第百五十四話「失わないために」
枝葉を踏む足音に声を投げる。
「誰だ?」
設計図を眺めながら振り返らずに発した言葉に相手は応じた。
「そろそろ必要な頃だと思ってな。俺が訪れた」
ヤナギはキュレムから視線を外し、ようやく振り返る。
「ロケット団の幹部、ゲンジか」
既にその情報はヘキサのデータベースにあった。キャプテン帽を目深に被り、ゲンジは口元に笑みを浮かべる。
「ああ。俺も存じ上げている。カンザキ・ヤナギ」
名前を呼ばれヤナギは慌てるでもなく落ち着いて対処する。
「言っておくが戦闘はしないつもりだし、したとしてもお前ご自慢のドラゴンタイプはキュレムの前に無力だ」
キュレムが航空母艦建築に心血を注いでいるとはいえ瞬間冷却くらいならば腕を振り上げるだけで放てる。恐らくはゲンジが繰り出す前に勝負は決するだろう。
「今日は戦いに来たのではない。俺からしてみれば大変に不本意な役目だ」
ゲンジは足元にある丸太を指差し、「座っても?」と尋ねる。ヤナギは、「ああ」と頷いた。
「では何の用で来た。まさかロケット団の幹部が酔狂でやってくる場所でもないだろう」
セキチクシティは完全に麻痺状態だ。セキチクシティに訪れる意味など襲撃以外で考えつかない。ゲンジは、「情報を提供しに来た」と告げた。
「情報? 悪いが足りている。ちょうどいい駒が手に入ったのでな」
「その駒、ソネザキ・マサキでさえも対応出来ない状況だとすればどうする?」
相手にしないつもりだったがマサキの事を把握されているのだと分かりヤナギは目線を振り向けた。
「……何が言いたい?」
「俺が来たのは、お前達に加勢するためだ」
「加勢? ロケット団とヘキサは敵対関係のはずだが」
「だから、大変不本意だが、と前置きしただろう」
ゲンジが息をつく。ヤナギはキュレムを一瞥した。
「安心しろ。彼我戦力差は圧倒的だ。俺は全く勝つ見込みのない戦いまで挑むほど無鉄砲じゃない」
ゲンジの言葉を信用するべきか否か。当然、ヘキサの頭目としてはゲンジをこのまま捕縛するのが正しい。だがマサキでも対応出来ない事態。それはつまり今のユキナリ奪還作戦の事を言っているのか。探りを入れようとする前に、「オーキド・ユキナリ」とゲンジは口にする。ヤナギが目を見開いていると、「俺も因縁がある」とゲンジは続けた。
「だから助ける」
「筋が通っているようには思えないな。どうしてロケット団がオーキド・ユキナリを助ける?」
「ロケット団の目的は特異点の保護だ」
「知っている。だからこそサカキを擁立している」
「今の状況、ロケット団としては好ましくないと判断する」
ゲンジの言葉を統合するに組織としてのロケット団はフジの行動を否定する、という事なのだろうか。それはマサキの可能性にあった内部分裂、と捉えていいのだろうか。ゲンジは、「俺もフジ博士は気に食わん」とこぼす。
「だから、というわけでもないが、俺は使者に遣わされた」
「何故、俺達に加勢しようとする? 貴様らの優位になる事など一つもない」
「だが、ヘキサの優位にはなるだろう? 今は、一人でも戦力が欲しいはずだ」
その通りであるがロケット団まで混在するほど考えに余裕があるわけでもない。どだい、ゲンジの考えは読めないのだ。安請け合いが危険な事くらいは判断がつく。
「戦力は欲しい。だが危険因子は排除したい」
「俺を通じてロケット団が情報を盗むとでも?」
「情報ならまだかわいいさ。俺が最も危惧しているのは命が奪われる事だ」
騙し討ちくらいならばやりそうだ。ヤナギの言葉にゲンジは口元に笑みを浮かべた。
「……すぐには信用出来ないか」
「当たり前だな。いくら有益な情報を持ってこようが、お前自身が最も危うい人物である事を忘れるな」
「ならば、こうしよう」
ゲンジはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、地面に転がした。ヤナギは足元まで来たそれを視界に入れる。
「これで無力化だ」
「ブランクのモンスターボールかもしれない」
「疑り深いな。ならば手に取って確かめるといい」
ヤナギは顎をしゃくる。キュレムが凍結の手を地面から根のように伸ばしモンスターボールを持ち上げた。がっちりと食い込ませ、時限式の開閉であっても出来ないようにしてからモンスターボール内部を眺める。中にはゲンジの手持ちと思しき水色のドラゴンタイプが入っていた。
「ポケモンリーグ参加者の手持ちは一人一体。俺に他の手はない」
「もう辞退していればその所持数制限に引っかかる事もない」
言い捨てたヤナギに、「そこまで器用じゃないさ」とゲンジは微笑む。
「それに俺の目的はあくまで故郷における地位の確立。そのためにはそれなりの結果を出す必要がある。まだポケモンリーグを辞退するわけにはいかない」
「それならばなおさらだな。オーキド・ユキナリに関わる理由がない」
「因縁があるから、では不満か?」
窺ってくるゲンジに、「不確定要素だ」とヤナギは切り捨てる。
「そうまでしてお前が俺達の下へと来る、その理由付けが不安定過ぎる。俺は組織を纏め上げる人間だ。不穏因子を招き入れて内部分裂、ではお話にならない」
ヤナギの言葉にゲンジは口元を綻ばせる。
「まるでロケット団の事を言われているようだ。耳に痛いな」
「何のつもりの接触か、隠し立てをせずに答えれば命はもう少しだけ長続きする」
ヤナギの最後通告にゲンジは、「このままでは平行線だ」と膝を叩いた。
「単刀直入に言おう。キシベの命だ」
「キシベの……」
ヤナギの口調に宿るものを感じ取ったのだろう。ゲンジは、「そのキシベが」と指差す。
「お前らをフジ博士の手から守るように命じた」
「何のために?」
「フジ博士の進める計画とキシベの進める計画には微妙な差異がある。その差異において、ここで勝たなければお前らは決して前には進めない。個人的意見を言わせてもらえば強者の頂に達したオーキド・ユキナリともう一度戦いたい。それだけだ」
最後の言葉は余計だったのだろう。ゲンジの口調にはしかし嘘くさい感触はない。
「最後の言葉だけは本物のようだな」
ヤナギの言葉にゲンジは、「今、三体の伝説を追っているのだろうがこのままでは敗北する」と告げた。
「それはフジ博士の造った人工のポケモンが守っているからだ」
「人工のポケモン……、ミュウツーか?」
真っ先に頭に浮かんだ名前にゲンジは首を横に振る。
「ミュウツーではない。三手に分かれたようだが、それぞれ二体ずつ配備されている。このままではお前らは壊滅するぞ。いくら強力なトレーナーだとしても、相手の情報が全く分からなければ対処出来ない。それに時は一刻を争うはずだ。三体のポケモンが再びテレポートする前に二体の護衛の人工ポケモンを破壊しなければやられるのはお前らだと言っている」
ヤナギはその言葉を信じるべきかの判断を迫られていた。ゲンジの行動はキシベによるもの。全てはキシベの思い通りか。だが、もしもゲンジの言葉が真実だとすると自分達は五人もの戦力を失う事になる。その中にはチアキやカミツレもいるのだ。
――これ以上、自分の判断ミスで誰かを失いたくはない。
シロナとキクコの姿が脳裏に浮かびヤナギは深く瞑目する。
「その情報を完全に信じ込む事は出来ない。だから、俺はお前を利用する。お前を信じたわけでは決してない。部下として置くつもりもなければこの情報以上のものを期待する事もない」
「充分だ」
ゲンジが立ち上がる。ヤナギはその眼を見据えて頷いた。