第百四十三話「レプリカント」
「おかえり、フジ」
カツラの声にフジは応じる前に、「ちょっとトラブルがあった」と口にする。後から現れたミュウツーを目にすれば、その原因は推し量れた。
「やられたのか?」
「少しだけだよ。大した損傷じゃないが、細胞が壊死した部分がある。それを取り替えるのに少しかかるだけさ」
カツラは立ち上がり、「そりゃ、大した事だろう」と早速研究チームを呼び寄せた。ミュウツーは事前説明がなされていたとはいえ、ほとんど迷いなく装甲の点検を行わせた。
「装甲を脱ぐと三十秒と持たない。理解しているね?」
(承知している)
ミュウツーは空いていた培養液のカプセルへと自身を転移させる。その動きの手早さにカツラが舌を巻く。
「やれやれだ。お前らは、相変わらず驚かせてくれる」
「ボクだって驚いたさ」
フジはまずカツラが淹れていたコーヒーを手に取り口に含んだ。苦味を味わってから、「そうそう甘くないわけだ」と呟く。ミュウツーを失った強化外骨格の鎧はどこか空々しく映る。装甲が持ち上げられ、内部点検をするスタッフが肩パーツからボールの入った衝撃吸収剤を取り出した。
「あれの中に、サンダーが入っている」
フジの声にカツラが、「まさか……」と声を詰まらせた。ガラスに取りついて、「そんなに手際よく行ったのか?」と問いかける。
「手際よく、ってのは分からないけれど、あの場にサンダーがいたのは完璧な偶然だった。だが、手間が一つ減ったのは喜ばしい事だ」
フジは白衣を身に纏い、懐から煙草を取り出した。カツラは肩を竦める。
「やれやれだな。俺を驚かせるのが趣味なのか?」
「心外だよ。ボクはただ、ミュウツーを使って然るべきシナリオを進めているに過ぎない」
フジは機器を操作し、予め指定しておいた座標を呼び出した。その座標には赤い鎖が背中から突き刺さったオノノクスが倒れ伏している。既に石化が始まっており生きているとはとても思えない。だが、オノノクスは死んだわけではない。さしずめ封印されたのだ。ユキナリの覚醒リスクと共に、オノノクスは今だけ封印措置を施されているに過ぎない。赤い鎖を抜けば再び覚醒するかと問われればそうでもないが、フジでさえも慎重を期す必要があった。
「運び込まれたオノノクスの生態データは取ってある。攻撃面に特化したポケモンだ。だがそれだけに留まらない。前後のデータも収集したが、あれの放つドラゴンクローは本来、ドラゴンタイプが放つようなものではない。物理攻撃というにはあまりに強力で、まるで光線だよ。この辺り、オーキド・ユキナリが操っていたからこそ出来た事なのか?」
カツラが尋ねるとフジは、「どうかな」と返事をする。
「どうかな、って、お前がオノノクスに赤い鎖を放つ事を決めたんだろう。それらは全て、破滅の時を免れるためじゃないのか?」
「オーキド・ユキナリ君はあの時、確かにいずれ来る破滅を誘発する恐れがあった。だけれど、ボクは何も全人類を救おうだとか、そういう意味で赤い鎖を使ったわけじゃないよ。ただ彼の幸せを願っただけの事さ」
「幸せ、ねぇ」
カツラが含みのある言い方をしてくるがフジは煙い息を漏らしつつ、「赤い鎖は」と口を開いた。
「ポケモンを拘束する。たとえそれが神と呼ばれるポケモンであろうとも。アグノム、ユクシー、エムリットの状態は?」
「現在、赤い鎖生成によって随分と疲弊している。まさか二つ目を作るなんて言わないよな?」
「ボクだって無理とそうでない事を見分ける目くらいはあるよ」
フジは三体のポケモンが捕獲されているカプセルへと目を向け、「……どうやらこれしかないようだ」と呟いた。
「何が?」
「彼を幸福のうちに眠らせる方法だよ。ボクは、出来れば彼にもう、特異点としての道を歩ませたくない」
「それはお前なりの優しさか?」
皮肉るカツラにフジは微笑んでみせる。
「まさか。ボクのエゴだよ。ただこのエゴが結果的に人類を救う事になってしまったわけだけれど」
「キシベは気づいているのかいないのか、全く連絡を寄越さないよ。予定ではそろそろグレンタウンに着く頃だろうに」
キシベ。その名前にフジは身を硬くする。どうしてキシベは何もしてこない? もう一つの特異点、サカキを擁立している余裕か? あるいは別の選択肢があるからか。どちらにせよ、フジとミュウツーが止めなければ破滅は回避されなかった。あの事象でさえ、キシベの掌の上だとするのならば驚嘆に値するがキシベとて人間だ。それほどまでに考えているとは思えない。
「その静けさが逆に不気味だね。キシベは何のために、静寂を守っているのか」
「サカキに相当な自信があるのか」
カツラの推理に、「あるかもしれないけれど」とフジは応じて灰皿に煙草を押し付けた。
「サカキでオーキド・ユキナリ君を殺そうと思えば出来た。そうしないのは、この二人を出来るだけ会わせたくないからか。または他の目論見があるのか」
「目論み、ねぇ」
カツラは椅子に座って後頭部で手を組んだ。見当もつかない、という顔だ。自分もそうである。キシベの考えを透かす事は出来ない。だが、キシベの思い通りにならないよう抗う事は出来る。
「ミュウツー計画だってボクの助力なしには完成しなかった。キシベはボクが協力することを予め事象に組み込んでいるみたいだけれど、それだってボクの意思だ。正直、キシベは何もかもが自分の思い通りになると確信している節がある。そこにつけ入るしかない」
「キシベの上を行く読みか。もう俺には考えつかないな」
カツラが早々に白旗を揚げる。フジは、「そう難しくないさ」と口元に笑みを浮かべた。
「ポリゴンシリーズ。完成の目処は立っているんだろう?」
それはミュウツー完成と同時進行で辿っていた計画である。カツラは機器を操作し、「一応は、だが」と答えた。
「ポリゴンは第三形態、通称ポリゴンZまで進化させる事が可能になった。もっとも、人工的に造り出したポケモンに対し、アップグレードとパッチを組み合わせた結果だからこれを進化と呼ぶかは甚だ疑問だけれどね」
カツラはポリゴンZとやらの姿を映像に出す。極彩色の案山子の形状を持つポリゴンZの能力は特殊攻撃力が非常に高い。利用価値は充分にあった。
「よし。計画を第二フェーズに移行しよう」
フジはコーヒーを飲み干してパスワードを打ち込む。すると自分しかアクセス出来ない計画進行表を呼び出した。
「どうする気だ?」
「ポリゴンZは何体使える?」
「今のところデータコピー技術を使えば無尽蔵、と言いたいところだが、一応はリスクと言うか対価があってね。あまりコピーのコピーを使うと情報面で劣化する。そうするとオペレーションシステムに問題が発生してきちんと動いてくれない。せいぜいコピーは一回まで。それでオリジナルポリゴンは全部で四体。そのうち三体をポリゴンZに進化させた」
「つまり六体か。まぁちょうどいいと言えばちょうどいいかな」
「ポリゴンシリーズ六体を全部投入してどうする? こちらの戦力を分散させてもキシベに勘繰られて面白くないぞ」
カツラの指摘は正しい。こちらはヘキサやネメシスだけではない、キシベも相手取らねばならないのだ。フジは唇を舐めながら、「六体全部を一箇所に、って言っているわけじゃないよ」と応ずる。
「まずは段階を踏もう。カツラ。赤い鎖をオノノクスから引き抜く」
「封印措置を施すんじゃないのか?」
意外そうな声に、「封印するさ」と答えた。
「ただし、今のままオノノクスを持っていてもかさばるだけ。オノノクス、オーキド・ユキナリ君、そしてレプリカントを分離する」
「分離って……」
覚えず、と言った様子でカツラが立ち上がった。そのような事が可能なのか、と言いたいのだろう。
「原理的には可能だよ。赤い鎖が何によって生成されたのかを逆算するといい」
その言葉でカツラは思い至ったのだろう。「まさか」と口にしていた。
「そのまさかさ。赤い鎖を還元。オノノクス、オーキド・ユキナリ君、レプリカントをそれぞれアグノム、ユクシー、エムリットへと封印する」
カツラは放心したように口を開いている。フジの言葉があまりにも突飛だったせいだろう。だが、自分ではずっと考えていた事のため、そうそう突然の話でもない。誰にも話していなかっただけだが。
「……そんな事」
「赤い鎖の還元は難しい話じゃない。技術的には今の時代でも充分に可能だ。問題なのはこの三つをそれぞれのポケモンに封印出来るのか、だろ?」
先んじて疑問点を発したフジにカツラは、「あ、ああ」と気後れ気味に応じた。
「可能なのか?」
「三体にそれぞれ順序よく、ってのは難しいかもね。つまり、オーキド・ユキナリ君とオノノクスが混じった状態もあれば、レプリカントとオノノクスが混じっている状態もある。三つに綺麗に分けるのは無理だ。それは早々に諦めよう」
「つまり、三体揃わねば、どれを再生する事も出来ない」
「理解が早くって助かるよ」
フジの言葉に、「だがそうだとすれば」とカツラは額に手をやった。
「我々の目的に支障を来たさないか? 特異点、オーキド・ユキナリを結果的には確保出来ない」
「だけれどオノノクスに吸収された状態で放置しておいても同じ事さ。もしキシベか、あるいはヘキサやネメシスがここを強襲してきてオノノクスを奪ったとしよう。ボクらは全てを失う。そのリスクに比べれば、三つに分散して管理するほうが軽減出来ると思うけれどね」
フジの言い分に文句はないようだ。だが引っかかりは覚えているのだろう。カツラは口にする。
「三体はどうする? 一括管理しては結局意味がないぞ」
「逃がす」
その言葉にカツラが瞠目する。フジは、「意外かな?」と尋ねた。
「ああ、そうだな。これだけ苦労して集めた三体を逃がすなんて……」
信じられない、という口調にフジは微笑んだ。
「逃げてもサーチ出来る機能くらいはあるだろう。ポリゴンをマーカーにつけよう。六体ならば二体ずつ。アグノム、ユクシー、エムリットを守るためにつける。これでヘキサやネメシスがボクらの計画に気づいたとしても簡単には手出しは出来ない」
既に赤い鎖の還元作業へとフジは入っていた。カツラは止めるでもなく見守っているが胸中は穏やかではないのだろう。
「簡単には手出し出来ない、と言うが、相手側もそれに気づくか? 普通は三体に分離した事すら気づかないんじゃ……」
「気づくよ。あのカンザキ・ヤナギならば、このやり方には気づく」
その確信がある。ヤナギならば赤い鎖の生成技術には辿り着く可能性があるだろう。当然、その逆も然りだ。
「だったら余計にこのやり方に拘泥するべきじゃないのでは?」
カツラの疑問はもっともである。だが、フジにはこのやり方がベストに思えた。
「カツラ、忘れちゃいないか? ボクらの敵は何もヘキサやカンザキ・ヤナギだけじゃない。ネメシスやキシベも相手取ると考えれば、三体に分けなければリスクはそのままなんだ。キシベやヤナギが気づかない可能性もある。そうなれば御の字なんだが、誰かは気づくだろう。それがネメシスが先かヘキサが先かまでは特定出来ないが、気づかれて行動を起こされるのは充分に引き離してからだ。大丈夫、ポリゴンシリーズはボク達の要だし、君だってそう簡単に陥落させられるような人造ポケモンを作ったわけじゃあるまい?」
「それは……」
そうだが、とカツラは言葉を濁す。フジは作業画面を眺める。オノノクスがアームで持ち上げられ、背中から突き刺さった赤い鎖を、今まさに引き抜かれようとしていた。それと並行して赤い鎖の還元作業に現場がごった返している。電極が三体のポケモンと赤い鎖に向けられ、同時に電流を流す事によって刺激を与え、三体に分離させる。
「上手くいくのか?」
「五分五分、だろうね。上手くいかなくっても誰も恨まないだろう。オーキド・ユキナリ君という特異点は消えるかもしれないが、そうなるとキシベも困る。意地でも何か手を打とうとしてくるはずだ。何もないって事は今のところ順調って事だと受け止めよう」
今のところは、である。キシベやヤナギがどう動くのか、全く読めていない今の状況では先手を打つ。それだけであった。
「現場へ。電極の準備は?」
『オールグリーンです。赤い鎖を引き抜きますが、構わないので?』
ヤマキの声に、「構わない」とフジは応じる。
「赤い鎖を引き抜くと同時に還元。封印せよ」
アームが赤い鎖を引き抜いた瞬間、青白い光が明滅し電流が三体のポケモンとオノノクスを押し包んだ。カツラが眩さに目を細める。フジも咄嗟に手を翳した。
やがて光が消え、アームと電極だけが取り残されているのを発見する。フジは三体のポケモンのディスプレイへと視線を向ける。三体のポケモンは健在であった。
「成功した……」
放心状態でカツラが呟く。フジは、「これで後はプランを次に回せば――」と口にしようとした時、通信網をざわめきが震わせた。
『な、何だ……? 誰だ、お前は』
その言葉にフジはオノノクスを表示していたカメラへと移動させる。狼狽の声の意味はそれを目にした時、理解出来た。
先ほどまでオノノクスがアームで吊り下げられていた場所に一人の少女が赤い光に包まれて佇んでいた。服飾を纏っておらず、その髪は灰色だったが、赤い瞳が印象的であった。
「おい、フジ。あれは……」
カツラも気づいたのだろう。フジも驚愕を露にしたが、やがて頷いた。
「……予想外の事は起こるものだね。分離の際に不手際があったか、あるいは還元の時に余剰な情報が入ったか。どちらにせよ、使えないものではない」
フジはマイクをオンにして現場に聞こえるようにした。
「歓迎するよ。レプリカント、キクコ」
その言葉にキクコの形をした少女はゆっくりと顔を上げた。