第百八十一話「アルテマ・インパクト」
光は乱反射する。
特に氷に包まれたこの航空母艦の上となれば余計だった。アデクに引き連れられ、ユキナリは甲板に立つ。航空母艦は眺めればよく出来ている。本物の軍用の母艦を参考にしたような精緻さがあったが、この時代にこのような巨大建造物が可能とも思えない。他地方でも聞いた事がない。まさしくオーパーツの集積とも言えるこの場所で、ユキナリは宿命の相手を視界に入れる。
ヤナギは青いコートをはためかせ佇んでいる。その眼差しには敵意を超え、憎悪を超越し、宿命となった男の鋭い双眸があった。キクコの事も、今までの事も全て帳消しにはならない。だがこの場で決着がつく。それだけは確かだった。ヤナギの足場付近から氷の両翼が生えている。あれがキュレムだろうか。一度しか見た事がないためにその全容までは掴めなかったが、航空母艦そのものだと聞いていた。
「カンザキ・ヤナギ」
その名を呼ぶ。ヤナギは応える。
「オーキド・ユキナリ」
お互いに牽制の声も、罵声もない。ここに至れば、ただ名前を呼ぶだけで相手の考えが透けて見えるかのようだった。
――お前を倒す。
考えている事は同じだろう。倒して、未来を掴む。ユキナリはギャラリーへと視線を移した。航空母艦の甲板はこれから戦場になる。ナツキやキクコ、アデクを含む数十人のヘキサ構成員達が固唾を呑んで見守っている。彼らはこれから降りなければならない。
降りて、航空母艦が崩壊しながらも戦う自分達の決着を見守る事、それしか許されていない。ヤナギも同じ心持ちだったのか、チアキやカミツレへと視線を向けていた。信じ切っている光が彼女達の目にはある。ヤナギを希望として捉えている。だが、こちらも負けていられない。自分を希望だと言ってくれた。明日へと繋ぐ存在だと言ってくれた人々に報いるために。
預けられた命に応えるために。
ユキナリはホルスターからモンスターボールを引き抜く。
「いいか? オーキド・ユキナリ」
ヤナギが確認の声を出した。恐らく、余計な事を喋るのはこの瞬間だけだろう。
「この戦いに審判はいない。ジャッジするのは己だけだ。戦える限界点まで戦う。もし、トレーナーである自分が死のうとも、それは関係がない。手持ちが戦闘を続けるのならばな」
ヤナギは最期すらも自分以外に託す事の出来る人間なのだろう。ユキナリは応じた。
「僕の最後は僕が決める。それでいいんだろう」
ヤナギは鼻を鳴らし、「分かっているじゃないか」と口にする。
「バトルフィールドが崩れようが、戦闘が深海にもつれ込もうが関係がない。最後の勝負だ。オーキド・ユキナリ」
「かかって来い。お前とは、戦う事でしか分かり合えない」
悲しい存在だとは思っていない。お互いにそうやって出会うことしか出来ない不器用な関係だったと思うほかないのだ。
ヘキサの構成員達が飛行タイプのポケモンで降り立っていく。グレンタウンでヘキサは解散する。誰一人として信じられなかっただろう。納得していない顔も中にはあったが、ヤナギの最終決定に口を挟む輩は存在しなかった。
その中のナツキへと目をやる。ナツキはユキナリと視線を交わし、一つだけ頷いた。信じている、という確認だった。自分も信じている。帰る場所があるのだ。アデクは清々しい笑顔でサムズアップを寄越す。ユキナリもそれに返した。
ヤナギは全員が降り立った事を確認し、片手をすっと掲げる。地鳴りのような音が連鎖し甲板を揺らした。航空母艦そのものが崩壊の時を迎えようとしている。核であるキュレムの始動はそれと同義である。眼光が煌き、キュレムが氷を打ち砕いて出現する。ヤナギは動じる事なく手を薙いだ。すると氷の足場が形成され、ヤナギは浮き上がる。ユキナリの周囲も同じように足場が形成された。罅割れ、鳴動しながら崩れ去っていく戦場へとユキナリはボールを投げて叫ぶ。
「いけ、オノノクス!」
ボールが割れて光と共にオノノクスが氷の足場に降り立った。三ヶ月前と同じ、自分の手足のように感じ取れる。オノノクスは黒い瘴気を身体から放出する。ヤナギはそれを見やり感嘆の吐息を漏らした。
「やはり、普通ではないな」
ヤナギは手を薙ぎ払う。キュレムが咆哮し、身体の右側から白い体毛が出現した。瞬く間にキュレムの身体が直立し、発達した前足を振り上げる。既に腕の形状となったその掌に赤い光が集約された。
「クロスフレイム!」
「オノノクス、ドラゴンクロー!」
キュレムが赤い光を放り投げる。オノノクスは牙から赤い磁場に包まれた黒い瘴気を纏い付かせて一射した。空中で二つの技がもつれ合い、相殺の爆風がお互いを煽る。
「オノノクス!」
「キュレム!」
双方の手持ちの名を呼んだのは同時だった。オノノクスはユキナリの思惟に従い、氷の足場を踏みつけながらキュレムへと肉迫しようとする。キュレムは身体の前で腕を交差させたかと思うと、一瞬にして白かった部分が黒色へと変化した。その早変わりにユキナリは瞠目する。
「何だ……」
「クロスサンダー!」
キュレムが左手に青い光を収束させ、それを握り潰したかと思うと十字の剣の形状と化した青い光を保持してキュレムはオノノクスへと打ち下ろした。射線上の光が奪い取られ、青い磁場が生成される。周囲の空気を巻き込んだその一撃をオノノクスは真正面から受け止めた。赤い磁場が走り、黒い剣閃が瞬いて「クロスサンダー」を相殺させる。
「見た事のない、攻撃……」
「この三ヶ月、無駄に過ごしたわけではない!」
ヤナギの雄叫びに呼応してキュレムがもう片方の手を押し広げる。
「瞬間冷却、レベル5!」
「弾いて回避! 上段に回れ!」
十字架の剣との鍔迫り合いを中断し、オノノクスは脚を膨れ上がらせて跳躍する。瞬間冷却の攻撃が先ほどまでオノノクスがいた空間を凍て付かせた。
「打ち下ろせ! ドラゴンクロー!」
「馬鹿の一つ覚えで!」
急降下のエネルギーと共に黒い瘴気がオノノクスへと纏い付く。発射された一撃をキュレムが「クロスサンダー」の剣で弾き落とす。
「俺のキュレムには! 勝てん!」
電磁を纏いつかせた剣がオノノクスを突き刺すかに思われたがオノノクスは両腕を振り上げ、二の腕の筋肉を膨れ上がらせた。
「衝撃波で減衰させろ、ダブルチョップ!」
二つの手刀が衝撃波を生み出し「クロスサンダー」の剣と干渉波のスパークを弾けさせる。
ヤナギが舌打ちを漏らす。ユキナリは、「蹴り飛ばして距離を!」と指示を飛ばす。オノノクスは堅牢な足の爪で剣を蹴飛ばし、宙返りを決めて着地する。だが、着地したその場所は既に崩壊の只中にある氷の戦場だ。
「甲板も、航空母艦も、キュレムが動き出した事で崩壊するのか……」
だがいささか崩壊が思っていたよりも早い。ユキナリが歯噛みするとその合間を縫うようにキュレムが電気の剣を振り下ろす。オノノクスは牙で受け止めようと振るった。その瞬間、剣が弾け飛ぶ。直後に広がったのは氷の欠片だった。先ほどまで電気の剣だと思って打ち合っていたものが氷で包まれていたのだ。オノノクスが牙で受け止めた事により、砕け散ったそれらが周囲へと拡散する。
「氷が、囲うみたいに……」
ヤナギが拳を握り締める。ユキナリはキュレムが再び白い姿に戻っている事に気づいた。内部から赤い光が滲み出し、キュレムの血管が浮かび上がる。光が放射された瞬間、「駄目だ! この距離は!」と叫び、オノノクスへと思惟を飛ばそうとする。その直後の事だった。
「コールドフレア」
赤い光が氷を透過したかと思うとそれぞれの欠片をレンズのように利用して瞬時にオノノクスを包囲する。赤い光が満ちた瞬間、爆撃がオノノクスを襲いかかった。光の爆心地が融解し、足場となっていた氷壁が根こそぎ剥がれ落ちていく。キュレムが攻撃の余韻を確かめ元の姿に戻ろうと身体を沈める。前足が短くなり、前傾姿勢になったキュレムの全身から蒸気が迸っている。
「コールドフレアはミュウツーでさえも退けた技。これを食らって、生きているとは……」
その言葉の先を遮ったのは黒い剣閃だった。キュレムの無防備な身体へと突き刺さる。ヤナギが瞠目した。
「まさか!」
余剰衝撃波で歪んだ視界と爆風が逆流する。渦の中心にいたのはオノノクスだった。ユキナリも健在であった事をヤナギは驚愕の眼差しで受け止める。
「生きていたか……」
「この程度で、膝をつくわけにはいかない」
だが今の攻撃、炎の属性ではない。恐らくは氷の攻撃の一部。それが爆発のような熱量を瞬時に作り出した。氷の攻撃はドラゴンであるオノノクスにとって効果は抜群。全身が焼け爛れたかのような熱さを皮膚に感じ取る。意識が今にも閉じそうだった。オノノクスの表皮にもダメージはある。だがそれ以上に操る自分自身が陥落してしまいそうだ。
「トレーナーが自ら思惟を飛ばし、ポケモンを操る同調か。その域に達している事は、なるほど、さすがは特異点だと言わざるを得ない。だが、逆にそれを使わない事が強みでもある」
ヤナギは同調をしていない。だからこそ、キュレムに無茶な機動をかけられる。恐らくは同調していたのならば瞬時に姿を切り替え、攻撃技を切り替える事も出来ないはずだ。ヤナギは普通のトレーナーとポケモンの関係の最果てまで行っていると考えていいだろう。思惟を使わず、感知野も用いない。しかし、鋭敏な反応と同調以上の戦いが出来る。
これ以上の使い手には出会った事がなかった。
「……お前は、どうしてそこまで」
強くなれるのか。呼気を荒くして口にした言葉にヤナギは、「追及だ」と答える。
「自分がどこまで行けるのか、どこまで試せるのかの追及。それこそが俺の強さ。同調、それが究極点だと言ってしまえばそこまでだ。俺は異を唱える。それ以上が、ポケモンとトレーナーの――いいや、俺とその手持ちならば可能だと」
キュレムが呼応する鳴き声を上げる。キュレムほどの伝説級がヤナギという小さな一個人を信じている。それも心の奥底から。だからこそ引き出せる強さがあるのだろう。ポケモンとトレーナーが、同じように相手の強さの最大限まで引き出そうとしている。理想的な関係と言えた。
「でも、僕だって負けていられないんだ」
歯を食いしばり、ユキナリは思惟を飛ばす。それそのものが苦痛を伴うものであっても、最後までオノノクスと共にある。それが信じると決めたのならば。勝つと決意したのならば、その務めだ。
「まだ同調に頼るか。ならばキュレム、教えてやろう。本当のポケモントレーナーというものを」
キュレムが黒い姿に変身し、左腕を振るい上げる。またも電気の剣が来るかと身構えたが、今度訪れたのは氷の欠片だった。青い電磁がそれらを繋いで網としてオノノクスを囲む。ユキナリは戸惑い、オノノクスもどこに攻撃を絞るべきか逡巡する。
その一瞬の隙をヤナギは見逃さなかった。青い電磁が剣のように尖り、内側に絞り込まれた。網が一気に集束し、内側に電流の剣が顕現する。これは攻撃だ、とユキナリが判ずるまでの僅かなロス。オノノクスに伝わる前に集まった電流の剣の束が突き刺さった。腹腔を貫かれたかのような激痛がユキナリへと襲いかかる。思わずその場に膝をついて呻き声を漏らした。
「フリーズボルト」
ヤナギが技名を口にする。今の攻撃も電気の属性を帯びているが本質は氷だ。オノノクスへのダメージははかり知れない。それ以上に、操るトレーナーである自分の限界が近かった。
「オノノ、クス……」
ユキナリが揺れる視界の中、手を伸ばす。オノノクスは電流の追加効果で痙攣していた。指先が震え、直立する事も儘ならないようである。
「同調は、なるほど、確かに一種の究極点ではある。だが、それに頼れば何でも通用すると思うな。キュレムと俺はお前に決して超えられないものがあると痛感させるだろう。お前は、その人生の最後に、これ以上のない完全な敗北を味わうのだ」
ヤナギの声がどうしてだか近くに感じられる。聴覚が麻痺したのだろうか、と思ったが違う。ヤナギが足場を近づけて、ユキナリへと近寄っていた。何をするのか、と麻痺した頭脳で感じているとヤナギはユキナリの首根っこを掴んで引き上げると、拳で頬を殴った。
打ち据えられた頭がゆらゆらと揺れる。
「そんなものか」とヤナギは挑発した。
「俺の前に幾度となく立ちはだかり、その都度俺に絶望を突きつけてきた、オーキド・ユキナリの強さはこんなものかと聞いている!」
ヤナギは倒れ伏したユキナリを蹴りつけた。視界の中にはキュレムに首根っこを掴み上げられたオノノクスの姿が映る。主と同じようにキュレムによって命を奪われようとしていた。
「この距離ならば何の問題もない。瞬間冷却で思考まで凍らせてやる」
ヤナギは言い放ち、キュレムへと命令を放とうとする。ユキナリは思考が靄に包まれていくのを感じていた。