第百五十七話「帰還の刻」
ポケギアが鳴る。呼び出し音に答えた。
「はい、こちら第三班」
『第三班、第一班と第二班は既に目的を遂行した。あとは頼むで』
その言葉に身が引き締まる。間もなく眼前の空間が歪み、それが現れた。ピンク色の房のような頭部を持つ小型のポケモンである。妖精のように舞い浮かぶポケモンを守護する護衛のポケモンが主軸となる身体を中心にして腕を振り回す。詰めた息を吐き出し、モンスターボールを握り締める手に力を込めた。
「いけ、ハッサム」
繰り出されたのは赤い痩躯だ。翅を震わせ、ハサミを突き出したハッサムが護衛のポケモンへと駆け出した。やはり張っていた。そう易々と目的を達成させられそうにもない。ハッサムが地を蹴りつけ護衛のポケモンへと肉迫する。その瞬間、護衛のポケモンが電磁波を広範囲に放った。指示の声を事前に飛ばし電磁波の膜から逃れるがそれでも容易に近づけない事は明白だ。
もう一度、とハッサムが駆け出す。今度は護衛のポケモンから仕掛けてきた。嘴のように見える筒先を突き出しハッサムに突進する。ハッサムは咄嗟にハサミを翳して防御する。護衛のポケモンは案山子のように広げた両腕を前に出してハッサムの防御を破ろうとする。
「徹底抗戦、ってわけ」
呟き左目をさすった。青く染まった虹彩から紫色の光が漏れ出し、すぐさま光の帯が交差する。その瞬間、ハッサムの眼前に紫色の皮膜が覆い被さった。ハッサムがハサミを突き出し、皮膜を破る。直後、その姿が変異していた。顎を思わせる強靭なハサミが護衛のポケモンの身体へと突き上げられる。護衛のポケモンは無様に転がった。ハッサムであったポケモンは紫色の皮膜の殻を纏いつかせながら片腕を振るい上げ弾丸を装填するようにがちりと噛み合せた。
「――メガシンカ、メガハッサム」
主の声に赤と黒を基調としたメガハッサムが鋭角的なフォルムに似合った素早い動きを見せる。その場から瞬時に掻き消えたかと思うと護衛のポケモンを蹴飛ばしていた。護衛のポケモンは両腕を回転させて制動をかけるが、それよりも速くメガハッサムがその背後に回り追い討ちを仕掛ける。ポケギアが再び鳴った。
「対象の名前はポリゴンZ。特殊攻撃力に秀でているために破壊光線に留意されたし。って、この距離で?」
ポリゴンZと呼ばれているポケモンが両腕を回転させて嘴の先に光を集束させる。メガハッサムに回避運動を取らせる暇もない。撃たれる、と思われたその瞬間だった。
突如としてポリゴンZへと種の弾丸が襲いかかった。弾丸によってポリゴンZの軌道が僅かにぶれ、破壊光線の光条が空へと吸い込まれていく。
「援護射撃、三秒遅いです、ナタネさん」
声をかけると貴婦人の装いをしたポケモンが花束の腕を突き出している。その腕から発射の煙が棚引いていた。そのポケモンを操るボブカットの少女がむくれて返す。
「そっちだって、メガシンカするの遅くない? 最初っからやっていれば手間取らずに済んでいるのに」
「こっちだって事情があるんです。合わせてくださいよ」
「仰せのままに」
ナタネは恭しく頭を下げてから指を鳴らした。「ロズレイド」とナタネが呼ぶと貴婦人の装いのポケモンは再び弾丸を矢継ぎ早に発射する。「タネマシンガン」は一発ごとの威力は低いものの何度も命中する稀有な技だった。
「ナツキちゃんの邪魔にならないようにあたしは遠くから援護する。この戦闘姿勢、間違ってないでしょ?」
名前を呼ばれたナツキは鼻を鳴らした。
「メガハッサムの近接戦闘にどこまであたしが耐えられるか、にもよりますけれ、どっ!」
思惟でメガハッサムを動かす。即座に掻き消えたメガハッサムはポリゴンZの直上を取った。
「食らえ! バレットパンチ!」
顎のようなハサミが僅かに開かれる。すると内部から砲弾の一撃が発射された。ポリゴンZの胴体を砕き、その一撃が終息する。メガハッサムの肩口まで発射による衝撃を減衰させるための煙が棚引いている。
「これで、無力化……」
その段になってナツキはハッとした。目標であるピンク色の頭部を持つポケモンがいないのだ。
「移動している? まだそんな体力が」
「ナツキちゃん! エムリットの捕獲を最優先!」
ナタネの声に、「分かっています!」とナツキはメガハッサムへと高速機動を促した。メガハッサムが地を蹴り、一瞬のうちにエムリットの頭上へと至る。エムリットへとハサミを突き出し、「アンカー!」という声に応え、メガハッサムがアンカーを打ち出した。アンカーはエムリットの周囲の空間へと巻きつき、エムリットそのものの「テレポート」を封じる。「テレポート」の際、僅かに周囲の物体も転移する。逆に言えば周囲の物体を完全に固定すればそれだけ「テレポート」にもロスが生じるというわけだ。
「取り付いて捕獲します! メガハッサム!」
メガハッサムがアンカーを打ち出したのとは逆の腕を開く。その腕の中には砲弾の代わりにモンスターボールが詰められていた。打ち出されたモンスターボールがエムリットへと命中し、エムリットが赤い粒子となってモンスターボールに収納される。ナツキは肩を荒立たせながらモンスターボールの中にエムリットが捕獲されたのを確認する。メガハッサムが片腕にモンスターボールをがっちりとくわえ込んでいた。
「……作戦成功。帰還するわ」
安堵の息をつく前に、「まだだよ!」とナタネが叫んだ。その瞬間、何かがメガハッサムの背後へと立ち現れる。すぐに反応したナツキはメガハッサムに振り返り様の一撃を浴びせかけるように命令を飛ばそうとするが相手のほうが僅かに速かった。周囲へと青い電磁波が拡散する。メガハッサムの関節に纏い付き、動きを鈍らせた。背後にいたのは先ほど駆逐したはずのポリゴンZである。
「ポリゴンZは二体一組。どうしてこっちには現れなかったのか不思議だったけれど、ギリギリまで引きつける作戦だったんだ」
ナタネの得心した声に、「しゃらくさい!」とナツキは言い捨てた。
「こちとら捕獲作戦はもう遂行したっての! メガハッサム! バレットパンチ!」
命じるがメガハッサムの動きは明らかに障害が発生している。腕を上げる事すら難しい様子だった。
「何で?」
「今の、電磁波だ。メガハッサムはまともに受けてしまった。麻痺状態だよ。それに今、嫌な報せが届いた。どうやらポリゴンZ、一体でも動けば三分以内に始末しないともう一体も再生するらしい」
ナタネの冷静な声に、「そんな冷静ぶっている場合ですか?」とナツキは焦る。視線を振り向けると先ほど破壊したポリゴンZが再び立ち上がろうとしている。このままではまずかった。
「二体同時、って、メガハッサムは近接戦闘用だし、そもそもスパーリングで一対一しかしてないし」
「あたしとの連携も付け焼刃だしね」
「だから! 冷静に言っている場合じゃ!」
「分かっているよ。ロズレイド、花吹雪」
ロズレイドが花束の腕を交差させ戦闘に割って入る。メガハッサムの攻撃スタンスの関係上、ロズレイドが接近すれば巻き込みかねなかったが今さらであった。ロズレイドの全身から細やかな花弁が放出され花束の腕でそれを操る。一枚一枚が刃のように尖っており、それらの集合体はまさしく一陣の旋風であった。ロズレイドの放った花吹雪がポリゴンZの鼻っ面を捉えようとする。しかし、ポリゴンZはすぐさま応戦の破壊光線を放ってきた。花吹雪の一端が霧散するがもう一方へと攻撃を仕掛けた花吹雪は減衰されなかった。メガハッサムと対峙するポリゴンZの胴体に花弁の剣が突き刺さる。ポリゴンZがよろめいた。
「今だ!」
「メガハッサム! 電光石火で接近! バレットパンチ!」
メガハッサムが片腕を掲げて地面を蹴り、軽業師めいた機動でポリゴンZの眼前へと瞬く間に接近する。ポリゴンZはロズレイドの攻撃に思考を割いていたせいか唐突なメガハッサムの肉迫には気づけなかったようだ。ポリゴンZの頭部へとメガハッサムが砲塔を向ける。
「砕け散れ!」
メガハッサムが腕を引き、そのままハサミをポリゴンZの頭部にめり込ませる。亀裂が走った頭部へと砲弾の一撃が見舞われた。頭を失ったポリゴンZはそれでもまだ生きている様子で腕を動かしている。その動きが回転の域に達し、集束を始めた瞬間、ナツキは首筋がひやりとした。
「こいつ、自爆する気?」
離れろ、とメガハッサムに命じる前にポリゴンZが瞬いて爆発の光を押し広げる。その威力はいくらメガシンカといえども減衰し切れなかった。ナツキは必死にメガハッサムへと防御の姿勢を取らせようとするがそれでもダメージが突き抜けていく。全身を貫く激痛に呻きを上げた。
「ナツキちゃん?」
もう一体のポリゴンZを相手取っていたナタネが心配そうな声を上げる。ナツキは息を荒立たせながら、「大丈夫、です」と応じる。
「ちょっと、ダメージフィードバックに慣れていないだけで……。今、視界が真っ暗なんですけれどすぐに追いつくかと」
「大丈夫じゃないじゃん。待ってて、こっちのポリゴンZを三分以内に仕留めれば」
ロズレイドがポリゴンZを捉えようとするがポリゴンZは電磁波を振り撒きロズレイドの接近を許さない。
「あんまし接近戦が出来ないなぁ。これじゃ、消耗戦だ。出し惜しみしている場合じゃない、か」
ロズレイドが花束の腕を交差させ、内側から光を発する。
「リーフストーム!」
直後、無数の葉っぱが寄り集まり、豪雨のように巨大な壁としてポリゴンZへと降り注いだ。葉っぱの嵐「リーフストーム」。ロズレイドのとっておきの技だがポリゴンZは嘴の先にエネルギーを凝縮させ、あろう事かロズレイドへと接近した。
「なに……」
その行動はナタネにとっても意外そのものだったのだろう。まさか、知っているのか、とナツキは震撼する。ロズレイドの「リーフストーム」、その広大な攻撃範囲の中の台風の目はロズレイド自身である事を。ポリゴンZはロズレイドの間合いへと入る。当然、ロズレイドは突然に攻撃範囲を狭める事など出来ない。
「こいつ……!」
「ナタネさん! あたしが!」
メガハッサムが身を沈ませて一気にポリゴンZへと狙いを定めようとした。飛び込んだメガハッサムの邪魔をしたのはしかし、ポリゴンZではなく放たれた「リーフストーム」であった。まさかお互いの攻撃がお互いの個性を潰す結果になろうとは。メガハッサムはまともに新緑の嵐の刃に身を削らされる。
「ナツキちゃん! 接近はまずい!」
「でも、三分以内に決着をつけないと……」
視界の端に映ったのは既に再生を始めている先ほど破壊したポリゴンZの残骸だ。一体でも逃せばもう一体も再生する。厄介だな、と思う前にナツキは「リーフストーム」の皮膜を破って攻撃の手をポリゴンZへと向けようとする。しかし、ナタネのロズレイドは伊達に育てられていない。「リーフストーム」を破るだけで体力が大幅に削られていく。
「このままじゃ、持たない……。時間が……」
メガシンカには制限時間がある。ナツキの場合、持続時間は僅か三分。連続してメガシンカは出来ない。ポリゴンZが頭部ごと振り返った瞬間、破壊光線の光条がメガハッサムの肩口を焼いた。ナツキは激痛に顔をしかめる。
「……これじゃ、我慢比べにしかならない」
それにそろそろ制限時間だ。メガシンカが解ければポリゴンZ二体を相手取る自信もない。
「何とかしなさいよ、馬鹿ユキナリ!」
ほとんど自暴自棄になって叫んだ声に、突如として切り込んできたのは先ほどエムリットを捕まえたモンスターボールだった。内部から黒い剣閃が出現し、全くの想定外だったポリゴンZの身体を貫いた。ポリゴンZはその一撃に内側から四散する。ナツキもナタネも目を見開いていた。一瞬だけ光を発射したモンスターボールには傷一つなく、ただ沈黙を守っていた。
『ポリゴンZ、六体の破壊を確認』
研究所に響いた声にカツラが、「まさか六体ともやられるとは……」と声を漏らす。しかし、フジは冷静だった。
「これも事象のうちさ。まぁ、予想以上に強かったのは認めるけれど、まだこっちには何体かポリゴンシリーズが残っている」
フジは機器を操作して、「今の、観ていた?」と声をかける。すると頭に直接切り込んでくる声があった。
(ああ。最後の一体、エムリットの時に覚醒の兆候が見られた)
下階で培養液の中にいるミュウツーの声だ。その言葉にカツラは顎に手を添える。
「オーキド・ユキナリ。手離して損な戦力ではないのか?」
「ボクらが持っていたって仕方がないよ。幸い、こっちには面白い戦力も出来た。駒が揃うのには少しばかり時間がかかるだろう。それはヘキサだって例外じゃない」
ヘキサ側とてすぐにユキナリを再生する事は出来ないだろう。それどころか逆に混迷する事になりかねない。ここから先は一手間違えた側が敗北する。
「キーとなるのはやはりオーキド・ユキナリか」
「サカキだって分かったもんじゃない。キシベが何か手を打っている可能性はある」
「キシベの消息は?」
「全くもって不明」とフジはディスプレイを覗き込んだ。
「怖いくらいの沈黙だね」
「キシベがただ事を大人しく見守っている性格でないのは」
「重々承知しているさ。だが、今は何も出来まい」
フジは消えていくエムリットのマーカーを眺め、愛おしそうに呟いた。
「おかえり、オーキド・ユキナリ君。待っていたよ」