第百九十話「BLAZE W」
サカキが生きている、などという冗談が通用するとは思えない。
だが、目の前にいるのはサカキ本人だ。どこも取り違えようがない。変わっているのは手持ちだった。前回はニドクインだったのがニドキングというポケモンになっている。
「僕が、負ける……?」
放たれた言葉にユキナリは放心する。サカキと相対したプレッシャーはそのままに、「言葉通りの意味も通じないか?」と挑発した。
「僕は、負ける気はない」
相手が生きているはずのない、亡者であろうとも押し通り突き進む。それが勝利への道。強者の頂だ。
「僕は勝つためにここに来ている!」
オノノクスが相乗して咆哮し、黒い光芒を放った。ニドキングはしかし、腕を薙ぎ払っただけで弾き飛ばす。
「……嘘だろ。ドラゴンクローを、何の技でもなく弾いただって?」
目の前の現実が信じられずに呟くと、「今のがドラゴンクローだと?」とサカキも釈然としていない様子で手を払った。
「ドラゴンクローが光線になっている、というのはキシベの妄言でもなく真実だったか。俺のいた次元では、そういう使い方をしてくるオノノクスはいなかったが、特異点だからか? まぁ、いいさ。ドラゴンクロー、今の攻撃が全力だと言うのならば、止めるコツは掴んだ」
サカキの言葉にユキナリは、「全力だって?」と再び命じる。
「こっちだってまだ全然力を出していないんでね。オノノクス、ドラゴンクロー、拡散!」
オノノクスの牙に纏いついた瘴気が弾け飛び、短剣となってニドキングを包囲した。さしものニドキングといえども包囲陣の攻撃に狼狽している。サカキも、「何だこれは……」と呟いた。
「これがドラゴンクローだというのか」
「これが、僕とオノノクスが編み出した攻撃だ! 食らえ、サカキ!」
短剣が一斉にニドキングへと襲いかかる。しかし、ニドキングは大した防御も、ましてや攻撃に転じる事もない。サカキはまだ納得していないが、「ならば」と対抗する面持ちになった。
「消し飛ばせばいいだけだな。啼け、ニドキング」
ニドキングが腹腔から渾身の声を放つ。その音波だけで短剣の「ドラゴンクロー」が霧散した。命中する前に四方八方全ての短剣が掻き消えたのである。ユキナリは瞠目していた。今の現象が信じられない。
「鳴き声だけで、ドラゴンクローを消した……?」
今のは攻撃でも何でもない。ただ咆哮しただけだ。その気迫がこちらの攻撃に匹敵したと言うのか。頭の理解がついて来ていないユキナリを見やり、サカキはネクタイを緩める。
「どうやら少しばかり本気を出す必要がありそうだな。だが、オノノクスならば確か単一ドラゴンタイプのはず。打ち破る術は、これで行こう」
サカキが手を薙ぎ払う。ニドキングがオノノクスへと猛進していく。ユキナリは咄嗟に、「防御を!」と叫んでいた。オノノクスとニドキングが組み合う。ニドキングはオノノクスの防御をいとも簡単に掻い潜り、顎へと一撃を見舞った。同調状態にあるユキナリは衝撃で視界がくらくらとする。
「受けるだけじゃ駄目だ。オノノクス、その間合いなら外しようがない、ドラゴンクローを叩き込め!」
オノノクスが黒い瘴気を片方の牙に纏い付かせ、そのまま打ち下ろそうとする。斧のような形状となって凝縮された一撃はニドキングを肩口から切り裂くはずだった。だが、ニドキングはまさかの行動に出る。
「受け止めろ。お前ならば容易だろう?」
サカキの指示は信じられないものだった。技を真正面から受け止める? 不可能だ、と思い立つよりも無謀だった。
先ほど光線の「ドラゴンクロー」を弾いたとはいえ、今度は牙に纏い付かせた高密度の攻撃。渾身の一撃に等しいそれを破る事は容易くないはずである。無茶な指示をポケモンは聞けない。その場合、戸惑うか混乱で無策な行動に出る事が多いのだが、ニドキングはそのどちらでもなかった。正気を保った眼光で睨み据え、掌で黒い牙の一撃を受け止めた。衝撃波が円形に広がり、砂塵が舞い散る。ニドキングは素手で「ドラゴンクロー」を白刃取りしていた。
「そんな……。僕のオノノクスの攻撃を」
受け止めるだけではない。白刃取りなど。ユキナリが恐怖に目を戦慄かせているとサカキは喉の奥でくっくっと嗤った。
「この程度か、こちら側というのは。まだトレーナーも発展途上に映る。向こうほど血沸き肉踊る戦いは期待出来そうにないな」
サカキはさも愉快そうに指を鳴らす。するとニドキングが牙ごとオノノクスを持ち上げた。驚くべき膂力に言葉を失っているうちに、サカキは指を鳴らして鼻歌を口ずさむ。ニドキングがオノノクスの顔面を洞窟の壁面へと打ち付ける。そのまま引きずって走り出した。オノノクスと繋がっているユキナリへとそれは間断のないダメージとなって伝わる。
「何を……、楽しんでいるのか……」
言葉を発する事さえも儘ならない。サカキを突き動かしているのは何だ? ミュウツーで対峙した時とは本質が異なっているように思われた。
「ニドキング、首をひねり上げてそのまま地面に打ち付けろ」
サカキの指示に忠実に、ニドキングは動く。同調しているようではなかった。サカキの命令にニドキングはそれ以上でも以下でもなく、その通りに動いているだけだ。オノノクスが思い切り地面に叩きつけられる。起き上がろうと思惟を飛ばしかけた矢先、頚椎を踏みつけられた。ニドキングの攻撃はほとんどバトルの体をなしていない。まるで遊んでいるかのようだ。
「僕、は……」
「同調しているのか? 通りで強力なはずだ。だが、その程度ならば何の問題もない。脅威度判定は低い。オーキドの若い時と聞いて少しばかり警戒していたが、やはりそれほど強くはなかったか。なに、伝説には尾ひれがつくものだ。オーキドが昔強かった、というのを何度も聞かされたものだが、それももうろくした老人の言い分か」
サカキは半ば諦めたようにユキナリを眺める。ユキナリは我慢ならなかった。今、ニドキングに手も足も出ない状況もそうだが、何よりもサカキに馬鹿にされている事だ。奥歯を噛み締め、「何が……」と声にする。
「何が、この程度、だっ!」
オノノクスの牙から黒い瘴気が立ち上り、刃の鋭さを伴ってニドキングへと襲いかかった。ニドキングは咄嗟に飛び退くが瘴気はニドキングを捕捉して追尾する。遂にはニドキングが腕で振り払うしかなかったが、ニドキングの腕に吸い付いた瘴気はそれで終わらなかった。すぐさま千本の刃へと転じ、ニドキングの腕を貫く。サカキがここに来て初めて眉をひそめた。
「……今の攻撃。それに、オーキド……」
サカキは立ち上がったオノノクスよりもトレーナーである自分を見つめている。ユキナリは瞬間的に完全同調を果たしたせいで荒い息をついていた。
「赤い眼……、それがキシベの言っていた脅威か。この世を破滅に導くという特異点の力。まぁ、チャンピオンロードの中ならば破滅の扉の開きようがないだろうがヘキサツールの前となればそうもいかないだろう」
ヘキサツールの名にユキナリは肩を震わせる。何故、知っているのか。サカキは胸元をさすった。胸に光るバッジにユキナリは瞠目する。葉っぱの形状を模した緑色のバッジがあった。
「それは……」
「オリジナルのグリーンバッジ。この次元では意味があるらしいな。バッジを八つ集める事が。オーキド。残り七つを俺に献上しろ」
サカキの要求にユキナリは睨みつけ、「誰が」と吐き捨てた。だが、同時に考える。どうしてサカキの手に最後のバッジがある? 誰かが手引きしたのか。最後のバッジはジムリーダー不在のために存在しないはずなのに。
その段階になってユキナリはある推論を頭に浮かべた。だが、それはにわかに信じがたいものだった。
「……最後のジムリーダーが加担している?」
認められたくなかったがサカキは、「その通り」と首肯する。
「最後のジムリーダーの名前はキシベ・サトシ。お前がこの次元で信じ込んだ人間であるらしいな」
ユキナリは衝撃を受けると共にある程度、考えには上っていた。トキワシティでどうして彷徨っていたのか。どうして自分に声をかけたのか。全て、ジムリーダーであり、この旅の目的を作らせるためだとすれば合点もいく。信じていたものが崩れ去る音が響き渡った。
「キシベが最後に選んだのは俺だった。オーキド、お前ではない」
サカキの言葉にユキナリは、「それでも」と返す。以前までならば絶望していたかもしれない。だが、ヤナギとの戦いを経た自分には、揺さぶるような材料にならなかった。
「僕は進むと決めたんだ。誰かの思い通りになっているのかもしれない。それでも、僕自身が勝利を得るために」
それは散っていたフジへの手向けでもある。ユキナリの言動が意外だったのかサカキは嘆息をつく。
「……話が違うな。これを言えばこいつは完全に戦意を喪失するだろうとキシベは踏んでいたが。まぁ、いい。その程度で全てを投げ打つような精神の弱い人間と、戦うつもりもない」