第百五十二話「ユキナリ奪還作戦」
会談の場、と言われてもまともではない。それは病院だった。
なんでもこのセキチクシティでまともに残って機能している唯一の建物らしい。スパーリングを終えたのかチアキとナツキもその場に同席した。イブキはどこか窮屈さを覚えながらも病室の一つ、複数のベッドの並ぶ相部屋でマサキの情報を開示する事にした。ただし、その前条件として今、ヘキサの置かれている状況を話す事を求められ、ヤナギは「長くなるぞ」と前置きしてから話し始めた。
その意味するところに二人とも驚嘆する。頭目であるハンサムが死に、実質的にヤナギがヘキサを纏める事となった経緯。キュレムを手にし、今まで数多の死を乗り越えてユキナリを殺そうとしたがユキナリの同行者であるキクコの暴走を止めるため共同戦線を張った。その途上での出来事であったと言うのだ。あの破滅の光景は。
「あれは、ヘキサツールに刻まれている終焉だな」
ヤナギも心得ているらしい。当事者以外は立ち入らせなかった。
「ええ。少なくともネメシスの頭はそう見ている」
「ネメシスの頭……」
ヤナギは何かしら思うところがありそうな様子だったがそれを押し殺して、「ネメシスは」と言葉を継いだ。
「俺の声明を握り潰した」
確認のしようはないはずだがヤナギ自身も分かっていたのかもしれない。「情報統制は行き届いとる」とマサキは応じた。
「一部スポーツ紙だけが取り上げた。それも消されるやろうな。公式の記録からは」
「それが歴史を操ってきたネメシスの強みか」
ヤナギは特に自分の声明が握り潰された事に対する憤慨はないようだった。むしろ、好都合だというように、「動きやすくて助かる」と告げた。
「あれは、一応警告のつもりだったのだがな。これからカントーの地を襲うかもしれない、災厄の」
「カントーで何をするつもりなの? あの航空母艦とか言う氷の船で」
イブキの質問にヤナギは、「戦う」と短く返した。
「戦うって……」
「ロケット団、その中の一部は強大な戦力を秘めている」
「それはサカキじゃ――」
「そんなものの比ではない」
ヤナギの説明したのはミュウツーと呼ばれるポケモンであり、それが伝説の一角サンダーを捕獲したのだと語った。思わぬ符合にイブキは息を呑む。
「……そのミュウツーに、こっちも伝説を奪われたわ」
「やはり、相手の目的は伝説の三体、その捕獲」
「でも何のために……」
深まる謎にマサキが、「まぁ、それは待ちいな」と手を挙げた。
「今はワイの話を聞いてくれ。オーキド・ユキナリに関する、これは急務や」
ヤナギは分からない程度の目配せをする。チアキと、それにジムリーダーだというカミツレに、だった。戦闘の警告サイン。ここでもし戦闘状態になれば真っ先に揉み消せ、という暗黙の了解だった。その中で唯一無関係なのはナツキくらいだ。ユキナリの名前が出た途端に、「ユキナリはどこへ?」と身を乗り出してきた。
「オーキド・ユキナリはレプリカント、キクコと接触、覚醒状態に入った。本来ならキクコと接触した程度じゃ覚醒はせんのやけれど、キクコは聞いた話じゃポケモンに取り込まれていたらしいやん。それは危うい状態や。ネメシスの頭目はキクコの事をA判定のレプリカントやと言っていた。この判定はポケモンとの同調の度合いによるもので、その分、ポケモン側に引っ張られた結果になる。つまり、ヒトでもポケモンでもない、全く新しいものとユキナリは接触し、その過程で覚醒が誘発。破滅の現象が起こった」
マサキの仮定にヤナギは耐え忍ぶように目を瞑っていた。キクコに関して彼は入れ込んでいる事が話の節々から窺えた。今のマサキの仮定は複雑なのだろう。
「……仮にその通りだとして、では奴はどうなった?」
「オノノクスが覚醒の手助けになった。これは、今まであんさんほどの実力者がなんべんも取り逃がしている事からも窺える、ユキナリの強さや」
「どうなったのかと聞いている」
答えを促すヤナギへとマサキは、「これも仮説やけれど」と前置きする。
「ユキナリはオノノクスと一体化、その状態を第一覚醒状態とする。この状態だけでは破滅の扉を開くのに不充分や。エネルギーが足りとらんからな。ヘキサツールの情報とネメシスで得た情報をすり合わせるに、相当なエネルギーが必要なはずなんや。一個人、まぁ特異点と言っても普通の状態はただの人間。それとポケモンが垣根を越えた程度では、過度な同調レベルで済む。ただ話では一体化やから過度、じゃ済まんか」
マサキは言葉を切り、全員の顔を窺う。ナツキは口元を手で押さえていた。ヤナギは無表情で、「ではオノノクスと一体化した奴は何故、キクコとメガゲンガーを取り込んだ?」と質問を重ねる。
「それがエネルギー補給の過程やった、と思われる。オノノクスが覚醒のトリガーとなり、特異点としてユキナリはエネルギーの塊になった。エネルギーってのは一箇所に集まってこそ意味がある。この場合、ユキナリの願望を叶えるために、高密度エネルギーは集中し、オノノクスの形状を取りながらもそれは全く別種の存在へと昇華しようとして――」
「結論を言え」
遮って放たれた言葉にマサキはヤナギを真正面から見つめた。
「つまり、エネルギー体となったユキナリにもう人間に戻るっていうのは不可能な話なんや」
その結論に立ち上がったのはナツキだった。
「そんなの! そんなの、あんまりじゃないですか……。だって、ユキナリは、キクコちゃん助けるために……」
「落ち着け、ナツキ」
ヤナギが最も意外な言葉でナツキを宥めさせる。
「まだオーキド・ユキナリが戻ってこないというわけではあるまい」
「でも、今の話じゃ――」
「では何故、フジはオノノクスを止め、オーキド・ユキナリを攫った?」
その疑問にナツキは目を見開く。マサキは、「察しがええな」と説明を続ける。
「全員の話を統合すると、オノノクスを止めたんはシンオウの神話の中にある赤い鎖。これは神と呼ばれるポケモンでさえ制御する能力を持つ特殊な道具や。これを生成する過程にこそ、ユキナリ奪還のチャンスがある」
マサキの言葉にナツキは、「教えてください!」とマサキに詰め寄った。
「どうすればいいんですか? ユキナリは、どうすれば……」
「取り乱すな! ナツキ!」
怒声を放ったのはチアキであった。その印象とは正反対な声音は既に一線を引いた関係ではない事を示している。ナツキは押し黙った。師弟と呼んでも差し支えない関係だろう。チアキは、「今は冷静にソネザキ・マサキの話を聞く事だ」と諭す。
「それが結果的にユキナリを救う事に繋がる」
ナツキは目を瞑って押し黙り、「話してください」と決心した声を出した。冷静に話を聞く事すら難しい状態にある。それほどユキナリという存在との絆が深かったのだろう。マサキは、「赤い鎖と言うんは」と端末のキーを打って画面に表示させた。
「生成条件が特殊なんや。とある三体のポケモンに過負荷をかけた時のみ、生成される道具。それぞれ、アグノム、ユクシー、エムリット」
三体の画像を全員に見せるマサキ。イブキは粗い画像や歴史的建築物に刻まれた三体の抽象画を目にした。
「おかしいな」
ヤナギの声にマサキは、「気づいたみたいやな」と応ずる。何がおかしいのか。イブキが首をひねっていると。
「この三体に関するデータは、ヘキサにも、ロケット団にも全くない」
マサキの出した結論に全員が色めき立った。「ちょ、ちょっと待って!」とナツキが声を差し挟む。
「だって、ロケット団は赤い鎖を作ったし、現にミュウツーがそれを使って――」
「ロケット団の総意ではない、という事か」
ヤナギが落ち着き払って口にすると、「ほんま、あんさんと話していると結論が早く出て助かる」とマサキは口元を緩めた。
「ミュウツーと赤い鎖、それにユキナリの覚醒阻止は一部の人間の勝手な行動だと判ずる事が出来そうやな。その一派のリーダーと思しき人間が」
「フジ、か」
ヤナギは額に手をやって考え込む。マサキは、「そう難しい話でもないで」と陽気に口を開く。
「ワイが今話しているのはロケット団内部の軋轢の事やなく、どうすればオーキド・ユキナリを奪還出来るか、やからな」
その一事のみ、を当面の目標に仕立て上げようというのだろう。ヤナギは、「さっきの三体か」と端末を指差す。
「アグノム、ユクシー、エムリット。この三体が鍵を握っている」
「せやな。ワイが考えるに、赤い鎖をフジは還元したと思われる」
「還元って……」
思わず言葉を詰まらせたイブキへと、「赤い鎖は半永久的に存在するもんやけれど」とマサキは振り返った。
「元々は三体のポケモンのストレスの権化や。元通りにする方法として、三体のポケモンに分ける、という事が挙げられる」
「それが還元か」
マサキは頷き、「もうユキナリは人間の形状を留めとらんやろうな」と呟いた。
「純粋にエネルギーの塊と化した時点でそうやけれど、さらに三つに分解されたとなれば、ユキナリを完全に奪還するのは難しい。というよりも、奪還したユキナリはヒトなのか、それともポケモンなのか、エネルギーの凝縮体なのか。それすら定かやないな」
つまり助け出したとしてもそれは以前までのユキナリではない、という非情な宣告だった。ナツキは精一杯平静を保とうとしているが表情に不安が見え隠れしている。ヤナギはそれらを聞き届けた後、「だが、当てがあるのだろう?」と尋ねる。マサキは、「せやから、自分らに提案した」と告げる。
「ユキナリが赤い鎖で封印されたって言うんなら、この三体を捕まえてサルベージすればええ」
「でも、シンオウの神話のポケモンなんでしょう? このカントーにいるっていう保障はないわ」
イブキの声に、「いや、おるよ」とマサキは確信めいた声を出す。
「どうしてそう言い切れるっての?」
「ロケット団、いやフジ一派と言うべきか。フジ一派は当然、ワイらがこの可能性に行きつくことを想定して、三体にマーカーをつけとる。何か発信機かかもしれん」
「そんなの探って、ばれないの?」
「ばれとるよ、そりゃな」
あっけらかんと言ってのけるマサキに開いた口が塞がらなくなった。
「決死のハッキングかけてフジ一派の情報を探っとるさかい、向こうから露見するのも覚悟の上。でも、そんなん怖がっていたらユキナリはいつまで経っても救えん。そうこうしている間に三体がカントーを離れたらお終いや」
「つまり、一秒でも早い決断が求められている、という事か」
ヤナギの言葉にマサキは目を向ける。
「どないする? 全てはおまいさんの一存やで」
ヤナギならばもしかすると乗らないのではないのだろうか。ユキナリとは因縁の仲である。ここでユキナリを見捨ててもヤナギからしてみれば失うものは少ない。今はミュウツー対策に時間を取るべきだろうという考えもあり得る。全員が固唾を呑んで見守っていると、「最初から決まっている」とヤナギは口にした。
「オーキド・ユキナリ奪還作戦、乗らせてもらおう」