第百八十六話「最後の大仕事」
自分は職務を全うしたのだ。
カンザキはそう感じるほかなかったし、他人もカンザキを責め立てようとはしないだろう。自分の立場に立たされれば、否応なくこの決断を迫られるはずだ。誰にも、この感情の瀬戸際に、口を挟めるはずがない。カンザキは通話端末を翳し、「私だ」と声を吹き込む。
『何でしょう?』
答えたのは以前と変わりない自分の秘書の声だった。一時行方不明となった自分を必死に捜索してくれたらしい。カンザキはネメシスとの会談を決して明かさなかった。それは彼女らとの約束でもある。
「優勝候補は、もうセキエイに?」
カンザキの目線は遠く望めるカントーの陸地に注がれている。この不浄の地で、どれだけの血が流されたのか。ネメシスは、これがポケモンリーグだからこそ、最小限の犠牲で済んだ、と説明した。本来ならばイッシュや各国との戦争でさらに多くの人民が命を落としたと。だから、これは最良なのだ、と納得させられたがもちろん腹の内では完全な納得は果たされていない。
船舶が揺れ、カンザキは一瞬よろめく。不眠の日々が続いており、意識が危うかった。
「気をつけてくれたまえ」
高速船舶で向かっているのは南方に映るグレンタウンだ。一昨日の事、活火山の噴火として処理された案件をカンザキは確認せねばならない。その実が破滅、という突拍子もならない事だと船舶の主は知るはずもない。
「すいませんね。何分、お急ぎで、との事だったんで」
皮肉たっぷりに返された言葉には官僚への不満が爆発していた。カンザキは咳払いし、「で、何人が?」と問い質す。
『既に数人がトキワシティへと訪れていますが……、リーグ事務局に問い合わせが殺到していたので言いますけれど、トキワのジムリーダーは不在で?』
知るはずもない。だが、カンザキにはその言葉の意味するところがネメシスから何度も聞かされた事柄と符合した。
「……ああ。恐らくは」
この事件をさらにややこしくしている元凶、キシベ。彼がトキワジムのリーダーだと知ったのはつい先日。ネメシスの拘束から解かれる前後だった。歴史の修正をしようとするロケット団の頭目が最後のジムリーダーである事になにやら因縁めいたものを感じないでもなかったが、それよりも管理のずさんさが表立った。経歴を調べないはずがなかったのに。ロケット団の情報網が勝っていたのならば何も言えないが。
『最後のジムバッジの取得権について上と少し揉めましたが、高官の裁量でトキワジムに辿り着いた人間全てに平等にポイント配布する事で収束しました』
「そうか。それは」
悪い事をした。一瞬だけそう感じたが、自分はそれよりもさらに悪い、最悪と呼べる状況の只中にある事を思い出し、身を引き締めた。
「優勝圏内には?」
『数名が挙がっております。先着順ですと――』
羅列される名前の中にカンザキは戦慄する。慌てて船舶の主に声を張り上げた。
「船長! すまないが、マサラタウンへとんぼ返りしてもらえるか?」
船長が、「はい?」とモーター音に掻き消されないように聞き返す。
「今、何ですって?」
「マサラタウンに向かってくれと言ったんだ。グレン行きは取りやめる」
カンザキの言葉に船長は眉根を寄せて、「もう着きますけれど……」と不満の声を漏らす。
「構わん。金なら倍払う。今すぐにマサラタウンに戻って欲しい」
その後はすぐさまセキエイ高原に向かわねばならないだろう。カンザキは貧乏揺すりをしながら、「頼む、頼むぞ……」と口中に呟いた。
「間に合ってくれ……」