第百七十六話「挑戦者達」
『――って言うのが、議会決定したらしい』
マサキからの説明を受け、ナツキは、「そんな馬鹿な事が……」と声を詰まらせた。今は航空母艦の周辺警戒に当っている。マサキに頼んで議会の盗聴を仕込んだのだ。マサキは喜んで買って出た。この種の人間は盗聴や盗撮など、人のプライバシーを覗くのが大好きだ。
『まかり通った、ってわけやな。ワイかて信じられんで』
「ヤナギが負ければ参加辞退。ユキナリが負ければその命? そんなの、対等でも何でもないじゃない」
思わず叫び出しそうになったがマサキは落ち着き払って、『いや、随分と対等に持ってきたと思うけれど?』と返した。
「どこがよ? 負けると命を取られるポケモンバトルなんて。それにオノノクスはユキナリをおやと認識しない可能性があるんでしょう?」
『せや言うても、それ以前に議会でユキナリの命の是非は七賢人の手にあった。それをヤナギはこっち側に持って来たんやで? つまりヤナギ次第でユキナリは生き永らえるかもしれん、って事や』
「あのヤナギが手加減なんてするはずがないわ」
『そら、そやろうな。ヤナギはこれを最後の機会やと思っとるんかもしれん』
「最後の機会って。何のよ?」
マサキは息をつき、『自分達の宿命の、や』と答えた。
「自分達って……」
『ヤナギは今までユキナリ回収のための労力は惜しまんかった。でもそれはユキナリを大事やと思とるからやない。ユキナリを倒すべき敵やと思ってるからや』
ナツキは絶句する。そのような事をヤナギが企んでいたというのか。
「そんな事……。だって、ヤナギはあたしにチャンスをくれた」
『それもこの舞台を用意するための一要素やったとしたら? 最初っからヤナギはユキナリを殺そうと思っていた』
「何のために?」
それだけが疑問だった。ユキナリを何故殺そうなどと考えるのか、理解に苦しむ。数回しか出会っていないはずである。マサキは全てを悟ったような声音で、『まぁ、女には分からんやろうなぁ』と呟く。
「何よ、それ。じゃあ女のあたしにも分かるように説明なさいよ」
マサキはため息を漏らしてから、『宿敵、って奴や』と答える。
『ヤナギにとってのユキナリがそれであり、ユキナリにとってのヤナギはそれであった。ただ、それだけの、シンプルな話や』
「シンプルって……」
何も答えになっていない。どうして二人が戦わなければならないのか。もっと明確な答えが欲しかった。だがマサキは濁す。
『お前に分かるのはここまでやって。ここから先は、当事者だけが分かる次元』
「じゃあ、あんただって分かっていないじゃない」
『そらな。ワイには自分の存在を賭けてまで許せない奴なんておらんもん』
ヤナギは自分の存在理由を賭けてまでユキナリの存在を許容していないというのか。だが、だとすれば自分達に力を貸さねばいいだけの話だった。どうして自分に希望を掴ませたのか。
『ナツキ。色々と考えとるんやろうけれど、多分、答えは出んで。ユキナリとヤナギに、同じ光を見たお前にはな』
心の深いところを覗き込まれた感覚だった。二人に同じものを見た。それは自分だけの秘密のつもりだったからだ。
ユキナリは常に自分に希望を見せてくれた。ヤナギも同じだと、今の今まで信じていた。だが、マサキに言わせれば二人は違うのだという。ナツキにはその差異が理解出来ない。
「……やっぱり、いくら頭をひねってもあたしには分からない。どうして二人が争うのか」
マサキは、『これは男にしか分からんやろ』と返す。
『一人の女を二人の男が好きになってしまった状態言うんは』
ナツキは、「何よ」と軽口で返したが、アデクの事が脳裏に蘇り、自分とて他人事ではないな、と航空母艦を眺める。荒涼とした大地に風が吹き抜けた。
「ナツキちゃん」
呼びかける声に振り返る。ナタネがボブカットの髪をかき上げながら、「全然、来ないねぇ」と崩落した研究所に視線をやる。
「来ないほうがいいでしょう。こんな状態でもし伏兵がいたとしたら、あたし達で止められるかどうか」
「そんな不安がる事ないでしょ? チアキさんやカミツレさんもいるんだし」
ナタネはお気楽だ。ジムトレーナーとしての実力もある。自分とは違う、とナツキは身勝手に思ってしまう。
「あたしは肩肘張りますよ。攻めてこられれば厄介な戦力が生き残っていないとも限らない」
「まぁね。伝説の三体とか使われればちょっとまずいかなぁ」
ナタネからしてみれば「ちょっと」なのだ。自分は、と言えばメガシンカをまだ完全に制御下に置いたわけではない焦燥が胸を占めている。
「でも、もうスパーリングしている時間もないんですよね」
「ああ、ユキナリ君、明日戦うんだって?」
「聞いていたんですか」
ナツキは呆れてしまう。ナタネは盗聴を当たり前のように認めた。
「マサキさんに教わっておいた。ナツキちゃんは分かりやすいから。周波数を合わせるタイミングもバッチリ」
「犯罪ですよ、それ」
ため息をつくとナタネは、「あのさぁ」と口を開く。
「あたし達がいくら頭を悩ませても仕方ないじゃん? 結局は当事者の問題なんだから」
「当事者、ね。あたしは、ユキナリとは同じ故郷の仲間のつもりでしたけれど」
ならば自分とて当事者だ。この言い分をヤナギは認めるだろうか。いや、先ほどのマサキの口調からしてみてもそのような生易しい状況ではないのだろう。
「硬い、硬いって、ナツキちゃん。あたし達はさ、どう足掻いたってユキナリ君の苦しみの全てを理解出来ないわけだしさ」
ナタネが肩を揉もうと背後に回り込む。ナツキは、「それでも!」と振り返って声を出した。
「それでも、あたしは、ユキナリに何か出来ないかって思うんです。これって、やっぱりお節介でしょうか?」
ナタネは顎に手を添えて、「うーん」と悩みながら、「なまじ親しいとね」と言う。
「見えない事もあるんだよ。親しいからこそ、相手には悟らせたくないって言うか。ナツキちゃんにも心当たりあるんじゃない?」
「それは……」と返答を濁らせる。アデクの事を明け透けに話すわけにはいかなかったのは自分の問題だと思っていたからだ。恋愛なんて他人に容易く踏み込んできて欲しい領域ではない。もしかしたらマサキはそれを言いたかったのかもしれない。
「……じゃあ、あたしには何も出来ないじゃないですか」
「そーだよ。あたし達二人とも、ね」
ナタネは瓦礫に座り込む。横を示すナタネにナツキは、「汚いですよ」と顔をしかめた。
「子供の時とか、草原に寝そべったりしたでしょう? そういうもんだよ」
「そういうもんですかねぇ」
ナツキはおっかなびっくりに瓦礫へと腰を下ろす。意外にも座り心地は悪くなかった。
「こうしてナツキちゃんと話すのも久しぶりか」
「ユキナリ奪還作戦から先、作戦にしか頭にありませんでしたからね」
ヘキサに属してナタネと組む事は数知れずあったが、余計な会話を挟んだ事はなかった。
「こうやってさ。頭空っぽにして、風を感じるのが、あたし好きだったんだよね」
「シンオウでの話ですか?」
ナタネが故郷の話をするのは珍しい。訊くと、「うん」と答えた。
「シンオウで、草タイプの勉強して、カントーのポケモンリーグではジムトレーナーの地位を得て、マスターにもタマムシシティの人達にもよくしてもらって。みんな、元気かなぁ」
「ナタネさん、マスター、エリカさんとは連絡は?」
「してないよ。すると寂しくなっちゃうもん」
意外な一面にナツキは目を見開く。ナタネがウインクして、「寂しいって、そういうの思っちゃうんだ、とか考えた?」と尋ねる。図星だったのでナツキは顔を背けた。
「そうだね。自分でもそういうのとは無縁に生きてきたつもりだったんだけれど、マスターに、ナツキちゃん達と旅をしなさい、って言われた時はちょっと悲しかったもんだよ。もうマスターにはあたしは要らないんだって」
「そんな事」
「ない、って思うだろうけれど、あたしにとってマスターは全てだから。タマムシシティでの暮らし方も、カントーの標準語も大体マスターに教えてもらったものだし。それにジムトレーナーとしてあたしを雇ってくれたのは、誰でもなくマスターの意思だし」
ナツキは歩み寄って聞く事にした。これまでナタネの内面には全く触れてこなかったのでそれらが新鮮に響いたせいかもしれない。
「ジムトレーナーって、ジムリーダーが選ぶんですか?」
「ああ、うん。一般には知らされていないんだっけ。そうだよ。地方ごとの特待生を集めて、その中からジムリーダーが選抜するの。ちょうど野球のドラフト会議みたいにね」
知らない事だったのでナツキは素直に感心する。ナタネがそれほどの逸材であった事もそういえばほとんど忘れていた。
「ナタネさん、強いですからね」
「強いだけじゃ取ってもらえないよ。人格、心理傾向、それに家族構成までみっちり調べられて、まるで取調べみたいだったなぁ。でもそれを知ってまで取ってくれたマスターには感謝しかないし、嬉しかったなぁ。何だか、自分が全肯定されたみたいでさ」
ナツキは今までそのような事を感じた瞬間はあったろうか、と考える。自分の全てを肯定してもらえた時。それはきっと、自分の道を選ぶ時に他ならないのだろう。
「ナツキちゃんはさ。本気で玉座狙っているの?」
思わぬ言葉に聞こえてナツキは、「そりゃ……」と返しかけて言葉を詰まらせる。ナタネはその間をじっと待っていた。
「そりゃ、あたしだって現実は見てますよ」
ぽつり、と本音が漏れる。ユキナリには言えなかった脆い部分だった。
「オノノクスを見た時、いいえ、ともすればキバゴだった時から、ユキナリには敵わないんだと分かっていたのかもしれません。オーキドの血だとか、そういうの一切抜きにして、どうしてだかあいつに説教臭く言ってしまっていても、それは自分に跳ね返ってくるような気がしてならなかったんですよね」
ポケモンの扱いが分からないユキナリを軟弱者とそしった事もあった。だが真に恐れていたのは、それが自分への言葉になりかねない事だった。
「ユキナリよりもずっと勉強して、ポケモンの事をニシノモリ博士に聞いて色々と知ったつもりになっていても、二ヶ月でそれを追い越そうとしてくるユキナリのエネルギーには勝てないって思った事があります。あいつ、一旦決めると聞かないから。誰が無駄だとか、意味がないって言っても、結局あいつは決めるんですよ。いいところを」
それが何年も共にしてきた幼馴染ながらの感想だった。ユキナリはきちんと自分の道を歩める。その素質がある。加えて特異点という、この次元での特別な人間でもあった。
――では自分は?
何度も首をもたげかけた疑問。自分は何者になれるのか。ユキナリやヤナギのような強者を相手に、立ち回れる自信はあれど、それは勝利への確信には繋がらない。どこかで、自分にはないものを彼らが持っているのだという予感がある。いくらチアキとスパーリングを重ね、ナタネと作戦行動を共にしても埋められなかったものはそれだ。
素質、才能。
この世界は残酷な事にそれがまかり通る。自分にはないもの。自分では決して扱えない代物をユキナリもヤナギも抱えて立っていられる。それは強さだ。何者にも邪魔されず、冒されない。
「確かにユキナリ君もヤナギも、別格だな、って思う瞬間はあるよ。でもさ、ナツキちゃんはそれで諦めるような人間でもないでしょ」
ナツキは拳をぎゅっと握り締める。「でも敵わないんですよ」というのは逃げの方便に自分でも聞こえた。
「敵わないのに、戦おうとするなんて」
「それってさ、挑戦者の特権じゃん。勝てないかもしれない、負けるかもしれない、それでも立ち向かう、ってのはさ。そういうのと常に戦っていきたいな、あたしは」
挑戦者。
ナタネはジムトレーナーなので肌で感じてきたのだろう。彼らが傾けてきた情熱を。語りかける強さと注いできた時間を。それらを一瞬で無為にしてしまう自分の職業に、嫌気が差す事もあったかもしれない。だがナタネは逃げなかった。逃げずにジムトレーナーであり続けた。敗北の時まで。
「負けないってのはね、誇りであると同時に呪いなんだよ。一回でも黒星があると、そこからずるずると負けを引きずって、いつまで経ってもうじうじ悩む。きっと、この世で一番強い呪いは、勝ち続ける事よりも負けない、っていう気持ちなんだと思う」
「負けない、ですか……」
何度も吼えてきた。負けない。勝利する、と。だが、負けない、という幻想が崩された瞬間、その後の人生を引きずりかねない呪いを背負う事になる。もしかしたらその呪いは一生解けないかもしれない。
「勝負に命賭けてきた人間はね、簡単に自分の命をレートに上げられる。それが周りの人間にとってどれほど酷な事であろうとも、どれほど最悪の道を選んでいるように見えても、命を張るだけの価値ってもんがあるんだよ」
「命を張る、価値……」
「らしくないかもね。でも、あたしはそう思う」
ナタネは微笑んで今までの話を打ち切ろうとする。ナツキはしかし、その言葉が重く響いた。ユキナリもヤナギも、自分のこれからを賭けた戦いに身をやつそうとしている。その後の人生がどう転がってしまうのかを、一度きりの勝負に賭けているのだ。
「男同士の、宿命、か」
マサキの言っていた事が思い出される。余人は口を挟めない。まさしくこの二人だけの戦い。
「おっ、そっちもらしくない事呟くじゃん」
ナタネの声音はいつもの調子に戻っている。飄々としていて掴みどころがなく、他人との距離を物ともしないナタネに。
「ヤナギに感化されたんですかね」
ナツキは立ち上がり、航空母艦へと振り返った。
「だからこそ、やるべきですよね。あたしが」
ナツキの言葉を今さら確認しようともしない。ナタネは、「決着つけたいんでしょう?」と心得ている。
「だったら、つけて来なよ。それでどう転がるのかは分からないけれどさ。ナツキちゃんが後悔しない道をね」
ナツキは駆け出していた。