第百四十二話「電磁の十字」
今ので伝わった自信はない。
だが、やれるだけの事はした、とヤナギは自分に言い聞かせる。これ以上、何をしろと言うのだ。ヘキサ頭目としてやるべき事は、全ての糾弾の矛先をヘキサに向ける事だ。それは同時にロケット団が動かざるを得ない状況を作り出す事にも一役買っている。
「俺が世界の敵になるのならば、それでいい」
身を翻しヤナギは呟いた。ただ一つ、キクコだけは自分の手で助け出したい。そのためならば茨の道を歩もう。
「ヤナギ君」
その声に立ち止まるとカミツレが歩み寄ってきた。ヤナギは再び歩き出しながら、「状況は?」と問う。
「一応、ゼブライカを取り戻す事は出来た。でも、やっぱりサンダーに比べると、戦力が大幅に減った事に違いはないわ」
カミツレが声の調子を落とす。ヤナギは、「自分の手持ちだ。信じてやれ」と声を送った。
「サンダーなんかよりもお前の下にいた期間は長いのだろう?」
カミツレは目を見開いている。ヤナギは怪訝そうに眉をひそめた。
「何だ? 幽霊でも見たような顔をして」
「いや、ヤナギ君がそんな事言ってくれるイメージなかったから、つい……。いつからそんなに優しくなったの?」
「俺が、優しいだと?」
ヤナギは立ち止まり、睨む目を向けた。
「甘ったれるな。そのゼブライカとて使いこなせなければお前は所詮三流だ。明日までに勘を取り戻しておけ。チアキ達がスパーリングを行う。それに参加しろ」
ヤナギは言い捨てる。カミツレは、「やっぱり、可愛くない、か」と呟き、ヤナギとは反対方向へと歩き出した。
「いいわ。私の輝き、また見せてあげる」
ヤナギは報道局を抜け、一番損壊の激しい北方へと歩みを進めた。この街のシンボルであったサファリゾーンはほとんど破壊され、逃げ出したポケモンを捕獲するのに局員達が躍起になっている。ヤナギは声をかけた。
「なぁ。逃げ出したポケモンを炙り出して、捕獲すればいいのか?」
その言葉に足を止めた局員は、「そうだけれど……」と濁す。
「そんな簡単じゃないよ。野生よりもこいつらは凶暴なんだ。慎重を期さないとこっちが怪我をする羽目になる」
「なに、ちょうどいい。キュレムの力を知るチャンスだ」
ヤナギはモンスターボールをホルスターから抜き放つ。一度、ボタンを押すと段階的にロックが解除され、二度目に押すと解き放たれた。
「行け、キュレム」
放たれたキュレムは咆哮する。その威容に局員が逃げ出した。ヤナギはキュレムに命じる。
「瞬間冷却、レベル7」
その言葉に射程内に存在するポケモン達が動きを止めた。凍り付いたのは目に見える範囲ではない。細胞だ。細胞が動きを止めたためにポケモン達はまるで金縛りにあったように動けなくなっていた。
「今のうちにやれ」
ヤナギの声に局員達が戸惑いながらボールを放つ。それでもサファリゾーンは広く、ヤナギはここならば存分に力が振るえると確信する。
「キュレム。お前には先がある。それを俺に見せてくれるか?」
キュレムは身体の右側から白い体毛を浮き上がらせる。赤い光が押し包まれ、尻尾の形状を成したかと思うとチューブが全身に繋がれた。
「この姿、これが最終到達点なのか。あるいはまだ先があるのか。どちらにせよ、俺達はまだ使いこなせていない技が多過ぎる。キュレム、まずは手始めだ」
キュレムの全身へとチューブから赤い光が送り込まれる。血脈が宿り、キュレムが腕を押し広げた。氷の粒が舞い散り、サファリゾーンへと降り注ぐ。ヤナギはそれらがまだ野生のポケモン達を包囲したのを確認して声にする。
「コールドフレア」
反射した赤い光条が一射され、爆撃のように野生ポケモン達へと襲いかかる。「コールドフレア」を受けたポケモン達はそれぞれほとんど半死半生の身体を横たえた。局員達は恐れ戦きつつもボールを投げて一体でも多く確保しようとする。
「これを撃つと消耗が激しいな」
ヤナギはキュレムがこの一撃を放つのに準備動作が必要なのを見抜いていた。まず氷の粒を降りしきらせる。そのために一度体内に高温の熱を燻らせる必要がある。その動作にキュレムの身体は沸騰していた。目を凝らせばキュレムの関節から煙が棚引いているのが窺える。キュレムとてこれは最終手段なのだろう。
「普段使うのならば瞬間冷却か、クロスフレイムで充分なのだが。それでもミュウツーには届かない」
それが痛いほど理解出来る。二度撃てば、その技の特性までも分かるヤナギならではの悩みだった。ミュウツーとフジはさらなる高みだ。あれを凌駕するには「クロスフレイム」や瞬間冷却では足りない。
「かといってコールドフレアもそう何度も撃てる技じゃない。フジ側も対策くらいは練ってくるだろう。キュレム。全く別の手を打つ必要がある」
ヤナギはキュレムと向き合った。キュレムは白い体毛を仕舞い込む。まさか、ないとでも言うのか。その意思表示かと疑っていると、キュレムは身体を軋ませた。めきめきと身体を起き上がらせる。背後で青い球体が光り輝き、黒い表皮がそれを押し包んだ。キュレムの右側に黒い体毛が現れる。それは体毛というよりかは無機質で鎧の一種に思えた。白い部分が黒く染まっていき、キュレムは巨体を屹立させる。
ヤナギでさえも瞠目した。その姿は先ほどまでのキュレムとはまるで真逆、一線を画していたからだ。
「その、姿は……」
ヤナギの戸惑いを他所にキュレムは腕を掲げる。その射程にあった野生ポケモンへと青白い光が放たれた。途端に光の瀑布を押し広げた光は十字架の形を取る。「クロスフレイム」の色がそのまま反転したかのようだった。
「今の攻撃……」
ヤナギは歩み寄り、局員が捕まえる前の野生ポケモンを検分する。
「麻痺している……。これは、電気タイプの技か?」
電気の十字架。さしずめ「クロスサンダー」とでも名付けるべきか。キュレムの放った技にヤナギは笑みを深くした。
「この先があるという事か。いいだろう。それに追いつけるか。俺を試しているな」
キュレムはまだ力を隠し持っている。ならば自分はそれに応えるだけのトレーナーになればいい。
「局員。出来るだけ離れていたほうがいい。今から俺達は、境界を侵犯する戦いを行う」
放たれた声に局員達は首をひねったが次の瞬間から巻き起こった光の数々に誰もが逃げ出した。