第百六十一話「哀戦士」
『ナツキ! RC1、ユキナリはロケット団に捕らえられた!』
マサキの報告をポケギアに聞きながら、「あんたらは何してるのよ!」と怒声を飛ばし、同じように見える氷の廊下を駆け抜けた。
『ゴーストタイプのポケモンや。確かムウマージ。今の今までゴーストダイブで自分の姿を隠していたらしい。でも、そう何度も使えんはず。叩くなら今やで!』
「でも、ユキナリがいるんでしょう?」
ナツキの逡巡に、『アホか!』とマサキが返す。
『今、ユキナリ奪われたら一番困るのは誰やねん!』
それは、と声を詰まらせる。マサキは、『ユキナリ奪還にあんだけ使命燃やしてた奴は誰や』と続け様に言い放つ。
『このままやと、またユキナリは利用されかねないんやぞ』
それは分かっている。だが、再生されたユキナリをこれまでのユキナリと同列に扱えるかどうかといえば自分の中で疑問もあった。
「でも、あたしの射程からじゃ追いつけない」
ナツキはポケギアの周波数を変え、通話を繋いだ。
「もしもし?」
『あー、ナツキちゃん。何?』
「何、じゃないですよ! ナタネさん。今、どこにいるんです?」
『部屋だよ、部屋。いいね、この航空母艦。年中、クーラーいらずで』
「ナタネさんの部屋って確かDの三階層でしたよね?」
確認の声に、『うん? そうだけれど?』とナタネが疑問符を浮かべる。
「敵が近くまで来ています。そこの天井破って一気に目標に目がけて撃ってください」
とんでもない提案にナタネは、『ええ?』と仰天した。
『でも、天井破るのもったいないし……』
「渋ってもヤナギがどうせ作り直してくれます! 今は、ナタネさんの力が必要なんです!」
決死の呼びかけに、『ああ』とナタネは得心した様子だった。
『そういやユキナリ君、目が覚めたんだっけ? で? どうだった?』
「どうって、相変わらずの馬鹿っ面でしたよ」
『その馬鹿面拝むためにあんだけ頑張ったのはどこの誰だったかな』
ナタネも自分をからかっている。「ああ、もう!」とナツキは喚いた。
「あたしですよ、あたし! 認めますから、さっさとやっちゃってください!」
『合点承知!』
その言葉の直後、ナタネの部屋の天井が崩落する音がポケギアに漏れ聞こえた。今は、ナタネに任せるほかない。ナツキは立ち止まり天井を振り仰ぐ。
「ユキナリ……」
天井を破砕するとすぐに目標とやらが目に入った。ナタネはロズレイドを繰り出し、ゆっくりと目標であるポケモンへと狙いを定めた。魔女の帽子のような形状で下半分は海洋生物の特徴がある。ゆらゆらと揺れるベールの向こう側に逃げ出される前に決着をつける必要があった。
「的を狙えば外さないよん」
ナタネはロズレイドへと命令する。ロズレイドは花束の腕を突き出し、目標へと集中した。直後、破砕音と共に花束から放たれたのは一粒の種だった。その種が弾丸のように目標の頭部へと突き刺さる。よろめいたがその程度で止まる相手ではないのは分かっていた。
「それって、ただの種じゃないんだよね」
ナタネが指を鳴らすと着弾点が爆発した。目標の頭部が半分霧散する。ナタネはロズレイドと共に氷結した甲板を駆け出した。
「えいやっと!」
ロズレイドが同じ調子で種の弾丸を発射する。目標の腹部と頭部に二発ずつ命中し、ナタネが指を鳴らすと同じように爆発した。
「タネ爆弾だよ。さぁて、これでどう反応するかな」
しかし、予想に反して相手は頑丈だった。飛び散った部分を影で補強し、飛び立とうとする。
「にゃろっ! トレーナーがいないからてっきり思惟で操るタイプかと思って頭狙ったのにまだ動く」
『気ィつけぇ! 相手はユキナリを保持しとるんやぞ!』
「いざとなれば盾にして差し出す? それともユキナリ君だけはきっちり守るのかな。帽子ちゃん」
マサキの怒声を意に介せずナタネは目標へと駆け寄る。目標のポケモンから黒い球体が練り出されて放出された。
「うおっ、シャドーボールか」
ナタネがたたらを踏む。もう少し深ければ空間ごと身体を切り取られていただろう。主人が止まってもポケモンは進む。ロズレイドはそのまま相手へと肉迫し、花束の腕を交差させた。
「リーフストーム!」
葉っぱの包囲陣が相手を包み込む。逃げ出す手立てはないかのように思われたが、相手は自身を扁平な影の中に隠した。その行動にナタネは目を瞠る。
「自分を影で包んだって?」
新緑の嵐は吹き荒ぶが、扁平な影には全く通用する気配がなかった。何度か貫通するがダメージのある様子もない。
「こいつ、今は逃げに徹する気だ」
させない、とロズレイドは接近戦を試みようとする。だが、その時には影が滑るように移動し、ロズレイドの射程をすり抜けた。ロズレイドが即座に跳び上がり、下方へとタネの弾丸を放つ。爆発が広がるが、氷の装甲板を破砕しただけで目標本体にダメージはない。扁平な影がコマのように回転しながら空中を疾走していく。
「逃がすか!」と追撃の攻撃を放つがそれらは全て虚しく空を穿った。
「仕留め損なった……」
ナタネは呟き、「あーあ」と寝そべった。
ポケギアの通話状態が回復し、声を吹き込んだ。
『もしもし? こっちは逃がしてもうた』
マサキの声に、「やってきた敵は?」と尋ねる。
『ムウマージ。ゴーストタイプのポケモンやね』
ゴーストタイプ、という部分に反応する。もしや、キクコが操っていたのではないのか。だがキクコはもういないはずだ。自分が引きずっていればいつまで経っても組織は自立ししない。
「追撃部隊は?」
『一応、カミツレとナタネを出したけれど、多分、捕捉は不可能やろうな。そっちはどうや?』
「こちらか」と視線を上げる。眼前に氷によって押し包まれた黒色のドラゴンタイプの姿があった。オノノクスが全身に氷の拘束を施されている。その根の先へと視線を上げるとキュレムが翼だけを甲板から出してオノノクスを制御していた。オノノクスは眠りについている。ちょうどユキナリと同じように。だが、ユキナリは目覚め、ロケット団が恐らくは身柄を奪った。オノノクスを残してユキナリだけを攫うという事はまだ特異点として有効だという事だろう。ヤナギは呟く。
「オノノクスは完全に沈黙している。これがトリガーになる事はないと思うが」
何が破滅を誘発するか分からない。ヘキサは慎重を期す必要があったが、ゲンジの判断もマサキの判断も間違っていない。自分一人で何もかもを考えるのは危険だ。殊に今回のような事態に転がっていては。誰かが静観する事も、だからと言って声を荒らげる事も出来ない。ユキナリとロケット団、その追撃のみを優先事項とせねば。
「どちらにせよ、俺からはこれ以上の事は出来かねるな」
その言葉に背後に立つ気配を感じ取った。視線を振り向けず、「チアキか」と呟く。
「いいのか? オノノクスを保護していればこちらにもまだ分がある、とする貴公の見通しは甘い、という声もあるが」
「お前も、人の話を聞くようになったな」
ヤナギの感想に、「心外だな」とチアキが応ずる。
「私は少なくとも貴公よりかは向こう見ずでないつもりだが」
違いないな、とヤナギは自嘲する。キュレムを振り仰ぎ、「だが事象は確実に我々の方向に向いている」と返す。
「このまま、あるいは何らかの変化を求めるべきか。どちらにせよ、オーキド・ユキナリ奪還を相手も考えていた。この結果論は大きい。何故、我々に掴ませるような真似をしたのか、も考察の対象になる」
「貴公は、いつまでも隠居のような真似をしているつもりか?」
チアキの声は暗に戦えと囃し立てているようだったが、ヤナギは冷静だった。
「航空母艦ヘキサの心臓部がキュレムなんだ。俺が表舞台に立つ事は難しいだろう」
「……そうではない。貴公は、まだ戦士なのだ。それなのに」
ここで自分を食い潰す気か、と問いかけている。チアキのようなストイックな人間にとって戦士の条件とは厳しいのだろう。それを満たしているヤナギが敵対していたユキナリのためにここまでしているのはおかしい、と言っているのだ。
「意外だな。お前のような人間にも心配事はあったか?」
「心配というよりも不安だな。貴公の戦いをもう見られないのかと覚悟せねばならない事を」
チアキからしてみれば宿縁の相手でもある。もう一度、再戦をと願いたいところなのだろうがヤナギとてこのままでいいはずもなかった。
「俺も、オノノクスをどうにかした後に考えよう。それまでは一休みだと思わせてくれ」
ヤナギの先延ばしにする言葉にチアキは反論があったのだろうがそれをそっと仕舞って踵を返した。ヤナギはキュレムによって航空母艦ヘキサが成り立っている事を痛感する。自分が少しでも意識の網を切れば、キュレムの集中も途切れる。少なくとも航空母艦を飛ばしている間中は眠っている暇さえなさそうだ。
「不眠不休か。これまでの罰のようなものだな」
だが、それも悪くない。自分一人で、徹底的に今の状況を俯瞰する事が出来る。ヤナギはキュレムへと問いかけた。
「だが、お前と向き合うにはちょうどいい、キュレム。お前は、まだ何かを隠していそうだからな」
その言葉にキュレムは沈黙を返した。
風が髪を煽る。
「相手先の情報」とマサキをけしかけてナツキは離れていく影を眺めていた。ハッサムで氷の壁を粉砕し、そこから頭をひょっこり出す形になっている。
『ムウマージ、つうポケモンや。ゴースト単一』
「……キクコちゃんが、操っている可能性は?」
『復元時にはキクコは復元されんかったし、その情報の一片でもあればヤナギが黙っとらへんやろ。ワイらが奪還したのはユキナリとオノノクスだけ。それも、オノノクスを封印せなあかんような状況になっている時点で負けな気もするけどな』
ヘキサ全体からしてみればユキナリとオノノクスはセットで封印するか、あるいは戦力としての拡充もはかりたかったのだがどっちつかずのままユキナリは目覚め、オノノクスは今もヤナギが責任を持って封印している。
「信じたい、わね」
『何や? 女の勘か?』
「そういうんじゃないわよ。でも……」
もし操っているのがキクコだとすれば。ナツキは拳をぎゅっと握り締める。次に会う時には敵同士になっている可能性がある。その予感に胸がざわりとした。同時に雲間に消え行く扁平な影を睨み据え言い放つ。
「あれじゃ、馬鹿って言うより、ガキね」