキが即座にニドキングを呼び戻そうとする。だがそれよりも三体の力が相乗するほうが早い。サンダー、ファイヤー、フリーザーの放ったエネルギーの奔流が雪崩れ込むようにヘキサツールへと撃ち込まれる。ヘキサツールの表面を引き裂き、エネルギーの凝縮体が引っぺがしていく。すると今までの経年劣化をまるで感じさせないヘキサツールの石版が徐々にくすんでいくではないか。サカキは判ずるほかなかった。
「三位一体……! 正のエネルギーと負のエネルギーがぴったりと一致したわけか。エネルギーの凝縮体が次元の扉の回廊を開くエネルギーと同質であると考えるほかない。このような不均衡な状態に晒されれば……」
サカキの不安を裏付けるようにヘキサツールの中心に穴が開いた。だがただの穴ではない。全てを吸い込んでいくかのような暗黒の穴が大口を開けているのだ。
「次元回廊、局地的な扉の形成……。ヘキサツールが自壊しようとしているのか……」
三位一体によってヘキサツールの中の正のエネルギーと負のエネルギーの値がちょうどゼロとなった。その結果、次元を開くのと同じだけのエネルギーが放出されている。
「ニドキング!」とサカキは呼びつけ、その腕で自分を引っ張り込ませた。直後に傍にあった子供達の死体が吸い込まれていく。これは次元の扉と同じだ。近くにあるものを全て吸い込み、向こう側へと送ってしまう。
「くそっ! このようなところで、俺が負けるはずがない。俺は、王になるのだ! それを、貴様のような紛い物の人間モドキに! 邪魔されるわけには!」
ニドキングがキクコへと冷凍ビームを放とうと充填する。キクコは抵抗する素振りもない。三体の伝説もキクコを主人だとは思っていないようでそれぞれがヘキサツールの次元の扉を眺めている。勝った、と確信した、その瞬間だった。
黒い光条が放たれ、ニドキングの手をぶれさせる。冷凍ビームがキクコの傍の地面を抉った。
「まさか……!」
キクコが振り返る。サカキも視界に捉えた。
ユキナリがオノノクスを連れて、自分へと指を向けていた。