第百四十七話「歩み進む」
新聞各紙を震撼させるかに思われたヘキサの声明は翌日になっても報じられなかった。
おかしいと感じたチアキはゲート付近で待ち合わせた。スパーリングを繰り上げてでも、確かめねばならない。今、世界はどう動いているのか。波止場のほうから駆けて来る雷撃の獣の蹄の音に顔を上げる。チアキの視線の先にはゼブライカに跨ったカミツレの姿があった。カミツレは黄色いファーコートを羽織っておらず地味目の黒い服装に身を包んでいる。電線のようなヘッドフォンもしていなかった。カミツレを知らない人間ならば見落としただろう。カミツレはゼブライカから降りて、「シオンタウンまで行って来たわ」と告げる。
「どうだった?」
「新聞の中のごく一部だけが報じていた。それも信憑性に欠けるスポーツ新聞社が一つ」
その事実の示すものをチアキは噛み締める。
「握り潰された、というわけか」
しかしヘキサ以上に権力を持つ組織とは何だ。チアキは少なくともヘキサが最高権限を持ち合わせていると思い込んでいただけに思い浮かばなかった。
「……シロナから聞いた話なんだけれど」
カミツレが言い辛そうに口火を切る。この場でシロナの名前を出す事に抵抗がある様子だった。
「何か言っていたのか?」
「私達でも観測出来ない闇の組織があるって言っていた。仮面の軍勢、って呼んでいたけれど正式なところは分からない。もしかしたらそいつらかも」
「仮面の軍勢……」
チアキは初耳だったが今の情勢下でロケット団とヘキサ以上に動けるとなればそれを疑うしかない。ロケット団はヘキサの声明を抹消する意味がないので第三者の組織が関与している可能性は充分にあった。
「ヤナギは?」
カミツレは首を横に振る。
「私達にはそういう話はしてこない」
一人で抱え込むつもりか。何も知らない、という事はあるまい。ハンサムを襲撃した際、全ての真実を知らされたとヤナギは言っていた。
「私達もまだ信用されていないという事なのか」
あるいは誰にも話すつもりはないのかもしれない。ヤナギはそういう人間だ。
「チアキさん。この事、私達以外には」
チアキは頷く。
「ああ、秘密にしておこう。ナツキ達に余計な心配をかけても仕方がないからな」
今は自分とのスパーリングで強くなってもらわねば。そのための障害となる情報は出来るだけ耳にさせたくなかった。
カミツレはくすりと微笑む。
「何だ?」と怪訝そうな声を出すと、「チアキさん、結構乗り気なのね」とカミツレは顔を覗き込んできた。
「最初はスパーリングなんて、って言っていたくせに」
カミツレの声にチアキは唇を尖らせた。
「やるからには真剣に、というだけの話だ。スパーリングとはいえ戦闘には違いない。メガシンカを扱うのならば命の危険も出てくる」
「ナツキさんは、それを押してでも戦おうとしているのね」
傷つきながらも何度でも立ち上がるナツキの姿が脳裏に浮かびチアキは、「ああ」と首肯していた。
「ナツキには心の中に強さがある。それが悪鬼羅刹のものか、それとも善性なのかはまだはかれていないがな」
もし悪鬼のものだとするのならば封殺するのは自分の役目だ。チアキの密かな覚悟にカミツレは、「でも、私だけやる事ないしつまらないわね」と髪をかき上げた。
「ゼブライカとの連携を固めればいいだろう?」
「そうだけれど……。やっぱりサンダーを失ったのは痛いわ。今まで割と自由に出来たのはサンダーのお陰だし」
「ゼブライカは貴公のパートナーだろう」
チアキの声にカミツレは、「そうだけれど」と額に手をやる。
「だったら信用してやる事だ。信じる事からのみ、それは始まるのだからな」
チアキの言葉にカミツレは、「やっぱり変」と笑う。
「何がだ。私は至って真剣に――」
「そういうのが、よ。チアキさん、最初は冷たい刃みたいな人かと思ったのに話してみると誰よりも熱くってちょっと戸惑っている」
チアキは心外だと言わんばかりに眉根を寄せたがそれは誰にしたところで誤解される部分だった。戦いにのみ悦楽を感じる事が出来る鬼だと形容され、チアキは今まで女性らしく振舞う事さえ許されていなかった。それがここに来て自分より強い相手に巡り会い、共に手を取り合うことの大切さを説いているのだから不思議なものである。自分の中にない言葉は生まれない。だからこれはきっと自分が原初より抱いている言葉なのだろう。
「私は、そう冷たくあしらっているつもりはないのだが」
カミツレは、「そういうのにまず疎い人だと思った」とますますおかしそうだ。チアキは、「そう思われていたとはな」と呟く。
「ちょっとそこで話でもしないか?」
チアキが指差したのはこの街でも残り少ないベンチだった。カミツレが、「デートでもするの?」と茶化す。
「必要な話だ」とチアキが真面目ぶって答えると、「冗談よ、冗談」とカミツレは笑った。馬鹿にされている気がしないでもないがチアキは黙っておいた。
「今回、サンダーが奪われた」
座るなり口火を切るとカミツレは、「そうね」と顔を伏せる。自分のせいだと思っている面もあるのだろう。
「だが、私がまず疑っているのは貴公が何故、サンダーほど強力なポケモンを持つ必要があったか、だ」
それには思い至らなかったのだろう。カミツレは、「そりゃ、戦力として増強するために」と口にする。
「貴公とてジムリーダー。ゼブライカだけでも申し分ないはず。何故、ヘキサは伝説のポケモンを揃えようとしていたか」
その部分に真実があるような気がしてならない。伝説のポケモンを集め戦力を増強し、ヘキサは何と戦うつもりだったのか。カミツレは、「言われてみれば」と呟く。
「シロナにヘキサに入ったほうがいいって言われて入ったけれど、実際にはほとんど何も知らないも同義だった。それもこれも狂わせたのは」
「ジムリーダー殺し」
チアキが声にする。ヤナギから誘われる際にも条件となった言葉だ。チアキは仮定する。
「もし、ジムリーダー殺しの一件とヘキサが繋がっていたとすればどうする?」
その言葉にカミツレが瞠目した。その可能性に、「ありえないわ」とカミツレが首を振る。
「何故、あり得ないと言える?」
「だって、ジムリーダー殺しを調査していた団体よ。それなのにその実は繋がっていたなんて」
「実力者を募るための条件付けとしてジムリーダー殺しを誘発させていたとしたら? あるいは犯人が分かっていて放置していた」
「根拠がない」
カミツレが返すと、「確かに、その通りだ」とチアキは頷く。
「だが否定も出来ない。ジムリーダー殺しの一件が原因でヤナギはヘキサに入った。貴公も、それに私も。ヘキサは何と戦う気だったのか」
「仮面の軍勢?」
「当らずとも遠からず、と感じるが、私はもっと包括的に、ヘキサが戦うべきだと思っていたものを考える」
「何かあるの?」
この可能性はもしかしたら間違っているかもしれない。だが、今回の一連の騒動を見るに考えに浮かぶ一事ではあった。
「歴史、だと私は考えている」
「歴史、ってどういう意味なの」
分からないのも無理はない。だがヤナギが隠し通している真実のうち、これだけは信憑性の高いものだと感じていた。
「シロナから聞かされなかったか? このカントーという土地には歴史がない、と」
「ええ、そういう事をシロナは言っていた。伝承、神話がない地域だと」
「もしも、の話だが、今まで連綿と続いてきたカントーの歴史がもし操られていたものだとしたら? その仮面の軍勢とやらによって」
チアキの話は突飛にも思われただろう。カミツレは額に手をやって、「そんなの……」と息を詰まらせる。
「あるわけがない、と言えないと私は思うがな。カントーの王の突然の崩御、その後の第一回ポケモンリーグ、オーキド・ユキナリという特異点、これらのキーワードを連立させて歴史に辿り着くのは全くの意想外ではない」
あるいは、とチアキは考える。歴史を巡ってこの戦いが勃発していたのだとしたら? ヘキサの求める歴史、仮面の軍勢の求める歴史、ロケット団の求める歴史が違うからこそ起きている諍いなのではないか。
「でもたかが歴史に……」
カミツレの言葉に、「されど歴史は、一国の興亡を左右する」と差し挟んだ。
「後年になって、その国の正義と悪を断罪するのは、結局のところ歴史でしかあり得ない。私はこの可能性を掲げるが、ここから先が頼みだ」
「何?」とカミツレが窺う。
「ヤナギには言わないで欲しい」
「どうして?」
この可能性を一刻も早くヤナギに伝えるべきだとカミツレは考えているのだろう。チアキは視線を振り向ける。
「ヤナギは、この可能性どころか真実を知っている。私達が下手に出ればヤナギは事を急ぎかねない。そうでなくってもあれはすぐにでも敵陣を攻めたがっている。自分の中に強さがない事を誰よりも歯がゆく思っているはずだ」
自分がヤナギの立場だとしてもそうだろう。真実を知るのは少ない人間だけでいいと考える。チアキの言葉にカミツレは暫時言葉を失っていたがやがて頷いた。
「分かった。言わない」
「すまないな。私の勝手な推論で貴公を止めてしまって」
「いいわよ。それにチアキさんって男前過ぎる気があるから、こういう時にだけ女の人なんだって分かるし」
「……それは、大変に不本意な話だが」
チアキがむくれていると、「冗談、冗談」とカミツレが肩を叩いてきた。本当に冗談だと思っているのだろうか。
「でもヤナギ君、チアキさんの言う通り真実を抱え込んでいるのだとしたら、酷よね」
「ああ」とチアキも同調する。ヤナギは自分一人だけで全てを解決しようというのか。ユキナリの事も、シロナの事も抱え込んで。さらに世界の真実まで知っている。これ以上、あの脆い双肩にどれだけ抱え込ませるというのだろう。
「そうさせないために私達がいるんだ」
チアキは強く言葉にする。ヤナギをこのまま逼塞させるわけにはいかない。どこかで救わねばならない。自分自身でしか本当の意味で救えないのかもしれないが、共に旅をした自分達にはその資格はあるはずだ。
「無茶無謀を重ねるだけが勇気ではない。どこかで誰かに頼るのもまた勇気なんだ」
「それも意外。チアキさんは自分一人でやれ、って言い出すかと思っていたから」
カミツレの失言にもチアキは口元に笑みを浮かべる。
「そこまで私は冷徹になれないよ」
ナツキに関してもそうだ。メガシンカを後押しする役目を背負いつつも、どこかで同じ痛みを分け合えないかと模索している。カミツレは立ち上がり、「そろそろ行かなきゃ」と口にする。
「ああ。時間を取ってすまなかった」
「ナツキさんの?」
「スパーリングだ。こいつも相当に焦っているから性質が悪い。焦ったところで何も好転しない。自分のペースで、と言っても聞き入れないだろうがな」
よく分かっている。自分に似ているからだ、とチアキは結論付けて歩き出した。