第百八十二話「未来を掴む手段」
パソコンを使わせて欲しい、と提言したのはやはりまずかったか。
言ってからそう感じたが、ユキナリは訂正する気もなかった。マサキとイブキは揃いも揃って驚愕の眼差しをユキナリに注いでいる。
「パソコン、聞いたらマサキさんが一括管理しているって。だから本人に聞くのが一番早いって聞いたんですけれど……」
濁したのはイブキと同室していたからだ。もしかすると、居てはならない状況に出くわしてしまったのかもしれない。
「すいません、後で……」
回れ右をしようとするとイブキが慌てて立ち上がり、肩を引っ掴んだ。
「ご、誤解しないで! 誰がこんな変人と!」
「変人とは心外やな、姐さん。ワイら、ずっと運命共同体や言うてたやん」
「馬鹿! この状況をややこしくしているって分からないの?」
イブキの声に、「姐さんが男の部屋に入ってくるのが悪いんやん」とマサキは唇をすぼめる。
「で、何やて? パソコン貸して欲しいって?」
ユキナリの本題にようやく移り、イブキは威厳を取り戻すように咳払いをした。
「どこに繋げる気なの?」
イブキの質問にユキナリはホルスターに手を添えて返す。
「ニシノモリ博士に。もしかしたら、最後になるかもしれないから」
自分は処刑されなければならないのかもしれない。だがオノノクスはその咎を負う必要はないのではないか。その考えからだった。幸いにもグレンタウンからならばマサラタウンは近い。イブキに任せる事も出来る。ユキナリの考えを読み取ったのか、イブキが今度はがっしりと両肩を掴み、首を横に振った。
「……駄目よ。そんな考えは」
「でも、イブキさんになら任せられます。もしもの時に、オノノクスが封印対象にならないように、ニシノモリ博士に言っておきたいんです。博士の承認があれば、イブキさんか、ゲンジさんでもオノノクスを継続して任せられますし、もしかしたら僕なんかより、もっと充実した研究成果を――」
「そういう事を言っているんじゃないの!」
遮って放たれた言葉にユキナリは表情を強張らせた。イブキは真剣な声音で、「諦めちゃ駄目」と口にする。
「私を倒した、あの時の威勢はどこへ行ったの? 絶対に無理な状況でも、あなたは覆してきた。どうして今までの自分を信じられないの?」
イブキの言葉はありがたい。だがユキナリは首を横に振る。
「僕は、駄目だ。駄目なんですよ。ヤナギに勝てるビジョンがない。今までは、絶対に無理だと思えても、僕を最初に旅に駆り立ててくれた人の言葉を思い出して立ち上がれた。……でも、その人物が、敵であるキシベだったなんて」
ユキナリの声音が震えている事を感じ取ったのだろう。イブキは手の力を緩める。
「キシベ……?」
「そうなんですよ。僕は、旅に出るはずじゃなかった。トキワシティでキシベ・サトシさんに出会ったから、旅に出ようと思い立てたんです。でも、そのキシベは全ての元凶だった。僕を特異点として利用し、フジ君を殺したのも、サカキを操っていたのもそのキシベだったんだ! ……もう、僕は何を信じればいいのか分かりません。最悪の境遇でも、夢を追う資格のない人間はいないって言う、キシベさんの言葉で立ち直れてきたのに……」
もう、その人物が敵である事を知ってしまった。知らなかった頃には戻れない。キシベはフジの死の遠因になった人物だ。サカキも、特異点も、ロケット団も元を辿ればキシベである。キシベは最初から、あの日自分に出会い、旅立たせる事を仕組んでいた。偶然なんかではなかった。運命なんかではなかった。全ては必然の計画の内だったのだ。だとすれば、自分の努力も、鍛錬も、戦いも、友情も、全てキシベに仕組まれていた気になってしまう。
「僕の旅に、意味はなかった……」
イブキは言葉を返そうとしない。慰める言葉も見つからないのだろう。
「そうやな。キシベに騙され、いいように転がされて、ここまで来たんや。特異点である事も知らず、オノノクスを覚醒に導き、破滅のトリガーを引く存在までになってしまった」
「マサキ!」
イブキが声を荒らげる。マサキの言葉はあんまりだと感じたのだろう。ユキナリは拳をぎゅっと握り締める。ここで糾弾されても何の文句も言えないと感じていた。
「……けれどな。本当にそうか? お前、本当に全部キシベの言葉だけで決めてきたんか?」
マサキが問いかけてくる。立ち上がり、ユキナリへと歩み寄った。イブキが退く形となり、マサキの顔が真正面に映る。覚えず視線を背けると、「ワイは、そうは思わん」とマサキは口にする。
「人の意思が、誰かの都合のええように、その思惑通りに変えられたって? 確かに、キシベは読めん奴や。先の先まで考えていても不思議やない。でも、お前が出会ってきた連中は、ほんまに全部キシベの思い通りの出会い方やったと思っとるんか? 対立も、友情も、恋慕も、全部キシベの手中やったと?」
ユキナリはハッとする。今まで出会ってきた人々は、形こそ違えど、ユキナリと時に対立し、時に手を組んで高め合えた。それこそがライバルであり、友なのだと感じていた。
「キシベの思い通りなんて、そんな事は絶対にあらへんのや! そう思いとうなかったらな、全てを手中に置いていたキシベを、この局面で見返したろうって気持ちはないんか? 男やろ?」
マサキの言葉はそのままユキナリへと突き刺さる。マサキは手元の端末をユキナリに手渡した。
「ワイは、少なくともお前には考える自我があると思っとる。そりゃ、科学者としては完全同調で消えてしまったお前と、今のお前は同じかどうか分からんよ。でもな、気持ちじゃ違う。お前はお前や! オーキド・ユキナリなんや! 特異点やとか、オーキドの血なんて関係ない! 全部覆してしまえ!」
マサキの言葉に押されるようにユキナリは端末を受け取る。マサキは、「それだけ言わせてもらう」と穏やかな口調になった。
「マサキさん……」
「お前からしてみれば、ワイも卑怯な大人やし、勝手気ままな人間に映るかもしれん。でもな、信じろや。そういう奴ばっかりやない。世の中、意外に捨てたもんやないで」
マサキは部屋を出て行く。それを追ってイブキも出て行った。ユキナリは回線が繋がっている事を確認し、博士のアドレスへとメールメッセージを送る。するとすぐさま返信が来た。ビデオチャットの表示が開き、ユキナリは承認する。すると、博士の顔が大写しになった。
「あの、博士……」
博士からしてみれば自分は三ヶ月もの間、音信不通であったはずだ。ユキナリが言葉を考えあぐねていると、「ユキナリ君」と博士は口を開いた。
「まず、こう言うべきかな。おかえり、と」
その言葉に博士は全てを知った上で自分と通話しているのだと感じた。恐らくナツキから聞いたのだろう。
「ただいま、って言うべきなんですかね……」
苦笑すると博士も笑って、「そうかもね」と頷いた。
「どこから話すべきなのか分かりませんけれど……」
ユキナリは今置かれている状況を説明する。自分は特異点と呼ばれる特別な存在であり、封印か抹殺かが迫られている。それを覆すにはヤナギに勝つしかないのだと。ユキナリはオノノクスで立ち向かう、と口にしてから博士は、「オノノクスの調子は?」と訊いてきた。
「ついさっきまで、氷の拘束の中にいましたけれど、元気みたいですよ」
ボールを透かして中を覗く。オノノクスは好調だ。問題なのは自分のほうだろう。
「ユキナリ君。三ヶ月前、オノノクスのデータを送ってくれたね」
突然話が飛んだものだからユキナリは、「えっ」と戸惑った。博士は細長いレシートのようなデータ用紙に視線を落としている。
「三ヶ月前のデータだから参考になるか分からないが、オノノクスの覚えている技はきちんと四つある」
「四つ?」
ユキナリには覚えがない。オノノクスの覚えている技は確か二つだったはずだ。
「ドラゴンクローと、ダブルチョップだけじゃ……」
「そうじゃないみたいだよ。詳細にデータ解析した結果、オノノクスはもう二つ、技を使える。ハサミギロチンという技と逆鱗という技だ」
逆鱗はゲンジが使っていたのでイメージが出来る。だがもう一つは聞き覚えもなかった。
「ハサミギロチン……。どういう技なんですか?」
「有り体に言うのならば最強の技、かな」
「最強の……」
ユキナリが言葉を詰まらせる。その意味するところが分からなかったからだ。博士は説明を始める。
「ハサミギロチンは命中すれば、ほぼ確実に相手を倒せる。一撃必殺系の技と言われている」
「一撃必殺……」
そのような技を習得していた覚えはない。だが、オノノクスへの進化も唐突であった。その進化の際、自分では理解していなかったものもあるのだろう。現に「ドラゴンクロー」は明らかに強力になっていた。
「意図して使った事は?」
ユキナリは首を横に振ろうとしたが、エリカとの戦いの最中や、メガゲンガーとの戦闘に使った正体不明の影の断頭台を思い出す。あれが「ハサミギロチン」だとすれば。その前提でユキナリは、「意図しないで使った事なら……」と答えた。
「オノノクスの特性は型破り。これは相手の特性に関係なく放てるというものと判断して間違いないだろう。だとすればこのハサミギロチン、ほぼ全ての相手へと通用する技と考えられる」
博士曰く、特性を無視して一撃必殺の技を加えられるのは相当なアドバンテージなのだと言う。しかし、ユキナリからしてみれば狙って使えない技など論外だった。
「ヤナギに勝たなくっちゃいけないんです。それなのに狙って出せない技は使えません」
「きっかけはなかったかい? ハサミギロチンを使う前後に?」
ユキナリは考え込む。使用の前後、確か昂揚感に包まれていた覚えならばあるが、それは根拠に欠けるだろう。
「分かりませんね。それに一撃必殺って絶対に命中するんですか?」
「命中率は限りなく低い。同じレベルならば三十パーセント前後。レベル差で変動するがレベルの高い相手にはまず当らないと考えていいだろう」
では余計に実戦向きではない。ユキナリはもう一つの技について問いかける。
「逆鱗は、どうなんです?」
「こっちのほうが使いやすいかもね。ただ酷使すると混乱状態に陥るから多様は禁物だけれど。攻撃の値がかなり高いオノノクスならば逆鱗をメインに据える事で有利に戦いを運ぶ事が出来るかもしれない。だが、それは通常の相手の場合、の話だ。ユキナリ君、明日戦うヤナギが所持しているのは、キュレムと言っていたね」
ユキナリが首肯すると博士は難しそうに眉根を寄せた。
「博士。僕にはよく分かっていないんですが、キュレムって言うのは?」
「説明するほど私も詳しくはないが、イッシュにそれに近いポケモンの報告例がある。ただ外見や能力などは一切不明だが、ヤナギが使うのならば氷タイプだと推測される。ユキナリ君、分かっていると思うがドラゴンは氷に弱い。この弱点を克服する技を持っていないのはある意味では不利に働くだろう」
「キュレムが伝説級だとも聞きました。それほどに?」
「イッシュの伝説と言えば建国神話の英雄伝説が有名だが、それに該当するポケモンがない。一説では黒い龍と白い龍という記述のある事からこちらはドラゴンタイプである可能性が高いが、もし、キュレムが氷・ドラゴンの両面を持つポケモンならばオノノクスの天敵だ。だが同時に、ドラゴンの部分を突く事も出来る。可能性だがね」
勝てる算段はあるかもしれない。一縷の希望にすがるしかなかった。
「逆鱗は、まだ使いこなせる自信がありません。それに、ハサミギロチンも」
博士は熟考の末に、「だとすれば今まで通り」と口を開く。
「ドラゴンクローとダブルチョップをメインに据えるしかない。だが、伝説級に対してドラゴンクローの攻め手が通じるとは、正直思えない」
だが諦めるわけにはいかない。命がかかっているのだ。博士も分かっているのだろう。必死に策を巡らせようとしてくれているが、ユキナリは心に決めた。
「博士。僕はどんな事があってもオノノクスでキュレムを破ります」
相手に背中は見せない。どのような状況に置かれても戦い抜いてみせる。その覚悟に博士は、「……どうあっても、かい?」と尋ねる。
「君を失えばナツキ君が苦しむだろう。それだけじゃない。私だって心が苦しい。君は、だって前途ある若者なんだ。その若者の命が、大人の身勝手で散っていってしまうのを静観していられるほど、私は冷徹じゃない」
「でも、後は僕の問題です」
「ユキナリ君、抱え込む事は――」
「分かっています」
博士の言葉を遮り、静かに諭す。
「分かっています。僕は、ただ闇雲に立ち向かうわけじゃない。勝って、未来を掴みに行くんです。誰でも出来るわけじゃない、僕にしか綴れない未来を」
その言葉に博士は、「悪いが無責任に応援は出来ない」と答えた。
「リーグ事務局に、直訴する事も辞さない覚悟で、私はいる。このような戦いがまかり通っていいのか。ヘキサという組織を暴くつもりだ」
だがヘキサは既に地方行政くらいは手玉に取っているだろう。博士の声は揉み消される可能性があった。
それでも博士は考えを曲げる様子はない。
「これが、私の戦いだ」
博士もまた戦おうとしている。この世の不条理から。自分の見出した希望を繋ぐために。
「ありがとうございます。僕とオノノクスで、勝ちます」
勝たなければならない。未来を掴む手段は、それしか残されていないのだから。