第百八十九話「BLAZE V」
「さて。あいつらも世話が焼ける」
ヤナギは嘆息を漏らす。
ヘキサで苦楽を共にした事が仇となったか。あの二人に余計な感情が芽生えようとしている。
今までは必要なものだけを取り揃え、不要なものは切り捨ててきた。だがユキナリとの決着の最終局面、それだけで人生は成るものではないのだと気づけたのだ。響き合える人々が、お互いの音を奏で世界は回っている。当たり前の事に今まで気づけなかった。己の不実にヤナギは自嘲する。
「皮肉な事だ。まさか誰よりも玉座を目指していた俺が、その一線から退いて足止めの役割を買って出るとは」
これも出会いの成せるものなのか。
ヤナギは向かってくる後続集団を視界に入れた。少女がポケモンを伴って一直線に駆け抜けてくる。海草のような薄っぺらい表皮が紫色に透けている。海底にいたとすれば景色と見分けがつかないであろう保護色に包まれた細長いポケモンであった。見た事がないがだからと言って退くつもりもない。
ヤナギは遮り、「お前らをここから先に通すわけにはいかない」と立ち塞がった。その言葉に細長いポケモンに跨った少女が眉をひそめた。
「あら、何様のつもりなのよ?」
「悪いが通せないんだ。なに、少しの間だけさ。理解してくれると助かるのだが」
「わたしのエースであるドラミドロを前にしても、そんな台詞が言えるの?」
ドラミドロというらしい薄っぺらいポケモンは身体を揺らめかせている。本来、陸にいるようなポケモンではないのかもしれない。僅かに体表が湿っている。
「悪い事は言わないが」
「そのような勝手なルール。はいそうですか、と頷くわけにもいかない」
あとから続いて声を発したのは銀色の髪に長身の青年だった。デボンの御曹司、ツワブキ・ダイゴ。厄介な相手が後続集団に混ざっていたものだ、とヤナギは舌打ちする。
「優勝候補が、ここまで来るとは」
ちら、と視線を振り向けるとイブキだけは何も言おうとはしない。イブキには緊急事態だという事が分かっているのだろう。ヤナギはまず、ダイゴと少女を相手取らねばならなかった。
「ツワブキ・ダイゴ。あとは」
「ドラセナよ。同じカンナギタウンから出ているのに、どうしてだかシロナばかり注目されていたけれど。シロナはいつだってそう。わたしのほうが実力は上なのに、いつも上から見下して……」
どうやらシロナとは確執があるらしい。ドラセナは、「でも」と顔を明るくさせた。
「ここにシロナはいないって事は、彼女棄権でもしたのかしら。わたしの実力に恐れを成したわけね」
ヤナギはこの少女にシロナの経緯を説明するのも馬鹿馬鹿しくなり、「どうだろうな」と適当な声を放った。するとドラセナの表情が笑顔のまま強張っていく。
「……わたしを軽くあしらうような人間は許さないわよ? よく出来た二番手ねー、なんて褒められたって」
ドラセナはどうやら押し通るつもりらしい。ダイゴへと視線を振り向けると、「ぼくだって、一応はトレーナーさ」と肩を竦めた。
「彼女と同じ気持ちかな。カンザキ・ヤナギ。君の思い通りにはさせない」
デボン社特製のモンスターボールを放り、ダイゴは手持ちを繰り出す。四つの脚部を有する銀色の戦車のようなポケモンだった。赤い瞳孔が射る光を灯す。X字の意匠が中央に刻まれていた。
「メタグロス。彼に分からせよう」
臨戦態勢なのはお互い様だった。ヤナギはため息をつき、「少しの間でよかったんだが」とホルスターからボールを引き抜いた。
「そちらがその気ならば仕方がない。俺のわがままを聞いてもらえないのならば、こちらも強硬手段だ」
ドラセナが手を薙ぎ払い、「ドラミドロ!」と声にした。ドラミドロが地面を跳ね、尻尾を突き出した。
「ドラゴンテール!」
尻尾が切っ先の輝きを放ち、ヤナギへと真っ直ぐに放たれる。ヤナギは短く言葉を発する。
「氷壁、レベル4」
直後、空気が氷結し、氷の壁が音もなく現れた。ドラミドロの攻撃が氷壁の前に弾かれる。信じられないものを見る目つきでドラセナが瞠目した。
「何よ……、それ」
「見えているものだけが答えだ。行くぞ、マンムー」
相棒の名を呼ぶと、ボールから出されたマンムーが茶色の毛並みを揺らして咆哮する。キュレムを使っている間もマンムーのメディカルチェックは欠かした事がない。マンムーにいつでも切り替えられるように準備をしていた。
久方振りの戦闘に心躍っているのは何も自分だけではない。マンムーも主と戦える事を誇りに思っているようだ。
「氷の壁なんて、ちょこざい真似を!」
ドラセナが苛立ちを露にし、「ドラミドロ!」と呼びつけた。ドラミドロは筒先のような口から鉄砲水を弾き出す。
「ハイドロポンプ!」
ヤナギは手を繰って氷の生成を操る。マンムーに即座に命じた。
「瞬間冷却、レベル4」
レベル4の瞬間冷却で命中する前に「ハイドロポンプ」を無力化する。自分には出来ない範疇ではない。そう高を括っていたがドラセナはさらに命じる。
「ドラミドロの術中にはまったわね」
ぴくりと眉を跳ね上げる前に「ハイドロポンプ」が紫色に濁っていくのが目に入った。ヤナギは手を薙ぎ払い、「押し出せ」と命令するがその時には氷が融かされていた。融解性能を持つ毒の一種だ、とヤナギが判じた瞬間「ハイドロポンプ」の出力に上乗せされたその技が放たれる。
「ヘドロウェーブ!」
ヤナギはすぐに手を振り払い、「氷壁!」と眼前にある氷壁の強化をはかったが氷の壁はいとも容易く剥がれ落ちようとする。
「氷も融かす、か。熱性の毒、あるいは多様性のあるものか」
「正解は教えないわよ? ドラミドロの強みだもの」
迂闊であった。ドラゴン単一タイプだと思い込んでいたがまさか毒タイプの使い手だとは。ヤナギは舌打ち混じりに、「仕方がないな。マンムー」と呟いた。
「そうでしょう? 早くそこをお退きなさいよ」
「少しだけ本気を見せてやるほかなさそうだ」
ヤナギの声にドラセナが目を見開く。指を鳴らしヤナギはマンムーへと技を繋がせる。
「瞬間冷却、レベル5で氷壁を補強する。今まで、レベル3の氷壁だったからな。これで少しは持つだろう」
その言葉の直後、放たれた冷気が氷壁を固めた。毒に侵されかけていた氷の壁が持ち直す。ドラセナが目を戦慄かせた。
「どうした? まさか、この程度で毒タイプ使いを名乗る気じゃないだろうな?」
ヤナギの挑発にドラセナは拳を握り締め、「嘗めているんじゃないわよ!」と声を張り上げた。
「ドラゴンテールで至近距離へ!」
ドラミドロが跳ね上がり尻尾の切っ先を用いて氷の壁へと突き立てる。
「そこからヘドロウェーブ! ゼロ距離なら!」
「氷の壁が崩せると? 随分と短絡的なお話だな」
ヤナギはつまらなそうに指を鳴らす。
「氷の壁に触れているのならば触媒を使う必要もない。瞬間冷却、レベル8」
氷の壁から伸びた冷気の手がドラミドロを絡め取る。ドラミドロは氷の気配を感じ取ったのかドラセナの指示の前に飛び退いた。直後、空間が凝固し、先ほどまでドラミドロのいた場所を凍て付かせる。
「賢いポケモンだ。主人の猪突猛進気味な指示を受けず、自己判断で瞬間冷却を避けるとは」
ヤナギの言葉にドラセナはヒステリック気味に叫ぶ。
「何をやっているの、ドラミドロ! 早く倒しておしまい!」
「ドラミドロには分かっているのさ。相性上、マンムーは不利だという事がな」
それでもドラセナは退く気配がない。ここは一気に攻めて諦めさせるか、とヤナギが歩み出て瞬間冷却の手を伸ばそうとする。だが、それを防いだのはまさかのダイゴのポケモン、メタグロスだった。メタグロスはドラミドロの前に出ると鋼の腕で冷気を叩き落した。
「何を……」
「一方的に負けるレディーを見るのは忍びないのでね」
ダイゴの言葉に、「負けてないわよ!」とドラセナは声を張り上げるが、「冷静になるといい」とダイゴは忠告した。
「マンムーは氷・地面タイプだ。そのタイプ構成上、組み込んでいる技があるだろう」
ダイゴの言葉にドラセナはハッとした。
「地震……」
「そう。地震は貴女のドラミドロの弱点だ。毒・ドラゴンならね。一番受けてはならないのは瞬間冷却とやらの氷で動きを封じられ、そこに地震を打ち込まれること。そうなると、貴女がいくら泣こうが喚こうが待っているのは確実な敗北だ」
ダイゴの言葉にドラセナの興奮が収まっていく。分の悪い勝負である事をダイゴの口から聞かされたことによって冷静さを取り戻しつつあるのだ。ヤナギは歯噛みする。余計な事を口にして、何のつもりなのか。
「で、でも、どうしてあなたがそんな助言をするのよ?」
不可解な謎にダイゴははにかんで答える。
「なに、ぼくは負けるのが嫌いなんで。だから今からぼくのメタグロスと組んでもらいたい」
その申し出にはヤナギもドラセナも信じられなかった。「はぁ?」と明らかに嫌悪感を露にするドラセナに、「そう嫌な条件でもないはずだよ」とダイゴは笑みを浮かべる。
「ここでカンザキ・ヤナギの突破は絶対条件。そうでなくってもぼくらは優勝圏内でも最後尾のグループ。出来れば首位に追いつきたいところだろう?」
ダイゴは自分を売り込んでまで優勝に食い込むつもりだ。そのためには誰を利用しても構わないとする割り切りが見て取れた。
「……でも、あなたが勝つという可能性は」
「いや、あるよ。ぼくのメタグロスは鋼・エスパー。鋼は氷に弱点を突ける。まぁ、地震が痛いのは貴女と同じだが、どちらかがマンムーの鼻っ面に食い込めば、勝機はある」
ダイゴには驕った様子もなく、ただ事実のみを述べ立てているようだった。ドラセナが揺らぐ気配を見せる。ダイゴは、「そっちの優勝候補さんも、どうだい?」とイブキを誘った。しかし、イブキは突っぱねる。
「遠慮するわ」
その言葉にドラセナは、「同じドラゴン使いって言っても、箱入り娘さんじゃね」と小言を口にする。
イブキは歯牙にもかけない。旅の序盤ならば彼女の自尊心を傷つけたかもしれない言葉だが、旅が彼女を強くした。一事の気の迷いで動く事は断じてないだろう。ヤナギを信用している、というよりかは、ダイゴが信じられないから、という部分が大きそうだ。今までマサキというペテン師なのかそうでないのか判然としない相手をつるんできたからか、イブキの眼には迷いはない。だが、それを自分の口からドラセナに伝えたところで逆効果だろう。
「どうする?」
ダイゴの提案に、「受けるわ」とドラセナは応じた。
「二対一のほうが勝算も高いし」
どうやらドラセナは感情で動くタイプのようだ。ヤナギに勝てないままで時間を無駄に過ごすのが嫌なのだろう。最後尾、とはいえここで足止めを食らっている場合ではない、という焦燥が彼女に決断させた。
「では、ぼくのメタグロスで氷の壁を突き破るとしますか」
ダイゴは腕を払い、メタグロスに指示を出す。メタグロスは脚部を展開させて浮遊した。
「地震が怖いからね。電磁浮遊させてもらう」
「自分だけ安全圏に逃れるつもりか」
ヤナギの糾弾の声はしかしドラセナには届かない様子だった。「ドラミドロ!」とドラセナが呼びかけ、ドラミドロが筒先になっている口を突き出す。
「ハイドロポンプ!」
何のひねりもない、直線攻撃だ、とヤナギは氷結の手を伸ばそうとする。しかし、その合間を裂くようにメタグロスが接近する。ヤナギはメタグロスへと氷結範囲を伸ばしかけてはたと取りやめた。
「どうした? ぼくのメタグロスを凍らせてもいいんだよ?」
「何か手を打っているな。不穏な空気には触れたくないのでね」
氷結範囲を当初の予定通りドラミドロに集中させる。ドラセナは徐々に凍らされていく鉄砲水に恐れを成したがダイゴは涼しげに、「大丈夫」と口にする。
「ハイドロポンプの氷結はプラン通りだ」
「ほ、本当でしょうね?」
ドラセナは怪訝そうな目を向ける。ヤナギにはダイゴの目的とするところが今一つ分かっていないが、警戒すべきなのはドラセナよりもダイゴだろう。ドラミドロの搦め手は今のところ毒攻撃のみ。他のドラゴンタイプの攻撃がある可能性は捨てきれないが、あったとしてもドラゴンならば逆に効果抜群をつける。
だがメタグロスは厄介な相手だった。「でんじふゆう」によって地面タイプの技が命中しない。マンムーの戦略を切り替えるべきかと感じたが、マンムーにも負荷がかかる。何より、鋼の一撃が怖い。いくら瞬間冷却が達人の域とはいえ、氷の属性からは逃れられない。キュレムならば、と考えてしまう自分を内心叱責した。今のパートナーはマンムー、かねてよりの相棒だ。その相棒の隣で失ったポケモンの事を思い浮かべるなど。ヤナギはメタグロスを叩き落すために策を練った。
「マンムー。原始の力」
地面がくりぬかれ、巨大な岩となって持ち上がる。紫色の波紋が岩同士を繋ぎ止め、浮遊した。「げんしのちから」に切り替えれば瞬間冷却は扱いづらくなる。だが一度でもメタロスに触れればこちらのものだった。そのためには岩の技に一時的にせよ頼るしかない。岩が一斉に掃射される。しかしメタグロスは防御の姿勢を取る事もない。鋼の身体は全く動じなかった。
「メタグロスの鋼のボディを嘗めないでもらいたい!」
メタグロスが真っ直ぐ突き進みヤナギの氷壁の前で腕を突き出す。ヤナギは咄嗟に、「氷壁の補強を」と命じようとしたがマンムーは一拍遅い。メタグロスの鋼の爪が氷壁に食い込んで眩く輝いた。直後、爆発の音が連鎖し、ヤナギとマンムーへと襲いかかる。
「コメットパンチ!」
氷壁を打ち据えるメタグロスは勢いを止める事はない。何度も槌のように氷の壁を砕かんとする。ヤナギは歯噛みする。このまま防戦一方でいいはずがない。
「わたしはどうすれば?」
ドラセナの質問に、「今はぼくが攻めている!」とダイゴは自信満々に告げた。
「だから、ぼくを引き立たせるために貴女の攻撃が必要だ。コメットパンチで薄くなった氷壁をヘドロウェーブで完全に融解させる」
「分かったわ」
ドラセナはドラミドロへと命じる。「ハイドロポンプ」が一瞬にして紫色の濁流になった。
「鋼と毒のコラボレーションよ!」
「ぼくのメタグロスは相性上、ヘドロウェーブを受けない。この連続攻撃に、耐えられるわけがない!」
ダイゴの声音に乗せて毒の霧が浮かび上がる。氷壁が融かされ、水蒸気と化しているのだ。
「ヘドロウェーブが通った!」
ドラセナの声にダイゴは笑い声を上げ、「ここまでだ」と告げる。何の意味か分かっていないのか、ドラセナが疑問符を浮かべる間にメタグロスの脚部がドラミドロへと照準を合わせた。
「残念ながら、共闘のつもりはさらさらない。貴女の力は思っていたよりも高かった、と評価しておこう。バレットパンチ」
後ろ足が胴体から離れ、推進剤を焚いてドラミドロへと直進する。ドラセナは咄嗟にドラミドロへと防御を命じた。ドラミドロの身体に突き刺さった二本の腕から氷結が発生する。
「何ですって? ダイゴ、あなた裏切って――」
「最初からぼくはプランを持ちかけただけだ。それ以外は全て貴女の意思。ぼくは強制した覚えはない」
「裏切ったのね!」
ドラミドロが毒攻撃を浴びせかける。だが二本の鋼の腕には通用しない。発生した氷結の波がドラミドロを押し包み破裂した。鋼の腕そのものが冷凍爆弾となってドラミドロの動きを封じ込める。
「ドラミドロに、氷の攻撃を……!」
「メタグロスとて最も脅威とするのはドラゴン。覚える技だけでは芸がないだろう? 冷凍パンチを仕込んでおいた」
「騙したのね!」
怒り狂うドラセナとは対照的にダイゴは落ち着き払っている。
「まぁまぁ。こうして氷壁を突破してぼくのメタグロスは射程に入った。その点で言えば貴女を評価しないとは言っていないんだ。ただ、純粋に結局、ぼくが一番強くってすごいんだよね、って事さ」
ドラセナはダイゴへと殴りかかろうとするがそれを制するように、「駄目駄目」とダイゴが指を振った。
「直上にまださっきの攻撃で弾け飛ばさなかった腕が残っている」
ドラミドロの頭上に鋼の爪が至近距離で突きつけられている。ドラセナは反抗の声を飲み込んだ。凍りついたドラゴンに鋼の腕が叩き込まれれば、その末は分かり切っている。
「内側から破壊されなかっただけ、ありがたいと思いなよ。冷凍パンチだけでおしゃかにも出来たんだから」
ダイゴはヤナギへと向き直り、「さぁ」とメタグロスへと直進を促した。メタグロスは既にマンムーの懐へと潜り込もうとしている。
「何でさっき原始の力を撃った? 見せかけ、じゃないだろう? 岩の内部に氷の触媒でも植え付けていたか?」
ダイゴの言葉にヤナギは目を瞠る。ダイゴは不敵に微笑み、「悪いが、運だけでここまで来たわけじゃないんだ」と告げる。
「ぼくも玉座に手をかける資格のある人間だ。だからこそ、解せない。何で、君は玉座に執着がないのか」
ダイゴの問いかけにヤナギは口元を緩める。その笑みの意味を解していないのかダイゴが怪訝そうにした。
「執着がない、か。そう見えるかもしれない。俺は託したからな。自身の未来も、夢も。託したからこそ繋げる強さがある」
「ポケモンリーグはどれだけ言い繕ったって所詮は個人競技だ。誰も守ってはくれないし、誰も勝手に玉座に連れて行ってはくれない」
メタグロスはマンムーの氷結の手をすり抜け、鋼の腕を額へと突きつけた。
「王手だ。君は、戦いに対して無欲過ぎた。そう結論付けるといい」
「無欲。俺をそう装飾する奴は初めてだな。このヤナギを無欲だと?」
ヤナギの余裕にダイゴは警戒するがメタグロスの射程があれば問題ないと考えたのだろう。「そう言うほかない」とダイゴは告げる。
「無欲ゆえに、仲間というぬるま湯に浸かり、無欲ゆえにここでぼくに敗北する。諦めが肝心さ。なに、ぼくに敗北宣言をすればいい。そうすれば、ベスト10位くらいには入れるだろう。ぼくはこのまま先行集団を追う。君が意地を張らないだけで、手持ちを生き永らえさせられる」
ダイゴの言葉は説得じみている。ヤナギは思わず苦笑する。ここで相手を足止めするはずが、自分を諭そうとする輩が現れるとは。その様子が気に食わなかったのか、「可笑しい、とでも言うようだね」とダイゴは眉を跳ねさせる。
「ああ、まぁ、可笑しいな」
「ぼくは温情で言っているんだ。鋼タイプのメタグロスならば、致命傷を与える事くらい造作もない」
「ならば、俺も温情で言ってやろう」
ヤナギが指を一本立てる。ダイゴは、「何のつもりだ」と声にした。
「先ほどの原始の力、確かに氷の触媒をメタグロスに浴びせるつもりだった。だが、お前も忘れてはいないか? メタグロスに岩も氷も半減されてしまう。これはタイプ相性が頭に入っていれば分かるはずだ」
「だから何だって……。ぼくのメタグロスはタイプ相性通りに氷タイプのマンムーを貫通させられる。ぼくは一言命じればいい。バレットパンチでもコメットパンチでもいい。どちらかが入ればマンムーの身体に横穴が開く。これは決定事項だ」
どうやら気づいていないらしい。ヤナギは、「ヒントを出してやろう」と指を鳴らした。その瞬間、地面を伝わって冷気が走り、ドラセナのドラミドロにかけられた冷凍の網を相殺した。
「何を……!」
驚愕の声を振り向けるダイゴへとヤナギは言い放つ。
「誰が、ポケモンを直接狙うと言った?」
その直後、可視化出来るほどに濃密な冷気がダイゴを含めメタグロスの周辺を囲い込む。氷の欠片が陽光に乱反射し、ダイゴをも射程内に置いていた。
「これは……」
「氷の網、キュレムを使っていた時に発展させた戦法だ。お前の言う通り、原始の力に埋め込んでおいた触媒があった。だが、あれは砕かれてこそ真価を発揮する。お前のメタグロスが、無遠慮に砕いてくれたお陰で、今、この空間には冷気が満ちている」
ダイゴはその段になって先ほどの岩攻撃が牽制でも何でもなく、この攻撃への布石だと気づいたらしい。慌てて後ずさろうとするがヤナギはすっとその足元を指差した。
「凍れ」
一言でダイゴの高級そうなブーツが凍て付き、地面と一体化する。ダイゴは尻餅をつく結果になった。
「ポケモンで相性を崩せないのならばトレーナーを狙う。定石だ。……さて、誰がぬるま湯に浸かっていると言っていたか」
氷の群れが光を弾き飛ばし、ダイゴが呼吸を荒くする。今の今まで包囲されている事に気づいていなかったのだ。突然に攻撃射程内にあると分かれば動揺もするだろう。
「メタグロスと俺のマンムーの瞬間冷却、どちらが早いか比べるか? もっとも、こちらが勝利すれば命が奪われる事となるが」
ダイゴは取り乱して、「く、来るな!」と喚いた。
「いいのか? カントー中、いや世界中が注目するこの競技の最終局面で人殺しなんて……」
「構わない。俺の手はもう血に染まっている」
冷徹に響いたヤナギの声に恐れを成したのだろう。その場に縫い付けられたダイゴはドラセナへと振り返った。
「貴女を、ぼくは手助けしましたよね? 今度は返してくださいよ、貴女の手で!」
ダイゴの声音にドラセナは困惑している。無理もない。一度切り捨てた身分でよくものうのうと、と誰でも感じる。
「俺と真剣勝負をする気はない、と考えていいのか……」
ヤナギが歩み寄る。ダイゴは、「来るなぁ!」と目を戦慄かせる。見下ろした視線の先にいるのは小さな男一人。デボンの御曹司という看板も、実戦では何の意味も成さない。ヤナギはポケギアへと目線をやってから、「そろそろか」と呟いた。指を鳴らす。ダイゴは攻撃が放たれると思ったのか目を瞑っていた。ドラセナも目の前で人殺しが行われるとなれば穏やかではなかったのだろう。顔を背ける。イブキだけが見つめていた。その視界の中で、氷結が静かに解除されていた。
「ヤナギ。あんた……」
イブキが何を言わんとしているのか、ヤナギはあえて問いかけなかった。ダイゴは氷結が解けた事に唖然としている。
「行け。もう俺が時間稼ぎをしても仕方がないぐらいの時間は過ぎた」
ヤナギの目的が本当に時間稼ぎだとは思わなかったのだろう。ダイゴとドラセナは、「決着は……」と現状を把握していない。
「俺が心変わりする前にさっさと去るんだな。役目は果たした」
ダイゴがゆっくりと立ち上がり、メタグロスを伴ってヤナギへと探る目を寄越す。ヤナギは、「氷の結界は解いてある」と再三言った。
「お前らを拘束する気も、もうない。玉座を目指すなり、好きにするといい」
拍子抜けしたかのようにダイゴは所在なさげにドラセナを見やる。ドラセナは駆け出していた。ヤナギの横を通り過ぎる際、少しだけ警戒はしているようだったがヤナギには最早相手取る意味がない。ドラセナが先を行くとダイゴが踏み出し始める。二人の足音が遠ざかってから、イブキが静かに歩み寄ってきた。
「ヤナギ。本当に、時間稼ぎのつもりだったのね」
「意外か? だが俺には弱者をいたぶる趣味はない」
「いえ。あんた達の本当の目的のためならばこうして戦っている事さえも惜しいでしょうね」
イブキは全てを理解している。理解した上で手を差し出した。
「何のつもりだ?」
「行くのよ。まだこの戦いは終わっていない」
「ユキナリがサカキと戦っているのだとしたら、充分な時間はある。ナツキ達も合流したはずだ」
「そうじゃない。ヤナギ、まだあんたにも、出来る事があるのよ」
搾り出したイブキの声にヤナギは瞠目した。まだ夢を捨てるな、と言うのか。ヤナギは、「分かっているさ」とイブキの手を払った。
「夢を追う資格のない人間などいない、だろう?」
ユキナリの口調を真似た弁にイブキは微笑み、「行きましょう」と促した。
「まだ決着がついたとは限らない」