第百九十三話「パラノイア・エージェント」
ゲンジからの定期通信が切れてからもう二十四時間を超えた。マサキは予めつけておいたマーカーを起動させグレンタウンの最深部へと向かっていた。
「しかし、本当にゲンジがやられたというのか? マーカーの間違いじゃ」
問いかけるチアキの声に、「まず間違いないで」とマサキは返す。
「どうして? だってこの最深部は電子機器の干渉を許さないんじゃないの? ゲンジ艦長もそれにやられたと考えれば」
疑問を含んだ声音はカミツレだ。二人ともポケモンを出して戦闘態勢に入っている。バシャーモはゼブライカの背に騎乗し、さながら騎士のような威容をかもし出している。
「ワイもそれは考えた。でもな、ワイの技術はその程度で掻き消されるもんとちゃうねん。ゲンジのマーカーは手持ちであるタツベイと同期していた。そのタツベイの生命反応が限りなくゼロに近づいたっちゅう事は、ゲンジ自身も危ういところにいると考えてええやろ」
だが、これは一番試算したくない確率だった。ゲンジがやられた、というのは純粋には考え辛い。正直、危機の故障であって欲しいと言うのが本音だ。それに、ゲンジとて実力者。それを破るだけの人間など、そういて堪るか。
「最深部には、確か伝説の三体が安置されているのだったか」
ロケット団の研究所があった頃の名残だ。だが伝説の三体もユキナリ覚醒時にどうなったのかは不明である。
「誰かが封じたんやと思うけれどな。誰が封じたまでは分からん」
だが推測は立っていた。恐らく封じたのはフジだ。使ったのもミュウツーのボールだとすれば頷ける。しかし何故、フジは自らの計画の推進のために必要だった三体を自ら封じたのか。
悪魔の研究だったから、という理由は今さら通用しない。研究者とは自らの研究が禁忌に触れるものだとしても、それを分かっていて行動する。マサキもそうだ。それをフジが忌避したとは考えにくい。ミュウツーというのは禁忌の塊である。
ユキナリの弁ではフジ死亡後にミュウツーも形象崩壊したと言う。信じられないわけではないが、もしミュウツーが残っていればという危惧もあった。その力をよからぬ事に使おうという人間もいるだろう。真っ先に浮かんだのはキシベの顔だ。だが、キシベが何だというのか。客観視すればたった一人に何が出来るというのだ。キシベとて人間である。人間の領分を越えた範囲の行動は出来ない。
少なくとも常識ではそうだ。
「常識で動いとるわけやないよな。今さら……」
キシベがどこまで読んでいたのかは分からない。だがもしフジの死亡とユキナリの覚醒によって招かれるものが存在したのだとすれば。それを待つためにキシベの雌伏があったのではないか。だが、それとは何だ? マサキにはどうもピンと来るものがなかった。
「貴公、キシベと出会った場合、対抗手段は?」
「そりゃあんたらに頼るほかないな。ワイはポケモンを持っとらんさかい」
「随分と勝手なお願いね」
カミツレの声に、「堪忍したってぇや」とマサキは笑った。
「ワイ、ここまで手持ちなしで来とるんやで? それでも随分と役には立ったと思うけれど?」
相当な無茶をしている自覚はあった。イブキではないがポケモンの一体くらいは持っていても邪魔にならない。せめてこのポケモンリーグが終わってから、ゆっくりと手持ちを探すとしよう。
その時、降下のために使っていたアンカーが揺れた。
「どうやらワイヤーの長さ、ここまでみたいやな」
ニシノモリ博士に事情を話し、グレンタウンでの再調査を行う事を決定してから半日。グレンタウンは表向き活火山による破壊と伝えられているので重機を持ち出すのは難しくなかったが、その重機のレベルがポケモンに遠く及ばない。
「リフトでここまで降りられただけでも御の字だろう」
チアキとカミツレはそれぞれのポケモンに身を任せようとするがマサキだけはそうもいかない。やはり手持ちぐらいは探しておくべきだったか、と遅い後悔をしていると、「何だ……」とチアキが呟いた。
「どうした?」
チアキは目を凝らして、「穴の底だ」と口にする。
「何かが動いている。あれは、人工物の光だな」
目がいいチアキならではの言動だろう。カミツレは、というと手をひさしにして、「どこ?」と訊いている。同じジムリーダーでも差があるものだ、とマサキは感じた。
「何とかして降りられればええんやけれど」
「仕方がないな」
チアキはマサキへと手を伸ばした。
「私に掴まれ。妙な動きを見せなかったら何もしない。大丈夫だ」
妙な動き、というのはマサキの口調も入っているのだろう。マサキは口元をチャックする真似をしてから、「ほなな」と手を掴んだ。チアキは予想外に力が強く、マサキが引っ張り上げられたかと思うとすぐさまバシャーモによる降下を始めた。その勢いに思わずチアキにすがりつく。チアキは、「どこを触っている? 死にたいか」と睨みを利かせた。
「せ、せや言うたかて、この急転直下は……」
その言葉を言い切る前にバシャーモが穴の底へと着地する。少しばかりの粉塵が舞い散り視界を埋めた。マサキは放り投げられるようにチアキから離される。
「まったく。妙な動きを見せるなと……」
「そっちかって問題あるで。こんな勢いで落とされたら、誰だってびびる……」
抗弁を発する前に降り立ったゼブライカから同じように粉塵が舞い、マサキは咳き込んだ。チアキとカミツレは目配せする。
「おかしいな」
「おかしい? 何が?」
「さっきまでこの場所で、確かに人工物の輝きがあった。だというのに、今は人の気配すらしない」
「見間違いやたんやないか?」
マサキの言葉に、「それは考えられないんだ」とチアキは額に手をやった。
「私が見間違える事など」
「まぁ、どっちにせよ、誰もおらんのやったら、ワイらが作業しても何の問題も――」
その言葉尻を裂くようにチアキは目を向けてバシャーモに命じる。
「バシャーモ、ブレイズキック!」
バシャーモが即座に足を薙ぎ払う。それはマサキの頭上すれすれを狙って放たれたものたった。マサキが短く悲鳴を上げる。その瞬間、何かが視界を横切った。素早い動きで浮遊し、バシャーモの射程から離れようとする。だがバシャーモはそれを超える速度で追いすがり、爪を立てて捕まえた。
「こいつは……!」
驚愕の声音を含んだチアキの意味が分かった。マサキにも見覚えのある因縁のポケモンだったからだ。
「ポリゴンシリーズ……」
ポリゴンシリーズの第一段階、ポリゴンがバシャーモの手の中に捕まえられている。マサキは、「何でや……」と呟く。
「何で、ポリゴンが活動しとるねん」
「主を失っても、動くように設計されていた、というのは」
チアキの推論に、「ありえん」とマサキは首を振った。
「ポリゴンには電気を通さんと動かん。それは実証実験で何度も試しとる。今、この場でポリゴンに指示を出すためには電気を供給するしかないねん」
「あまり私が動かないほうがいい、のよね。話を聞く限り」
カミツレが一歩後ずさると、足元から丸みを帯びた物体が飛び出した。瞠目するカミツレへとポリゴン2が嘴の先へと破壊光線の光を凝縮していく。チアキが舌打ちをして手を薙ぎ払った。バシャーモの投げたポリゴンとポリゴン2がもつれ込んでバランスを崩す。破壊光線の光条はカミツレのすぐ傍の足元を掠めた。
「ぽ、ポリゴン2……」
カミツレは腰を砕けさせ、その場にへたり込む。「そのような暇はないぞ!」とチアキが檄を飛ばした。
「まだ来る!」
呼応したように地面からポリゴン達が飛び上がった。それぞれポリゴン、ポリゴン2、ポリゴンZの差異はあれど全員が破壊光線の準備にかかっている事だけは間違いなかった。
「どうすれば……」
「ワイに任せい! この周波数ならば!」
マサキはプログラムを走らせエンターキーを押す。すると破壊光線が中断された。チアキが、「何を……」と怪訝そうに振り返る。
「なに、こいつらはいわば精密部品や。少しだけ違う周波数をぶつけてやるだけで攻撃命令を中止する事が出来る。ただし、一度きりやけれどな」
マサキはチアキの名を呼ぶ。その間に片をつけろ、と理解したチアキはバシャーモに指示を出した。
「ブラストバーン! 全体を斬り捨てろ!」
バシャーモの手首から炎が迸り、瞬時に両手に長刀を形成する。片方を逆手に握り、バシャーモは身体に回転を加えて薙ぎ払った。マサキとカミツレは咄嗟に身体を伏せる。炎の波紋が広がり、ポリゴンシリーズの戦闘力を奪っていった。一撃の下でチアキは黙らせた。だが、ポリゴン達は本来の形状を失いながらもまだ浮遊し、電子音声を響かせる。
「不死身か……」
「いや、どっかで操っとる奴がおるねん。ポリゴンは痛みを感じへんから、完全に破壊するまでいつまでも使えるからな」
マサキは首を巡らせ、「おるんやろ!」と声を張り上げた。
「キシベ・サトシ……!」
その言葉にポリゴンの合間から電流が迸った。景色から透けて出てきたかのように人影が出現する。否、今までもそこにいたのだが見えないように細工されていただけだ。
「光学迷彩とは。ほんまにお前は、この時代の人間とは思えんな」
「それを言うのならばそちらとてそうだろう。私が隠れているのを見抜くとは」
「お前の腹黒い性格のこっちゃ。ワイらをただポリゴンと遊ばせるんやない、自分で見届けたいはずやと踏んでな」
マサキの指摘にキシベは肩を揺らして嗤った。チアキは警戒を強める。
「こいつが、キシベか」
チアキは数えるほどしか会った事がないのだろう。自分は、といえばその企みを探ろうとしていた人間だ。何度も、ではないがデータの上では名前を見ない日はなかった。
「ああ、こいつがこのポケモンリーグの裏で全てを操っていた元凶や」
マサキの言葉にキシベは肩を竦める。
「とんだ言い草だな。まるで世界の敵だ」
「そやろ。あちら側じゃ、お前は世界の敵やった」
「……驚いたな。あちら側の私の経歴を知っているのか?」
マサキは呼吸を整え、チアキとカミツレに目配せする。
「ええか、これから言う事は信じられんかもしれんが真実や。特異点は、実は二人やない。ユキナリとサカキ、それにキシベ、こいつを入れて三人なんや」
チアキが目を見開き、カミツレも驚愕の面持ちで聞き返す。
「でもヘキサツールには、二人って」
「ここからはワイの推測が入るがな」
マサキは前置きしてから指を一本立てる。
「あちら側のキシベは、もしかしたらヘキサツールを作った張本人とちゃうか? だから、自分の名前は入れなかった。意図的に排除された名前、それがキシベという存在」
「面白い冗談を言うのだね」
「悪いが、冗談ちゃうで。キシベ、何の証拠も根拠もないけれどな、全ての事象がお前に結びつくねん。これを特異点と呼ばずして何と呼ぶ? お前は隠された、三人目の特異点や。それを、自覚している、稀有な男やっていうんがワイの推測や」
マサキの説明に、「だが」とチアキが疑問を挟む。
「特異点だとすれば、常にサカキと共にいた。何故、ユキナリに破滅が誘発されてこいつには適応されなかった?」
「簡単な話、こいつ、手持ち持っとらへんからやろ」
チアキは、「ポリゴンシリーズは」と周囲を見渡す。
「所詮、操り人形や。考えてもみてみぃ。ユキナリですら、ポケモンとの接触を切れば特異点としての機能はほぼ無力化された、とヘキサで結論付けられていた。だっていうのに、こいつはポケモンを手持ちにした事もなければ、使うような事もない。ホルスターのそれ、飾りやろ」
マサキが顎をしゃくる。キシベの腰にはモンスターボールがつけられていたが、それを掴んでキシベは開閉ボタンを押し込む。中はブランクだった。
「よくそこまで見抜いたものだ。だが、という事は私の闇を直視した、と考えていいのかな?」
「闇、だと……」
チアキがうろたえる。マサキが裏切る可能性を視野に入れたのだろう。さすがはジムリーダーだ、と感服し、「ワイは裏切らんよ」と答える。
「確かにな、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている、ってのは心得とかへんとあかん事や。殊に研究者は常にそうでな。深淵に呑み込まれればそれまでや。キシベという闇。ワイも引っ張り込まれかけたが、何とか持ち堪えた」
「果たして真実かな。チアキ、カミツレ、君達はこの男を信じていいものか、どうか」
キシベの問いかけに心を乱されたようにチアキとカミツレはマサキを気にする。マサキは、「疑われても仕方ない」と開き直る。
「今まで散々鞍替えしてきたからな。ただ、揺るがんかったのはキシベ、お前の下には絶対につかんって事や。姐さんとも、約束したしな」
キシベは、「それは残念だよ」と心にもない事を言う。
「だがソネザキ・マサキ。君の根拠に欠ける仮説にはもう一つ、穴がある。私が特異点だとして、何を目的として動いてきたのか。どうしてロケット団を作ろうと思ったのか。動機のない行動に関して意味を見出せなければ同じ事だ」
「その辺は分かっとるで」
マサキの言葉が思いもよらなかったのか、キシベは嘆息を漏らす。
「ほう、ならば聞かせてもらおうか。私の計画を」
「お前の計画には二つのものがまず必要やった。それはユキナリとサカキ、二人の特異点」
マサキは説明を始めながら端末を操作する。今までのデータから推測したキシベの計画。それは遠大なものだった。
「まずはユキナリやったんやろうな。ユキナリが特異点として覚醒するように、お前は旅の目的を自分の言葉とした。ある意味では呪いみたいなもんやけれど、ユキナリの旅路において必要なのは悪の組織やった。いわば敵、やな。その配置としてロケット団を作り上げた」
「面白い仮説だが、それだとロケット団は壊滅が前提のように思える」
「せやろ。その通りに、お前は壊滅させるつもりやった。この次元での、前の次元と異なるのはそれが一番やろうな。シルフカンパニー傘下のロケット団の駆逐、及び自分に必要な、言い換えれば従順な駒の確保。イレギュラーの存在しない、自分のためだけの組織。それを作り上げるために随分と苦心したんとちゃうか?」
キシベが口角を吊り上げる。自分にその後の仮説を続けさせるつもりだろう。マサキは言葉を継いだ。
「ミュウツー、フジ博士、これもお前からしてみればイレギュラーに見えて、実は計算のうちの動きやった。裏切りも、離反も計算して、お前はある目的を果たそうとしとった。それはユキナリの覚醒と解放、そして封印」
チアキとカミツレも固唾を呑んでマサキの仮説を聞いている。今までの状況が全て仕組まれたと分かっていればそれも無理からぬ事だろう。
「封印はフジがやると結論付けておいて、お前はそれまでに揃えるべきピースがあった。伝説の三体の鳥ポケモン。さらには、もう一人の特異点サカキ」
マサキはサカキのデータを呼び出す。サカキについてはロケット団本部でもほとんどのデータが削除済みだったがマサキがアクセスしたのはネメシスのデータだ。その中にサカキのデータがあった。それは精神疾患の患者のデータだった。
「サカキは、悪夢に苦しめられていたらしいな。幼い頃からずっと。さらにもう一つ、サカキの前では全てのポケモンが言う事を聞いた。このデータを秘匿したのは誰もがサカキを恐れたからや。サカキは人の輪から外れ、心はボロボロに荒み切っていた。その心の隙間をついたんやろ。お前にはサカキが何故苦しんでいるのか分かっとったはずやからな」
「どうしてサカキに関して私が分かったと言える? サカキのデータを遡る事すら困難のはずだ」
「なに、簡単な事や。こっちの次元のサカキの苦しみを知るんじゃなくって、あちら側の次元のサカキの苦しみを知れば、こっちの悩みくらいは推し量れる」
「あちらの次元……、ちょっと待て、マサキ。その前提ではこいつは別次元のサカキの人格を知っていた事になるのではないか?」
チアキの疑問にマサキは、「そうや」と首肯する。
「それが特異点たる所以。キシベ、お前はこの次元で唯一、ヘキサツールの予言が解読出来る人間やったんやな」
その事実にチアキが目を慄かせた。カミツレも、「そんな事って……」と言葉を失っている。ヘキサツールは解読不能の預言書。その前提条件が崩れようとしているのだ。
「何故、私が解読出来ると?」
「せやなかったら、サカキの事も、ユキナリの事も予め知る事は出来んはずやからな。一番核心に近いとすれば、それしかない。でもな、ワイも分からん事があるねん。どこでヘキサツールを見たのか? ヘキサツールのレプリカはヘキサとロケット団にあったが、オリジナルのヘキサツールじゃなければ解読なんて出来んはずやからな。ワイはその条件に合致する人間を探した。するとな、一人だけおるねん。ヘキサツールに近づけて、なおかつ解読出来る人間が」
マサキは指を一本立てる。その指が震えていた。これから話す事は禁忌に繋がる。もしかすると、まったく見当違いの方向かもしれない。だが、確信がある。これを話せばもう戻れないと。
「カントーの王、崩御したはずのそいつならば、ヘキサツールに充分に近づく事も、解読も可能やったはずなんや。カントーの王が誰かなんてほとんど語られんからな。王の名前だけが刻まれとるだけやし、死を偽装して、先王はお前という人間へと成り代わった。キシベ・サトシ、いいや、王、グリーンか」
マサキの言葉にチアキは驚愕の面持ちでキシベを見やった。先王を前にしているとなれば自然と身体が強張るのだろう。「で、でも」とカミツレが声にする。
「先王だとすればポケモンは所持しているはず。それに、さすがに遺体の処理や、自分の死を偽装なんてそんな大それた事……」
「出来るはずがない。せやな、そう思うのが自然や。ワイもネメシスのキクノから自らの手で先王に止めをさしたと聞かされた。だけれどな、死体をどうしたとか、そもそも先王が無抵抗に殺されたとか、そういう事は一切聞いてないねん。自分が殺した、言うても証拠は全くない。その話を無条件に信じるには少し抵抗があった。だから、ワイはその時間、ほんまに先王が玉座にいたのか確認をした。何度もデータを洗い直し、ネメシスに留まっていたのはそれも理由やった。結果として分かったのは、ネメシスには重大な見落としがあった事や」
「重大な見落とし……」
「キクノの話は八割が真実やとしよう。でも二割は嘘やった。簡潔に言うのならば、ステルスロックを当てて殺そうとしたところまでは本当。その証拠に、キシベ、お前の身体中、実は傷だらけなんやろ? だからもうポケモンが使えん」
カミツレは黒衣を身に纏ったキシベに視線を向ける。指先まで手袋で覆われており、皮膚が見えなかったがキシベは、「面白い冗談だ」と返した。
「私が先王。そこまで飛躍した理論を組み立てられるのは才能かな? 研究者というものは解せない」
「ワイも最初はお前だって研究者やと思っていた。それは半分正解で半分間違っていたんやな。このカントーの玉座についていた人間。顔は整形か? この時代ならば顔と声質が違えば別人も同然やもんな」
キシベは肩を竦め、「陰謀論だな」と感想を述べた。
「映画のシナリオにでもするといい」
「ワイも思うで。映画とかフィクションならばどれだけええか。でも、お前がヘキサツールのオリジナルを知っている理由を探すと、これしか思い浮かばんねん。そりゃネメシス関係者も考えたが、頭目であるキクノがそれについては否定した。自分の権限より下の人間にはヘキサツールの真実は語られていないと。所詮はレプリカントのメディカルチェックレベル。こっちのほうが信用には足るな。それにヘキサになってからもずっと調べたけれど、お前のキシベ・サトシって名前、存在しない名前やねん。カントーの何万人の戸籍謄本から調べ上げた結果や。まぁ、ジョウトの出や他の地方も考えはしたが、それやとお前のもう一つの顔であるトキワシティジムリーダーの説明が出来ん」
マサキの発した言葉に、「何だと?」とチアキが反応する。
「トキワシティジムリーダーという事は最後のジムリーダーであるという事か? ヤナギ達の報告では、確か不在だったと言うが」
「こいつは、最後のジムバッジを隠し持っていた。サカキのためにな」
「そのサカキも、何でこいつは擁立していたの? 自分が戦闘不能の状態だからって諦めるような人間だとは思えない」
カミツレの感想にマサキは、「最初からや」と応じる。
「最初から、自分の死の後にサカキを擁立した組織、ロケット団を作る事は決められていた。何でこうまでサカキにこだわったのか。推し量るにサカキはもう一つの次元でのロケット団の重要ポジションやった。考える限りでは幹部か? まぁそれはええんや。問題なのは、こいつはサカキを必要としながら、全く別の事を考えとった」
「別の事……」
チアキが思案する。キシベは、「もう答えを言ってやるといい」と促した。
「私の考えの全てを、君は知っているのだから」
やはりか、とマサキは感じると同時にこのおぞましい計画の末を語り始めた。
「特異点、サカキはきっかけに過ぎない。こっちの次元のサカキを必要としていたのではなく、こいつが本当に欲しかったのは向こうの次元のサカキやった」
「向こうの次元……」
「ユキナリの報告は何一つ間違ってなかったんや。次元の扉がどうしてグレンタウンで開かれたのか。それはミュウツーと三体の伝説をキーとして破滅の現象を誘発し、サカキをこっちの次元と向こうの次元で交換する。特異点サカキの目的はそれに尽きていた。キシベ、お前の最終目的は別次元のサカキを王にする事やな?」
確認の声にキシベは頷かない。ただ、肩を揺らして嗤っていた。狂気だ、とマサキを含めた三人は感じ取る。サカキという一個人をただ単に自分の計画を推し進めるための駒として数えていた。
サカキを交換条件にし、もう一つの次元のサカキを呼び寄せる。通常ならば及びもつかない計画だがヘキサツールを解読していたのならばそこに至る道標を正確に辿る事が出来る。ただそれでも気が遠くなるような計画だろう。一つでもミスをすれば終わりの計画。だが、キシベの思った通りに世界は動いた。それは何もキシベが特異点だからだけではない。全員がキシベとサカキを押し上げるために存在していたと考えるのが筋だろう。
「だが、サカキを王にして、その先はどうするのだ?」
「そうよ。サカキが王になったからと言ってキシベ、あなたの未来が確約されるわけじゃない」
チアキとカミツレの疑問はもっともだが、マサキにはその先の目指すものも見えていた。
「ちゃうねん、お二人さん。こいつは自分の未来なんて考えとらん。ただ一つだけ、考えとるんは、歴史改変。三十年後に存在するはずのロケット団を興し、三十年後の技術であるミュウツーを造り上げ、未来にいるはずのサカキを呼び寄せた。それらの答えの導く先はロケット団という組織の支配。こいつは自分が死ぬ事さえも勘定に入れてる奴や。たとえばワイらがここでキシベを殺したとして、キシベは何ら焦る事はなく、全てをサカキに任せるつもりやろう。こっち側のガキのサカキちゃう、別次元のサカキならば王になれば絶対的な支配が完成するんやと信じとる」
「絶対的な支配……」
「そんなものために……」
二人が言いたい事は分かる。そんなもののためにたくさんの人命が失われたのか。だが血で贖う以外にロケット団を再建させる事など不可能だったのだろう。キシベはこの状況でも落ち着き払った様子で呟く。
「ソネザキ・マサキ。夢は見るか?」
「……いや」
「私は毎日見る。眠りが浅くても深くても。私は娘を抱いているのだ。名前はルナという。その娘が愛おしくって仕方がない。妻は思い出せないが娘の事は明確に分かる。私は研究者らしく、白衣を纏って研究に没頭しているのだが、よく場面が飛んで培養液のカプセルが居並ぶ光景を目にするのだ。その中には愛娘のルナの似姿達が並んでいる。どうやら向こうの次元では私の娘は研究者共に切り刻まれ、解体され、その挙句にクローンまで造られるらしい」
キシベの言葉を戯れ言だと判断する事も出来る。だがそうしないのは、特異点ならば別次元の自分の存在を感知出来てもおかしくはないと思えるからだ。
「私は絶望し、ロケット団、否、世界への復讐計画を練り始める。ロケット団残党に紛れ込み、ヘキサなる組織を興して街一つを質量兵器としてカントーに落とそうとするが失敗し、私は自我を封じ込めたカプセルと共に消滅する。ここまでが夢の内容だ。突拍子もない、と感じるか? それとも誇大妄想だとでも? だがね、私にはそれが信じるに足る事実だと言う確信があるのだ。もう一つの次元の私はそのような選択をしたのだろう。こちら側で未来の悲劇を封殺するためにどうすればいいのか、色々と考えたよ。だが、何もしなければ私は同じ事をしてしまいかねない。繰り返し、だ。だがこの次元で私は僥倖な事にサカキとオーキド・ユキナリと同時代を生きる事が出来た。特異点、という二人の特性を解読し、私はとある決心をした。もう二の轍は踏まない。こちらの世界を救うために、私は動こうと」
「それがロケット団とサカキによる絶対的支配やと言うんか」
「サカキがいないがために、向こうの人々は惑った。だがこちらにはサカキがいる。そして、私の手の中にある。ならば、と考えたのがこの計画だ。支配というのは全ての幸福に直結する。私は支配被支配を否定するつもりはない。それが絶対者の行動ならば衆愚は従うしかない。先導する者が現れれば、こちらの世界では間違う事がないはずだ」
「……狂っている」とカミツレが口元を押さえて呟く。マサキも同じ気持ちだったが果たして本当に狂気に埋没しているのだろうか、とも考える。狂っているのは世界のほうで、この男は正常なのかもしれない。世界を見据えてしまう能力ゆえに他人とは別の道を歩まざるを得なかっただけで。
「さてお喋りはこの程度にしようか」
キシベは手を振るう。ポリゴン達が浮遊して破壊光線を充填する。
「私はロケット団で君達はヘキサ、いや、この世界の強制力の一つか。私を止めに来たのだろう? 私もね、ある意味では君達を待っていた。運命はどちらを選ぶのか。私か、それとも他の人間か」
チアキはバシャーモを呼びつける。ゼブライカに騎乗したバシャーモはゼブライカから放たれる加速のエネルギーを得る。ゼブライカの蹄から炎が迸り、電流をその身に纏い付かせた。バシャーモはそれと相殺するように身体から炎を迸らせる。たちまち白熱化し、白いバシャーモと化した。両手に提げた炎の長刀を交差させる。
「言うとくけれどな、ワイらは未来を諦めとらへんし、そんな簡単に投げ捨ててええもんやとも思ってへん。未来を切り拓く力はこの次元の人間にもあるはずなんや。それを、身勝手な理由で奪っていいとは思わんな」
マサキの言葉にキシベは意外そうに息を漏らす。
「君がそう言うとは思わなかったな。利己主義の面が目立つ研究者にしては、なるほど、少しばかり非合理だ」
「人間なんて非合理に出来とるねん。考えている事も、何もかも非合理そのものや。でもな、その非合理を愛する事が、最初に人間の出来る事やと、ワイは思う。思えるようになった」
「愛か。……気安く愛を語るな、と激昂するのも悪くないが生憎こちらの私は愛も知らなければ憎悪も知らない。ただの器だ。憎しみの果てにこの状況に晒されたわけでもないし、愛ゆえに誰かを利用したわけでもない。ただ単に、真実を知ってしまった人間の務めとして、この役目を演じていただけだ」
役目を演じる。キシベはまさしくそうなのだろう。特異点でなければ、という仮定は無意味だ。キシベは特異点の必然があった。特異点としてヘキサツールの真実を解読する。それこそがこの次元での役割だったのだろう。
「一つ聞かせてくれ。キシベ。ほんまに四十年後にはこの次元はなくなるんか?」
ネメシスが信じ込んでいる破滅。それに直結する現象を何度も見てきた。だが、それは本当なのか。誰かが歪めてしまった世界の真実ではないのか。キシベは口元を緩める。
「瑣末だよ。滅びの前では感情などね。滅びは訪れるよ。この次元の人々は等しく死に絶える」
「それに関して思うところはないのか」
チアキが口を差し挟む。あまりにキシベが人間離れしているように映ったからだろう。彼の中に一欠けらでも人間らしい部分を見つけようとしたのだ。だが、キシベは首を横に振る。
「ないな。滅びるのに感情など」
キシベは無機質に告げる。その様子にチアキの心は固まったようだった。
「……そうか。ならば私も、心を捨てて鬼となって貴公を討とう」
バシャーモが咆哮する。ポリゴンシリーズが破壊光線を放とうとするのをフレアドライブによって加速の最果てへと至ったゼブライカとバシャーモが跳び越えた。二本の刀を振るい上げ、一本に纏める。それが遺伝子のように絡まり合い、一つの炎の奔流となって空気を圧迫した。
「全力でいくぞ。ブラストバーン!」
振るい落とした剣閃がポリゴンシリーズを根こそぎ焼いていく。次々と沈黙していくポリゴンを視界の隅にやりながらキシベは口角を吊り上げていた。
「キシベっ!」
チアキの声が弾け、長刀を提げたバシャーモが肉迫する。キシベは抵抗する事も、ましてやポケモンに頼る事もなかった。薙ぎ払われた一撃によってキシベの身体が分断される。チアキは、「やったか」と口にする。
「そうだな、全て、ヘキサツールの予言通りだ」
キシベの口から出た言葉にマサキは目を見開く。駆け寄ってその身体を揺すった。
「おい! どういう事やねん! これも、お前の死でさえも、予言に組み込まれていたっちゅうんか?」
キシベは既に答えない。完全に息絶えていた。マサキは歯噛みし、「ゲンジを探すで」とチアキ達に振り返る。
「だが、こいつは死さえも計算に入れていたのか? それに先ほどの話も統合すればこいつが死んでもサカキさえ王になれば――」
「今は、余計な事は考えんほうがええ」
マサキはそう口にしてキシベの遺体を野ざらしにした。このグレンタウンの最深部で、誰にも悟られずに死ぬ。それさえも運命だというのか。それを受け入れる事がキシベの計画の中に組み込まれていたのだとすれば、超越者というほかなかった。
「……ねぇ、結局キシベは本当に先王だったの? だとすれば何を思ってこのカントーという土地の真実を見つめたのかしら。何を思って、二度も死んだのかしら」
カミツレの質問に答えるだけの口を、マサキは持ち合わせていなかった。